毒の思い違い
無責任な事を、言ってます。
悪意が源の場合もあれば、そうでは無い場合もある。
後者はスッと呑める事では無いが、僕はこの場合が多いと思っている。
いじめは害で不倫である。しかし、立場が変わると此の事を忘れる時もある。
いじめは悪と考えるのが、大多数の人や被害者の方々。
加害者はどう考えているのか?
推察ではあるが、『コミュニティーの発展や維持の為のツール』の様に捉えていると思う(抽象的に)。
一つの物事に、仲間と取り組む。団結力を育むものである。
しかし、この一つの物事というのが、『一人で居たりして目立っている子に自分達で欠点を勝手になすり悪にし、そこを責める』という物事だった場合、第三者や被害者は非道が見えるが、加害者にはなぜか勧善懲悪の様な感覚が現れている。
加害性が悪へ向かった時善へ変化し、それ意外の場合は大体悪へと変化する。
なので恐らく、いじめの加害者は悪意を忘れ(感じず)攻撃(だと思っていない行為)をする。
だが、被害者が先生に告げ、行為が露呈され、被害者・加害者・第三者の構図が判然とした際、自分達の行為を冷静に客観視し、罪悪感が芽生え(サイコパス以外)、謝辞し反省する。
行為は善(はたから見れば害)、結果を客観視したら悪。
以上の一文が、多くのいじめの始終だと思う。
ーおまけー
お笑いは攻撃性の転化という意見がある。
この言い方だとお笑いが悪いものの様に見えてしまう。
お笑いは悪いものなのか?
違うと思う。
結果に被害が生じ、悪がその物事に添付される。と、予想する。