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Phase.5 リジルと毛だらけ男




     5




「……あー、やっちまったー」


 カネトリはベッドに倒れ、ぼーっと薄暗い天井を眺めた。部屋に帰るなり、今までの緊張が一気に弛緩し、精神的な疲労感がどっと押し寄せてくる。


「さっきのは名演説だったね」

「向こう二年間タダ働きか……。はあ……」


 今さらながらとんでもない賭けに乗ってしまったと後悔が拭えない。〈マスター〉に対して振るった演説の内容はほとんど覚えていなかったが、手もとに残された一枚の紙きれだけが、カネトリがこれから背負うかもしれない巨額の負債を示している。

 いくら獣人の耳がいいとは言え、クイーンズ・イングリッシュを話せるかはまた別問題だ。しかも時間が限られている上、そもそも少女にその気があるかどうかもわからない。


「こんなことなら……」


 そう半分口に出したところで、身を持って『口は災いの門』という教訓を得たばかりの男は慌てて思考の門を閉ざした。もうこれ以上の災いはごめんだ。


「…………」


 部屋の隅に立っている殺し屋に目をやり、カネトリは首を振った。

 そもそも、この状況は浅はかな善意が裏目に出た結果に過ぎない。()()()()()()彼女を責めることなど誰ができよう。


「カネトリ……これ」

「ああ、そうだったな」


 カネトリは頷き、少女が差し出す両手を解放した。手錠を机の上に投げ出し、再びベッドの上にぐたりと横になる。


「…………」


 少女は解放された手首を回し、無造作に捨て置かれた拘束具に視線を向ける。カネトリが事前に緩めてくれたおかげで手首がうっ血することはなかった。善意の隙間、それがなければひょっとしたら抵抗して逃げ出していたかもしれない。

 殺し屋と武器商人を繋ぎとめていたのは、ソブリン金貨千枚の重み以前に、一個人としてのカネトリの信用だった。


「カネトリは……どうして私を助けてくれたの?」

「言ったろ? お前の目に魅入られ……」

「それは聞いた」


 少女はきっぱりと言い、伏し目がちにポツリと呟くように続ける。


「普通、目に一〇〇〇ポンドも払う人はいない。それに私には獣人の血が混じってる。もし、耳を舐めたことを気にしてるなら……」

「それだよ。獣人の血が混じっている? だから何なんだ? 人間よりも力が強く、野性味に溢れた眼光や毛皮の匂い……サイコーじゃないか。どうして自分の血を卑下する必要がある?」


 カネトリは少女の言葉を遮り、一息ついて問う。


「なあ、〈黒犬ブラック・ドッグ〉。俺は変態か?」

「……うん」

「素直でよろしい。そう、俺は『獣人好きの変態紳士ファーリー・ジェントルマン』だ。……少なくとも、今の英国社会では、()()()()()()()()()


 カネトリはベッドから立ち上がり、少女の手にそっと触れた。


「本来、俺たちはこうして互いに手を握り合えるはずなんだ。なぜなら同じ女王を仰ぐ平等な臣民サブジェクトなんだから」

「…………」

「大英帝国という巨大な政治体制は世界の植民地を飲み込み、それまで柔軟フレキシブルだった人間と亜人の関係性を、階級制度によって無理やり隔てた。亜人に対する差別意識は、政治家や資本家によって植えつけられたものだ。植民地で働く労働者と亜人が手を組んで反乱を起こさないためにな……。狂っているのは、俺じゃなくてこの社会制度のほうなんだよ」


 カネトリはそう言ってから、自嘲気味にふっと笑みを漏らした。


「俺は『毛だらけ男ファーリー・ジェントルマン』だ。急進派の平等主義者、そう言えば聞こえはまともだが、俺はフェビアン協会に賛同こそすれ、婦人参政権運動家サフラジェットのように活動する気はない。ことが公になればビジネスに響くからだ。……まあ、亜人好きであることを微塵も隠さずに戦場を渡り歩くような強者バカも中にはいるわけだが」


 カネトリは苦笑交じりに呟き、名残惜しげに少女の手を放した。


「葛藤がないかと言えば嘘になる。俺も正体を隠す臆病者に留まらず、真っ向から亜人差別と闘っていきたいが……。今のところは……ただの卑怯者だ」

「…………」


 少女はうつむき、カネトリの言葉を咀嚼するように黙ってから、やがて顔を上げた。


「でも、卑怯者なら、〈マスター〉から私を庇ってくれなかった……と思う」

「それは……あれだ、結局のところ、素直に性癖に従ったまでだ。俺はお前の毛皮に覆われた手や獣の耳や尻尾がたまらなく好きだったから……」

「うっそだー。ソーホーの獣人娼婦なら一ポンドもしないもんね!」

「…………」


 白カラスにもっともなことを言われ、カネトリはふてくされたように椅子に腰かけた。


「正直、自分でもわからん。なんであんな馬鹿な真似したのか……第一、合理的じゃない」

「カネトリ、自分で『素材はいいんだ』って言ってたじゃん。先物取引みたいに今から価値が上がると思ったんじゃないの?」

「一〇〇〇ポンド以上の価値か……」


 武器商人はその言葉を脳裏で反芻するように呟き、それからふーっと深く息を吐いた。


「むしろ、そうなってくれないと困る。〈黒犬ブラック・ドッグ〉、今日から俺はお前の投資家だ。勝手にことを進めて悪かったとは思うが……協力してくれるか?」

「……うん」

「もし必要なものがあったら遠慮なく言ってくれ。それと、今回のことはあくまでも成り行き上のビジネスだ。これから一か月、行動をともにしてもらうが……だからといって必要以上に恩を感じる必要はない。わかったか?」

「わかった」


 カネトリはよしと頷き、壁に設置されたガス灯を点した。ぼんやりとした揺れる灯りの下、鞄からナガン・リボルバー入りのホルスターを出して机に乗せる。


「一応、これを返しておこうと思う。さっき馬車で俺が言いかけたこと覚えているか? 俺にあって、彼らにないもの」

「武器?」

「そうだ。お前は今、これしか武器を持っていない。人を殺すため、身を守るための技術だ。当然、俺も持っているが、それだけでは心もとない。戦場やアフリカの奥地には欠かせないが、文明社会ではもっと他の武器が必要だ。基礎になる読み書き能力リテラシー、社会情勢を見極める観察眼、歴史や文学の教養、クイーンズ・イングリッシュ、解析機関エンジンを用いた情報処理能力、経営のための算術、法律に関する知識、社交界での振る舞いマナー……ぱっと上げるだけでも、弱肉強食の資本主義社会で賢く立ち回るためにこれだけの武器が必要になってくる。ちなみに、読み書きはできるか?」

「…………」


 少女はカネトリが指差すホルスターから顔を上げ、ふるふると首を振った。


「そうか……」


 予想できないことではなかった。義務教育制度が導入されてしばらく経つが、制度の対象となったのは『純粋な英国の臣民』――つまり人間だけであり、亜人はその対象外とされた。

 これは英国やジム・クロウ法などの亜人差別政策がある南部連合国ディキシーランドに限った話ではない。今世紀も終わりに近づいているが、列強の亜人差別意識は未だに根深い。英国では最近になってようやく制度が改正されたが、それまでは獣人というだけで否定され、学校にいく権利すら与えられなかった。

 そもそも人間とはスタートラインが違う事実にやり場のない憤りを覚えるが、努めて顔には出さず、カネトリは深々と頷いて提案する。


「それなら、読み書きができるようになりたいか?」



「――なりたいっアイ・ワナドォ!」



 即答だった。その強いアクセントに面食らうが、やがて武器商人はふっと微笑んで見せる。


「いい返事だな。これからは銃やナイフだけでなく、ペンも握って貰おう。こう見えても俺は陸軍にいた時にビルマの子どもたちに英会話を教えていたんだ。新聞を読むのは難しくても、せめて自分の名前ぐらいは書けるようにならないとな」

「自分の名前……で、思ったんだけど、〈黒犬ブラック・ドッグ〉って、それ以外の他の名前はないの? 言いにくくない?」

「一応、前の人には子犬パピィって呼ばれてた」

「それは名前じゃないね……。本名は?」


 クローの問いに、少女は困ったように視線をさまよわせた。


「昔はあったかもしれないけど……その、覚えてない」

「それなら、せっかくだから俺が名付け親になろう。これから誰にも奪われない武器を持つと決意した者に相応しい名を」


 武器商人はそう言って、しばらく熟考した後に、指を鳴らして告げる。


「『竜殺しの短剣リジル』だ。北欧神話の中に出てくる短剣で、『言葉』の象徴とされている。北欧の一部の地域では少女の純潔を守るために武器の名前を付ける風習があるからな。ピッタリのネーミングかもしれん」

「リジル……リジル……」


 王家の財宝を独り占めしていたファフニールの心臓を切り取ったとされる伝説の魔剣。

 子犬パピィとは違う、新たな名前。大事そうに、まるで何かを確かめるようにその名を口にする。


「うん。リジル……良い名前!」

「気に入ってくれたならなによりだ。短くて、なにより語感がいい」

「これからよろしくね、リジル」

「……ありがとう、カネトリ! クロー!」


 リジルは微かに震える声でそう言うと、腰のナイフケースを外し、机のホルスターとともにカネトリに差し出した。


「カネトリ。名前の代わりにこれを預かって欲しい」

「いいのか?」

「今は……別の武器を持つ手が必要だから」


 日々の糧を得る道具で、己の身を守る盾。武器商人にはそれを預ける意味がよくわかった。

 少女の決意を直に見せつけられ、カネトリは力強く頷いた。


「よし任せておけ! 俺は武器商人だ。この魑魅魍魎が跋扈する英国社会を渡り歩けるだけの、ありったけの武器を授けてやる。お前はこれから資本主義というジャングルを生き抜く気高いケモノになるんだ! ……期待してるぜ、愛しい毛皮ちゃんマイ・ファーリー・レディ

「……っ」


 冗談交じりに発せられた言葉に、半獣人ハーフの少女は照れたように微笑んだ。



ファーリー・ジェントルマン=この世界で言う、ケモナーのこと。

現代で言う、LGBTの立場であり、別に変態とか特殊性癖とか、そういう訳ではない。

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