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第7話 対等に笑い合える友になるために

「…ええっと、命って……あの? 生命って意味の、命の研究?」


 アイリスが浮かべる表情が暗いものではなくなり、場の雰囲気は次第にゆったり

した穏やかなものへと戻っていったのだが……。


 そのアイリスは、今度は見るからに頭上に疑問符がいくつも浮かんでいるような

『全く意味が解らない』といった状態だった。


「はぁ……ま、確かに一言に『命の研究』って言っても、よく解んねぇか……」


 魔女として、簡単に研究内容を他人に明かすのも憚られるイザベラだったが……

この好奇心旺盛なお転婆が、このまま引き下がるとは思えない。


 これでも一応程度には空気が読めるアイリスのことだから、しつこく尋ねて来る

ようなあからさまなマネはしないのだろうが……。


 何か切欠がある度に、遠回しに探ってくる程度の事はするだろう。

そう考えると、ここで変に誤魔化すと後々、余計に面倒な事になりそうだ。


…それに、仮にイザベラの研究内容を知ったところで、それを悪用しようとしたり

するような悪い人間でもない。


「まぁ、詳しい部分や経緯は伏せるが……。

アタシの知り合いに、ちょっと面倒な症状のヤツが居てな。

ソイツの今の状態を変える……病気で例えるなら“治す”必要があるんだよ。

だから、アタシが作ろうとしてんのは毒と言うより、むしろ薬の方だな」


「で、でも……強い毒も揃えてあるのでしょう?」


「あくまでそれは『一応は』といった程度の話だよ。

いいか? 強い毒ってのは、つまり“体の状態を短時間で劇的に変える”って事だ。

それがたまたま人間が生きるのに都合が悪い状態への変化だから、毒なんだよ。

…だが、それを研究すれば、逆にその成分が治療薬の開発に繋がる場合もある」


「つまり、話を纏めると……イザベラは魔女のお医者さん……ってこと?

ええっと……それなら何故、こんな森の奥に隠れ住んでいるのかしら?

お医者様といえば、求められることはあっても、嫌われる存在でもないし……。

良い事をしているっていうのなら、町で堂々と暮らせば良いものじゃない?」


 どんなに気をつけていても、(かか)ってしまう事があるのが病気の怖いところだ。

そんな時、医者はまさに救世主と言って良い。


 しかも、イザベラはただの医者ではなく、()()()()()()()なのだ。


 通常の医者には出来ないような……それこそ、魔法の力であっという間に治療が

出来るのならば、むしろ病人にとってはこの上なく素晴らしい事だろう。


「魔法の力でどんな怪我も病気も一瞬で治すなんて、とっても素敵じゃない?

少なくとも、私だったらそんなお医者様を大歓迎するわ」


 すっかり明るい表情を取り戻したアイリスは、そう言って笑って見せた。


 実際、言葉の通り、怪我や病気に苦しむ人々が居なくなるのならば、素晴らしい

と思ったのだ。


 ある意味で、それは人間社会の理想の形の1つと言っても過言ではないだろう。


「……………はぁ……」


 しかし、そんなアイリスとは違って、イザベラはいつもの――いや、普段の彼女

を知っているアイリスからすると、いつもより更に深く感じられる溜め息を吐いて

いた。


「………?」


…ただ、今回に限っては、どうやらアイリスに呆れているような雰囲気でもない。

むしろ、今のイザベラの溜め息は『不機嫌そう』と言うより――


「ええっと……イザベラ? 私、何か変な事を言ってしまったかしら?」


 アイリスの観察眼が正しければ……今のイザベラはむしろ『困った』顔だった。


 いつもどこか余裕があり、見た目に似合わず上から目線な態度の目立つイザベラ

には珍しい……というか、初めて見る分かり易い困った雰囲気に、アイリスは逆に

すぐに気付けなかったのだ。


「あー……それは、だな……」


 そんな微妙な違いにアイリスが気付いたとほぼ同時に、イザベラはいかにも言い

辛そうに、重い口を開く。


「まぁ……アタシもこの世の人間が皆、オマエみたいな奴ばかりなら、そうしても

良かったんだろうがな?」


 そこまで言うと、困り顔のままのイザベラは傍らですっかり眠ってしまっていた

愛猫のロジャーを抱き上げて、スッとアイリスの顔と突き合わせるようにして目の

前に持ってきた。


「オマエはコイツの事を……どう思う?」


「え? ロジャーちゃん? それは……最高に可愛いと思っているわ。

許されるなら、このまま持って帰って一緒に暮らしたいくらいに!」


「いや、そういうことじゃねぇよ……」


 ロジャーは、まだ寝ぼけているのだろう。

ぼんやりとこちらを見つめてくる瞳はとろんとしていて、非常に愛らしい。


 その上、朧げながらこちらを認識したらしく、『あいりす……おはよう』という

挨拶を伝えてくるその姿は、正しく『最高に可愛らしい』の一言だ。


…しかし、どうやらそれはイザベラの質問の意図とは違ったらしい。


 ついでに『コイツはアタシのだ。お前にはやらん』と、目の前から遠ざけられて

しまった……更に残念な限りだった。


「お前はそれ以外に、ロジャーを見て何か思わな――いいや、違うな。

少し言い方を変えようか……」


 何かに気付かせようとしているイザベラは、アイリスに再び問いかけてくる。


 ここでそれを直接言わないのには、彼女なりの何かしらの意図があるのだろう。

アイリスを試しているのか、あるいは……。


「…改めて、もう一度考えてみてくれ。

ロジャーという()()()見て……オマエは他に何かに思い至らないか?」


「ロジャーちゃんの存在を見て? う~ん……」


 そう言われたアイリスは、言葉通りにもう一度、ロジャーを見つめながら考えて

みる事にした。


…当たり前だが、ロジャーは猫だ。

ただ、そこら辺に居る、いわゆる普通の猫というわけでもない。


 魔女の猫というだけあって、以前にイザベラから聞いていた通り、こちらの会話

のほとんどを理解しており、魔法がかかった今では普通に対話すら出来る。


…いや、猫と普通に会話という地点で既に変なのだが……。

ここでイザベラが言っているのは、そういう事ではなく、理解しているという部分

だろうか?


(会話、ね…………ああ、そういえば……)


 接してきて判ったのだが、ロジャーは聞こえてくる声や口調こそ、まだ幼い子供

のようなのだが、会話自体はかなり複雑なものにもしっかりと対応してくる。


 つまり、いわゆる“幼さ”という意味では思っていた程では無かった。


 ただ、ロジャー自身がとても純朴で素直な性格のため、魔法での会話では片言の

ように聞こえる影響も手伝って、どこか子供のように感じられるだけだった。


…アイリスがロジャーについて冷静に考えて思ったのは、それくらいだ。


 だから、それが判った時には、感心と共にこう思ったものだ。

『流石は魔女の猫、長年イザベラの傍で共に過ごして来ただけは――』


「――あっ!!」


 ふと、その事実に思い至った時……アイリスはハッとなった。


 そして、同時に様々な事にも思い当たり……イザベラがこんな森の奥に隠れ住む

本当の理由にも、ある程度の予想がついてしまう。


「ねぇ…………イザベラ?」


「…ん? 何だ?」


「ロジャーちゃんって……今年でいったい――――何歳になるの?」


 アイリスがその質問をぶつけた瞬間、困った様子は残しつつも、イザベラは少し

愉快そうに口元を綻ばせる。


「ほぅ……なるほど、やっぱりな……。

初めから本当に馬鹿なヤツだとまでは、思っていなかったが……。

アタシが思っていた以上に頭の回転が速いんだな、オマエ。

…うむ、少し感心したよ」


 通常の猫の寿命は、だいたい十数年。

どんなに長く生きようとも、二十年には届かない場合がほとんどだろう。


…だが、ロジャーの主はただの人ではなく“魔女”だ。


 イザベラが実際には何歳なのかまでは分からないが、本人曰く、少なくとも自分

よりも遥かに年上ではあるという話だった。


 そんなイザベラの家族で、共に生きてきたロジャーも、当然ながら、きっと自分

よりは長生きしているはずで……。


「…確か、初めて出会った日に『多少は魔法で弄ってる』って言っていた気がする

のだけれど……。

それはつまり、普通の猫より賢いってだけではなく『寿命も延ばしている』という

こと?」


「ああ、大正解だ。

延ばすどころか、ロジャーの場合、半永久的にこのままだよ。

老化ってのは、体の機能の経年劣化が主な原因だからな。

劣化しないようにしてやれば、理論上は肉体の限界……いわゆる寿命は訪れない。

そして勿論――これは人間にも当てはまる」


「………」


『ああ、やはりそうか……』と、アイリスは自分の想像が間違いではなかった事を

内心で半ば確信した。


 つまり……これはよく言うところの『不老不死』というものなのだ。


 ここでは『不死』という部分までは触れられてはいなかったが……少なくとも

“老いが理由で死ぬことはない”というのは確かだろう。


 そんなものが……そうなれる方法が本当にあるのなら、間違いなく『我、先に』

と、その力を得ようと奪い合いが起こるのは、想像に難くない。


「さっき言った『誰にとっても良い研究だとは言えない』ってのは、つまりはそう

いう意味さ。

おまけに面倒なことに、そういうのを欲しがるヤツに限って、碌なもんじゃない事

がほとんど……大体は権力者か悪党のどちらかってのが相場だ。

…そんな奴等の(いさか)いに、その魔法に一切興味を持っていないような普通の人間が

巻き込まれてみろ。

少なくとも、そいつらにとっては、ただの良い迷惑だろう?

だから、無条件に歓迎されるような、素晴らしい研究なんかじゃないのさ。

まともな奴ほど『普通に生きて、普通に死にたい』って、そう言うもんだよ」


 権力者や無法者がその『不死の研究』を奪い合えば、良くても殺し合い……最悪

の場合には国同士の戦争にすら発展しかねない。


 それに巻き込まれる無辜(むこ)の民にとっては、ただの悲劇に他ならないだろうし、

イザベラがそれを無視できるような人格破綻者ではないのも明らかだ。


 だからこその……この山奥での“隠遁生活”なのだろう。


…ただ、この時のアイリスには、そんな現状の生活環境の背景にある事情よりも、

更に気に掛かる部分があった。


「それでは、イザベラは? 貴女は……どう思うの?」


 先程の言葉の最後の一言を口にした際、イザベラは自分の背後の遥か向こう……

この部屋の壁も、屋敷も、森の木々さえも突きぬけた先――


 遥か遠くの“何か”を見ているように感じられた。


「…………」


 その瞳は、全てを諦めているようなのに、少しだけ悲しそうで……。


…同時に、アイリスがイザベラを見て初めて『ああ……やはりこの女性は自分より

ずっと年上の女性なのだな』と、実感させられた……そんな瞬間でもあった。


 それほど、その時のイザベラの瞳には、今まで生きてきた長い時間と、その重み

が宿っているように思えたのだ。


「あなた自身は……その『まともな人』の一人ではないのかしら?

私には、まるで貴女が――」


…だから、だろうか。

アイリスは、気付けば頭に浮かんだ疑問の言葉を、そのまま無意識に声に出して

しまっていた。


「………ぁ……」


 だが、そう尋ねた直後、アイリスは『しまった!』と後悔することになる。

…何故なら、自分はただの人間で、まだ若いと言って良いような年齢だったから。


『もう死にたい』と思える程に長く生きた経験も無く、病気もせずに無事に生きて

いけたとしても、何十年かすれば当たり前の死が訪れるであろう――普通の人間。


 イザベラが、今までどれ程の時間生きてきたのかも、これからどれだけの時間を

生きれば死を迎えられるのかも、アイリスにはわからない。


 だから、仮にここで『私だって、普通に死にたかった』とイザベラに告白された

としても、アイリスにはそれを解決する術も無く、返す言葉も持っていない。


(これは……ちょっと不味かったかもしれない……)


…どれだけ相手と親しくなろうとも、最低限の線引きは必要だ。

そしてこの質問は、きっとその“線”の向こう側へと踏み込んでしまっている。


(あっ! ぼーっとしている場合じゃないわ! すぐに謝らないと……!)


 そんな思いがアイリスの頭の中で巡り、質問を撤回しようとした――その時。

アイリスが再び口を開くまでの僅かな間に、イザベラの方が先に声を発した。


「アタシ、か……それは……どうなんだろうな」


 遠くに向かっていた眼差しは……その呟きと共にアイリスへと戻ってくる。


 それと同時に、今度はそのまま……いつの間にか完全に覚醒してアイリスの足に

体を摺り寄せてじゃれついているロジャーへと、移っていった。


「………ふむ」


 更にその直後……イザベラの表情はアイリスの危惧していたものとは少々違った

ものへと変化していく。


――どこか意地が悪そうな、そんな雰囲気のものへと。


「ここ最近は特に、なんだが……やかましい女が連日のように訪ねて来ていてな。

その対応に振り回されるもんだから、真剣に何かを考える余裕なんて無ぇんだ。

…だから、悪いな? その質問の答えは、『アタシにもわからん』だ」


「………」


 緊張していたアイリスは、その表情と台詞に、数秒間、反応すら出来なかった。


…しかし、その言葉を頭の中でゆっくりと咀嚼していくに連れて……徐々にその

笑いを堪えきれなくなる。


「………ぷっ……くすくすっ……あはははっ!

あら、そうなの? でも、それなら大成功ではないかしら?

だって……何と言っても、私は貴女の“息抜き要員”なんだもの!」


「フン……言ってろ、この不良貴族め」


 仮にも貴族のお嬢様とは思えない、お腹を押さえて笑うアイリスの姿を尻目に、

イザベラはここ最近では日課になりつつある溜め息をまた一つ、吐き出した。


…そんなイザベラを横目で確認しつつ……しかし、アイリスは内心で反省する。


(はぁ……明らかに大失敗ね、これは。

盛大にやらかしちゃった……これからはもっと気をつけないと、ね……)


…また、この優しい魔女の好意に甘えてしまった。


 彼女はさっき、自分のことを『頭の回転が速い』と褒めてくれたけれど……。

そんなイザベラは、きっとその自分よりも、更に頭が回る“大人の女性”だった。


 質問した直後に発した、アイリスの微かな後悔の念を瞬時に察して……。


 その上で、とても優しい彼女は、『不用意に踏み込み過ぎてしまった質問』を、

冗談交じりの回答で『ただの笑い話』に変えて、軽く流してくれたのだ。


…それは、先程の意地悪な返答を口にした際にも隠しきれていなかった、優しげな

瞳を見れば……すぐに理解出来てしまった。


(イザベラから見れば、私もまだまだ子供ということなのでしょうね……。

それでも諦めないわ――きっと、いつかは……!)


 今はまだ、こうして彼女の機転を利かせた気遣いに甘えて、気付かぬフリで共に

笑うことくらいしか、自分には出来ないのかもしれない。


…しかし、それならば、これからもっと親しく話せるようになれば良いだけだ。


 幸い、無事に“他人”から“家を訪ねられる友人”には、なることが出来た。


『いつかきっと、どんなことでも包み隠さず話せるような、本当の“親友”になれた

なら――』


 そう思いながら……今はまだ、彼女のこの優しさに甘えておこう。


 今も呆れ顔でこちらを見ているこの女性は、きっとそれだけの価値がある、素敵

で尊敬できる……そんな“魔女”なのだから。

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