第4話 勝手に『友達』宣言
「…ねぇ、イザベラ?
ところで、貴女は何処に住んでいるの?
まさか、このお花畑でずっと過ごしているというわけではないのでしょう?」
大喜びでロジャーを抱き締めながら浮かれること、暫くして。
ロジャーを胸に抱いたまま、ひたすら彼と他愛ない話を続けていたアイリスだが、
ふと何かに気付いたような素振りでイザベラの方を振り返ると、そんな事を尋ねて
きた。
「はぁ? そんなのは当たり前だろう。
なんでアタシが野宿なんてしなけりゃならないんだ。
そもそも、ロジャーを探す時に『あまり外には出さない』って言ってたろうが。
普通に、この花畑を抜けた先にある屋敷で暮らしてるよ」
あまりにもアイリスがロジャーとの会話に夢中になっていたため、立ったままで
待っているのが面倒になり、傍らの木陰で座って一休みしていたイザベラは、その
あからさまに面倒そうな表情を隠すこと無く、そう答え返した。
「あぁ……そういえば、そんな事を聞いたような……?」
あまりにもサラッと流れた会話の中の一言だったためか……。
アイリスにはその発言の記憶が殆ど残っていなかった。
「まったく……お前、ちょっとはしゃぎ過ぎなんだよ」
首を軽く傾げるアイリスを前に、判りやすく『はぁ……』と溜め息を吐きながら
呆れる、イザベラ。
ただ、そんなイザベラを前にしても、全く反省した様子を見せずに、アイリスは
再びロジャーをギュッと抱きかかえ直した。
「ふふっ、ごめんなさい? けれど、それは仕方がないわ。
…だって、本当にこうしてロジャーちゃんとお話できるようになるなんて、夢にも
思っていなかったのだもの!」
『あ、あいりす……くるしい』
そうして、なおも嬉しそうにしているアイリスに対して、その腕に抱かれたまま
のロジャーは、心なしか疲れた顔をしている……ような気がする。
そんな愛猫の姿を見て、イザベラはやはり、溜め息を吐いて返す。
「…はぁ……それで?
お望み通り、猫との会話は出来たワケだが……これで満足したか?」
「ええ! 最っ高の気分!!」
満面の笑みでそう答えるアイリスは、確かに満足そうだった。
しかし……イザベラはそんな最高に幸せそうなアイリスに、やはり仏頂面のまま
花畑の入口を指差して、言った。
「そうか……。
これで満足したって事なら……お前、もうそろそろ帰れ」
「…えっ? あ、あの……何故なのかしら。
私、何か気付かない間に貴女に迷惑をかけてしまっていた?」
今までこちらのはしゃぎっぷりを放置してくれていたのは、イザベラの気遣いだ
と解釈していたアイリスは、すっかり自分を認めてくれたのだと思っていた。
そこに突然、冷たいとも取れるような口調で退去を命じられたのだ。
アイリスは驚きと戸惑いで、思わず泣き出しそうな表情になってしまう。
…だが、当のイザベラは困った顔をするどころか、相変わらずの呆れ顔でアイリス
へと言い返す。
「いや……アタシが迷惑かどうかとか、そういうことじゃなくてだな……。
ヘイマン子爵家のご息女が、ずっと森で行方不明だと不味いんじゃないのか?」
「………ぇ……」
イザベラの口から『子爵家のご息女』という言葉が飛び出した瞬間、アイリスは
ピタリ……と、動きを止める。
そのあからさまな反応に、胸に抱かれたままのロジャーが『あいりす……?』と、
不思議そうに見上げて、呼びかけていた。
「…あの……イザベラは、いつから私のこと……気付いていたの?」
叱られた子供のような上目遣いで、そう尋ねるアイリス。
…しかし、その質問に対して、イザベラは少しムッとした様子で答える。
「…お前、アタシを引きこもりの世間知らずか何かだとでも思ってるだろ?」
「…えっ?
ええ、魔女といえばそういうものだと思っていたのだけれど……違った?」
「…まぁ、確かに世俗との関わりは最低限なんだがな……。
それでも、必要なものができれば町に買出しにくらいは行くさ。
そんな中、あまりにも浮世離れしてたら、余計な面倒も増えかねないだろ?
当然、自分の棲んでいる森の名目上の所有者の名前くらいは把握してる。
…だから、お前のその上等な身なりと『ヘイマン』って名前で、すぐに判ったよ」
「……ふふっ、そこはあくまでも“名目上”なのね?」
黙って話を聞いていたアイリスだが、そこで思わず噴き出してしまった。
自分はただこの家に生まれただけで、別にふんぞり返るつもりは毛頭ないが……
それでも、この辺り一帯を統治する貴族の血筋だ。
身の周りの殆どの人はアイリスを丁重に扱おうとするし、ましてや失礼に当たる
発言など、もってのほかだ。
…だが、このイザベラときたら、そんな身の上など何処吹く風で。
そんな感情が判り易く篭もった一言があまりにも痛快だったからか……笑いを我慢
できなくなったのだ。
「フン……そんなのは当たり前だろうが。
アタシは『魔女』なんだぞ?
人間社会のルールに従う義理なんて、初めっから無いんだよ。
アタシが棲むこの森は、初めからそこにあったもんなんだ。
人間が勝手に後から所有権を主張した所で、そんなものは知った事じゃない」
逆にふんぞり返る勢いで、何処か誇らしげにそう言ったイザベラに、アイリスは
クスクスと笑いながら更に言った。
「でも……そうだったの。
私、ついさっき貴女が私のことを言い当てた時、てっきり『それが解っていたから
ここまで導いてくれたのかも知れない』と思っちゃったわ」
こちらが身分を明かす前に把握していたと知った瞬間には、自分の立場を考えて
この花畑へと辿り着けるように誘導してくれたのだろうかとも思ったのだが……。
どうやら、それは完全な勘違いだったらしい。
「……ハァ……」
…すると、イザベラはやはり呆れた顔で、アイリスの鼻先を指差してきた。
「…いやいや、お前は何を言ってるんだ。
勝手にアタシの庭に入って、そこで無断で寝てたのはオマエの方だろうが。
そりゃあ、そのことはロジャーの捜索を条件に『許してやる』とは言ったが……。
初めからアタシが好き好んでお前を招き入れたつもりは欠片も無いぞ?」
「………あ!」『………フニャッ!?』
その当然の指摘に、何故か驚いたアイリスは、無意識に両手で口元を覆って目を
見開く。
…そして、哀れにも急に空中へと放り出されるかたちとなったロジャーは、突然の
浮遊感に驚きながらも、なんとか空中でバランスを取って着地に成功する。
…流石は猫、その身のこなしと反応速度は『素晴らしい』の一言だ。
「やっと気が付いたのかよ……」
一方、ガクッと肩を落としつつ、疲れた声でそう答え返すイザベラ。
そんな普段は見慣れない姿が珍しいのか、ロジャーはその足元までやってきて、
不思議そうに小首を傾げて、そんな主人を見上げていた。
「そういえば、忘れていたわ!
あなたに会ったら、聞きたかったことがあったのよ!」
近くに来たロジャーにイザベラが視線をやると同時に、またもアイリスが大きな
声を上げる。
「…はぁ……今度は何だ?」
流石に、この元気な少女をずっと相手にするのは疲れる……。
だが、そうは思いつつも、聞いてやらないとそれはそれで余計な面倒が増えそう
でもあったため、ため息混じりに聞き返してやる、イザベラ。
すると、アイリスは好奇心を隠し切れない様子で、その尋ねたかったらしい疑問
をぶつけてきた。
「どうして私は今日に限って、あの分かれ道を見つけられたの?
子供の頃からこの森にはよく遊びに来ているけれど、ここに辿り着いたのはこれが
初めてなの」
新鮮なことばかりが矢継ぎ早に起こったからか……。
アイリスは、その当たり前過ぎる最初の疑問をイザベラに尋ねるのを今の今まで
すっかり忘れてしまっていた。
元はといえば、それが切欠でこの場所に来られたのだというのに……だ。
「あー……その事か……」
イザベラはぺたぺたと両前足で主の膝を叩きつつ『いざべら……』とその意思を
伝えてくるロジャーを、望み通りに胸元に抱き上げながら、ワクワクした様子で話
を聞く体勢になっているアイリスを見つめ返した。
「いや……まぁ、別に今からその辺りの説明をしてやっても良いんだが……。
そうしたらオマエ、またその分だけ時間が過ぎるぞ?
もう冗談でもなんでもなく、そろそろ本当に帰った方が良いんじゃないのか?
普通のヤツならともかく、一応は貴族のお嬢様だろうが」
「…えっ…………ああっ!!」
そう言われたアイリスは、バッと音がしそうな勢いで空を見上げて太陽を探す。
発見したその位置は、思っていた以上に移動していた。
…ツーっと、嫌な汗がこめかみの辺りを静かに流れていくのを感じる、アイリス。
「あの、ええっと……イザベラ?
参考までに確認したいのだけれど……今って、私が眠ってからどれくらいの時間が
経っているのかしら?」
笑顔でそう言ったアイリスのその口元は、若干引きつって見える……。
出会ってから終始こちらを圧倒してきていたアイリスの勢いが、やっと大人しく
なったのを確認したイザベラは、ため息を吐きつつ、その質問に答えた。
「だいたい、4時間程だな……。
ロジャー探しに時間がかかったのは確かだが――」
答えながらその正面まで近付いていくと、イザベラはロジャーの顔をアイリスの
目線に合わせて抱き上げ、鼻先がつくほど近づけて……こう続けた。
「主に誰かさんが散々はしゃいだ挙句に、他人の飼い猫との会話に夢中になってた
時間の割合が大きい……かな」
文字通り、目と鼻の先に来たロジャーが『…? あいりす……どうしたの?』と、
不思議そうに声を伝えてきた瞬間。
停止しかけていたアイリスの時間が……急速に動き始めた。
「よ、4時間……!? 大変っ……!!
きっと今頃、メアリーやアレックスが私を血眼になって探してるわ!!」
目の前で大声を出されたロジャーが“ビクッ”と身を震わせて驚く中、アイリスは
弾かれたように花畑の入口へと走り出した。
「イザベラっ! それじゃあその話はまた今度、聞かせてちょうだい!」
花畑を出て行く直前、くるりと振り返ったアイリスは大きな声でそうイザベラに
言って、手をブンブン振ってくる。
「お、おい! 今度って、お前に次は――」
そこそこ距離が離れて、自身の声が大きくなったからか……。
イザベラが話している事に気付かなかったアイリスは、その言葉をかき消すように
して、なおも話し続ける。
「明日……いいえ! 明後日には、また此処に来るようにするからっ!
ロジャーちゃんも、その時にはまたゆっくり遊びましょう! またねっ!!」
言いたいことを一通り言い切ったアイリスは、再びくるりと振り返って、今度は
振り返ることも無くそのまま走り去ってしまう。
「………あーあ……行っちまった」
言いたい事だけこちらに伝え、呼び止める暇も無く走って行くアイリスの背を、
イザベラがそう呟きながら、呆然と見つめる。
『…あいりす……ばいばい……またね』
…そんなイザベラに掲げるようにアイリスの目線の高さまで持ち上げられたままの
ロジャーは、暢気にそう挨拶を返すのだった……。
「…一応は結界が張ってあるんだ。
次に来たって、アイツは簡単にここには入って来れねぇっつーのに……」
再び逃げ出さないようロジャーを胸に抱きながら、屋敷へと戻る途中。
イザベラは、ついさっき嵐のように場を掻き乱すだけ掻き乱して、一方的な宣言
と共に去っていった少女の姿を頭に思い浮かべながら、誰にとも分からない独り言
を呟いていた。
『ねぇ……いざべら……? あいりす……もう、あえない……?』
…すると、それに答えるように鳴き声と共に伝わってくる……ロジャーの意思。
それを認識して『ああ、そういえば話せるようにしたのだったか……』と、屋敷
を出る時とは明確に変わったその状況を意識しつつ、自らの腕に抱かれている愛猫
の真っ直ぐな蒼い瞳を見下ろしながら、イザベラは尋ね返した。
「何だ、ロジャー……。お前、アイツにまた会いたいのか?」
何処か不機嫌そうな表情に、ぶっきらぼうな物言い。
イザベラをよく知らない者なら、怒っていると勘違いしてもおかしくないような
態度で投げかけられた問い掛けに、しかし、それが主のいつも通りの様子だと理解
しているロジャーは特に物怖じもせずに、逆にこう問い返した。
『あいりす……ろじゃー……ともだち……。
…いざべら……あいりす……ともだち……ちがう……?』
「…ともだち……『友達』ね……」
“友達”
ロジャーの一言で、結局『お友達』発言の意図を尋ねるタイミングを逃していた
事に今更ながら気が付いた、イザベラ。
…しかし、何故だかそれを後悔する感情は湧いてこない。
アイリスは終始、元気いっぱいの様子で実に騒がしく、しかし、かといってそれ
が下品かというと、そこは貴族としての教育の賜物なのか、不思議とこちらを不快
な気分にはさせなかった。
仮に、彼女に時間の余裕があり、あのまま屋敷まで案内することになっていたと
しても、イザベラは特に苛立ちはしなかったようにも思う。
(そういえば……そうだった)
思い返せば、見知らぬ人間が勝手に自分の庭で眠っているのを発見した時には、
その暢気な寝顔が癪に障って、つい蹴り飛ばしてしまったが……。
目を覚まし、会話を交わしてからは、呆れはしても苛立ちはしていなかった。
自分で言うのもなんだが、イザベラは決して気が長い性質ではない。
それでも、あれほどこちらを振り回し、好き勝手にされたにもかかわらず、一度
も腹が立たなかったのは、なんとも不思議な体験だったと言える。
それが貴族ゆえのカリスマか、それとも生来の愛嬌とでもいうものか……。
正体は分からないものの、お世辞にも他人が好きとはいえないイザベラが、再び
会うことを自然と想像できてしまうのは、今回が初めてのことだった。
『…いざべら……あいりす……また、あえる……?』
「………フン……さぁ、どうだろうな」
再度、投げかけられる愛猫の質問に、どちらとも取れない返答を返しつつ……。
『明後日はどうやってアイリスを結界内に引き込もうか?』という事について、
考えを巡らせ始める、イザベラだった。