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第26話 ひどく平和な、夏の午後

「それにしても……これはまた、意外な結果になりましたね」


 時刻は正午過ぎ。

釣り勝負を終えて、各々の釣り上げた獲物が纏めて入ったバケツを片手に、魔女の

屋敷まで帰って来た5人。


 誤って水を零してしまっても差支えが無いようにと、そのままそれを調理室へと

運び込んだメアリーは、本日の成果を改めて確認してから、そう呟いた。


「フィー? 念の為に聞くのだけれど……ズルはしていないのよね?」


 メアリーの呟きを受けて、アイリスは隣に居たイザベラに尋ねた。

その声は何故か、少しばかり不満気な雰囲気をまとっている。


「あのな……。

勝負を受けておいて、こう言っては何だか……アタシは誰かさんとは違って、別に

どうしても勝ちたいとまでは、初めから思っちゃいないんだが?」


「くっ……これが勝者の余裕ってものなの?

何となく悔しくて……非常に腹立たしいわ……!」


 バケツの中で泳いでいる魚は、全部で14匹。

4人で釣っていた事を考えても、午前中だけでこれなら中々の成果だと言える。


 けれど……やはり、その結果に納得している者だけではなかったらしい。


「あ~あ……ざんねん。

私も、たくさん頑張ったんだけどなぁ……」


 ライラはバケツの中で泳ぐ自分の釣果を見つめながら、そう言って溜め息を吐き

出した。


「いいえ、ライラ様。そんな事はありません。

ライラ様も、魚釣りの初心者としては十分な釣果だったのではないかと」


「でも……私の釣ったお魚、あんまり大きくないのばっかりだったし……」


 この日、ライラの竿にかかった魚は、偶然にも小さいものばかりだった。


 これは、小さな体の彼女にとっては好都合だったと言えるし、メアリーの補助も

最低限で済んだ為、純粋に釣りの醍醐味を体験するという意味でも悪くなかった。


…ただ、誰よりも大きな獲物を釣りたいと密かに意気込んでいたライラは、バケツ

の中で泳ぐ自分の魚達が、他よりも一回り小さい事に不満を覚えたようだった。


「いいえ、大きさは関係ありません。

魚は魚ですし、一匹は一匹ですから。

それよりも、あの川での釣りに慣れていらっしゃるアレックス様と僅か1匹の差に

まで迫ったのは、私としては素直に驚きです」


「そ、そうかな……?」


「確かに、メアリーの言う通りだな。

アタシも、まさかライラがここまでやるとは思わなかったよ」


「えへへ……」


 唇を尖らせて残念がっていたライラだったが、メアリーとイザベラがそんな言葉

で褒め称えると、すぐにその表情を一転させて、照れ臭そうに笑った。


「メアリーお姉ちゃん! お魚釣り、楽しかったね!」


「はい、私も楽しませて頂きました。

本日はライラ様とご一緒出来て、本当に良かったと思います」


 今日、ライラが釣り上げたのは14匹中、3匹だ。


 勿論、メアリーも一緒になって竿を握っていた為、これは2人の協力があっての

成果であり、釣り上げる度にその喜びも2人で分かち合っていた。


「というか……イザベラさんって、実は釣りが得意だったんですね?

自分の釣竿を持ってるって話だったので、もしやとは思ってましたが……」


 そんな風に皆でバケツを囲んで話している中で、アレクサンダーがそう言葉を口

にして、イザベラの方を見やる。


…それこそが、まさにメアリーが調理室へとやって来た際に呟いた台詞の正体だ。


「あー……まぁな。

個人的に必要になったって理由もあるが、森の中で暮らしていれば自然とこういう

ものにも慣れてくるもんさ」


 素直に感心した様子で話しかけて来たアレクサンダーに対し、なんでもない事の

ように適当な返事をする、イザベラ。


 そう……本人を除いた他の者達にとって予想外だったのは、魚釣りの印象が全く

無い、魔女という立場のイザベラが最も多くの魚を釣り上げた事だった。


 その釣果――なんと6匹。


「…でも、そういう意味で言えば、アイも得意なはずなんですけどね……。

昔から、俺と一緒になって釣り糸を垂らしていましたし」


 アレクサンダーの家では、日用品を初めとして、様々な物を販売している。

その中には食料品も含まれており、毎日欠かさずというわけではないものの、この

森の中で獲れる魚や鳥、兎などの小動物も取り扱っていた。


 その為、父親から言いつけられた日には、川での魚釣りをする機会も多々あった

のだが、その際にはアイリスも一緒について行く事が多かったのだ。


 名目としては、その際に少しだけ年上のメアリーが共に居る事で、万が一の事故

が防げるだろうから、というものだったが……。


 今になって考えてみると、それは娘が仲の良いアレクサンダーと少しでも一緒に

遊べる機会を持てるようにとヘイマン子爵が気を利かせて、アレクサンダーの父親

と示し合わせてくれていたのだろう。


「…アレックス? 貴方、いったい何が言いたいのかしら?

それは1匹しか釣れなかった私が、この中でも特に下手だった……と?」


 アレクサンダーの言葉に反応して、アイリスは低い声でそう彼に尋ねる。

恐らくは威圧感を出したかったのか、急に腕を組みながら、ジトッとした視線で。


…ただ、そんなアイリスの発言に、イザベラが「はあ?」という呟きを漏らす。


「いやいや、『何が言いたい』も何も……。

今日に限っては、全くもってその通りなんだが?」


「む、むぅ~~っ!」


 冷静で鋭利な言葉に突き刺されたアイリスは、頬を膨らませて言葉にならない

抗議をイザベラへと向ける。 


 自身のぶつけようの無い感情を出来る限り態度で示したかったのだろうが……

その姿は誰がどう見ても、幼いライラよりも遥かに子供っぽかった。


「…ところで、この魚はどう致しましょう?

いつものように、アレックス様がお持ち帰りになられますか?」


 可愛らしく拗ねる主に生温かい視線のみの対応で済ましたメアリーは、元気に

泳ぐ魚達を再び見下ろしながら、アレックスにそう尋ねる。


 しかし、今日は単純に『お遊び』として皆で魚釣りをしただけだったからか、

アレクサンダーは首を横に振って返した。


「あ、いいえ。

数もありますし、ある程度は昼食に食べてしまって良いと思います。

店で売れないサイズのものは、持ち帰っても無駄になってしまいますから」


 流石に14匹もの魚を今の人数で食べるのは難しいので、全部を調理するのは

止めた方が良いのだろうが……。


 普通に食べるのには問題無くとも、商品として店に並べるのには微妙な大きさ

のものも、バケツの中には含まれている。


 特に大きな物を5、6匹を残して、あとの魚は昼食にこの場に居る皆で食べて

しまっても構わないだろう。


「そうですか。

それでしたら、本日は私が何匹か見繕って調理いたしますね?」


 アレクサンダーの返答に、メアリーは頷きながらそう答える。


 本職であるヘイマン家の調理師達と比べてしまうと流石に及ばないが、それでも

十分な料理の腕前を持っている、メアリー。


 魔女であるイザベラに手料理を振舞う機会など、そうそうあるものではない。


 穏やかな笑みの奥で、『言い伝えの魔女を唸らせる料理を……!』と、静かに

闘志を燃やす彼女だったが――。


「私も! 私もお料理、手伝いたい!

メアリーお姉ちゃんと一緒に釣ったお魚だから、お料理も一緒にする!」


…と、繋いだ手をクイッと引っ張りながら、可愛らしい声でライラが調理の手伝い

を立候補してきた。


 小さな魚から順に見繕って調理するとなれば、ライラ達が一緒に釣り上げた魚は

ほぼ全て含まれてくるはず。


 そういった理由もあったのだろう。

ライラも“今日は絶対にお手伝いをしたい”と考えたのかもしれなかった。


「ええ、分かりました。

それでは、ライラ様? 昼食作りのお手伝い、お願いできますか?」


「うんっ!」


 魚の調理に関しては刃物が必要不可欠な事もあってあまり任せられないが、別に

それだけしか作らないという訳ではないので、他のメニューを作る際にライラにも

出来る作業が何かしらあるだろう。


 手を繋いでいない、空いたもう片方の手でその頭を優しく撫でながら、ライラの

可愛らしいその申し出を快く受け入れる、メアリー。


「…これは、今日はいつも以上に頑張って作らなければいけませんね?」


「うんっ! 私も頑張って、いっぱいお手伝いするからね!」


 メアリーは、この小さな助手の登場に、更に心の奥底からやる気が湧き上がって

くるのを感じた。


 若くして貴族の一人娘を任されている身としても、ここは腕の見せ所だ。


「イザベラ様。

そういう事ですので、少々、お屋敷の調理場をお借りしたいのですが……。

宜しいでしょうか?」


「ああ。

料理に必要な一通りの道具は揃ってる。まぁ、適当に使ってくれ。

それから、他の食材も少しは保冷庫に入っているから、そっちも遠慮なく使って

くれて構わないぞ。

こっちは無料タダで料理して貰うんだ。

人数分の材料くらい、アタシも提供させてもらいたいしな」


「それは……はい、ありがとうございます」


 魚以外の材料については、急いでヘイマンの屋敷から調達してこようと考えて

いたメアリーは、そのイザベラの好意に素直に甘える事にする。


「それでは……張り切って料理しましょうか? ライラ様?」


「うん! 頑張って皆をビックリさせよう、メアリーお姉ちゃん!」


 普段はイザベラ以上に感情を表に出す事が少ない彼女には珍しく、言葉の通り

に張り切った様子で、笑顔を浮かべて楽しそうに料理を始める、メアリー。


 そして、そんな彼女につられるように、こちらも満面の笑みで小さくその場で

飛び跳ねて気合を表現している、ライラ。


 上機嫌な本日の2人の料理人をその場に残し、イザベラ達3人は、とりあえず

応接間でその完成を待つことにしたのだった。


                  ・

                  ・

                  ・


「おい、アイ。

いつまでそうやって膨れてるつもりなんだ?」


「………むぅ……」


 応接間までやって来たアイリスは、『お風呂意外で水に触るのは嫌い』という

理由で留守番をしていたロジャーを見つけるや否や、彼を無言で抱き上げては、

そのままだらんと脱力して、行儀悪くソファへとその体を預ける。


…といっても、怒っているというわけではなく、単に振るわなかった釣りの結果に

落ち込んでいるというのが、その理由だった。


 まぁ、要するに……不貞腐れていた。


「釣りなんて、ほぼ運みたいなもんだ。

実力の差も有って無いようなものなんだから、仕方がないだろう?」


 生き物が相手である以上、その結果は予想が難しい。


 どんなに得意な者が試みても全く釣れない時もあれば、今日のライラのように

初心者でも多くの結果が得られる事もある。


 多少の技術の差で変わる部分も無くは無いが、結局は魚釣りは運次第だ。


「だ、だって……フィーがここまで釣りが得意だとは思わなかったのだもの……」


「…いや、そもそも勝負を挑んできたのはアイの方からだったよな?

それなのに、オマエはアタシは釣りが不得意だろうと思っていたのか?

…苦手だと思ってる相手に、自分が得意な分野で勝負を挑むってのは……ちょっと

人間としてどうかと思うぞ?」


「うっ…………」


 出来る事なら気付いて欲しくなかった痛いところを突かれたアイリスは、言葉に

詰まって、判り易いくらいに典型的な苦笑いを浮かべる……。


 一方で、アレクサンダーは、そんなアイリスに『ああ……これなら勝てるだろう

と思ったから、釣り勝負を挑んだのか』と、呆れの視線を送った。


「実際、アタシが釣りに慣れてる理由なんぞ、あまり褒められたものでもない。

だから、アイもあまり気にするなよ?」


 例によってアレクサンダーがこの場に居るからか、態度に幼さが目立つアイリス

を相手に、対応に困ったイザベラが彼女らしくない優しい言葉で慰めにかかる。


 以前まではメアリーやライラが居る場では、もう少し取り繕う様子も見られたの

だが、ここ最近は慣れてしまったのか、すっかりこういった態度を隠さなくなって

しまっていた。


「そういえば……さっきも『個人的に必要だった』って言っていたわね?

普通に魚を食べる為だけなら、あんな言い方をする必要も無い筈だし……。

もしかして、それって例の魔法の研究と何か関係があったりする?」


「ん? あー……まぁ、そうだな……」


…と、元気付けようと放った台詞の中の単語に反応したアイリスが、途端に機嫌を

直して、数分前の会話の中の言葉も交えて質問を投げ掛けてきた。


 何気無く交わした会話の中の言葉でさえきっちりと覚えている辺り、本当に油断

出来ないなと、内心でイザベラはヒヤリとさせられる。


(だが、まぁ……こういうところがコイツの面白いところなんだが)


 同時に、アイリスのこういった部分は、イザベラにとって非常に気に入っている

部分でもあった。


 のほほんとしているように見えて、この女は見かけ以上に多くの物事を同時に

その脳内で考えているのだ。


「それって、どんな?

もしかして、今度はお魚が空中を泳いだりするのかしら!」


「…いや、仮に可能だとしても、アタシはそれで何がしたいんだよ……」


 ただ、その発想は微妙に意味が解らない方向へ飛んでいく事があるのが、残念な

ポイントだった……。


…こちらに関しては、イザベラも面白いと思うより、混乱する場合が多い。


「褒められたものじゃないって言っただろ?

アタシが魚を釣る理由はな……いわゆる『実験対象』としてだよ」


「………実験?」


 いったいどんな想像をしていたのか、空飛ぶ魚の話を始めてワクワクした様子を

みせていたアイリスだったが……。


 イザベラの口から発せられた不穏な発言に、途端に表情を強張らせる。


「…アタシの研究が主に何なのか、アイはまだ覚えているか?」


「えっ? ええ、当然でしょう?

確か……『命の研究』をしているのだったわよね?」


「ああ、そうだ」


 突然、イザベラから改めて研究テーマを尋ねられたアイリスは、一瞬だけ戸惑い

を感じてしまったが、とりあえずは以前に聞いていた通りに答える。


…ただ、その質問に答える頃には、イザベラの声や瞳からすっかり“気安さ”が抜け

落ちてしまっていた。


「命の研究の過程で実験を行うという事は、つまり……時には命を奪う必要もある

という事になる」


「それは……まぁ、そうなのでしょうけれど……」


「そこで出てくるのが、容易に森の中で調達可能な魚や小動物の類ってわけだ」


『魔女』を名乗る彼女だが、実は本質的には科学者等と同じ『研究者』の側面の方が

大きいというのは、これまで交わした会話から考えて間違い無かった。


 そういう意味では、研究目的で必要最低限の生物実験を行う場面もあるのだろう。


 ただ、イザベラのこれまでの考え方や行動を鑑みると、とてもではないが生き物の

命を積極的に奪うような非道な性格ではないのは明らかだった。


 題材が“魔法”という、常人には理解の及ばないものであるというだけで、彼女は

メルヘンチックな童話に出てくる悪い魔法使いとは程遠い、優しい研究者なのだ。


「実験に使うと言っても、終わった後にそのまま食用にするのなら、一応は命を粗末

にした事にはならないだろう?」


「なるほど……。

そういう意味でなら、川魚や森の小動物は最適という結論になるのね?

だから、釣りにも慣れていた……と」


「まぁ、そういう事だな」


 そこまで話を聞いて、アイリスはやっとホッとした顔で一つ息を吐き出した。


 実験が目的だと言っても、その命が無駄にならないようにという心遣いが出来て

いた事を知って、何故か安心するアイリス。


 別にイザベラが自身の目的の為に何をしようと、それが町や領民に被害を及ぼす

もので無ければ、アイリスには口出しする権利もない筈なのだが……。


…どうも、アイリスは彼女に()()()()()()()をして欲しくないと思ってしまう。


「その甲斐もあって貴重なデータを得る事も出来たし、十分な成果もあったが……

それでも、褒められたものでは無いのは事実だろう?」


「う~ん……どうなのかしら?」


 これまでの話を元に想像してみると、イザベラが行った事は生き物を使った実験

には間違い無いのだが、きちんと後で食べている事を考えると、危険だったり野蛮

だったりするような酷い内容には思えない。


 仮にその実験が、魚に魔法をかけてみて、それに対する反応を見た程度ならば、

賞賛する事までは難しいが、非難する程の事だとも思えない……。


「………」


 返答に窮して、無言でアレクサンダーへと視線を送るアイリスだったが、そんな

彼にも判断が難しかったらしく、こちらも無言で軽く肩を竦めるに留まっていた。


「…あ、あの~……。

ちなみに、それってどういう実験内容だったかは、私にも教えてくれたりする?」


 何はともあれ、具体的な実験の内容がわからなければ返答の仕様がない……と、

アイリスは、個人的に興味が引かれたこともあって、駄目元でそんな風に控えめに

尋ねてみた。


「ん? まぁ、別にアタシは構わんが……。

魔女でもなんでもない普通の人間が聞いても、つまらないかもしれないぞ?」


…すると、意外にもイザベラからはそんな好意的な答えが返って来た。


 研究者がその内容を秘匿するというのは特に珍しくないので、あっさりとそんな

返答が得られると思っていなかったアイリスは、素直に驚く。


「そ、そんな事は無いわ! 是非! 是非とも聞かせてちょうだいっ!!」


 本格的な魔法の研究や、その実験結果という簡単には聞く事が出来ないであろう

話を聞けるチャンスの突然の到来に興奮を抑えきれない、アイリス。


「そ、そうか……?」


…ただ、あまりに強烈なアイリスの食い付きの良さに、当のイザベラは少しばかり

困惑する羽目になってしまうのだった……。

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