幕間 愛情と葛藤の狭間で
「ふぅ……」
ふわり……と、静かに森の魔女の棲む屋敷の玄関先に、音も無く空から降り立つ
影がひとつ――。
日の出まではまだ猶予があるため、森の中にあるこの場所は真っ暗闇。
時刻で言えば、一応は早朝と呼べる時間帯ではあったものの、通常の生活をする者
であれば、まだ夢の中でも何ら不思議ではないような頃合いだ。
大きくて過剰に広いつばにピンと尖った三角帽子と、真っ黒なマントというその
出で立ちは、ここがどういった場所なのかという意味で考えれば、現在の住人より
もそれらしい恰好だと言えた。
そんな彼女は、自然な仕草で玄関の呼び鈴を無視し、そのまま何の断りの言葉も
口にしないまま……ズンズンと屋内へと遠慮無く歩みを進めていく。
「やっぱり……ここは、何時見ても変わらな――あら?」
すると……慣れ親しんだ場所に長旅で強張った体の緊張が解れるのを感じていた
彼女が、不意にピタリと歩みを止めて、通路の隅を注視する。
そこには、暑い夏の気候に逆行するような強烈な冷気を放って周囲の室温を低下
させている、不自然な氷の像が一体……。
場所が通路の脇という事もあってか、通行の邪魔にならない大きさに作られては
いるが、その1つきりで自然に汗が引いていく程度に温度は下げられており、効果
は十分に発揮されている。
「ふふっ、また突然の来客でもあったのかしら?
でも……迷子の為に室温を保っておくような子でもないと思ったのだけれど?」
何か心境の変化でもあったのだろうか? と、今の住人の顔を思い浮かべながら
彼女が思案していた――その時だった。
「ニャー♪」
「………あら」
ゴロゴロと喉を鳴らしながら、足元には見慣れた黒猫が体をこすり付けるように
してじゃれついて来ていた。
彼女はすぐにその場にしゃがみ込むと、その小さな体を両手で抱き上げる。
「ロジャー君、お久しぶりね? 元気にしていた?」
「ニニャ~♪」
“チリン”
抱き上げたその首元から、心地良い涼やかな音色が響いてくる。
…そこで、彼女はそれに視線を向けたまま、ほぅ……と静かに息を吐き出した。
「あらあら………ふふっ、どうやらこれは面白い事になっているみたいね?」
その言葉と共にニヤリと楽しそうな物を見つけた子供のように笑う彼女は、黒猫
をしっかりと胸元に抱え直し、そのまま屋敷の奥へと姿を消していった――。
・
・
・
「…何か忘れ物か?」
大方の予想通り、既に目を覚ましていたその屋敷の主は、背後からそっと忍び足
で近付いて来ていた彼女に対して、視線すら寄越さないまま、そう素っ気無い言葉
で応対してくる。
「あら、何時から気が付いていたの?」
…ただ、彼女自身もその冷たいとも思える態度を含めて予想の範疇だったようで、
さほど驚いた様子も無く自然にそう答え返していた。
「…何を白々しい。
初めから隠れるつもりなんて、微塵も無かっただろう?」
「それは、イザベラちゃん相手に見つからないで近付けるなんて、本気では思って
いないけれど……。
久しぶりの再会だもの、少しくらいは私のお茶目に付き合ってくれるんじゃないか
と期待くらいはするわ」
「フン……馬鹿馬鹿しい」
言葉こそ手厳しいものの、その口調は落ち着きのある穏やかなものだった。
そうして……そこでやっと、今の屋敷の主であるイザベラは、以前の屋敷の主で
あった彼女に振り返り、改めて視線を合わせるのだった。
「今回は20年ぶりくらいか……? 元気そうだな――ツバキ」
「あら、ふふっ……昔みたいに『母さん』って、呼んでくれても良いのよ?」
「フッ……お互い、そんな歳でもないだろう? 何十年生きてると思ってんだ。
少なくとも、こんな早朝から目を覚まして活動している程度には、アタシらはもう
立派な年寄りなんだからな?」
そう口にしてから、ふと『もう百年以上は経ってたか?』と、自身の年齢に思考
を巡らせてみるが……正確な年齢を“考える”のが馬鹿らしくて億劫になったので、
イザベラはそのままソレを口にする事はなかった。
自分で言ったものの、肉体的な衰えとは程遠い存在である彼女達にとって、自ら
が年寄りだとわざわざ自覚する必要性も特には無い。
…しかし、意外にもツバキにとっては、その限りではなかったらしい。
「あら、そんなことは無いわよ。
ほらほら、御覧なさいな? まだまだお肌もツヤツヤで綺麗でしょう?」
即座に反応したツバキが、腰まで伸ばした少しばかり癖のついた黒い髪をバッと
手で一払いしながら、自信あり気な顔でニヤリと笑った。
「フン……くだらないな」
これが見知らぬ若い男が相手ならば、鼻の下を伸ばして『はい、お綺麗です!』
とでも言って褒めてくれたのだろうが……。
イザベラからすれば、単に面倒で鬱陶しいだけの仕草に他ならなかった。
幼かった自分を引き取り、ここで育ててくれた育ての親としては、ツバキに感謝
しているのは間違い無い。
…だが、彼女のコミュニケーションの取り方については、全面的には歓迎出来ない
ものがあった……。
「ま、まあっ! なんて酷い返答なのっ!」
「………」
「…あ、あの~……無視ってね? 私、本当に酷い行為だと思うの……」
「……………」
「……ね、ねぇ? イザベラちゃん? イザベラちゃ~ん? ぉ~ぃ……?」
「…………………」
「………な、泣くわよ?
目の前で、大きな声で、大の大人がみっともなく全力で……泣いてやるわよ!?」
「っ……あ~~っ! うるっさい奴だな!!
久しぶりに帰って来たかと思ったら、いきなり構ってちゃんモード全開かよ!
いったい何の嫌がらせだ!?」
下手に相手にしてやると、調子に乗って面倒なやり取りに付き合わされる羽目に
なると解っていたので、敢えて一旦は無言を貫いてみたイザベラだったが……。
わざわざ魔法を行使して宙に浮かんだツバキが、自身の周りをクルクルと回って
あの手この手で話しかけてくる鬱陶しさには、流石に耐えられなかった。
「だって、愛しい我が子が知らない間に外の人と交流を持っていたんだもの。
…嬉しい反面、ちょっとくらいは寂しいって思っても、仕方が無い事じゃない?」
「……………なんで、気付いた?」
苛立ちと共に軽く怒鳴りつけた返答が思っていたものと違っていた為、不覚にも
体を強張らせて、そんな風に聞き返してしまう、イザベラ。
対して、そんな彼女の反応に気を良くしたツバキは、得意気な表情でその理由に
ついて語り始める。
「細かい所は色々とあるけれど……決定打は、あの“氷像”かしら?
普段のイザベラちゃんなら、自分の活動範囲にしか気を配らないでしょう?
それなのに、今は屋敷中にあんなものを設置して、しかも見かけだってただの氷塊
じゃなく、普通の像に見えるように、わざわざ加工までしてあるんだもの。
明らかに外部――しかも“魔女だと気付かれたくない誰か”への事前の備えだとしか
思えないわ」
いつもの習慣だと主に魔法の研究に使っている部屋か、自室に居る事が多かった
イザベラなのだが、この日の彼女は週明けのアイリス達への講義の際に使う資料を
纏める為、びっしりと専門書で埋められた本棚に囲まれた書斎で、1人作業に没頭
していた。
しかし、そうとは知らないツバキはロジャーを抱いたまま、片っ端から屋敷内の
扉を開けては、その行方を捜して回ったのだ。
そして、その際にどの部屋においても何処かしらに氷像が設置されていて、室温
を一定に保とうとしているのを確認した彼女は、今、この屋敷全体が『何時、誰が
何処に居ても快適に過ごせる環境』にされているのを察したのだった。
「相変わらず……アホの割には油断ならない女だ」
「一言余計よ!?」
荒い言葉遣いなのは以前から承知していたものの……。
あまりにも直球過ぎる悪口に、思わず突っ込まずにはいられなくなるツバキ……。
…ただ、そんな悪態ですらもすぐに気にならなくなるくらいに、今の彼女には興味
をそそられる話題が、そこには横たわっていた。
「ねぇねぇ、どんな子なの? 男の子? 女の子?
一時迷い込むでなく、わざわざ魔女の屋敷に通うなんて、いったいどういう――」
「ノーコメントだ」
興味が向いた勢いもそのままに、一気に質問攻めにしようと意気込むツバキ……
だったが、イザベラのそんな一言の下に、見事に纏めて蹴散らされてしまう。
「えっ……ええぇ~~っ!
そんなにもったいぶらずに、私にも教えてちょうだいよ~!」
不満気な態度を隠そうともせず、イザベラに抗議して、更に食い下がろうとする
ツバキ。
…しかし、イザベラはここで急に真面目な顔と声になって、諭すような口調でこう
話し始める。
「いや……オマエ、どうせまたすぐに出て行くんだろう?
そんな一時的にしか居ない奴に何か教えても、意味なんてまるで無いじゃねえか」
「そ、それは……まぁ……そうなのだけど……」
「たまにフラッと戻ってきて身内面するな、とまでは言わんが……。
何も無ければ、次に戻るのは早くてもまた数十年後なんだろう?
今、ここで話してやったところで、次の時にはそいつらは爺さん婆さんか……。
場合によっては、既にくたばってるかもしれないだろうが……違うか?」
以前に、どうしても屋敷を留守にする用事があった際に、一時的に留守番に呼び
寄せた事があるにはあったが、通常であれば、一度出て行ったツバキが戻ってくる
までには相当な時間が掛かるのだ。
…何の因果か、偶然その留守番を頼んでいた期間にツバキが助けていたらしい人物
の孫娘が、最近になって彼女が個人的な趣味で育てている木の実を求めて此処まで
訪ねて来たのには、流石のイザベラも少々驚かされたものだが。
「…………」
「…ん? どうした?」
彼女の顔を見て、後になってアイリスから間接的に聞かされたステラの母の話を
思い返していたイザベラは……。
その出来事の発端でもある目の前の人物が、やけに静かになっているのに気が
ついて、その理由を問い掛ける。
…すると、珍しく神妙な面持ちで、彼女はイザベラの目を見つめ返してきた。
「もしかして……ここに一人で残されて、寂しい思いをさせてた……?」
ちょっと言い方や態度が冷た過ぎたか……。
或いは、あまりにも突き放し過ぎたのだろうか?
…どちらにせよ、ツバキはイザベラの想像以上に過敏な反応を見せていた。
「も、もしそうなら……次の出発をちょっと遅らせても良いのよ?
少しくらいだったら、そこまで大きな影響もないはずだし……あの、だから――」
「大きなお世話だ」
「…っ……」
しどろもどろになりながらも必死に言葉を紡ごうとするツバキに……イザベラは
ピシャリと一言でその発言を遮った。
一方で、ツバキは叱られた子供のように、ビクッと体を震わせた後、泣きそうな
顔で無言のまま見つめ返すしか出来ない様子だった。
「勘違いするな。
…今、ここに来ているのは、騒がし過ぎるくらいに騒がしい奴でな?
暇さえあればアタシの都合も関係なく押しかけて来るし、自分勝手にこちらを巻き
込んで来るしで……寂しさなんてものは、今は欠片も感じて無いんだよ」
しゅん……として、俯いた状態で上目遣いにこちらを見つめてきているツバキを
相手に、イザベラは可能な限り穏やかな声を意識しつつ、続ける。
「ツバキには、自分で決めた『魔女に生まれてしまった子供を保護して回る』って
いうご大層な理由だってあるだろう?
…アタシの事を気遣うヒマがあるなら、一秒でも早く次の魔女の所へ行ってやれ」
『魔女』は、御伽噺の中のように『人間とは違う化け物』というわけではない。
その正体は、“魔力”という本来、生物なら何にでも備わっている力を、偶然にも
はっきりと自分で自覚・操作できるくらいの質量で持って生まれてきてしまった、
いわば『突然変異種』に過ぎない。
それ故に、その発生は血筋に因る事も無く、唐突に何の前触れも無く、世界中の
何処にでも生まれてくる可能性がある。
だからこそ、広範囲を捜索する魔法を得意としているツバキが実際に感じ取れる
くらいに大きい魔力を察知しては、そこに赴き、保護して回っているのだ。
「此処に留まっている時間の分だけ、次の魔女が苦しむ事に繋がるんだ。
そして、ツバキがそれに耐えられるような奴じゃないって事くらい、アタシだって
きちんと知ってるんだぞ?」
「…イザベラちゃん……」
生まれてしまった魔女の殆どは、『悪魔憑き』や『神の祟り』といった悪い方向
に解釈されて、碌な目に遭わないものだ。
場合によっては、周囲への発覚を恐れた肉親の手によって、生まれて直ぐに亡き
者にされる事もありえてしまう。
「だから、ほら……庭先まで見送りくらいはしてやるから、さっさと出てけ。
…アタシには、こうしてたまに顔を見せてくれれば、それで十分なんだから」
完全に作業の手を止めて、言葉通りにツバキを見送ろうと、イザベラはツバキの
手を引いて玄関先まで引っ張っていく……。
そのタイミングで腕の中から開放されたロジャーもまた、着地して直ぐにそんな
2人の後をゆっくりと着いて行くのだった。
・
・
・
朝陽が昇り始めて、漸く朝らしくなってきた屋敷の正面で、2人は向かい合う。
そんな中、密かに抱える罪悪感に耐えかねたツバキが、ここでイザベラに申し訳
なさそうな顔で、遠慮がちに口を開いた。
「………あのね? イザベラちゃん。
本当は……ね? こうしてあなたの所に定期的に会いに来ているのは――」
「それも解ってる。
アタシが、他の魔女とはちょっとばかり違うから……そうだろう?」
「っ……」
「それだって、気にしなくていい。
ツバキの目的が何であろうと、たまにでも元気に生きている事さえ確認できるなら
アタシからすれば都合も良いし、何も変わらん」
薄々は勘付かれているような気はしていたものの、こうして直接、本人の口から
『初めから知っていたよ』と言われてしまうと……ツバキはどうすれば良いのかが
わからなくなる。
…何かを誤魔化すように底抜けに明るい性格を演じて接していても、こうして親子
としての愛情を感じさせられてしまえば、黙ってなどいられない。
その程度には――ツバキという女性は優しく……そして、弱かった。
「貴女の力は……とても強い。
魔力過多によって老化すら癒され、『老いる』という当たり前の事さえも奪われて
しまった私ですら、全力で対処しようとしても、難しい程に」
一言に『魔女』と言っても、その存在は安易に一括りには出来ない程度には、
その性質は異なっている。
魔法は道具を使わずにコップ一杯の水を沸騰させるのが精一杯で、寿命も殆ど
普通の人間と変わらない……という者も居れば、小さな川くらいなら簡単に蒸発
させられて、数百年は問題なく生きられる……という魔女も居る。
イザベラが『命の研究』をする過程で辿り付いた結論は、『魔力』とはつまり、
あらゆる生き物の中にある『魂』とも言うべき物から自然発生する、生物が生きて
いく為に必要とする、不可視のエネルギーの一種だというもの。
魔力は魂で作られた後、肉体へと溶け出して、やがて体の隅々まで行き渡ると、
各々の部位と魂とをパイプのように繋いで、その部分に生きる力を与える。
そして、それが過剰に作られるような『強力な魔女』は、その『強大な魔力』に
よって、経年による肉体の劣化である老化ですら、本人の意思にかかわらず、強制
的に阻害、もしくは克服させられてしまうのだ。
「私は、ただ肉体が最適な状態から“老いなくなった”というだけ……。
比べて、貴女はそこに至る成長ですらも極めて鈍重なものになってしまっている。
それは、魔力が少しでも現状を維持しようとしている証拠、なのだけれど……」
これでも、ツバキは数百年に1人生まれるかどうかという程の……魔女の中でも
極端に強い魔力を持って生まれた存在だった。
それ故に、そんな自分を恐れる事も無く保護してくれた、かつての育ての親でも
あった今は亡き魔女の跡を継いで、こうして『魔女に生まれてしまった者の保護』
をしているのだ。
ただでさえ普通の人間より長く生きてしまう魔女達の行く末を、ずっと寄り添い
見守る事など、全く歳を取らない彼女にしか出来はしない。
だから、そんな魔女の中でも強大な魔力をもって生まれたツバキは、きっとその
為に生まれてきたのだと信じて来た――イザベラに出会う前までは。
ツバキにとってイザベラとは『そんな自分より遥かに強い魔力を持って生まれて
来た、あるはずが無い異質な何か』としか言い表せない存在だった。
「正直に言って、私には貴女が『魔法』と称して行使する現象を理解しきれない。
貴女がなんでもない事のように簡単に実現した、生物の永続化……。
猫の中に自身の魔力を送り込み、それを肉体に定着させて老化を防ぐ……。
そんな事を可能にする質量の魔力を持って生まれた『魔女』なんて、貴女以外には
後にも先にも私は見た事が無いわ」
『魔法』といえば、何でも出来る不思議な力のように思えるが、実際にはそこまで
汎用性があるものではない。
魔女は、魔力を自身の中から取り出して、それを的確に認識し、自由に操る。
だが、それは『目に見えない確かな質量を持ったエネルギーを自在に操作できる』
というだけだ。
例えば、手の平の上に火の玉を出すのなら、取り出した魔力同士を超高速で擦り
合わせて摩擦熱を起こし、そこに空気中の酸素を送り込む事で実現させる。
また、魔力は元々は生き物の中にあった力であるが故に、内部に直接影響させる
事にも適しているので、広範囲に薄く広げてその内部に居る生き物の脳に直接作用
させて、そこにあるはずの物を認識させないようにしたり、存在したはずの記憶を
消し去るといった芸当も可能とする。
これが結界の正体でもあり、それを通常より高位な者が扱えば、特定の状況下で
のみ作用するような『条件付けのある結界』を作り出せたりもするのだが……。
…しかし、それらはあくまでも自分の中から取り出して使う物であって、自分以外
の生き物に移して、そのまま維持させる事など、本来なら出来ないはずだ。
もしも、それが可能なのだとすれば、魔力を濃度が異様に濃い状態で取り出し、
それが長時間自分の手から離れたままでも維持できるような、飛び抜けた頭脳と
才覚が揃っているという事になる。
「『濃い魔力で長時間包み込む事で、浸透圧の要領でその生物の平均的な魔力量を
濃くさせて、最後に凝縮して粘土のように固めた魔力源をぺタッと貼り付ける』。
…貴女にそう言葉で説明された時に最初に思ったのは、『原理はともかく、そんな
濃度の魔力なんて、そもそも普通は取り出せないでしょう?』だった……。
そして、本当にそんな魔力を扱える者が実際に居るのなら――」
「定期的な対話と監視をする必要がある――だろう?
アタシが何かの弾みでイカレた事をし始めても、それを力では強制的に止められる
保証が無いから、迂闊に放置も出来やしない。
せめて、定期的に会って話が通じる関係を維持しないと……危険な存在だからな」
「………ごめんなさい」
そうなのだ。
そんな異常な濃度の魔力を抽出して操れるのなら、それを使って行える事の規模
も想像を越えるような桁外れなものとなるだろう。
先の例え話で言えば、手の平の上に火の玉……程度のものではなく、小さな太陽
を作り出して、町ごと薙ぎ払うような事ですら、イザベラなら実現できかねない。
そして……仮にイザベラがそんな凶行に走ったとしても、残念ながらツバキには
それを真正面からは阻止できる自信が全く無かった。
もし、それを阻止しようとするなら、もう『情に訴える』という手段に出る他に
方法が思いつかない。
「だから、気にするなって。
普通なら魔女として一人でやっていけるようになったら、問題が無い限り放置する
ところを、頻度こそ低いとはいえ確実にそっちから会いに来てくれるんだ。
こっちとしては、むしろ得をしている気分だよ」
「………うん。
ありがとう、イザベラちゃん」
イザベラは、随分と前からそれらを正しく理解していた。
それでも、この打たれ弱くて、非情になりきれない優しい義母が、定期的に自分に
会いに来てくれるのを嬉しく思っている。
たとえその裏側に、どのような思惑を隠していたのだとしても……。
「…それに、だ。
手元に置いておかなきゃいけないと思ったからだろうが、ツバキはアタシを自分の
住処に連れてきて、この屋敷で育ててくれただろう?
そのオマケで、こんな広すぎるくらいの屋敷と土地も譲って貰えたからな。
アタシがツバキに対して気にする負の要素なんて、特に何もないんだよ」
「…ふふっ、そうなの?」
普段のイザベラらしからぬ思い遣りに満たされた言葉の連続に、ツバキはやっと
そう言って笑顔を返す事が出来た。
しかし、その顔は直ぐにまた曇ってしまう。
「ねぇ……まだ、あの研究は続けているの?」
「当然だ。
…まぁ、今は騒がしい奴がよく来るから、一時的に手を止めてはいるが」
イザベラがその生涯をかけてずっと続けている、『命の研究』。
ツバキは、彼女がその研究に着手しようと考えた切欠に、心当たりがあった。
「もし、それが私の為だというのなら……そのまま辞めたって良いのよ?」
「…それも、大きなお世話だよ。
ツバキの為になるのは確かだが……それはアタシにだって当てはまるんだ。
広く見れば、いずれは自分の為でもあるんだからな?」
その言葉を聞いて、ツバキは『やはり、そうだったのか』と思った。
『自分の為でもある』というのは、間違い無く事実ではあるのだが……。
彼女から見て、今のところイザベラには、まだそれが必要には思えない。
だから、現状ではまだ、その『命の研究』はツバキだけの為に行われているもの
であると言って良い。
「………そう。わかった。
それなら、もう私からは何も言わないわ」
…それでも、イザベラがこんな風に自分を想って続けてくれている努力は、簡単に
否定して良いものでも無いだろう。
相手が自分の為に苦労しているのが解っていたとしても、敢えてそのままにして
その想いを素直に受け取る事もまた、意味のある事のはずだ。
「ああ、それでいい。
次に戻ってきた時には、研究の成果をアンタで試させてくれれば良いさ。
こればっかりは、普通の人間を相手に試すわけにはいかないからな?」
「ふふっ……まぁ、酷い。
育ての母を新しい魔法の被験者扱いするだなんて……悪い娘に育ったものだわ」
「アタシがまだ魔法を上手く扱えない小さな子供だった頃に『きちんと結界の効果
が出ているか確認する』とか言った誰かさんに、閉め出された事があったな……。
『子は親に似る』と、人間社会では言うそうだが?」
「…あら? ふふっ、それなら私の育て方が悪かったのかしらね?」
2人で顔を見合わせて、「クククッ」「ふふふっ」と、それぞれの笑い方で声を
漏らす。
それと共に、これまでの暗い雰囲気はすっかりと無くなり……。
自然と笑い声が途切れたタイミングで、何となく“そういう雰囲気”になった。
「…それじゃあ、イザベラちゃん。私はもう行くけれど……元気でね?」
「ああ、そっちもな。
魔女を救って回るのはアンタの勝手だが、くれぐれも無茶し過ぎるなよ?」
「ふふっ……そうね、気をつける」
その国や地域によっては、魔女だと知られた瞬間に命の危機に直面する可能性も
十分にありえる。
実際、このツバキも幼少期には『鬼子』と呼ばれて殺されそうになり、国外へと
逃げ延びた身の上なのだ。
…まぁ、彼女の今の魔力の程を考えれば、多少の無茶をしたところで危うい事には
ならないだろうが……用心するに越した事は無い。
「気が向いた時にでも、また会いに来るわ」
「…ああ。期待しないで待ってるさ」
最後にもう一度、ニコリと満面の笑みを浮かべて、ツバキは宙に浮かんだホウキ
の上に横からフワリと腰掛けた。
帽子やマント、それにホウキと、誰もが思い浮かべる魔女のイメージそのままに
ツバキは空高く浮かび上がって行く……。
その姿が朝日の向こうへと見えなくなるまで、イザベラはジッとその場で見送り
続けるのだった……。
・
・
・
「『会いに来る』……か」
ツバキの姿が完全に見えなくなっても、イザベラはそのまま屋敷の前でぼうっと
ただ立ち尽くしていた。
「………違うだろ、ツバキ。
此処は本来、あんたの家で……アタシはあんたの娘なんだろう?
それなら、それは『帰って来る』じゃないと、おかしいだろ……アホが」
ほんの些細な言葉の中にこそ、本音が見え隠れするものだ。
イザベラはツバキのそんな何気ない一言に、自分が『帰るべき家族』ではなく、
監視も兼ねて『会いに行くべき対象』である事実を思い知らされてしまっていた。
勿論、あのツバキに限って、そんな事務的な思考のみで訪れているという訳では
無い事くらいは理解しているつもりだ。
けれど、それがほんのひとかけらでも含まれている事が、堪らなく切なかった。
「ニャー……」
『いざべら……だいじょうぶ……?』
「…ああ、問題無い」
感情が、表情に出てしまっていたらしい。
心配性の愛猫が、前足で靴をポンポンと優しく叩きながら、此方を見上げてきて
いた。
「別に……アタシは寂しくなんて無いさ。
『さっさと出てけ』なんて言って、自分で追い出したんだぞ?」
そう言って、イザベラはロジャーを抱き上げて、顔の正面まで持ってくる。
すると、ロジャーは懸命に首を伸ばして、ぺろりと鼻先を舐めてきた。
イザベラは、それに『くすぐったいな』と返しつつも笑顔を浮かべる。
…しかし、その笑顔すらも、何処か哀し気だった。
(ああ、そうか……アタシはきっと“寂しい”と思っていたんだな……)
勝手に飛び出していた自身の言葉の中にもまた本音が見えて、隠れていた感情
を自覚させられてしまう……。
「アタシには、お前っていう立派な家族が居るんだ。
しかも、最近はアイやライラ達だって必要以上に騒がしいからな……。
今日も押しかけて来るって話だし、やすい感傷になんぞ浸っていられないぞ?」
「ニャー! ニャー!!」
『うん! ぼく……いざべら……ずっと、いっしょ!!』
「ああ、そうだな」
見つけてしまった自分の感情に無理矢理に蓋をして、イザベラはロジャーを
優しく抱き締める。
その小さな体は心地よく、温かかった。
「ニニャー!! ニャニャニャー!!」
『あいりす……めありー……らいら……あれっくす……みんな、いっしょ!!』
もっと元気になって貰おうと、ロジャーは続けてそう付け加える。
…けれど、今度は思っていた程には効果が無いようだった。
「…ああ。そう……だと、良いな……」
そんな風に呟いた直後……イザベラはそれまでの表情から一変して、悔しそうに
眉間に皺を寄せる。
「……………チッ……クソッ」
本人には絶対に伝えたりはしないが、ここ最近のアイリス達との交流に楽しさを
感じ始めている、イザベラ。
…しかし、だからこそ敢えて見ないようにしていた現実をチラリと見てしまった時
には、こうしてぶつけ所の無い苛立ちを心の奥に感じてしまう。
『場合によっては既にくたばってるかもしれないだろうが』
ツバキに何気なく言ったその言葉が心の奥に引っかかり、ざわついている。
アイリス達は普通の『人間』で、イザベラは『魔女』だ。
ロジャーのように強制的に肉体の時間を止めてしまわない限りは、アイリス達も
いずれは年老いて、去っていってしまう。
…イザベラ一人を、この世界に置き去りにして。
ツバキを見送り、ロジャー以外には誰もその場に居なくなってしまった今……。
いつものように『くだらない』と強がって、それを笑い飛ばすだけの行為が――
『友』というものを知ってしまった今の魔女には……酷く難しいものだった。