第22話 楽しい勉強会のススメ
「とりあえず、だ。
面倒事にならない為に、オマエ等がアタシから知識を得たいってのは解った。
…だが、そもそも薬学については何処まで詳しいんだ?
鉱物学と植物学を身につけるといっても、先ず薬学の知識も無いと駄目だろう?」
提出した資料の説明だけなら鉱物学と植物学で良いのだろうが、そもそもステラ
の症状を改善させた薬師の話からその原因を突き止めた事になっているのだから、
流れから考えれば、薬学知識ありきの判断だったと言える。
つまり、初めにその辺りの知識がどの程度なのかも確認する必要があった。
…こう言っては何だが、鉱物学ついては日常とはほど遠い位置にある分野である事
から、尋ねる必要も無く皆無であろう事はイザベラも既に察していたし、植物学に
ついても、初めて出会ったあの花畑に植えられた植物群が薬草や毒草だと一目では
判別出来ていなかった地点で、ある程度の予想はついている。
但し、念の為に本人へ直に確認するに越したことは無いだろう……と、イザベラ
はアイリスに向かってそう尋ねる事にしたのだった。
「え、ええっと……す、擦り傷に効く薬草の見分けがつく程度……かしら?」
あまり自信が無いからか……言い辛そうにそう答える、アイリス。
その微妙な返答内容からは、それが必要になるくらいお転婆な子供時代を送った
のだろうな、といった予想はつけられるが……。
まぁ、つまりはその程度の知識だと言えた。
「うむ、とりあえずアイの知識はゼロ……っと。
…それで? 他の2人はどうなんだ?」
「……ぐ……うぅ……」
何とか搾り出した知識の程を『ゼロ』だと即座に断言されてしまい、悔しさこそ
感じるものの……イザベラのそれとは雲泥の差であるのもまた事実。
今はただ、低い声で唸るのが精一杯の抵抗で――なんだか今日はこんな事ばかり
のような気がして、少々悲しい気持ちになるアイリスだった……。
「私は、一般的な薬については薬効や服用すべき量、それに伴って起こる可能性の
ある副作用くらいまでは一通り頭に入っている……といった程度でしょうか?」
続いてそう答えたのは、つい先程、魔女に流れるように戦力外通告された貴族の
専属従者だ。
「一通り、か……それじゃあ――」
この言葉の後、確認の為にイザベラから投げられた幾つかの質問にもメアリーは
即答して見せ、彼女に『へぇ……』という感心の声を発させる。
「…メアリーが有能なのは知っていたけれど、そんな事にも詳しかったのね?」
自身の有能な従者の幅広い知識に感心すると共に、少しだけ負けた悔しさが滲み
出てしまい、素直には喜べない様子のアイリス。
…しかし、そんな彼女の言葉に、当のメアリーは困り顔でこう答え返すのだった。
「…今はあくまでも薬学知識の話ではありますが……お嬢様はもう少々、ご自分の
お立場についても、きちんとご自覚をされた方が宜しいのかもしれませんね?」
「…?」
メアリーのそんな物言いに、不思議そうな顔で首を傾げるアイリス……。
そもそも、メアリーが薬学に明るいのは、誰かさんが体調に違和感を感じた際に
速やかに対処する為なのだが……。
肝心のその人物には、昔からその自覚が全くと言って良いほどに無かった。
「ふぅ…………いいえ、何でもございません」
本人が自分の重要性をあまりに認識していないが為に、アイリスが幼い頃から、
彼女が転んで擦り傷を作る度に『今度こそ跡が残ってしまうのではないか?』と、
ずっと心配させられ続けてきたものだ。
…その深い溜め息の中に、従者としての日頃の気苦労が透けて見えるようだった。
「…それで、そっちはどうなんだ?」
そんな主従の会話を尻目に、イザベラは最後の1人へと視線を向ける。
すると、アレクサンダーは少しだけ思案した様子を見せた後に、畏まった様子で
質問に答えてきた。
「ウチで扱っている、庶民的な飲み薬についてはガキの頃に頭に叩き込んでます。
けれど、専門的な薬については、流石にちょっと……。
これが親父なら多少は詳しいんでしょうが、俺の方はまだまだ勉強中なもので……
もう何も知らないようなものだと思っていただけると、逆に助かります」
「ふむ、そうか……」
随分と前の話ではあるが、トラヴィス商店には足を運んだ事もあるイザベラ。
町一番の商店だけあって、その品揃えも田舎町にしては結構なもので、常備して
いる薬もそれなりの種類があったように記憶している。
薬は増える事はあっても減ることは少ないであろう物でもあるし、そう考えれば
アレクサンダーの知識量は、それなりに有ると見ても良いはずだ。
本人は謙遜しているようだが、メアリーよりは劣るかもしれないが一般人よりは
遥かに期待できる……と、ここは見るべきだろう。
「それなら、あとは――」
…と、そこまで考えたところで、イザベラはこの話の最重要人物であるアイリスへ
再び視線を戻し、情報を整理しようとした――のだが……。
「…おい、アイ。
王都へ呼ばれた日まで、あとどの程度の余裕があるんだ?
今回のは割と重要な話なんだろう? いつまでも頬を膨らませて拗ねていないで、
その辺りをもっと詳しく教えろよ」
「……………(むすっ)」
これまでの周囲からの雑な扱いと、この場に居る者の中で薬学知識では最も劣る
事が露呈してしまったアイリスは、説明しようの無い感情によって見事に膨れっ面
になってしまっていた……。
…ただ、それでも答えないわけにはいかない内容の質問だった事もあり、数秒間の
沈黙の後に、『ふぅ……』という溜め息と共に自身の気分を仕切り直す。
「…授与するまでの準備もあるらしくて、最低でも2ヶ月程は先……らしいわ」
なんでも、今回の勲章の授与に当たり、国王以外にも有力な貴族達も出席を予定
しているようで、現在は全員の都合をつけるのに難航している状況なのだという。
アイリスが『最低でも』と言ったのは、少なくともそれまでは誰かしらの都合が
悪くて実施が難しいという意味であって、詳しい日取りは追って連絡がくるまでは
まだ彼女にも分からなかったからだった。
「オイオイ……。
教える知識量と掛かる時間を考えると……かなりギリギリなんじゃねぇか?」
…しかし、それを聞いたイザベラは顔を顰めて後ろ手に頭を掻く。
この場合の『最低でも』という事は、『最短なら』とも取れるという事だ。
つまり、もしもその最短で授与式の実施日が決定した場合、2ヶ月程度しか猶予が
残されていない事になってしまう。
付け焼刃程度の知識量で危険な橋を渡る事にならない為にも、ここはしっかりと
期間をとっておきたい所だっただけに、時間的な余裕が無いのはイザベラとしても
非常に頭が痛い問題だった。
「あ! でも、お父様にはアレックスに教わるって名目で許可を貰ったから、これ
までよりも此処には多く来られるようになるはずよ?
ほぼ毎日、午前中から夕刻までなら、きっと都合が付けられると思うわ」
「…ん? そう、なのか? まぁ、それなら何とかなる……のか?」
これまでのアイリスの来訪頻度や滞在時間を参考にして考えていたものを、再び
新しく得た情報を基に、頭の中で計算し直してみるイザベラ。
現状での知識でアイリスは圧倒的に他の2人に劣るが、幸いメアリーが想定より
詳しく、頼れそうでもあるので、彼女に個人的にもアイリスに指導をさせるように
すれば、その遅れ程度は取り戻せる。
「それじゃあ、来週から時間が取れる限り、此処で“お勉強会”か。
アイもアレックスも、まだ本格的に家を継いでいなかったのが幸いだな……」
2人共が親の一存で予定を空けられるのは、この状況においては有利な点だ。
自由に出来る時間を確保し易いのなら、後はイザベラの今後の計画次第で、多少の
余裕も出来てくるかもしれない。
「優先的に予定を入れれば週6回、日毎に8時間程度までは取れるだろうから、
最低限でもそれくらいは頑張ってもらうぞ?
…絶対に失敗出来ないってんなら、多少の無茶は覚悟してもらわないとな?」
午前と午後に分けて4時間ずつ、計8時間を約50日間も費やせるなら、結構な
成果を得られるだろう。
「ええ! 任せておいて!
お父様達も『国王様とより詳しいお話しが出来るよう、もっと深く専門知識を身に
つけておきたいの』と伝えたら、快く他の予定を無くしてくれたもの。
だから、その為の勉強時間は十分に取れるはずよ!」
「お、おう……」
気合十分! といった様子で、アイリスが鼻息荒く答える。
勉強漬けになるだろう事に覚悟を求めたイザベラだったが、その様子はむしろ
生き生きとしているように見えた。
「ふふっ、意外な反応でしたか? イザベラ様?」
「…ん? ああ、まぁな。
てっきり『勉強ばかりの日々なんて!』と愚痴るもんだと思っていたんでな」
「お嬢様は、もともと座学はお得意なのです。
貴族の家柄に属する方々の中でも、優れた能力をお持ちですので、イザベラ様も
教え始められた際には、きっと更に驚かれると思いますよ?」
どうしても奔放な部分が目立つアイリスだが、きちんと自身に課せられた貴族と
して習得すべきとされる技術や学問についてはしっかりと学び、身につけている。
そういった意味では、言葉の通り、今回の勉強会においても存外に真面目に取り
組んでくれるだろう。
「ただ……お嬢様? お喜びになっているところに水を差すようですが……。
本来のご予定は『無くした』のではなく、単に『延期された』というだけです。
…ですので、王都から帰って来た後には、そのご予定を纏めてこなして頂く必要が
ございますよ?」
「……………えっ?」
それまで前向きな姿勢だったアイリスに、メアリーが眉を寄せつつ、非常に言い
辛そうにそんなことを言ってくる……。
…すると、今の今まで楽しげにしていたアイリスが、瞬時にその笑顔を凍らせた。
「そ、それって……具体的には、どうなるのかしら?」
「そうですね……少なくとも、1ヶ月は一切の外出は禁止になってしまうかと。
特に勉学の面には遅れが出ないようにと御当主様より仰せつかっておりますので、
私が付きっきりでご教授させて頂く予定です……どうか、御覚悟を」
イザベラに続き、メアリーもアイリスに『覚悟』を求めてくる。
…しかし、その後の反応は先程とは全く違ったものだった。
「………ゆ、憂鬱だわ。
フィー? 私、たった今、急にやる気が無くなってきたみたい……」
肩を落とし、ずーん……と項垂れる、アイリス。
「ああ、そうなのか?
それならそれで、アタシは面倒が減って、逆にありがたい限りだな。
オマエは王室特製の牢の中の観光でも、じっくりしてくると良いさ」
そう言って、イザベラはアイリスに「ククッ」と意地の悪い笑いで返す。
「ううっ……ここには、誰も私の味方が居ないのね……。
ただでさえ、メアリーから教わるのはあまり好きじゃないっていうのに……」
「………っ!?」
すっかり意気消沈した様子でボソリと呟いた一言に、傍らに立つ従者がこの世の
終わりのような顔でショックを受けていた……。
…しっかりと『メアリーから』と名指しされた事で、衝撃も大きかったのだろう。
「おい、そんなんで大丈夫なのかよ?
確かアイは『勉強は得意な方だ』って、前に俺に言ってなかったか?」
完全に機能停止しているメアリーに代わって、アレクサンダーがその発言の理由
を尋ねる。
すると、ぬうっ……とした緩やかな動きで首だけをアレクサンダーの方に向けた
アイリスが、憂鬱そうな表情のままで答えた。
「…別に、私も勉強そのものが嫌いなわけじゃないわ。
新しい知識を身につけるのは純粋に楽しいし、その点は全く問題が無いの」
「じゃあ、何が問題なんだよ?」
「メアリーって勉強の時はスパルタだから、本当に部屋から出られなくなるのよ。
しかも、今回は原因が原因だから、もう家からすらも出られないのでしょう?
…ずっと同じ場所にジッとして居るのって、何だか楽しくないじゃない?」
その発言を聞いたその場の皆が、「ああ……なるほど」と心の中で呟いた。
つまり、黙って勉強し続けるのが嫌なのでも、メアリーの教え方が下手なのでも
なく、純粋に刺激が無さ過ぎてつまらなくなって飽きてしまうのが嫌いなのだ。
典型的な『成績は優秀……けれど、落ち着きが無い』と教師から評価される生徒
の心理だった……。
「…お転婆が過ぎるヤツの事情なんてのは、正直どうでも良い。
とりあえずはアタシの方でも、来週までに当面の予定を考えておく。
…だから、今日はもう帰ってもらって構わないぞ?」
「ええっ!? もう解散するの!? まだ午前中じゃない……。
…も、もう少しゆっくりしていっても、良いのではないかしら?」
『もうこれ以上は付き合いきれない』と言わんばかりに、話の流れをぶった切って
アイリス達を屋敷から追い出そうとする、イザベラ。
そんな彼女に反射的に反抗するアイリスだったが、イザベラはまたいつもの呆れ
を含んだ溜め息を零した……。
「オマエなぁ……。
一応は他人にものを教える事になったのなら、それなりに準備も必要なんだぞ?
それとも、アイは口頭で言われただけで完全に理解出来るような天才なのか?」
イザベラの言葉に「ぐぅ……」と呻き声を漏らす、アイリス。
要は、今日のイザベラは自分達が面倒だから追い払いたいのではなく、教えるに
あたって必要となるであろう教材や、大まかなスケジュールを組む為に、この後の
時間を使いたいのだ。
…にもかかわらず、ここで『退屈な話が終わったのなら、遊びましょうよ!』と、
言い出せる勇気は……流石に無かった。
そこまで来ると、本当の意味で『子供の我が侭』そのものだろう。
「はぁ……わかったよ。
アタシも、まだ暫くはのんびりするつもりなんだ。
その王都から戻って缶詰になる期間が終わった後になら、少しくらいオマエの遊び
にも付き合ってやるさ……」
「や、約束よ? 絶対に守って貰いますからね?」
「はいはい……」
全てはアイリスが行動した事によって引き起こされたものだとはいえ、別に彼女
が何か悪い事をしたわけではない。
少しでも悲しむ人を無くしたいという思いの結果が、自身にとって望まない物事
ばかりなのは、少々不憫過ぎる。
そんな、不自由な環境を押し付けられ続けている現状に同情したイザベラは……
魔女らしからぬ慈愛の精神でもって、そう最後に付け加えたのだった。