第20話 褒められる事が良い事とは限らない
「それで、あの……フィー、何とかならないかしら?」
「何ともならんな……というか、アイ?
もしかして、オマエ……アタシの事を“困った時の便利道具”みたいに考えていない
だろうな?」
「…………そんなことはないわ」
イザベラから向けられたジトッとした視線に耐え切れず、アイリスはあらぬ方向
へと視線を泳がせる。
なんとか否定の言葉を返しはしたものの、言葉が口から出るまでに若干の時間差
があったのを見たイザベラは『どうだかな……』と小さく呟いた。
「…だから、一応は先に警告もして、念を押しておいただろ?
『王都へ報告する分にはアイの好きにして構わんが、それによって生じたあらゆる
事柄の責任は、全て自分で取るんだからな』ってよ」
「で、でも……確かに報告書にして纏めたのは私なのかもしれないけれど、実際の
研究資料の部分は全部フィーのものを借りただけだったわけだし――」
この日のアイリスは、彼女にしては珍しく正式な相談事をイザベラに持ち込んで
おり、それについて何か良い解決策が無いかを尋ねているところだった。
ステラと同じ理由で苦しむ人を無くさなければ! という一心で、王都に自身が
急いで送り付けた報告書……。
どうやらイザベラに借りた資料を基に作成したその報告書の中は、専門家すらも
把握していなかった知識が満載だったらしい。
そうとは知らないアイリスは、その報告書がただ世間に発するだけで、そのまま
自身の評価に直結するような大層な代物だった事実に、王から届いた感謝の言葉と
共に手紙に書き記されていた『勲章授与に値する働き』という言葉で思い知る羽目
になったのだった……。
「私が自分で研究して導き出したものではないし、このまま黙って勲章を受け取る
というのも、何だか手柄だけを横取りしたみたいで、ちょっと気が引けるわ」
勲章を授かるだけならば、名誉ある事でもあるし、家の為にもなるので、個人的
には何も問題は無い。
…ただ、“本当の功労者”を差し置いて受け取るという部分が引っかかるのだ。
「あのな……アタシは魔女なんだぞ?
そもそも、俗世とは可能な限り関わらないって、初めから決めているんだ」
アイリスの申し訳無さそうな顔を見たイザベラは、そう言って興味無さ気に話し
始める。
「…だがな、逆に言えば、それがどんなに世の中にとって有用な研究だろうとも、
普通なら一般社会の誰にも知られる事すら無かったはずのものなんだ。
それがオマエを介して世に広まって、間接的に多くの命を救ったってんなら十分に
アイの手柄だと言っても、アタシは構わないとは思うが?」
イザベラの言葉の通り、アイリスが言い出さなければ、わざわざ国内全土に情報
を広めるといった面倒な事を彼女が進んでしようと考えるはずも無く、そういった
意味では功績だと言えなくも無い。
「そ、それは……でも……」
そこまで聞いても、やはり今もまだ戸惑っている様子のままのアイリスに対し、
イザベラは更に追撃の言葉を続けた。
「言っただろ? 『あらゆる責任は自分でとれ』と。
だから、手柄でも何でも全部“責任を持って”堂々と受け取って来りゃ良いだけだ。
…それに、王からの直々の勲章だか何だか知らんが、魔女であるアタシがそんな物
を貰ったところで、意味なんて全く無いからな。
そもそも、オマエはアタシにどの面下げて受け取れってんだよ?」
「それは…………そうでしょうけれど」
それを言われてしまっては、アイリスは言葉の返しようが無かった。
使い所どころか、その存在すらも知られていないイザベラが勲章を受け取るのは
現実的に見ても不可能な事でもあるし、わざわざ隠れて暮らしている彼女を表舞台
に引っ張り出すのは、迷惑以外の何物でもない。
…どれだけ引け目を感じていようが、自分が黙って受け取っておいた方が、魔女で
ある彼女の為になるのは明白だった。
「ええっと……まぁ、それはそれとして、なんだけれど……ね?」
――ただ、そうなると……アイリスにとって1つ重大な問題が発生してくる。
「それって、つまり……当然、私が一定平均以上の専門的な知識が身に付いている
必要が出てくる、という事じゃない?」
「ふむ……まぁ、そうだろうな?」
勲章を貰うと一言に言っても、ただ王都に赴いて『はい、あげる』『どうも』で
終わる訳が無い。
常識的に考えれば、国王とは今回の件について会話を交わす事になるだろうし、
その中には当然、研究の内容や作成した資料の話も含まれてくるだろう。
…しかし、現状ではアイリスの知識は資料を纏める際に見たもののみに限られる。
「知識も無いのに、ある日突然『これが原因で病人が出ていたのです!』って染料
に含まれた毒素を発見したって事にでもなれば『お前は超能力者だったのか!?』
って話になるだろうからな?」
王に質問されてあたふたするアイリスの姿を想像したイザベラは「クククッ」と
笑いを噛み殺して、ニヤニヤする。
そんな彼女に、アイリスは不満気な様子で抗議するのだった。
「わ、笑い事ではないのよ!?
私はその“専門知識”を王都に招かれた期日までにきちんと身につけておかないと
いけなくなったのだから!」
最低限、資料の内容以外に鉱物学と植物学の基礎知識くらいは事前に身に付けて
おかなければ、少し踏み込んだ質問をされただけで答えられなくなるだろう。
しかも、相手が相手だけに、そこでだんまりを決め込むわけにもいかない。
「…はい、お嬢様の仰るとおりでございます」
…すると、これまで黙ってアイリスの背後に控えていたメアリーが、そのアイリス
の抗議の声に賛同すると同時に、一歩前に踏み出して、主の隣に歩み出て来た。
「国王様に拝謁する日までの間に、何としてもその対処をしなければなりません。
そこで、イザベラ様がお持ちのその豊富な専門知識を、是非ともお嬢様へ短期間で
徹底的にご教授を願いたく、本日はこうして参上した次第でございます」
申し訳無さそうにしたり、ともすれば大きな声を上げたりと、アイリスの態度も
大概ではあるのだが……それでも、まだ余裕がみられる範囲のものだった。
しかし、今日のメアリーは、いつもよりも一層、深刻さを帯びた重々しい表情を
浮かべている。
…そして、そんな従者の態度と発言に戦慄を覚える主人。
「あ、あの~……メアリー?
『短期間で徹底的に』が強調され過ぎていて……私、ちょっと怖いのだけれど?」
もう既に嫌な予感しかしていないが……ここは声を掛けざるを得なかった。
このまま放っておけば、主であるはずの自分を無視してとんでもない事を言い出し
かねない。
付き合いの長いアイリスだけは、この時のメアリーの纏う雰囲気に、何か不穏な
ものを感じ取っていた。
「…お嬢様。
先程もご自分でもおっしゃっていましたが、今回ばかりは本当に『ただの笑い話』
では済まされないのですよ?」
くるり……と、綺麗に90度回転して真横に居るアイリスに向き直るメアリー。
その動きから一歩遅れて、彼女のロングスカートの裾がフワリと少しだけ舞い、
それが落ち着くのと同時に、更にメアリーが続ける。
「国王様より直々に勲章を賜る機会など、例え貴族の家に名を連ねる者といえども
そうそうあるようなものではありません。
仮にそのような場で“実は報告書が全て盗作だった”という事にでもなれば――」
そこまで口にしてから、メアリーは一旦は言葉を止めて……目を閉じながら首を
ゆっくりと横に振った。
「最悪の場合、御当主様の爵位が剥奪されるばかりか、お嬢様も含めたヘイマン家
にかかわる者全員が揃って投獄される可能性すら出てくるのです。
なにせ『他人の研究を自らのものだと偽り、国王を騙して利益を得ようとした者』
という事になり、お嬢様は一転して大罪人になってしまうのですから」
専属を名乗るだけあって、基本的にメアリーは“アイリス最優先”ではある。
…しかし、だからといって他の者と全く関わっていないわけでは、当然無い。
自身の実際の雇い主であるヘイマン子爵への恩があるのは勿論だが、従者仲間や
日々の食事を作る調理師や馬車の御者まで、ヘイマン家に関わるあらゆる人間にも
日頃からきちんと意識を向けている。
そんな関係者全員を巻き込みかねない今回の件については、さしものメアリーで
すら、アイリスを全面的には贔屓出来ないのだ。
「………ねぇ、ちょっと泣いても良い?」
ちっとも泣きそうに無い無感情な顔で……しかし、心底困ったという雰囲気だけ
は強烈に周囲に漂わせたアイリスが、メアリーへとそう尋ね返す。
その無表情さは、そんなメアリー本人から長時間に及ぶお説教をされてしまい、
魂が抜けたような状態になった時にそっくりだ。
故に、そんな主の姿はもう見慣れているから……という事でもないのだろうが、
基本的にアイリスには“だだ甘”な印象のメアリーにしては、、比較的冷たい反応が
返って来てしまう。
「ええ、それはもう……お嬢様のご自由にどうぞ?
但し、お好きなだけ泣かれましたら、次は床に額を擦り付けてでもイザベラ様へと
その知識をご教授頂けるよう、私と一緒にお願いして頂きますからね?」
「メ、メアリー……貴女、目が据わっているわよ?」
瞬き一つせずに見開かれた瞳には狂気すら見え隠れしていて……完全に危険人物
のそれだった。
「当然です。
これは既にお嬢様だけの問題ではなく、ヘイマン子爵家全体の命運が掛かった話に
発展しまっているのですから。
…自分の主の首が物理的に飛ぶ可能性を前にして、気楽になどしていられません」
言葉の最後にボソッと呟いた一言が、頭の中で映像となって再生されてしまった
アイリスは、自身の血の気が引いていく音を聞いた気がした。
「わ、わ~~んっ!!
私はただ、ライラみたいに家族が病気になって悲しむ人を一人でも減らしたかった
だけなのにーーっ!!」
そう言って、ある意味アイリスらしい少々大げさな仕草で机に突っ伏して、足を
テーブルの下でバタバタと動かし、せめてもの抵抗の意思を表現してみせる。
…その有様は実に子供っぽく、とても勲章を授かる貴族の姿とは思えない。
「まぁ、それを教えるかどうかは今は一旦、置いておいて……だ。
アイ? アタシとしては、そろそろ隣の新顔を紹介して貰えると嬉しいんだが?」
駄々っ子の状態で喚いている貴族の娘に、それを冷たい視線で眺めている従者と
いう、地獄のような情景が繰り広げられている中……。
屋敷の主として、堂々とした姿勢でそんな2人の正面に座っていたイザベラは、
白熱する話題を半ば強引に打ち切って、その場に存在するもう1人の方へと水を
向ける。
「………え?」
…すると、今の今まで机に突っ伏して騒いでいたアイリスが、一瞬でガバッと上体
を起こした。
「あ……ああっ!! そうだったわね! すっかり忘れてたわ!!」
「…ひでぇな、オイ。
この“とばっちり”と言っても良い状況下で存在すら忘れられてたのか……俺は」
深刻な話題ゆえに、敢えて黙って待っていたにもかかわらず、実は完全に意識の
外に存在ごと追いやられていた事実が判明して、その人物は肩を落とす。
そして、そんなアイリスに見切りをつけたのか……。
彼は、軽く姿勢を正した後に、自分から正面に座る魔女を名乗る少女に自己紹介を
することにしたのだった。
「…初めまして。
俺の名前は、アレクサンダー・トラヴィスって言います。
まぁ……皆、俺の事は『アレックス』って呼ぶんで、魔女さん? も好きに呼んで
頂いて構わないです」
普段は他人に対してそんなに堅苦しい言葉を用いる人物でもないのだろう。
なんとか丁寧に話そうとしているのが見て取れる中には、何処か砕けた口調が入り
混じっている。
自分に対して『魔女』という部分を信じきれていないのもそうだが、同じソファ
に隣同士で座るアイリスにも、これといって緊張した様子も無い。
…その短い挨拶から、イザベラは彼が横に座っている自称『正真正銘のお嬢様』も
含めた主従2人とは普段から精神的に近い距離なのだろう……と、読み取った。
「イザベラ・レンフィールドだ。
そっちもアタシのことは好きに呼ぶと良い。
どこぞの変わり者のお嬢様は何故だか『フィー』なんて奇妙な名で呼んでいるが、
普通に『イザベラ』でも『ベス』でも、アタシは構わないよ。
そもそも、得体の知れない『森の魔女』なんかに気を遣う必要なんて無い」
いつもの荒い口調で返すイザベラだが、入室してからアイリス達との会話を傍ら
でずっと聞いていたからなのだろう。
アレクサンダーは、その容姿からは想像し辛いであろう乱暴な口調にも、特に
驚いた様子は無かった。
「それじゃあ、俺はイザベラさん……とでも呼ばせて貰います」
「…ああ、わかった。
こっちは以前から『アレックス』という名前を何度も耳にしていたからな。
アタシの方は、そう呼ばせてもらうよ」
お互いの簡単な自己紹介と呼び方とが決まった、そんな時。
アレクサンダーへと遠慮がちな様子で横から声を掛けてくる人物が居た。
「あの~……ちょっとだけ、良いかしら?」
「…ん? 何だよ?」
「何故、イザベラには“さん付け”なの? 私の事は『アイ』なのに?」
自分で自分の顔を指差しながら、アイリスがそう尋ねてくる。
顔こそ笑顔を保っていたが、眉がピクピクと小刻みに動いており、非常に不満気
な様子だ。
「いや、アイこそ何を言ってんだよ……。
イザベラさんは、仮にも俺らよりもずっと年上なんだぞ?
それに、俺はメアリーさんにだって以前から“さん付け”だったじゃねぇか」
…しかし、そんなアイリスの態度にも慣れているのか、アレクサンダーは呆れを
多分に含んだ表情で、溜め息交じりにそう返した。
すると、アイリスは唇の先を尖らせて、更に不満な心情を露にして見せる。
「あまりこういった事は言いたくは無いけれど……私、これでも子爵家のお嬢様
なんですけれど?」
「知らん。今更アイに“さん付け”とか“様付け”とか……逆に寒気がする」
アイリスのその態度こそ拗ねた子供のそれではあったが……言っている内容自体
は至極真っ当で、間違いでも何でもない。
しかし、それすらもアレクサンダーは『知らん』の一言で切り捨てる。
その言葉は、清清しいまでの即答であり、迷いが欠片も感じられなかった……。
「あー……すまない。
実を言うと、アタシもさっきからそこは気になっていたんだ」
…ただ、そんなやり取りが日常なのであろう2人とは違い、今日、初めてその光景
を目の当たりにしたイザベラが、会話に割って入ってくる。
「アレックス、オマエは確か町で一番大きな商家の息子だったよな?
確かに、一般的な家の者より資産はあるだろうが……それとこれとは別だろう?
アイの味方をするようで妙に癪に触るが、仮にも貴族を相手にその口調はどういう
理屈なんだ?」
「ちょっと、フィー!?
『癪に障る』とか『仮にも』とか、割と今の貴方の方が失礼ではないかしら!?」
視線の方向からして明らかにアレクサンダーに向かって話しかけていた為、自分
は黙って眺めていようと考えていた矢先に、突っ込みどころだらけの単語が次々に
発せられて、思わず口を挟むアイリス。
…しかし、イザベラはそんな彼女に一瞥すら寄越さない。
しかも、その話し相手のアレクサンダーすらも、特に何の反応をする事無く、会話
を続行していく……。
「ただの商家とはいえウチは比較的その規模も大きくて、子爵様のお屋敷には納品
を目的として、昔から頻繁に出入りしていたんです。
だから、俺も手伝いで親父と一緒にお屋敷にはよく通ってたんですよ。
そこで、たまたま歳が同じだった事もあって、親父と子爵様が仕事の話をしている
時間は、俺とアイの2人で一緒に遊ぶのが通例になっていって――」
「アレックス!? フィー!? 何故、2人でどんどん話を進めていってるの!?
ねぇ! 私は無視!? 無視なの!?」
一方、無反応な2人と違い、すかさずその状況に激しく反応するアイリスだった
が……イザベラとアレクサンダーの会話は、無情にも何事も無く進行していった。
「む……ぐぅ……」
先程の従者の言葉もそうだが……。
もしかしなくとも、このメンバーに限ってのみ言えば、最も発言力が低いのは実の
ところ自分なのでは? と奥歯を食いしばりながら思う、アイリスだった……。
「ああ、そうか……いわゆる『幼馴染』って奴か」
「はい、そうなんです。
それで、子爵様から『友人同士で遠慮があってはあまり仲良くなれないだろう?
私が全面的に許すから、どうか娘とは対等に接してやってくれ』といった風に直々
に頼まれたものですから」
「成る程ね……。
子爵からの頼まれ事なら、それ以上の地位の貴族からの指示でも新たに無い限りは
『アイには対等に接する』という行為が、『従うべき命令』って話になるか」
「ええ、まぁ……そういう事です」
別にこれといって、身分や礼儀に対してうるさく言うつもりは無いイザベラでは
あったが、『貴族と一般人』という部分には、厳格な“線引き”があり、そういった
段階の話ではないのが現実だ。
正確には、あくまでも爵位を持っているのはアイリスの父親で、アイリス本人は
“貴族の家の娘”でしかないのだが、一般的には庶民は血縁者も含めて当主の爵位と
同じように扱うのが通例であり、そういう意味ではアレックスの彼女に対する態度
は異質だと言える。
アレクサンダーのような庶民の側が貴族相手に対等に話すどころか、失礼な扱い
などしようものなら、不敬罪として罰せられても何もおかしくはないのだ。
(ふふっ、イザベラったら……やっぱり、貴女は相変わらずなのね?)
表向きは拗ねた態度を継続しつつも、アイリスは心の中でクスリと笑う。
恐らくは……だが、イザベラがわざわざそんな事を何よりも先に尋ねた目的は、
礼儀がどうこうの話ではなく、アレクサンダーの身を気遣っての事なのだろう。
以前から話題にこそあがっていたが、イザベラにとってこれが初対面であるのは
間違いない。
それなのに、そんな彼が困った事態にならないかを先ずは確認しようとする辺り
が、どうにもこの魔女らしい……実に優しさに溢れた疑問だった。