第1話 眠る少女と魔女と猫
「………うん、もう大丈夫みたいね……」
森の入口からほんの少し入ったところで、物陰に隠れつつ周囲を窺いながら後ろ
を振り返った1人の少女が、そう囁く。
…だが、その姿は他人から見ると酷く滑稽なものだった。
猟師のような厳重な装備を身に着けているわけではないのは勿論のこと、山菜を
採りに森へ入った町娘……といった様相でもない。
それに、春先らしい暖かな気候だとはいえ、森にやって来るにしては少女の格好
はあまりにも不釣合いだ。
恐ろしく豪奢……と言うほどではないものの、普段着として着るのには明らかに
仕立ての良過ぎるその衣服は、一目で彼女がただの一般人ではない雰囲気を周囲に
漂わせている。
更に、少女の非常に整った容姿……とりわけ、何かの冗談のように美しい金色の
髪と透き通るような澄んだ青い瞳という、文字通りの見事な“金髪碧眼”は、彼女を
周囲の景色へ容易に溶け込むことを許さなかった。
ただ、そんな過剰な程に目立つ見た目の少女が、何故だか森の中に単身で……
尚且つ、何者かに追われている様子で物陰に身を隠して警戒している。
その姿は、ある種の事件性すら想起させるのに十分なものだった。
しかし、その数十秒後……。
耳を澄ませて周囲に人の気配を感じないことを再確認した少女は――
「…よし! もう追って来そうには無いわね。
それじゃあ、今日ものんびりと森林浴でもさせてもらおうかしら!」
…という、その儚げな容姿に全く似合わない、元気な声でそう宣言した。
そのあまりに明るい声色は、先程までの緊張感を消し飛ばすのには十分な威力が
あった。
…仮にその場に彼女以外の人物が居たとしても、『どうやら警戒していた追手とは
さほど怖ろしい相手でもなかったようだ』と即座に察する事ができる程度には。
「…ふふふっ、何か面白い事でも起これば良いのだけれど♪」
そうして、くるりとその身を半回転させて森の奥へと振り返ると、勝手知ったる
足取りで、少女は躊躇無くズンズンと歩みを進めて行くのだった。
「…あら? ええっと……う~ん、変ね……」
慣れた足取りで森の中を進んでいた少女は、ふと見慣れない光景に戸惑いの表情
を浮かべる。
この森は自宅からも近く、幼い頃から遊び場としても慣れ親しんできた森だ。
通常の道から、猫や兎といった小動物をよく見かける穴場へと続く、木々の隙間を
抜ける秘密の道程まで把握している。
だから、たとえ気付かない間に通常の順路から外れてしまい、木々が生い茂って
いるような場所へと迷い込んだのだとしても、特に問題も無く帰って来られる程度
には細かい部分まで知っている……つもりだった。
「…こんな所に分かれ道なんて、あったかしら?
今日は主に森林浴が目的だった事から、そういった“道”と称して良いか判らない
ような獣道ではなく、日頃から町の者達も使うようなごく普通の道に沿って歩いて
来ていたはず……。
「おかしいわ……この間までこんな道は無かったはずなのだけれど」
何を隠そう、つい数日前にもこうして森の中を散策したばかりだった。
それなのに、今日に限って本来は何も無いはずの場所で、見覚えのない分かれ道
がある場所へと辿り付いてしまっていた。
「これって……最近になって新しく誰かが作った道、なのかしら?」
『道』とは言っても、そこは森の中だ。
綺麗にレンガを敷き詰めて舗装されているような立派なものではなく、あくまでも
地面の草が取り除かれているといった程度のもの。
森の中だとはいっても、まだそこまで深い所まで来ているわけではない為、周辺
住民が何らかの事情で作った……という可能性も無いわけではないだろうが――
“トントン……”
一瞬、悩んだ様子を見せた少女だったが、少しだけ歩みを進めると、試しにその
見覚えの無い方の分けれ道の先にある地面を、つま先で軽くノックしてみた。
すると……少女の予想に反して、硬くて乾いた感触が靴を通して伝わってくる。
「…う~ん、やっぱり変ね。
つい最近作ったにしては、地面が硬すぎる気がするわ。
まるで、誰かが長年歩いてしっかり踏み固められたような……そんな印象ね」
仮にこれが、この数日の間に草を取り除いて新しく作った道だったのなら、まだ
地面はここまで硬くなってはいないはずだ。
草の根と共に掘り返された後の土がここまでの硬度になるには、少なくとも数年
は必要なように思える。
土について詳しい知識の無いその少女でも、それくらいなら容易に想像できた。
「あっ、もしかして…………これが、あの?」
そこで、ふと少女の脳裏に“とある言葉”が過ぎった。
『この森の奥深くには、恐ろしい魔女が棲んでいるのです』
少女が森で遊ぶ度に何度も耳にする事になった、この辺りの古い言い伝え。
幼い頃からお転婆で、目を離すとすぐに何処かへ行ってしまう自分に対し、姉の
ように親しく接してくれていた人物から、何度も語って聞かされていた物語だ。
なんでも、この森には昔から恐ろしい魔女が隠れ棲んでいて、いつも邪悪な儀式
を行っており、万が一見つかろうものなら2度と帰って来られない……らしい。
『――だから、決してお一人で森の奥には足を踏み入れないように』と。
「………」
当然といえば当然なのだが、既に大きくなった少女は、その話を幼い子供を一人
で森へと入らせない為の、よくある作り話だと解釈していたのだが……。
「…でも、何故だか目の前にあるのよね……見慣れない道が」
実際に“見慣れない道”が目の前に存在しているという現実。
どう見ても自然に出来たものでは無い以上、道の先に何も無いという可能性も
少なそうだ。
つまり、少女の記憶違いか白昼夢でもない限りは、この知らない道の先には、
彼女の知り得ない“何か”が待ち受けている可能性は十分にあるだろう。
「………ふふっ! なんだか、とっても面白そう!!」
数秒間、その場でどうするべきか逡巡している様子を見せた少女だったが……。
そんな台詞と共に、一瞬で再び元の明るい雰囲気を取り戻した。
「きっと新しい冒険に繰り出すよう、神様が私を導いているに違いないわ!!」
自分でそうは言ったものの、言葉ほど本気で普段から神様を信じているという
わけではない彼女だったが、そう思った方がきっと楽しくなる。
そう考えた少女は、その見慣れない道を前にしても、それまでと変わらないまま
の調子で、やはり迷い無く突き進んで行くのだった……。
「わあぁっ! 凄い! なんて素敵な場所なのかしら!!」
未知の分かれ道を歩き続けること――ほんの数分。
予想していたよりも随分と早く木々に覆われた薄暗い景色が開けると、それまで
とはガラッと変わって、明るくて広々とした空間が目の前に現れる。
「うわぁ……こんなに綺麗なお花畑がこの森の中にあったなんて知らなかった。
ふふっ、これはとっても嬉しい誤算ね!」
『魔女』という言葉の印象から、いかにも怪しげな老婆に出会ったり、今にも崩れ
そうな不気味な小屋へと辿り付く事ばかり想像していた少女は、唐突に現れたその
美しい光景に、パチパチと手を叩いて喜んだ。
見渡す限り……とまではいかないものの、鬱蒼とした森の中だとは思えない規模
の花畑がそこには広がっており、様々な色の花が春の暖かな風に揺られている。
周囲がぐるりと木で覆われているからか、まさに“秘密の花園”といった雰囲気で
あり、それがまた貴重な発見をしたようで、少女の気分を高揚させる。
「……ぁ……でも、そういえば……」
突然現れた美しい景色に圧倒され、つい見惚れてその場に佇んでいた少女だった
が、ふと我に返ると、森に入ってきた時と同じような動きで周囲を見回して、様子
を窺い始める。
「ええっと、ここを管理している方は――どうも周辺には見当たらないわね。
いったい何処に居を構えていらっしゃる方なのかしら?
もし近くに住んでいるのなら、是非、お話しをしてみたいのだけれど……」
足元に広がる、花畑。
そこには様々な種類の花が、広範囲に亘って咲いていたのだが……。
明確な柵のようなものこそ設置されていないものの、よく見てみると場所ごとに
綺麗に品種が区分けされており、意図的な配置で植えられているようだった。
もしこれが自然に出来た花畑ならば、周辺にある数種類が入り乱れて咲いている
はずで……。
人の手が入っていなければ、ここまで種類ごとにきっちりと分かれては咲かない
だろう。
そういった点から考えると、この謎の花畑にはまず間違いなく誰か管理者が居る
はずだった。
「う~ん……やっぱり、見える範囲にはいらっしゃらないみたい。
でも、ここを管理してる方って、本当に町の方から通ってきているのかしら?」
森の中だとはいえ、この場所はそこまで森の深部というほどではない。
だから、町から通うのが特に困難だとも言えないだろう。
…だが、それでも町から通うとなれば、やはりある程度の手間も掛かる。
森と町までの間にも、ある程度の空きスペースくらいはある。
ただ花を植えて育てたいというだけならば、森の入り口辺りに植えれば良いだけで
あって、わざわざ中にまでやって来る必要も無いはずだった。
「う~ん……」
ますますもって、わからない。
どういう理由があって、この花畑の管理者はわざわざこんな森の中に――
「………んっ…………ふわぁ~……。
それはともかく、今日はとっても暖かくて、良い気分……よね……。
何だか、少し……眠く、なってきたわ……」
真面目な顔で再び思索に耽ろうとしたところで、少女は微かな睡魔に襲われた。
春らしい穏やかな気候は身体に優しく、仄かに花の香りを孕んだ風が頬を撫でる
感覚は、なんとも言えない心地良さがあった。
…これくらいの暖かさならば、仮に少しばかり屋外でうたた寝したところで直ぐに
風邪を引くような心配も要らないだろう。
「少しだけ……本当に少しだけ、横になろう、かなぁ……――」
そう誰かに言い訳するかのように小さく呟くと、少女はその上等な服が汚れる事
を気にする素振りも見せず、花畑の傍らにあった草原の上に体を横たえて、そっと
目を閉じた。
すると、すぐに襲い掛かる睡魔に抵抗する素振りすら見せずに白旗を揚げた少女
は、早々に意識を手放すのだった――。
・
・
・
“バシンッ”
「!? …っ……い、痛いっ!?」
春風の中、心地よく寝息を立てていた少女は……突然の痛みに思わず叫んだ。
いつの間にか横向きになって眠っていたところに、まるで誰かに蹴り飛ばされた
かのような衝撃が、尻に走ったのだ。
驚きと戸惑いと……少々の警戒を感じながら、しかし表情だけは寝起きのどこか
ぼんやりとしたままで、少女はすぐに体を起こして周囲を見回した。
まず、初めに目に入って来た日の光に、スッと目を細める。
傾きから考えて、眠ってからはさほど時間は経過していないようだ。
まぁ、せいぜい小一時間程度といったところだろう。
そして、肝心の尻の痛みの正体は――そのすぐ後に、自然と視界に入って来た。
「………なんだ。
暢気に寝ていやがった割には、随分と反応は良いじゃねぇか?」
そこには『今、まさに私が蹴り飛ばしましたよ』と言わんばかりに、中途半端に
片足を上げたままの女の子が1人……呆れたような表情を浮かべながら、こちらを
見下ろしていた。
歳の頃は自分よりも3、4つほど下だろうか?
艶のある栗色の髪は綺麗に背中の中ほどで切り揃えられていて、それが日の光を
反射してゆらゆらと輝いて見えた。
「………あら? これは――」
更によく観察してみたところ、その女の子の服装は、町に住むいわゆる一般的な
人々のものより、かなり質の良い物を身に着けているように見える。
何故、少女がそう感じたのか……その理由はというと、その女の子が身につけて
いる宝石のどれもがとても大きく、仮にそれら全てが本物であるのなら、一般人が
おいそれと身につけられるような代物ではなかったからだ。
光を綺麗に反射させるように計算された華美なカッティングこそされておらず、
水晶玉のような簡素な球状ではあるものの、石そのものの大きさや色合いは、王室
へと献上されていても何らおかしくはない……。
そんなレベルの宝石が、女の子の身につけた幾つかのアクセサリーには惜しげも
無く使われていたのだ。
「綺麗ね……まるでリンゴみたい」
特に首から下げた赤い宝石は一際大きく、まるで小ぶりなリンゴの様な印象だ。
…仮にあれがルビーやガーネットといった本物の宝石であるならば、恐らくは世界
でも最大級のサイズのものだろう。
自身もある程度は仕立ての良い衣服を着慣れている身分であり、同時に普段から
そういった所に自然に視線が向かってしまう癖が付いているからか……。
少女は目の前の女の子に対して、瞬時にそんな“どこぞの貴族のご令嬢”といった
第一印象を持った。
「………フン」
…ただ、これで穏やかに微笑み、丁寧な口調で話していたならば『きっと由緒ある
家柄のご息女なのだろう』とも思えるのだろうが――
「…おい、オマエ。
いったい誰に断って、こんなところで勝手に寝ていやがるんだ?
このアタシの庭で無断で暢気にひなたぼっことは……いい度胸じゃないか」
そんな……可愛らしくも美しい格好には全く似つかわしくない仏頂面と、粗野な
男性のような口調が、華美過ぎない宝石とセンスの良い衣服の素晴らしい調和……
という少女の目に映る全ての“高貴さ”を、見事に台無しにしてしまっていた。
「………」
…特に今は、その何処か気だるそうな薄いブラウンの瞳が、こちらを見下すような
ジトッとした様子で、解りやすく彼女の不機嫌さを表していた。
しかも、他人の敷地で許可無く勝手に眠ってしまっていたのが事実である以上、
少女としても何処にも反論の余地など無く……。
…何とも、居心地が悪いことこの上ない。
「…………」
そのパッと見の容姿からは想像出来ない、予想の斜め上を行く態度と言葉遣いに
少女はすっかり面食らってしまい、思わず黙り込んでしまう。
…しかし、そんな石像の如くじっと固まってしまっている少女に対し、その女の子
はさほど気にする様子を見せず、ため息混じりに言葉を続けた。
「はぁ……まぁ良い。
それよりオマエ、この辺りで黒猫を見かけなかったか?
特徴は……そうだな――ちょうど、お前と同じ“美しい青い瞳”を持つ黒猫だ」
「――青い瞳の……黒猫?」
言葉と同時にその女の子の態度から、一瞬で不機嫌さが消えたこともあるが……
『青い瞳』という言葉には反応できた少女は、やっとそれだけ呟いて返した。
…そして、それをきっかけに寝起きの頭が徐々に回り始め、記憶の中の直前の状況
が、ようやく正確に思い出せてくる。
「あ、あの……もしかして、あなたがこの花畑の管理をしているの?」
「ん? ああ、そうだが?
…何だ? オマエ、まだ寝惚けてやがるのかよ……」
再び呆れたような表情になって、大きく一つため息を漏らす、その女の子。
一方で少女の方はというと……その言葉を聞いた瞬間、ハッとなって急いで立ち
上がると、パンパンと衣服の皺を軽く整え、改まった様子で勢いよく頭を下げた。
「あの、その……ごめんなさい!!」
酷く乱暴な起こされ方をしたのだ。
一言くらいは文句を言ってやっても良かったくらいなのだろうが――
「勝手にやってきて、無断で眠ってしまうだなんて……迷惑だったわよね?」
やはり、それも先にこちらの無礼があったからこそ。
ここはきちんと謝って、目の前の女の子に許しを請うべきだろう。
「………」
そう思った少女は、真面目な態度で深く頭を下げ続けた。
…だが、女の子はそんな少女に手の平を軽く振って、面倒そうに返す。
「あー……もう、それは良いって言ってるだろ?
それよりも、だ。
アタシが知りたいのは猫だよ、猫。
それで? アイツはこっちには来ていないのか?」
…本当に全く気にしていないのだろう。
早々に話題を切り替えた女の子は、捜しているらしい黒猫の行方を尋ねて来た。
「あの……まずは、眠ってしまっていた事を許してくれて、ありがとう。
それと、貴女が言う黒猫さんなのだけれど――」
興味無さ気に尋ねられた少女は、一度は頭を上げるが、しかし再び頭を下げて
女の子に答え返した。
「…あの、ごめんなさい。
私、ついさっきまで眠ってしまっていたから、それはよくわからないの……」
「まぁ、それもそうか……」
記憶を探ろうにも、そもそも意識自体が無かったのだ。
黒猫が近くに来たかどうかは、知っている以前の問題だった。
「それならオマエはもう良いから、さっさと帰れ」
怒っている……というよりも、相も変わらずこちらには興味無さそうに言って
くる女の子は、そう言葉を発しながらも、しきりに周囲を見回していた。
…先の言葉の通り、青い瞳を持った黒猫を探しているのだろう。
その様子から、彼女にとってその猫がいかに大事な存在なのかが窺える。
「…あ、あのっ!」
「…あ? なんだ、まだ居たのか……」
突然、大きめの声を出した少女に、女の子は再び視線を戻す。
すると、真剣な表情のままの少女は、再び頭を下げながら言った。
「お詫び、と言ってはなんなのだけれど……。
私にも貴女と一緒にその黒猫を探させてくれないかしら?」
「アタシと一緒に?
フン……なるほど、そうだな……」
女の子は少女からの突然の申し出に、思案顔になって視線を外した。
…しかし、それも一瞬の事で、その女の子は直ぐに再び視線を合わせて来る。
彼女のぼんやりとした雰囲気はそのままだったが、その瞬間からはっきりとその
少女を『存在として認識している』という事が伝わるような“真っ直ぐな視線”へと
変わっていた。
――少女は、この時になって初めて、眼前の女の子と出会えたような気がした。
「…よし、わかった。
それなら、とりあえずここで勝手に寝ていたことは、ロジャーを……アタシの猫を
一緒に探すってことで許してやる」
「本当に? ありがとう!」
先程までのしおらしい態度とは一転、急に明るく元気になった少女の様子には、
その女の子も思わず、笑みをこぼした。
「ククッ……ついさっきまではこの世の終わりみたいに申し訳なさそうにしていた
かと思えば、今度は急に騒がしくなりやがって……忙しいヤツだな。
まぁ、それはそれとして……だ。
まさか魔女の猫を『一緒に探したい』だなんて言うヤツが居るとはね」
「――……えっ?」
…その何気ない言葉に、少女はピタリと動きを止める。
そして、一方の目の前の女の子はというと……。
少女の反応から、内心で納得したような反応を見せると、続けて言ってきた。
「あー……なるほどな。
オマエ、そもそもアタシが何者なのか、よく解ってなかったのか……」
少女は少し前に思い出していた『あの森には恐ろしい魔女が棲んでいる』という
話を思い出し……恐る恐る、その女の子へと尋ねる。
「あの~……もしかして、あなたが言い伝えにある……怖い、魔女さん?」
すると、そんな少女の質問に小さく『ククッ』と噛み殺すような笑いを零すと、
魔女と名乗った女の子は……口元を愉快そうに軽く吊り上げたまま、答えた。
「別に怖がられるような事をした覚えは、アタシには無いんだがな。
まぁ、お前の言う通り……私はこの森に棲む魔女――イザベラだ」
「魔女の……イザベラ、さん……?」
漏れ出るようにそう呟くと、少女は目の前に立っている、自分より年下の女の子
にしか見えない容姿の『魔女イザベラ』の頭からつま先までを改めて眺めた。
「…なんだ?
まさか、オマエ……アタシが魔女だと知って、今更怖くなってきたのかよ?」
ぼうっとした様子でこちらを見てくる少女に対して、イザベラは少しだけ挑戦的
な態度で、そう続けた。
彼女からすれば、相手がこういった反応をするのは珍しくない。
ここに居るという事は、目の前の少女は普段は見慣れない道を通ってここに辿り
付いたはずだ。
…その先で、噂の魔女に遭遇したのだから……混乱し、恐怖するのも自然な話だ。
「………――わない……」
「…ん? 何だ?」
――ただ、次の瞬間に少女がさらりと放った言葉は、そんなイザベラのおおよその
予想を軽く超える、意外なものだった。
「『イザベラ』って……全く、似合わないわね……」
「………………は?」
「全然、貴女に似合っていないのよ。
“イザベラ”っていう、格好の良い響きの名前もそうだけれど……。
何よりも『魔女』って肩書き自体、全っ然……貴女の見た目と合っていないわ」
少女の頭の中には“魔女”という単語から、怪しさ満点の……見るからに何か悪事
を企んでいそうな老女のイメージがあった。
それなのに、こうして実際に会ってみると――
イザベラはどう見ても“ただの年下の女の子”程度にしか見えない。
その一見すると乱暴な口調ですら、容姿相応の軽くて高めの声質の影響からか、
『ちょっと生意気で可愛らしい』といった印象しか湧いてこなかった。
…けれども、本人曰く“魔女”……なのだそうだ。
今のところはあくまでも自称とはいえ、正真正銘の本物の『森の魔女』らしい。
「魔女じゃなく“魔法使い”と名乗った方が、まだ良いわね。
その方が可愛らしくて、幾らかはマシだと思う……」
そんな、唐突に知らされた真実が、余程ショックだったのか……。
どこかで裏切られたような気分になった少女は、思わず頭の中に浮かんだ言葉を
そっくりそのまま、考え無しにイザベラ本人へと放ってしまっていた。
…はっきり言って、もう不法侵入後に敷地内で無断で眠っていた事よりも、遥かに
無遠慮で失礼な発言だった。
「…っ……ククッ……アハハハッ!!」
対するイザベラはというと、その少女のあまりに失礼で遠慮の欠片も無い発言に
対して、何故か突然大笑いをし始める。
「オマエ! 本当に良い度胸をしているな!
町中でならともかく、この森の中で私が『魔女だ』と名乗って、そんな事を言って
返してきたヤツは、オマエが初めてだよ!」
この容姿が容姿だ。
仮にイザベラが町に赴いた際に自らを『魔女だ』と名乗ったとしても、ほとんど
誰にも信じては貰えないだろう。
…だが、この森の中――特にこの場所に関しては、話は別だ。
平時には辿り付けない“不可解な場所”に、古くから伝わる“言い伝え”の効果も
手伝って、『魔女』という疑わしい言葉にも、それなりの信憑性が出てくる。
事実、目の前の少女も『魔女である』という発言自体は信じている様子だ。
…にもかかわらず、何故かこの歯に衣着せぬ、いかにも失礼な物言い――
『度胸がある』と言うより、もうここまでくると『命知らず』と言った方が正しい
レベルの“暴言”であった。
「ククッ……まぁ良い。
とりあえず、今のクソ失礼な発言も聞かなかった事にして、許しておいてやる。
それより、一緒にロジャーを探すにしても、ずっと『オマエ』じゃ呼び辛いし……
私だけが名乗らせられるというのは、どうも不公平だからな。
オマエ、名前は何ていうんだ?
こういう場合、自分の名前の方も一緒に名乗るのが普通だろ?」
つい、口から漏れてしまった発言に、内心では『しまった!』と思っていた少女
だったが――。
(………はぁ~……良かった。
どうやら怒ってはいないみたい。
…口調の印象よりは、短気ってわけじゃないのね)
イザベラは思いの外、寛容な人物だったようで、そっと胸を撫で下ろす。
そして、その言葉から一拍置いて、少女はイザベラへと自身の名前を伝える。
「私はアイリスよ。
『アイリス・ヘイマン』が、私の名前」
「へぇ……アイリス・ヘイマン、ねぇ……」
アイリスの名前を聞いたイザベラは、しっかり意識に刻むように呟きながら深く
頷くと、続けてアイリスへと言葉を放った。
「よし、それならアイリス。
ロジャーが見つかるまで少しの間だが、ちょっとばかりこの“魔女が似合わない女”
の為に働いてもらおうか?」
その顔は少し悪戯っぽい雰囲気は含まれているように思えるものの……それでも
やはり、聞き及んでいたような悪意や邪気の類は感じられなかった。
(…なんだ。
“魔女”と言っても、こうしてお話をする分には普通の女の子と変わらないのね。
これなら、あまり気にしなくても良いのかもしれないわ)
幼い頃から、ただ漠然と『恐ろしい』とだけ聞かされていた『森の魔女』。
…だが、アイリスには目の前のイザベラが“森の悪い魔女”には見えなかった。
僅かな会話からのみだが、自然とそう思えたから、だろうか……。
気付けば、次に続く言葉はそう間を置かず、すぐに返すことが出来たのだった。
「ええ、私に任せておいて!
これでも探し物を見つけるのは得意な方なの!
きっと、そのロジャーちゃんだってアッと言う間に見つけてみせるわ!!」