第17話 頼み事と、複雑な心
「それよりも、だ。
アイ、お前にちょっと2つばかり、頼みたい事があるんだが……」
雑談しながら歩いてきていた為か、気が付いた時には既にアイリスはイザベラの
結界の中までやって来ていた。
ライラが目を覚ますまでイザベラと屋敷でのんびりしていたとはいえ、そもそも
今日は時間的な余裕があった事もあって、アイリスがイザベラを訪ねたのは午前中
だった。
ライラを送り届けた後に、一旦は自分の家に帰って昼食をとるついでにメアリー
でも一緒に連れて来ようかとも考えたが、思いの外、ライラの家が森から離れては
いなかったのもあり、とりあえずイザベラの屋敷に戻る事にしたのだ。
「フィーが、私に頼み事?
珍しい……というより、これが初めてじゃないかしら?」
わざわざ結界内に入ってから話し始めたのだから、町の者に聞かれるのを避ける
必要がある内密な案件なのだろう。
慎重なイザベラらしい行動だなと思う反面、彼女からそんな配慮が必要な頼み事
をしてもらえる程度には信頼されているのだと思うと、アイリスは何とも言えない
高揚感を覚えた。
「ふふっ、良いわ。何でも言ってちょうだい。
出会ってからずっと、フィーには色々としてもらってばかりだったもの。
私に出来ることなら、何だってしてあげるわ!」
「あ、ああ……」
そんな高揚感がつい表に出てしまったが為に、過剰に張り切って見えたのか……
イザベラは少しばかりその勢いに圧されているようだった。
「1つ目は、もう一度、ライラの母親の様子を見に行ってやってくれ。
体内の不純物は全て取り除いたから、問題は無いと思うが……まぁ、念の為にな」
「ええ、わかったわ。
ライラとも随分仲良くなったし、『お見舞いに来た』と言えば大丈夫だと思う。
ちょうど予定も空いているから、明日のお昼にでも訪ねることにするわね?」
「ああ、頼む」
改まった様子で『頼み事』と言うから、どんな内容かと思えば、最初の1つ目は
予想外に簡単な内容だった。
恐らくは『不純物を取り除いた』という部分を聞かれない為だったのだろうが、
これくらいなら町中でも十分に話せただろう。
森から必要以上に出ない主義ではあるものの、ステラへの心遣いも感じられる、
ある意味でイザベラらしい頼みだった。
「それと、2つ目。実はこれが問題なんだが――」
…そんな 『彼女らしさ』という感覚がアイリスにあったからだろう。
次に続く2つ目の頼み事の内容は、彼女からすれば少し意外なものだった。
「ステラの体内に溜まっていた不純物……その出所を調べて欲しい。
本人の話じゃ、今回は仕事中に意識を無くして倒れたって話だったが……。
原因がはっきりしていないと再び同じ状況に陥る可能性が極めて高いからな。
詳しい方法は屋敷に戻ってから教えるから、アイはその通りに頼む」
「ええ、それも私は構わないけれど……」
話を聞いた瞬間……自然と歩みを止めて、アイリスはイザベラを見つめ返しては
首を傾げて、こう問い返す。
「でも、そちらはフィーが自分で調べた方が良いのではないかしら?
…慣れない私がやるのでは、きっと効率も精度も悪くなると思うわよ?」
彼女が森から出たがらないのは承知しているが……それにしてもこちらは他人に
頼むのには少々問題がありそうな内容だった。
アイリスは貴族の家柄らしく、教養を身につける為にと様々な学問に触れさせて
もらっていたし、勉学の知識という意味では一般的な大人よりも優れたものを身に
つけているつもりだ。
…とはいえ、医学や薬学の知識ともなってくると、流石に専門外。
恐らくこの後に初めて聞く事になるであろうその調査法についても、そういった
知識を予め持つ者が行うよりかは、確実性が低くなってしまう可能性もある。
しかし、そんな心配をしているアイリスに、数歩先で同じように立ち止まった
イザベラは、振り返りながら小さく首を横に振った。
「いいや、むしろアタシでは無理なのさ……」
「…無理?」
自身では調査は出来ない、と答えるイザベラに、鸚鵡返しに聞き返すアイリス。
一方のイザベラは、今度は軽く頷いてから、その理由を伝えてくる。
「アレは普通に生活していれば、あそこまで体に蓄積する可能性はほぼ無い成分。
…つまり、何処か日常から離れた環境下で、当人も全く気付かずに何度も摂取して
いた可能性が極めて高い……と、アタシは考えている」
有害なものだと理解していたのなら、警戒して初めから何かの対策を取っていた
だろうし、身近な日常の中で触れる機会があるのなら、逆にもっと同じような症状
になって倒れる者がいないとおかしくなる。
改めて言われてみれば、それは当然の推測だろう。
「日常生活で摂取する機会が少ないというだけでなく、娘のライラには全く影響が
出ていなかったという状況から見て、ステラが普段から単独で訪れる職場等の場所
が今のところは最も怪しいと言えるだろうな」
そこまで話したところで、イザベラはアイリスに合わせていた目に、更に一段階
力を込めて、真剣みを帯びた視線を意識する。
「…アタシは、ステラが何の仕事をしているのかまでは知らない。
だが、それがどんな仕事であれ、いざ調査に取り掛かろうにも、職場に立ち入って
強制的に調査可能な具体的な権限が無ければ、そもそも何も出来ないだろう?」
「…ああ、そういうことなのね」
イザベラの言わんとする事が正しく理解できたと同時に、アイリスはまだ何処か
高揚していた自らの感情が、瞬時に冷たくなっていくのを感じた。
「…つまり、今回の件は私というより、例えば『領主の娘』といったような“立場”
の方が必要だから……という事なのでしょう?」
「…不満か?」
短くそう問い返す声には、いつもの尊大な態度は含まれておらず、むしろこちら
を気遣っている様子すら見え隠れしていた。
(『不満か?』かぁ……。確かに不満……ではあるのだけれど――)
これはアイリスの想像ではあったが、イザベラは恐らく別の意味で自分が不満を
感じる事を心配してくれているのだろう。
…しかし、ここで正直に『私が親友だから頼んでくれたのでは無いのが悲しい』と
言ってしまうと、優しい彼女を必要外に悲しませてしまうかもしれない……。
そう考えたアイリスは、結局はイザベラが考えているであろう意味合いの方での
素直な気持ちを伝えて返すことにするのだった。
「…そうね。
普段の私の考え方ならば、権力を理由に何かを強引に進めたりするのは大嫌いよ。
けれど、フィーの予想通りだった場合、今回のステラさんだけでなく、他の多くの
人の身の安全がかかっているかもしれないもの。
『喜んで!』とまではやはり言えないけれど……特にその点は心配ないわ」
「そうか……まぁ、それならアタシは全面的にアイに任せる」
「ええ、わかったわ。
…でも、先ずは明日のお見舞いの時にステラさんに色々と倒れるまでの詳しい経緯
と普段の仕事内容も含めた事情を、改めて聞いてみるわ。
そして、一旦はそれをフィーに伝えて、それでもやはり仕事場が怪しいようなら、
メアリーやお父様にも相談した上で、適切な対応を考えるかたちでも良い?」
まだ確定したわけではないが、実際に調査をするとなると、具体的に何かの行動
をする前に領主である父には正式な許可を取る必要が出てくるだろう。
『いつものお転婆』で片付くような話でもないし、かといって正式な調査団に依頼
するような方向にいってしまっては、話が大きくなり過ぎて、アイリスの立場から
は口出し出来なくなってしまいかねない。
望まぬ結末にならない為には、極力、自由に出来る範囲で事態を収拾させられる
のが理想なのもあって、その順序や対策には慎重さが必要だった。
「ああ、そうだな……。
それじゃあ早速、屋敷に戻り次第、とりあえずは明日ステラに訊いて来て貰いたい
質問を纏めるところから始めるか……」
「ええ、そうね。
…それにしても――……ふふっ」
「…? 何だよ、突然……気持ち悪い奴だな……」
こちらの提案を受けて、真剣な表情のまま今後の対策に思考を巡らせている様子
のイザベラを見て、アイリスは思わず笑ってしまった。
対して、その突然の笑い声に怪訝そうな目を向けてくる、イザベラ。
そんな彼女に、アイリスはニッコリと笑って、上機嫌な様子で言葉を返す。
「いいえ、何でもないわ♪」
ライラが屋敷を訪れた際に、自身の誤解から酷い態度で接した自分を遠ざける事
をしないばかりか、最終的には彼女の母であるステラのその後の健康状態まで憂慮
して対策しようと提案してくるのだ。
そんな彼女の友人としては、皆に自慢して回りたいくらいに鼻が高く、しかし、
そのイザベラが世間的には魔女だと言うのだから面白い。
これの何処が『魔』なのだろう……と。
・
・
・
「…まさか、あの染料の中にそんな成分が含まれていただなんて……。
アイリス様には、感謝してもしきれません」
自宅までわざわさ訪ねて来てくれたアイリスに、ステラはこれまでの事に対する
感謝を伝える。
ライラと共に木の実探しをした日から既に一月近くの時間が経ち、もうすっかり
彼女も本調子を取り戻している。
この日は、その辺りの件が一通り片付いたという事で、それまでの詳細をステラ
へと伝えに、アイリスは訪れて来ていたのだった。
「いいえ、それは気にしないで……それに――」
軽く首を振って、感謝には及ばないという意思を示した後……アイリスは何処か
ばつが悪そうな顔をして、言葉を続ける。
「…貴女の体を治したのも、含まれる毒素の事を私に教えてくれたのも、全てあの
日に私と一緒に来ていた薬師の子なのだもの。
結果として、世間では“私の手柄”という事になってしまっているけれど……。
…本来、感謝されるべきは、間違いなくあの子なのだから」
「ああ……やはり、そうだったのですか」
あの後……アイリスの手によって、ステラの職場である町外れの小さな工房で
扱っていた染料が、今回の体調不良の主な原因であるという事がわかった。
それまでも伝統的に使われていた物ではあったのだが、体調を崩すまで影響が
出るのは、当人の体質やその成分との相性も深く関係していたが為に、今までは
それが原因だとまでは判らなかったらしい。
一応はアイリスが立ち入り調査して、その原因を見事に突き止めた……という
筋書きになって世間には伝わっていたのだが……。
実際にすぐに自身の症状を治めてくれたのがイザベラであると知っているステラ
だけは、アイリスの向こう側には真の功労者が隠れているという事実に気が付いて
いたようだった。
「あの……それで、あの方はもうこちらへはいらっしゃらないのでしょうか?
出来ることなら、もう一度、改めて直接お礼をお伝えたいのですが……」
「あー……それは、ちょっと難しいかもしれないわ。
彼女、本来は滅多に町まで出てこない、極端な出不精というか……。
実は普段から自分の屋敷に篭もりきりで、人前には殆ど出ようとしない子なの。
だから、あの日は本当に特別で例外だった、というだけなのよ……」
本人も言ってた通り、既に世間的にはアイリスの功績だという事になっている
状態なので、それをステラ1人の証言で覆すのは難しい。
しかも、本人がそれを望んでいないのならば尚更だ。
…ただ、ステラだけは、純粋に救って貰った恩を本人に直接伝えたかったという
だけなのだが……どうやら、再び会う事すら難しい相手だったらしい。
「…わかりました。
それでは、子爵様のご令嬢にこのようなことをお願いするのは、失礼極まりない
ことなのでしょうけれど――」
直接伝えるのが難しいのは理解したステラだったが、それではあまりに不義理
に思えてしまう。
そう考えたステラは、唯一、自分の言葉を伝える事が可能であろうアイリスに
頭を下げて、こう続けた。
「あの森の妖精様に、私に代わって感謝の意をお伝え頂けますでしょうか?」
「え……ええ、それは一向に構わない……のだけれど――」
彼女の態度から、台詞の途中で既に『代わりに伝えて欲しい』といった旨の
言葉が続く事は予想できていたが……。
…その中に含まれていた1つの言葉が、アイリスの返答を鈍らせてしまう。
「…私、あの子のことを『森の妖精』だなんて、言っていたかしら?」
「ふふっ、いいえ。
アイリス様は今までも、ただ『薬師の子』としかおっしゃっておりませんよ」
一方のステラは、そんなアイリスの反応を予想していたらしく、クスリと笑って
楽しげな様子でそう返した。
そして、敢えてそんな言葉を用いた理由を話し始めるのだった……。