表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/29

第16話 隠者

「…なるほど。

この程度なら、手持ちの薬でもなんとかなりそうだな」


「………っ!?」


 イザベラが診察を始めて、僅か数分後……。

そんな小さな薬師の衝撃的な発言に、驚きと共にステラは息を飲んだ。


 簡単な触診をしたかと思うと、イザベラは簡単にそう言って小さな皮袋から1つ

の錠剤を取り出して、それをステラに差し出してくる。


「これを服用して、今日一日は安静にしていろ。

明日の朝、目が覚める頃には恐らくほとんど完治しているはずだ」


「ほ、本当ですか!? そんなに簡単に?

お医者様は『回復は難しいだろう』と、おっしゃられていたのですが……」


 今朝に診てもらった医者によると、実は以前にも同じ症状の者を幾人か診た経験

があったらしいのだが、その何れも原因が判明しないまま寝たきりになるか、最悪

の場合はそのまま命を落としていた、とのことだ。


 それなのにもかかわらず、目の前の薬師を名乗る少女は薬1つで即日完治すると

言い放ったのだから、彼女が驚くのも当然の事だった。


 しかし、そんなステラに対してもイザベラは「ふぅ……」と小さく溜め息を吐き

出して、いつも通りの面倒そうな表情を作る。


「…医者は医者、薬屋には薬屋の解釈ってものがあるんだよ。

アンタはとりあえずアタシの言う通りにそれを飲んで、休んでいれば良い。

どの道、安静にしているって意味ではさっきまでとやることは変わらないだろ。

その結果だって、明日になれば自ずと分かる話だ……違うか?」


「そ、それは……」


 確かにイザベラの言う通り、既に医者には『出来ることは何も無い』と言われて

しまっているのだから、初めから安静にする事くらいしかステラには出来ない。


 今はただ単に『安静にする』という事の前に『手渡された怪しい錠剤を飲む』と

いう作業が1つ増えただけだ。


「………はい、わかりました」


 何か言おうと開きかけた口を何故か途中で閉じたステラは、一度、目を瞑る。


「そうですね……それでは、その通りにさせて頂くことに致します」


…そして、その閉じた瞳を再びゆっくりと開く頃には、不思議と穏やかな表情に

なって、素直にイザベラの提案を受け入れる。


「……………」


 イザベラは、そんなステラの一連の行動に違和感を覚え、眉間に皺を寄せて無言

で彼女を見つめ返した。


(何だ……?

さっきも急にアタシに対する警戒を解いたようだったが……。

今、コイツはどういう心理でいる?

下手に疑われるより面倒が無くて良いが……ここまで素直だと逆に気味が悪いな)


 少なくとも、イザベラはこれまでにステラとは会った事も話した事も無かった

はずだし、彼女の信用を得られるような理由にも特に心当たりは無い。


(まぁ、アイへの信頼という可能性もあり得なくはない……のか?)


 一応は貴族の娘であり、それなりに領民には好かれているようなので、その知り

合いの薬師だという事で信用されたという可能性もあるにはあるが……。


…ただ、“アイリスの連れだ”というだけで、ここまで素直に受け入れるだろうか?


「…なぁ……オマエは――」


 疑問に思っているのなら、遠慮なくそのまま尋ねてしまえば良い。


 そう考えたイザベラが、『オマエは、なんでアタシにそんな目を向けるんだ?』

と、深刻そうな顔でステラに尋ねようとした――まさに、その瞬間だった。


「お母さーん! ほらほら、出来たよー!!」


…という明るい声が、見事にイザベラの小さな声を掻き消してしまう。


 そして同時に、その声は今の会話を続ける事が出来なくなった合図でもあった。

…ほんの数秒後には、ライラがこの部屋に飛び込んで来ることだろう。


「………ふふっ」


 今度はイザベラの方が出かかった言葉を飲み込む羽目になり、さきほどのステラ

の所作を真似るように口と瞳を閉じた、のだが……。


 どうもその様子が面白かったらしく、ステラが小さく漏らした笑い声が、閉じた

瞳の向こう側からイザベラの耳へと届いた。


 何とも言えない間抜けな幕切れとなってしまった会話に、『ハァ……』と、また

溜め息を吐いたイザベラは、ぼんやりと目を開けて……思い出したように呟く。


「………ああ、そういえばそうだった」


「………?」


 その呟きに反応して視線を向けてきたステラに、イザベラは閉じた目をゆっくり

と開くと同時に、口元だけで軽く笑って、こう言葉を続けた。


「さっき、『後は薬を飲んで休め』と言ったが……違ったな。

薬を飲んで、()()()()()()()()()()()()()()()()――ゆっくりと休むと良い」


「あら……」


 更に増えた薬師からの指示に、ステラは更に小さく笑いを零しては、深く頷く。


「ふふふっ……ええ、そうですね。

それではお言葉に甘えて、本日はそのようにさせて頂くことに致しますね?」


 そんな言葉と共に返って来た笑顔の中にも含まれていた深い信頼の情に、やはり

疑問を覚えはしたものの……。


 ドタドタと騒がしく音を立てて近付いてくる軽い足音を前にして、その追求を

諦めざるをえないと思い知ったイザベラは、「ああ、そうしてくれ」とだけ、短く

答え返すのみだった。


                  ・

                  ・

                  ・


「やっぱり凄いのね……フィーは」


 ライラの家を後にしたアイリスは、歩くリズムに合わせて胸に抱いたロジャーを

ゆっくりと左右にぶらぶら揺らしながら、上機嫌にそう口にした。


「? いったい何の話だ?」


 一方、隣を歩くイザベラは『また何を言い出すつもりだ? こいつは』といった

反応を返す。


「帰り際にね? ステラさんに感謝されたのよ。

どうやら、私が気を利かせて、お抱えの薬師を連れて来たと思ったみたい」


「ああ……。

まぁ、貴族のお嬢様と一緒に訪ねて来たら、普通はそう考えるか」


 先の言葉とは会話が繋がっていないような気もするが、そのアイリスの言葉には

とりあえず同意を示すイザベラ。


 ステラからすれば、アイリスが偶然に知り合ったライラから事情を聞いて、知り

合いだった自分を連れて家を訪ねようと提案したと思うだろう。


「ええ、そうみたい。

まさか『魔女が森からやって来た』だなんて、夢にも思わないでしょうし?」


「…フン。

別に恩を売りに行った訳でもないから、アタシは勘違いしたままで構わないがな」


 いつも通りの愛嬌の欠片も無い返答をしながらも、イザベラは心の中でアイリス

のその言葉に疑問を感じてもいた。


 ステラの不自然な反応から考えて、彼女は()()に感づいている様子だった。


 それが『魔女の存在を知っている』という事だとまでは確信出来ないものの、

こちらをただの薬師だと思っていたとも思えない。


 結局は本人から聞かないと真相はわからないが、何とも後味が悪い感覚だった。


「それで? アタシに何か凄いと思う事なんてあったか?」


 1人で考えていても答えが出るわけでもないと、頭を切り替えたイザベラは、

会話の初めの発言の意図を尋ねる。


 すると、何故か自身が褒められたかのように得意気な様子で、アイリスはその

理由を話し始めた。


「そんなの決まっているじゃない。今日、その場で直ぐに薬を処方した事よ。

これってつまり、予め症状に合う薬を用意していたって事でしょう?

どんなに腕の良いお医者様だって、『倒れた』と聞いただけでは何の病気かなんて

わからないはずなのに……。

フィーにはそれがお見通しだっただなんて、凄いじゃない?」


 様々な薬品が入った大層な荷物を持って訪れたわけでもなく、そのままの状態で

屋敷を出たはずなのにもかかわらず直ぐに渡せたというのならば、イザベラは出発

する前には自身のポケットにでも忍ばせていた可能性が高い。


 ロジャーの首もとに鈴を付けた時のように、魔法で屋敷から取り寄せた可能性も

なくはないが……。


 慎重な彼女がステラの前でそんな目立つ魔法を使うはずも無く、やはりイザベラ

は薬を事前に準備していたのだろうという考えに至り、それをアイリスは褒め称え

ていたのだ。


…ただ、イザベラはその発言に、これもまた見慣れた“呆れ”の表情で返す。


「…いや、そんなワケ無いだろ。

いくらなんでも、そんな簡単な情報だけで何の病気かなんてわかるわけねぇよ」


 判り易いくらいに『オマエ、馬鹿だろ?』といった顔をするイザベラだったが、

その意外すぎる返答に、アイリスはその態度に腹を立てるのも忘れて、疑問を口に

するのみだった。


「えっ? で、でも……特製のお薬をステラさんに渡してきたのでしょう?

彼女、確かにそう言って、私にも感謝してくれていたわよ?」


「あー……アレは単に疲労回復効果のある薬草を煎じて固めただけのモンだよ。

他にも安眠効果ぐらいなら多少はあるが……効能としては所詮はその程度だ。

アレじゃあ治療の難しい病気なんてもの、到底、治りやしないさ」


 イザベラの答えに更に混乱するアイリス。


「えっ? それじゃあ、あれ自体は病気の薬ではなかったの?」


 単なる疲労回復しか見込めない薬を渡して、ステラに気休めを言ったのかとも

一瞬だけ思ったが……そこで帰り際の彼女の様子が頭を過ぎる。


「…でも、それはそれで不思議な話ね。

彼女、帰り際には随分と顔色が良くなっていたように見えたけれど?」


 そうなのだ。


 変な咳をしていたり、いかにも死にそうな状態ではなかったのだが、ステラには

生きる為に必要な覇気のようなものがほとんど感じられず、そのままフッと消えて

しまいそうな儚い雰囲気を纏っていた。


 それが、家を後にする頃には幾分か薄れているように感じられたので、てっきり

アイリスは『きっと薬が効いたのだろう』と思っていたのだが……。


「まぁ……そもそも、あれは病気なんかじゃなかったからな」


「…え? 病気じゃ……ない?」


 この日、何度目かという『え?』という反応をするアイリス。


…しかし、『そもそも病気ではない』と、ますます理解が追いつかなくなってきた

アイリスには、もうそのまま言葉を返すので精一杯になってしまっていた。


 そんな、軽い混乱からか返答すら途切れ気味になってしまったアイリスを前に、

イザベラは彼女にも解り易いよう、続く言葉で更に詳しく補足していった。


「お前がライラと木の実を処理していた間に、簡単に体を調べてみたんだが……。

肺の内部に不純物……人体に有害な成分が随分と溜まっているようだったのさ。

それで、調べついでに魔法でその辺りを取り除いておいた……ってだけだよ」


「あ、ああ……なるほどね。

それじゃあ、まさか本当に『魔法で治しましたので』とは言えないから、誤魔化す

為にあの薬を渡す事にした……ということ?」


 そこまで聞いて、やっとある程度の流れを把握できる状態になったアイリス。


 つまり、効いたのは薬ではなく施した魔法の方だったのだ。

それなら、帰る頃には既に顔色が良くなってきていたというのも頷ける。


「まぁ、概ねそういうことだ。

ただ、体力も消耗していたから、あの薬も全くの無意味ってワケでもないがな。

何にせよ、後は今晩ゆっくり休んで体力さえ戻れば大丈夫だろうよ」


 なんでもない事のように話すイザベラだが、冷静に考えるとそれも凄い事だ。


 少なくとも普通の人間には決して真似の出来ない解決法であり……同時にそれは

一種の危うさを孕んだ方法でもある。


「…良かったの? 彼女の前で魔法を使ったりなんかして。

フィーが森に隠れ住んでいるのは、町の人との関わりを極力、避けるためだったの

でしょう?」


 黙っていても仕方が無いと思い、素直にそう尋ねるアイリス。


 出会った当時の彼女ならば『素敵ね!』と無邪気に我が事のように喜んでいたの

だろうが……。


 イザベラが森に隠れ住んでいる理由を既に知っている手前、流石にそういう心境

にはなれなかった。


『人を不老に出来る魔女』程ではなくとも、『難病を一晩で回復させる薬師』は、

十分に権力者から目を付けられる価値がありそうなものだ。


「アタシは別に構わん。

目立たないように細心の注意を払って使ったから、ステラからすればただ触診して

いたようにしか感じていないだろうし……。

変な噂が必要以上に広まらなければ、それで特に問題は無いだろうよ。

アタシも、今回はたまたま気が向いたから治してやったってだけで、今後も無差別

に同じ事をして回るつもりも無いからな」


 確かに、ちょっと話題になった程度なら時間が解決してくれるだろう。


 都合が良すぎる噂話とは、広まるのも早いが、その真偽への疑いから消えていく

のにも時間を要さない印象がある。


「…でも、もしもステラさんが本当に難病だったら、貴女はどうしていたの?」


 イザベラが納得しているのなら、これ以上は魔法の行使に関して口出しする意味

は無いと考え、アイリスは別の疑問をぶつける。


…すると、イザベラはそんなアイリスに、それまでずっと前方に向けていた視線を

合わせてから、こう質問で返してきた。


「アイ……オマエ、アタシが何の研究をしているかは覚えているか?」


「え? ええ、もちろん覚えているわ。

確か『命の研究』をしているのでしょう?

…まぁ、正直に言って正確な所まで詳しく知っているわけでは無いけれど……」


『命』と言われても、意味合いが広すぎて良く分からないが、薬の研究をしている

のもその一環で、知り合いの何がしかの症状を治す為だと聞いた覚えがある。


…だが、それが何だというのだろう?

アイリスには、ここでイザベラがその質問を返してきた理由が分からなかった。


「命の研究ってことは、人体の構造を含めたあらゆる物事を深く知るって事だ。

そして、病気っていうのは、大概は通常とは異なる細胞やら菌やらが体の中で悪さ

をすると、それが症状になって表に現れてくるから“病気”なんだ。

だから、生きるのに不必要な不純物が的確に判別できて、それを自由に取り除ける

のなら、大体の病気は治せるモンなんだよ」


「そう……なの?」


「ああ。そういうモンだ。

オマエ等みたいな普通の人間から見れば、結構な話なんだろうが……。

アタシ等みたいな魔女からすれば、そこまで難しい事でもないのさ。

そうでなけりゃ、魔女だってだけで長生きなんて出来なくなるだろう?」


 そう言って、イザベラは再び視線を前方へと戻した。


 そんなイザベラの横顔を見つめて、アイリスは『魔女』という存在の異質さに

改めて驚かされていた。


(あらゆる病気が、『なんでもないこと』になるなんて……)


 猫と会話できるようになったり、空中に浮かんだりと、それ以外にも多くの体験

をさせてもらったアイリスだったが、こうして直接、命にかかわる事態をサラッと

解決してしまった事に、静かな衝撃を受ける。


(森の魔女……か。

私にとっては、あくまでも可愛らしい見た目のお友達というだけだけれど……。

確かに、これは隠れ住んでいるのが正解、なのかもしれない。

人間社会にとって……いいえ、何より――彼女自身にとっても……)


 争いの火種にならぬようにと、森の中に身を隠して暮らす彼女……。


 それを不憫に思い、出来る事なら森から出て暮らせるようになればと考えた事も

あったし、自身の立場から出来る事は無いかと考える時もあった。


…ただ、安易な考えでそれを実行する事の危うさに改めて気付かされたような……

そんな風にアイリスの感情は、静かに……しかし、複雑に掻き乱されるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ