第15話 黒猫の安息は遠い
「ただいまー! ねぇねぇ、お母さん! 見て見てっ! コレ!
前にお母さんが言ってた木の実って、これで合ってるよね!?」
自宅の前までイザベラ達を道案内して来たライラだったが……。
逸る気持ちに負けてしまったのか、同行していた2人と1匹をその場に置き去り
にして、一人だけで家の中へと駆け出して行ってしまう。
そんな彼女に続いて質素な作りの木製のドアを潜ると、穏やかで優しげな声で
話すもう1つの声が、小さく耳に届いてくる。
「まぁ……よく見つけられたわね?
ええ、確かに、この木の実で間違い無いわ。
私が何度探しても全然見つからなかったのに……ライラは凄いのね?」
ライラの事を褒め称えるその声には確かな親の愛情が篭もっており、少し聞いた
だけで娘への想いが伝わってくるようだった。
「ふふ~ん! 凄いでしょう!」
「ええ、本当に凄いわ。偉い、偉い……」
玄関を抜けて、そんな2人分の声が漏れ聞こえて来る部屋へ向かうと、ちょうど
ベッドの上で半身を起こし、ライラの頭を愛しそうに撫でる人物と目が合った。
「…? あら? どちらさ――あらまぁ、これはこれは……」
穏やかな声色のまま、突然の来客へ正体を尋ねようとしたところで……。
彼女は驚きの表情と共に目を見開き、ベッドの上で僅かに姿勢を正した。
…その視線は魔女イザベラ――ではなく、その隣のアイリスへと向かっている。
「失礼ながら、尋ねさせて頂きますが……。
貴女様はヘイマン子爵様のご息女でいらっしゃる、アイリス様で間違いありません
でしょうか?」
畏まった母親の言葉にアイリスが「ええ、そうです」と、簡単に答える。
「? ししゃく……? ごそくじょ……?」
位置的に間に挟まれていたライラは、まだその辺りの事を良く分かってはいない
為か、首を傾げながら不思議そうにしている。
そして、そんな娘の様子に母親はもう一度、『あなたは気にしないで良いわ』と
言わんばかりに優しく頭を撫でながらも、アイリスへと視線を向けたまま、質問を
続けてくる。
「あの……それで、本日はどのようなご用件でいらっしゃたのでしょう?」
…ライラの母も頭の悪い人間というわけではない。
今の状況から考えて、ある程度の予想くらいはついていたのだが……。
何といっても、相手はこの地を治める貴族の家柄のご令嬢だ。
こちらの予想通りだと決め付けて話を進めて、万が一、気分を損ねるような展開
になってしまっては、後で大変な問題になるかもしれない。
そう考えて、敢えて来訪の理由を真っ先に尋ねる事にしたのだ。
…まぁ、目の前のアイリス本人も父であるヘイマン子爵も、どちらもこの程度で腹
を立てるような『やっかいな種類の貴族様』ではないのは、この町で長年暮らして
いる身としては、既に知ってはいたが。
そうでなければ、たとえ自分の身が病気だとはいえ、こうして体を起こした状態
のまま、ベッドの上からの挨拶などしてはいないだろう。
「あのね? このお姉ちゃん達がね?
お母さんの言ってた木の実を探すのを、一緒に手伝ってくれたの!」
しかし……そんな念の為に尋ねた質問の答えは、当のアイリスの口からではなく
すぐ近くの娘からもたらされる事となった。
その言葉に反応して、母親は目線をアイリスに向けたままで、表情を困った様子
のものへと変える。
「あ、あらあら、そうでしたか……。
…この度は、私の娘がお嬢様のお手を煩わせたようで……申し訳ありません」
投げ掛けられた問いに答えようとしたアイリスより一歩早く答えた彼女の娘は、
何故か誇らしげな顔をしている。
「えへへ……」と、嬉しそうに笑っては無邪気に報告してきたライラの方へと一瞬
だけ視線を移した後、母親はアイリスに視線を戻しつつ、再び頭を下げた。
「お相手頂いた際に娘が何か失礼な事を口にしたかもしれませんが……。
なにぶん、幼い子供のことですし……ご容赦いただけると……」
「ふふっ、それならご心配なさらなくとも大丈夫でしたよ。
ライラは、とっても良い子にしてくれていましたから」
目の前の親子の温かなやり取りに、自身もほっこりした気持ちになったアイリス
は、良家のお嬢様らしく上品な微笑みを湛えて、穏やかにそう返す。
そこにはイザベラに見せるような奔放な性格など微塵も含まれておらず、ただ
聞いた者を安心させる為の優しさのみが滲んでいた。
すると、ライラの母はアイリスの明るい声色の返答に安心したのか……。
下げていた頭を上げると共に、ホッとしたような顔になって更に言葉を続ける。
「…お心遣い、誠に感謝致します。アイリス様。
申し遅れましたが、私はこのライラの母のステラ・ルースです。
本日は娘の個人的な事情に付き合って頂いて、ありがとうございます」
上げた頭を更にもう一度下げて、ライラの母……ステラはアイリスへと改めて
感謝を伝えた。
…そして、ここに来て初めて、彼女の視線がそんなアイリスの隣に立つ人物……
イザベラへと移っていく。
「そちらのお嬢様にも、娘の面倒を見て頂いていたようですね……。
この度は、どうもありがとうございます」
先程の娘の言葉の中で『お姉ちゃん達』という単語があった事から考えても、
その人物も一緒に相手をしてくれていたのは、ほぼ間違い無い。
ステラは初対面だったその人物に対しても、併せて感謝を口にした。
当然、彼女はイザベラには見覚えは無いはず……なのだが、その一目で普通の家
の者ではないであろう上等な服装から、何かを見て取ったのだろう。
明らかにアイリスよりも年下の、ただの少女にしか見えないイザベラに対しても
ステラは必要以上に丁寧な言葉でもって、感謝を伝えてきたのだった。
…大方、イザベラに対しても、アイリスの知り合いのどこかの貴族の血筋の者だと
考えたに違いない。
…ただ、そんなイザベラのステラへの返答は、というと――
「…ん? ああ、アタシもその辺りは別に問題ない。
例の『木の実探し』も、単なる暇つぶしの一環だったからな」
…と、お嬢様らしい気取った口調に変えるでもなく、いつも通りのぶっきらぼう
で荒い言葉遣いであった。
「あ……え、ええっと……そう、ですか……?」
少しばかり気迫のようなものが足りず、無気力な印象は受けるものの、過度な
派手さの無いその上品な出で立ちから、淑やかな反応が返ってくるだろうと予想
していたステラは、その口調に面食らい、思わず言葉を失ってしまった。
そんなステラに、アイリスは「ああ、気にしないで。彼女はいつもこうなの」
と言い、更に「それに――」と言葉を続けて、フォローしようと試みる。
…が、そんなアイリスに対し、イザベラはその言葉を遮るように声を被せながら、
ちょっとした頼み事をするのだった。
「ああ、そうだ……アイ?
悪いが、今からライラと2人で例の木の実の調理をしてきてくれるか?」
「えっ? ええ、別に構わないけれど……」
…明らかに不自然なタイミングであり、普段のイザベラからは考えられないような
内容でもあるその“お願い”に、アイリスは意外そうな顔で隣に振り向いた。
その先には、にこやかな表情のアイリスとは真逆の――真剣な表情の中に有無を
言わせぬ強い意志の篭もった視線でこちらを見つめるイザベラが居た。
「アレは特別な調理も要らないし、皮を剥いた後は適当に切るだけで良いはずだ。
それにオマエが一緒なら、ライラの怪我の心配も無い……簡単だろう?」
「それは……まぁ、そうね……」
…これはつまり、『少しの間、この場からライラを遠ざけておけ』という意味なの
だろう。
アイリスは瞬時に頭を回転させて、イザベラの言葉の真意を読み取っては、そう
結論付けた。
…そして、その言葉に従い、ライラへ声をかけることにする。
「ライラ、それじゃあ私達はとりあえずキッチンへ行きましょうか?」
「うん! わかった!!」
ライラの方も、一刻も早く母に木の実を味わって欲しかったらしい。
アイリスの声に元気良く頷いて返すと、彼女の元へと走り寄ってくる。
…そんな時だ。
ライラの視界の端に、いつの間にか部屋の隅に移動していた小さな影が映った。
「あっ! ねぇ! ロジャーちゃんも一緒に行こう?」
アイリスに抱きかかえられて此処まで連れて来られていたロジャーだったが、
屋敷を出る際にも言っていたように、今になって眠気が襲って来たようで……。
一眠りすべく、密かに部屋の端の床で丸まろうとしていた所だったのだ。
「ニ、ニャ~……」
何処か哀愁漂う細い鳴き声は、アイリスとイザベラにだけは『寝させて』と
はっきり聞こえてきていた、のだが――
「ニ、ニャッ!?」
「それじゃあ、ロジャーちゃんも連れて行くわね?」
「…ああ、好きにしろよ。
そいつは頭が良いから、調理の邪魔はしないだろうからな」
…ライラの希望を優先させた結果、再びアイリスの腕の中へと収まる結果となった
ロジャーは、驚きと悲しみの混ざった鳴き声をその場に残して、静かに連行されて
行く羽目に……。
「…ニャ、ニニャ~……」
その時、2人の耳に届いた言葉には――
『いざべら……あいりす……ひどい……』
…と、彼が屋敷を出る際に放った呟きに、更にもう1人分の名前が新たに加わって
しまっていたのだった……。
・
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「…さて、と。
ライラは『悪い病気』と言っていたが……具体的にどういった症状なんだ?」
アイリス達が揃って居なくなった部屋には、今日初めて見る少女とステラの2人
だけが残される事となった。
そうして急激に静かになった空間には、彼女による相変わらずの荒い言葉遣いの
声が、その言葉選びとは裏腹にやけに静かに響いていた。
「…え? それは、私の病気の症状……でしょうか?」
突然、込み入った内容の質問をされて、ステラは戸惑い気味にそう聞き返す。
その少女は、口調こそ荒いようだが、その態度自体は酷く落ち着き払っており、
それが理由で不思議と全体的には年齢にそぐわない程に大人びて見えていた。
あのアイリスにも偉ぶった態度で接していたのを見るに、子爵位よりももっと上
に当たる家柄のご令嬢の可能性も十分に考えられるが……。
「ええっと……そ、それは……」
ただ、それにしてはアイリス側も対等な立場の者のように扱っていたようだし、
何よりもやはり、この貴族の子女らしからぬ荒っぽい口調が気に掛かる。
…総じて、どう見ても十代半ばの少女にしか見えないはずなのだが、素直に見た目
相応に扱って良いものかどうか……その判断に迷ってしまう。
「…昨日、仕事をしていたら急に眩暈がして、それきり意識が無くなったので、
後の事は他人から聞いた話になるのですが……。
私はその場にそのまま倒れてしまったらしくて、気が付いたらこのベッドで横に
なっていたという状況です。
今朝にはお医者様にも来て貰えて、改めて診て頂いたのですが……。
その……原因は判らないものの、病状としてはあまり良くはないらしく……」
見た目がまだ子供の者を相手に自分の重い病状を詳しく話すというのには、少々
気が引けるという部分もあった為に、話すかどうかを迷いはしたものの……。
目の前の彼女が、上流階級らしき仕立ての良い服装に身を包んだ『子爵令嬢の
お連れである』という事実に変わりはない。
そういった点も鑑みて、結局はステラはこれまでの簡単な経緯を話す事にした
のだった。
「ふぅん……そうか」
…対して、少女は短くそんな相づちを打った後、意外な言葉を口にする。
「今朝、医者に掛かったって事だが……。
これからアタシにもアンタの体の調子を診させてもらっても構わないか?」
「…え? ええ、それは構いませんが……。
あの……お嬢さんはそんなにお若いのに、本当はお医者様だったのかしら?」
会話の流れから、医学に関する何がしかの知識があるのは間違い無さそうでは
あるのだが……。
だとしても、目の前の少女に病人を診察出来る程の腕があるものだろうか?
…かといって、どう見ても『遊び半分』といった顔でも雰囲気でもない。
ただ、そんな風に訝しげにしていたのが、どうやら相手にも伝わってしまった
らしく、目の前の少女は思い出したように自らの身分を明かして来るのだった。
「ああ、そう言えば……自己紹介がまだだったな?
アタシはイザベラ。医師と言うよりは、どちらか言うと薬屋といったところだ。
…とはいえ、ただの薬屋とは違って、独自に薬の研究もしているもんでな?
もしかしたら、アンタに合う薬効のものを処方してやれるかもしれない」
「まぁ、そうでしたか……。
そのお年で、なんともご立派ですね……」
そう無難に返しながらも、その言動によって、ステラの中で彼女……イザベラに
対する疑問が更に深まっていく。
(こんな子が薬師? しかも、独自に研究もしている、と……?)
やっと自身の立場を明かしてくれた……までは良いが、薬師として独自研究して
いるとなると、今度は彼女が専門の機関に属していなければおかしい事になった。
正当な理由であったとしても、実際に人に飲ませる事を目的とした薬の研究を国
の許可無く行っていても良いはずがないからだ。
しかし、仮にこんな年齢で国からも認められる薬学研究者になった天才が居たの
ならば、いくらこの町が王都から離れているといっても、噂くらいは耳にするもの
だろう。
(でも、そんな話……これまで一度も聞いた事が無いけれど……)
そんな風に記憶に意識を巡らせていた……そんな時だ。
――ふと、ステラは娘が採って来た、あの『珍しい木の実』が気に掛かった。
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・
「あの……つかぬ事をお伺いするのですが……」
「…ん? 何だ?」
「あの木の実……どちらで見つけられたのですか?
実は私も、子供の頃に森の中を何度も探し回った事があったのですが……。
その時の私には、どれだけ森に通っても見つけられなくて」
「あー……実はアレはアタシが個人的に栽培していたものでな。
そもそもあの森どころか、この国では他には全く自生していない種なんだよ。
しかも、盗難防止にと敷地内の目立たない所に隠して育てているからな。
それもあって、見つからなかったんだろうさ」
「…っ……」
その時、ステラは何故かイザベラのその回答に対して少し驚いた様子だった。
…そして、更に不思議な事に、次の瞬間にはフッとその表情を和ませた。
「…ふふっ、そうなのですか……。
それはまた……貴重な物を、どうもありがとうございます」
「…? あ、ああ……」
…それは、イザベラから見るととても奇妙な反応だった。
何となく警戒されている様子だったステラが、何故か木の実の出所を教えた途端
に態度を軟化させたように感じられたからだ。
「…まぁ、たかが木の実の1つや2つだ。
珍しくはあるが、それほど大げさに感謝される程の物でもない」
軽く頭を下げる程度で良いはずの要件にもかかわらず、深く頭を下げたまま一向
に上げる様子が無いステラに、そう言って面倒そうに手をシッシッと振ってみせる
イザベラ。
…しかし、その言葉を受けて上げられたステラの顔には、何処か申し訳無さそうな
表情が浮かんだままだった。
「あの……生憎ですが、私は母子の2人暮らしであまり余裕も無いもので……。
せっかく薬を処方して頂いても、その……お代の支払いが出来そうもないのです」
それを聞いて、イザベラは「ああ、そうか……」と、心の中で納得する。
一言に『薬』と言っても、その価格は様々だ。
ましてや、命に関わる重い病の治療薬ともなれば、その価格は予想すら出来ない。
『仕事中に倒れた』と言っていた事も考えれば、診て貰ったという医者も雇い主が
手配したもので、本来であれば呼ぶ余裕も無い経済状況なのかもしれない。
ステラの表情が沈んだままだったのは、どうやらそれが理由らしかった。
「こちらから言い出した事だ。
そんなもの初めから期待していないから、その辺は気にしなくてもいい。
仮に診察させてもらった結果、思い当たる薬があったとしても、今回はアンタから
代金を受け取るつもりは無いよ」
イザベラは何でも無い事のようにそう言うと、溜め息と共に薄く笑う。
…すると、ステラは驚いたように息を飲み、次の瞬間には困り顔で眉を顰めた。
「そ、そういうわけには――」
「それよりも、だ。
アンタは今すぐ口を閉じて、そのまましばらくじっとしていてくれ。
…落ち着いていてくれないと、まともに脈を計る事すら出来んからな?」
「………は、はい」
そこまでお世話になるわけにはいかない……と、食い下がろうとするステラに、
イザベラは半ば強引に言葉に割って入って、彼女を黙らせることにした。
無駄に問答したところで、先ずは詳しく診てみない事には何も始まらない。
ステラのその律儀な言動を遮りつつも、イザベラはキッチンのある部屋の方から
小さく漏れ聞こえてくるライラの明るい笑い声に耳を傾けた。
(子供の割には物分りも良くて、頭の良いヤツだと思っていたが……。
そりゃあ、この母親を見て育てばああなるのも納得、だな)
いかにも怪しげな少女を前に、あくまでも実直に接しようとしてくるステラには
森の魔女イザベラも、笑いを噛み殺す。
(アイリスといい、ライラといい……。
ここ最近『ハズレ』を引かないってのは、まぁ……これも良い事なのかね?)
診断の為にステラに歩み寄るイザベラは、ふとそんな事を思いながら、噛み殺し
きれなかった笑みを僅かに「ククッ」と零すのだった……。