表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/29

第13話 魔女と人間と

「よし、着いたぞ……これがその木の実が生っている木だ」


 屋敷を出発してから、僅かに数分後……。


 アイリスの予想より遥かに早く――というよりも、屋敷の裏手に回って、ほんの

数メートル木々の間を抜けて進んだ先で、イザベラはそう言って立ち止まった。


「…ごめんなさい、イザベラ。

今の私は、ちょっとあなたの冗談に上手く対応できそうに無いの」


 イザベラの全てを拒絶するかのように、不愉快な感情を前面に出した冷たい声で

そう答えるアイリスは、周囲を軽く見回した後、ジロリと鋭い視線を送った。


「『着いた』って……それらしい実なんて、何処にも見当たらないじゃない。

それとも、魔女にしか見えない木の実だとでも言うつもりなのかしら?」


 そんなアイリスのあからさまな嫌悪の反応に「ハァ……」と分かり易くため息を

吐いたイザベラは……しかし、その好意的とは言えない態度への言及はせず、指を

上向きに立てると面倒臭そうに言った。


「…足元でもなければ、目線の高さでもねぇよ。

例の木の実ってのは……ちょうどお前の頭の真上にあるヤツだ」


「…? 真上って……まさか、あの木の実のことを言っているの?」


 イザベラに促され、目の前の木の幹をなぞるように視線を這わせ、やがて頭上を

見上げる姿勢になった、アイリス……。


 そこには言葉の通り、一応は木の実らしきものが確認できた……のだが――


「…確かに、実のようなものが生っているのは見えるけれど……。

でも、ライラの言うような鮮やかなオレンジ色とは違うじゃない。

私の目がおかしくなければ、あの実は葉と同じような緑色をしているわよ?」


…そう。

どう見ても、その実はライラから聞いたような特徴とは一致していない。


「…私を笑わせたいのだとしても、そういうのは後にしてちょうだい。

…まぁ、その『後』が何時になるのかは、わからないけれど」


 重い空気を和ませる為に、わざとアイリスをからかっているのかも知れないが、

生憎とそんな精神的な余裕は、今の彼女には無い。


(………はぁ……嫌な人間よね、今の私は……)


…相手に勝手に期待をしておいて、思うような答えを得られなかったからと勝手に

裏切られた気分になっている……という事実には、アイリス自身もきちんと気付い

ている。


 だからこそ、怒りを叫びに変えてイザベラへと直接ぶつける事は何とか堪えた

アイリスだったが……完全に自分の心を覆い隠す事までは出来そうも無かった。


(…でも……それでもあれを問題だと思うのも、確かなのよね……)


 いかに自身が特別扱いされようとも、あんなに幼い子供に手を差し伸べられない

ような考えだというのならば、アイリスとしてもイザベラとの今後の付き合い方を

考え直す覚悟が必要そうだ。


 ライラがただの子供の我が儘ではなく、病床の母の為にこの森に来たのだと判明

した以上は、簡単に切って捨てて良い話ではなくなった……少なくともアイリスに

とっては。


 そんなアイリスから見て、悪い意味で考え方が全く違う部分が露見したのなら、

親友として接するのは難しくなるだろう。


「…はぁ……まったく、世話のかかるヤツだな……」


 一方のイザベラは、そんなアイリスの頑なな態度を前に、深い溜め息を吐き出し

つつ、そんな呟きと共に更に詳しい事情を話し始める。


「…あの木の実はな、熟してくると徐々に緑からオレンジ色に変わるんだよ。

そして、それは時期的にまだ先の季節の話……。

ただ、聞いた特徴からすると、モノとしてはアレで間違いないだろうさ」


「……っ!! あっ!!」


 そう言われたアイリスは、その予想外の情報にハッとする事になった。


 当たり前の事だが、木の実が植物である以上、熟す時期は決まっている……。


『今日、ライラが探し回っていた』という事実に意識が回っていたため、てっきり

今がその()()()()()()()()()()()()()()()と、勝手に思い込んでしまっていた。


 それが本当ならば――今、目の前の木の実が緑色であっても不思議ではない。


「そ、そんなっ……!

それじゃあ、今すぐにはライラのお母さんに食べさせてあげられないじゃない!」


 イザベラの言葉が事実だとすれば、この木の実が食べられる程度に熟すのには、

季節的にもまだ早過ぎるのだろう。


 念の為、アイリスは見上げた姿勢のままで、頭上の木の枝へキョロキョロと視線

を忙しく彷徨わせてみるが……。


…やはりどの実も全く色付いておらず、とても口に出来そうな状態ではなかった。


 ただ、これが単なる気まぐれならば「熟す時期まで待ちましょうか?」といった

話にでもなるのだろうが……今はそんなに悠長に構えていられる場合でもない。


 ライラの母が、実際にどのような病状で、どれほどの猶予があるのかはアイリス

も詳しくは知らない。


…だが、あんなに幼い彼女がたった一人でこんな森の中にまで探しに来ていること

を鑑みると、そこまで余裕がある状況だとも思えなかった。


「あー……まぁ、それについては特に心配しなくても良い。

枝から採ってさえ来れば、その辺りはアタシが魔法で何とかしてやれる」


「………え? そ、そうなの?

でも……まぁ、それなら良かったわ……」


『せっかく探し当てた木の実が、まだ食べられる時期ではなかった』という事実に

焦りを隠しきれなかったアイリスだが……。


 直後のイザベラの冷静な言葉に、すぐに自身も落ち着きを取り戻した。


「………ぁ……」


 しかし、予想外の情報と精神的な余裕の欠落から、一時的に酷く取り乱した姿を

晒してしまった事を振り返ったアイリスはというと……。


 終始、冷静だったイザベラとの間に何とも言えない気まずい感情を覚え始めて、

その羞恥心から無言になってしまった。


「……………」


…そのまま、両極端な反応だった2人の間に、沈黙を伴う微妙な雰囲気が漂う。


 そんな……凍ってしまったかのように固まった空気を再び動かしたのは、何処か

気恥ずかしそうなアイリスの、小さく呟くような声だった。


「あ、あの~……イ、イザベラ?」


「…何だ?」


「………ええっと……その~……あ、あはは……は……」


…そして同時に、その恥ずかしさとほんの数秒間の沈黙が、それまでのアイリスの

頑なな態度と感情を、自身も拍子抜けするほど簡単に崩してしまっていた。


「…さっき、ライラをこの木の場所まで連れて来る事を拒否したのには……貴女の

中で何か特別な理由でもあったのかしら?」


 そう口にしながら、他でもないアイリスが一番、自らのその発言に驚く。


 先程までは怒りと失望で口に出来なかった疑問が、気が抜けた途端に何の抵抗も

なく自然と口から漏れ出ていた。


 そんなアイリスの複雑な感情を、その戸惑い交じりの表情から正しく読み取った

らしいイザベラは……「ハァ~……」と、この日一番の深い溜め息で返した。


「アイツ――ライラは、まだアタシを『魔女』だと気付いちゃいない。

そして、アタシの方もわざわざ自分から名乗ってやるつもりは無い。

…だから、普段通りの対応をする場合、木の実をくれてやるかどうかは別にして、

アタシの存在と結界内での出来事に疑問を覚えられれば、その記憶は全て無くして

もらわなけりゃならないワケなんだが――」


「…………あ」


 そこまで聞いたところで、アイリスは()()()()()()()()に思い至った。


 自分はイザベラに運良く認めてもらえた、いわゆる“身内”だが、対してライラは

というと、ただ迷い込んだというだけの“部外者”の扱いになるという事実に。


「ライラの中で、アタシが『森に住んでいる普通の女』のままなら話は別だ。

結界内に迷い込んだ間の記憶だって、必ずしも消す必要までは無くなるだろ?

仮に再び此処を目指してやって来た際、結界内へ入れなかってとしても、だ。

良くも悪くも、そこは子供の記憶ってやつだからな……。

大人になるにつれて、都合良く“夢だったのだろう”とでも思ってくれるさ」


「ああっ、そっか! そうだわ!!

記憶を消さなくても済むのなら、少なくとも自分でこの森に木の実を探しに来て、

無事に手に入れてお母さんの下に持って行くまでの過程も、そのまま覚えておける

ものね!?」


 イザベラが無用なトラブルを避ける為に、迷い込んだ人物の『森の魔女の記憶』

を魔法で曖昧なものにしてから追い返すようにしているなら、好奇心旺盛な子供は

特に注意すべき対象だろう。


 一度でも胸躍る不思議な体験をしようものなら、逆に簡単に“夢だったのだ”とは

思ってもらえなくなるばかりか、諦めきれずに何度も魔女の住処を求めて森を探索

しようとする可能性も高い……アイリスのように。


…しかし、ライラが幼い子供であるが故に、それが切欠になって本格的な遭難等の

トラブルに発展する恐れも十分にありえる。


 それが分かっているのに、この優しい魔女が、そのままの記憶状態で結界の外へ

放り出すような選択を、わざわざするとは思えない。


 ライラの今後の身の安全を優先するなら、木の実だけを持たせて記憶を消すのが

最適という結論になるのだろうが……。


 そうなると、当然だがライラは何も覚えて居ない状態になってしまい――


「…まぁ、そういうことだ。

…というか、そもそも記憶ってのは複雑に入り組んでいるものだからな。

本当に万全を期すのなら、最悪の場合、本人と母親の記憶から根本的な部分である

『木の実の存在』自体を消すのが、最も確実な手段になるだろう?

だから、そうさせないようにするには、最低でもこのままライラの中でのアタシが

『森に住んでいる普通の女』のままである必要があるんだが――」


「ああっ! わかったわ!!

もしもライラをここまで連れて来てしまったら、今度は木の実を食べ頃にする為の

魔法をかけられなくなるのね!?」


 色々な疑問が一気に解けた事でスッキリしたのだろう。

イザベラの言葉を遮ってまで言葉を継いだアイリスは、少々興奮気味だ。


「あ、ああ……まぁ、その通りなんだが……」


…ただ、当の本人であるイザベラはというと……。


 そんなアイリスの勢いに気圧された様子で、逆に少しばかり距離を取ってしまい

そうになったのだった……。




「あの……ごめんなさい、()()()

私、さっきまで貴女の事を少しだけ誤解していたみたい」


 少し間をおいて、やっとアイリスが落ち着きを取り戻した頃……。


 彼女にしては珍しく真剣な面持ちで、真っ直ぐにイザベラの目を見つめながら、

そう謝罪を口にしていた。


「屋敷でのライラへの対応で、早とちり……というか……。

…私やメアリー以外の人には『悪い魔女』なのかと、そう思ってしまったの。

気に入った人でなければ、切り捨てるような冷たい女性ひとなのかと……。

でも……それは、私の思い違いだったみたい。

貴女は今までと変わらず、私の大好きな『優しい魔女』のままだったわ」


 普段の何処か能天気な雰囲気は微塵も見せずに頭を下げるその姿は、その整った

容姿も手伝って、謝罪の意図にもかかわらず一枚の絵画のような美しさだ。


 そんな姿を見せつけられたイザベラは……正体不明な照れから、視線を逸らして

ぶっきらぼうに言い放った。


「フン……別に、そんな事はアタシは知らんし、謝る必要もない。

ほら、そんなことを言っている暇があったら、さっさとどれにするのか決めろ」


 無事に本人から許しを得て、アイリスが下げていた頭を上げてみると、人指し指

を頭上の木の実へと向け、何故か顔は明後日の方向へ向けたイザベラが居た。


「………?」


 何故、別の方向を見ているのだろう? と、初めは疑問に思ったアイリスだが、

よくよく見るとその横顔は少しばかり赤らんでいた……。


…真正面から『大好き』などと言われて、照れているのだろうか?


 アイリスはそう思い至るとイザベラが急に可愛らしく思えて来て、温かい気持ち

が込み上げてくる。


「ぷっ……ふふふっ! ええ、わかったわ!!」


 普段の何処となく達観した雰囲気とは違って、その照れた様子は容姿にも似合う

可愛らしさで……つい、アイリスは笑いを堪えきれなくなる。


「でも、もう少しだけ待ってくれるかしら?

だって、これはライラと交わした大切な約束だもの。

熟した後に一番美味しくなりそうな、今でも特に色艶の良いものを選ばないと!」


 いつも冷静でいるか、呆れ顔でいるかのイザベラが見せた“彼女らしくない表情”

が切欠となり、先程までの微妙にもやっとした感情が、跡形も無く何処かへ飛んで

いってしまった、アイリス。


 それは、イザベラに対する失望と共に芽生えた警戒心が綺麗さっぱり解消されて

妙な緊張が無くなった解放感と、改めて“信頼できる人物である”と確信した安心感

が主な理由だったのだが――


「ふふっ……ふふふふっ!」


 イザベラの照れた反応を見て高揚した今のアイリスには、そんな冷静な自己分析

は難しく……ただただ高くなったテンションだけが残っていた。


 その現金な態度の急変には、イザベラも思わず笑いを噛み殺せず、自然と笑い声

が漏れてしまう程で――


「ククッ……ああ、そうかよ。

幸い……と言って良いのかは判らんが、明確に戻る時間を決めていた訳じゃない。

せいぜい頑張って、じっくりと品定めでもするんだな?」


「ええ! 勿論、そうさせてもらうわ!」




 元気良く返事をして、頭上の木の実を見比べてニコニコしているアイリスの横顔

を眺めるイザベラは、再び「ククッ…」っと、小さく笑いを漏らした。


――アイは本当に表情豊かで、見ていて飽きがこない。


 勝手に勘違いして睨んできたかと思えば、焦ってうろたえて、それが恥ずかしく

なって黙りこむ。


 後に疑問が解けてからの大仰な謝罪を経て、今では無邪気な少女そのもの……と

いった様子で、ご機嫌に木の実を見繕っている。


(これで、実際には貴族のお嬢様だというのだから……驚きだな)


 表向きは華やかでも、常に欺瞞と姦計が渦巻いているのが貴族社会というもの。

生来の性格がこうなら、さぞかしその環境から来る精神的な負担は大きかろう。


…知り合ってからこちら、過剰なくらいイザベラを訪ねて来るのには、そういった

ストレスを紛らわせるという意味合いもあるのかもしれないが……。


(しかし……そんなコイツに、いったい何の――)


 アイリスを眺めつつ、思考が別の方向へと流れそうになったイザベラは――


 自覚した瞬間、即座にその思考を自ら遮断した。

()()は、共に過ごしていればいずれは判明する事だろうから。


 今は……この無邪気にはしゃぐお嬢様をただ眺めていれば良い。


 森の魔女は一人、そんな事を考えては、嬉しそうなその横顔を眺め続けた。




「う~ん……。

どれにするかは決められたけれど……この後はどうやって採れば良いかしら?

あの木の実、思っていた以上に高い所に生っているし……」


 頭上を見上げながら右へ左へウロウロとすること、数十分。


 イザベラの欠伸の回数が両手の指を埋めようか……という頃になって、ようやく

アイリスは採る木の実の選定を終えたらしい。


…ただ、その木の実はアイリスの手が届く高さよりも更に高い位置に生っていた。


 いかにイザベラやライラよりは背が高いとは言っても、女性としてはごく平均的

な身長のアイリスだ。


 手を伸ばしたりジャンプしたところで、簡単に届くような話でもない。


 木の実選びに悩んでいた時とは違う理由で「う~ん……」と唸り始めたアイリス

だったが……。


 そこに欠伸で溢れた涙を腕で拭いながら、イザベラが「どれにするか、決まった

のか?」と、気だるげな様子のまま尋ねてくる。


「えっ? ええ、一応の目星はつけられたわ。

けれど、流石に目的の木の実の位置が高すぎて、私ではとても手が届かないの。

梯子はしごか何か、登れるような道具が近くにあれば良いのだけれど……」


 アイリスは目的の実を指差しながら、眉を寄せる……すると――


「…ああ、そんなことかよ……」


 依然として面倒そうな態度のままのイザベラだったが……。

ここに来て、またしてもアイリスの想像を超える解決策を提示してきた。


「どの辺りかが決まったんなら、後はアタシが補助してやるよ。

オマエの体を宙に浮かせてそこまで運んでやれば、それでどうにかなるだろ?

採ってさえくれば、さっきも言っていた通り、アタシが魔法で木の実を食べられる

ように上手く手を加えてやるさ」


 高所にある木の実に頭を悩ませていたところで、そんな魔女からの提案に、一瞬

ポカンとしてしまう、アイリス。


…しかし、その後すぐにその内容を理解すると、驚きの声を上げた。 


「宙に浮かせる――って……えっ?

つまり……私、これから空を飛べるの!? ほ、本当にっ!?」


 目的の物が手の届かない高さにあるのなら、そこまで魔法で飛べば良いだけ。


 当たり前と言えば当たり前なのだが……まさに魔女ならではの発想だ。


 そして、これからそれを実際に体験するであろうアイリスは……。

当然ながら、再び興奮を隠し切れなくなった。


「ありがとう! フィー!

猫さんとお話が出来るようになったかと思えば、今度は空を飛べるだなんて!

何だか本当に夢みたい! 貴女と居ると素敵なことばかりね!!」


 ロジャーの時と同じく、手を叩いて心から喜ぶ、アイリス。

動物と話したり、空を飛んだりと……まるでおとぎ話の中のようだ。


「………ククッ」


…ただ、そんな浮かれた様子のアイリスに、不意に悪戯心が刺激された魔女は……

その喜びに水を差すような言葉を一つ、投下する事にした。


「そんなに空の旅がお望みなら、雲の上まで一気にすっ飛ばしてやろうか?

…まぁ、その後の着地の面倒までは見てやらんが……」


 意地の悪い笑みを浮かべながら、イザベラは木々の隙間から覗く青空を指差して

そう言い放った。


「………ぇ?」


 見上げた先には、平和そうに白い雲がゆっくりと流れている……。 


「あー……ええっと……。

それも素敵だと思うけれど、今日のところは……うん、遠慮しておく……」


「クククッ……そうか? そいつは残念だ」


 空の旅はとても楽しそうだが……落下の方はあまり楽しくはなさそうだった。


 はしゃいでいた心が、地面に激突してぺっちゃんこになる自身の姿の想像で、

急速に冷やされていくのを感じる……。


(ああ……でも、そうか……)


 楽しそうに笑いを噛み殺すイザベラに引きつった笑みを返しつつも……アイリス

の心は温かいもので包まれる。


『落下』という発想から、あり得たかも知れない、とある一つの事態に思い至った

からだ。


(ふふっ……確かにこの高さなら、そういう可能性もあったはずだものね?)


 もしも、この場にライラを連れて来て居たとしたら……。


 母の為に、間違いなく『自分の手で木の実を採る!』と言い出して、彼女は自ら

木登りを試みるはずだ。 


 しかし、幼いライラが無事に登って、木の実を採り、更に自力で降りて来られる

可能性は――残念ながら限りなく低いだろう。


 途中で足を滑らせるか、仮に上手く登って木の実を採れたとしても、今度は高さ

を自覚した途端に怯えて降りられなくなる様子が、簡単に想像出来てしまう。


 実際に木の実が生っている場所は、大人なら落下しても骨折程度で済むだろうが

子供が落ちたのなら打ち所によっては命に関わる程度には高い。


 万が一、そんな事態が起これば……それを、この魔女が指を咥えて見ているはず

が無い。


 たとえそれがライラにとって望まぬ結果になろうとも、すぐさま魔法でライラを

助けて、記憶を消した後、家へと無理矢理に送り返す選択をするだろう。


(それにしても……ふふっ。

()()()()()って……あれ、自分では全く気が付いてはいないのでしょうね?)


 会話の中で何気なく口にしたその言葉を、アイリスは聞き逃していなかった。


 ライラやその母親の記憶を操作する展開を指して、イザベラは確かにそう言って

いたのだ。


…そんなイザベラだったからこそ、あの時、自分から不興を買うとわかった上で、

それでもライラをこの場所まで同行することを、頑なに拒んだのだろう。


(本当に判り難くて、素直じゃないのね……でも――)


 相変わらず口調は荒く、口にする冗談は意地の悪い内容ばかりだが……。

その心根は、それとは正反対に穏やかで思慮深く……そして、優しい。


 アイリスは、その場の返答のみを読み取って、イザベラを非情な人なのだと判断

していた数十分前の自分を振り返り、無性に恥ずかしくなった。


(きっと、今の私では逆立ちしても敵わないのでしょうね……)


 こういった物事がある度に、イザベラが自分より年上の『大人の女性』なのだと

痛感させられる……。


 容姿は年下の少女に見えたとしても、やはり彼女は長い時を生きる“本物の魔女”

なのだ。


 アイリスは改めて、イザベラの顔をチラリと覗き見た。


 今もこちらに向かって、意地悪くニヤリと怪しい笑みを浮かべてはいたが……。


 この時のアイリスには、その瞳の奥に凪のように静かな心でこちらを見守る……

『もう一人のイザベラ』が覗いているように思えてならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ