山口家と鉄砲勝負
天文二十年七月。
「此れは、いよいよかの。九郎次郎」
「ええ、父上。まさか備後守様が出陣さえ出来ないとは思いませんでした」
「あの勝介も小さいながら手傷を負ったそうだ」
「何と……」
親子が愁いを含んで語っていた。親は齢五十過ぎの男で、相対する子は利発そうな二十程の男である。親子故によく似た面影を持ち大きな瞳と豊富な頭髪が特徴的で勇将の気風が有った。
場所は尾張愛智郡鳴海城の一室だ。
「口惜しい」
父、山口左馬助教継が苦々しく言った。同じ様に悔しさを滲ませながら子の九郎次郎教吉が口を開く。
「新左衛門めも案じておりました。父上、御気持ちは痛い程分かりますが山口家を守る為にも」
「分かっておる。いくら病とは言えあの備後様が御嫡男の、それも数も足らぬ小勢しか出せぬ程になろうとは思わんかったわ」
教吉は歯切れの悪い父の気持ちは痛いほど分かる。幾度とて信秀という魅力的に過ぎる男の話は聞いたし、実際にその目で見た信秀はこれ以上無いだろう英雄だった。
加えて父教継は信秀の時代、対三河戦線に於ける重鎮として信任され要地たる鳴海城を預かり今川と大小の戦を経験した猛者である。小豆坂で信秀と共に戦った輝ける日々を思えば今から為そう行いは恥辱であり屈辱でしか無い筈だった。
「侭ならん。儂よりも若かろうに」
決心の付かない父、仕方ない事だと教吉は思う。だが朝廷と幕府の和睦を此れ幸いと仲介して尚も今川家の勢いが止まる所を知らず、肝心要の信秀が十中八九は死の床に伏し信長の立場的に後継問題も顕現化しつつある。
そう、後継と目される信長は立場から言って和睦を受け入れる訳にはいかない。ならば朝廷と幕府に逆らって戦わなければならず味方が集まらない事は目に見えていた。
事実、丹羽氏勝の討伐さえ出来ない。忠を尽くしたとて穴開きの勢力図では各個撃破されるのがオチだ。
「父上、そろそろ意を決しなければ。言いたくは御座いませんが……」
「分かっておるわ。丹羽氏の内乱を見れば否が応でもな。尾張の虎と呼ばれた備後様が、あの程度の些事を収められぬという事が十二分に過ぎる証だ」
吐き捨てる様に言う教継が思い起こすは小豆坂。
織田一門たる信康、信光、信実の三人どころか信秀まで槍傷を負う激戦も激戦で太原雪斎に那古野一帯の有力者であった那古野弥五郎が討たれた程の大乱戦。
今川の名高き武者を内藤勝介が討ち取ったのを契機に下方左近、佐々隼人正、佐々孫助、中野又兵衛、赤川彦右衛門、神戸市左衛門、永田次郎右衛門と共に幾度となく突撃し大勝した。
皆、傷だらけ。勿論だが死んだ者も大勢居た。だが、それでも満面の笑みで勝鬨をあげたものだ。
あの栄光を、あの歓喜を忘れられない。だが、それでも戦国時代を生きる男として家族と家臣領民の為に足踏みはしていられない事は理解していた。
「妙心寺の明淑慶浚に人をやれ。太原雪斎めの策に乗るとする」
息子が無言で一礼し退室すると教継は庭に生える寒風から身を守る葉の一つさえも無い木を見上げて溜息を。
「申し訳御座いませぬ備後守様……」
そう言って末森城の方向へ深く頭を垂れた。
天文二十年九月。
「勘十郎が熱田に判物を出しただと?」
「は、殿の病状が芳しく御座いません故に致し方なく」
「そこまで悪いのか。政務の引継ぎと聞いて嫌な予感はしたが……」
信長は問う。大人衆筆頭の林秀貞が黙したまま、村井吉兵衛貞勝と島田所之助秀満の二人が頷いた。
面長で紳士的な顔の、なんか爺やって呼びたくなる感じが凄い村井貞勝が口を開く。
「殿は自身の状況を鑑み早急に一門の力を強くしようとしております。勘十郎様は若様の数少ない同母弟にして元服を行った方に御座いますれば」
「吉兵衛、それは真か?余りに遅く、余りに早いだろう」
信長は慇懃に肯定して見せた貞勝に思わず苦り切った呻き声を漏らした。
一門、それは武家にとっての基盤だ。戦国の世で生きるのに当主を頭とすれば身体と言うべき存在だ。信秀が戦国の世を生き抜く自分の為、そんな一門の力を増大結束させようと言う意図は分かった。
だが、選りに選って今。そう言う評価になる。なにせ一門とは御家騒動の元でも有るのだから。特に信勝は母のお気に入りで評判は良い。
信秀の病状と信長の現状の双方を鑑みてどちらが正しい等とは言い難い話だ。だが唯でさえ氏勝を討てなかった軍事能力と、朝廷幕府の和睦に反対する信長の選択に後継としての立場が怪しくなっている。
信秀は自身の後を継ぐのは信長と考えているが、今は信秀の下で信長と信勝の立場は等しい状況だ。そう、立場が同等となっては信秀の地位に信長が滑り込めるか怪しい。
この状況では信長が信勝と信頼関係を深めるには後継を争いかねない状態に推移しつつある所為で遅いと、信勝の能力を伸ばすには信秀が生きていて信長の立場が怪しくなりつつある今この時には早すぎると評した。
「内乱が現実味を帯びてきたか」
兄弟での殺し合い。ここ数年、正月にしか会わない上に余り親しくは無い様な相手でも厭忌して当然だ。
憮然とした信長は溜息一つ切り替えて。
「吏僚の三郎右衛門と共に引継ぎをせねばな。一先ず若狭守が深田の叔父上に出したという和睦の文書と報告を頼む」
信長が信秀の政務の引き継ぎをしている頃、勝介と鬼夜叉丸は二人で鍛錬をしていた。練兵場にて鬼夜叉丸が強弓に矢を番え引き絞る先には勝介が金砕棒を一本握り立つ。
「放てッ!!」
勝介が言えば鬼夜叉丸の弓の弦が鳴り響き矢が空を劈き穿ち貫いて真っ直ぐに飛んでいく。
いや、距離近いけども重力はドコ行ってんですかね?
「フンッッッ!!!」
ゴウってか剛と空気諸共殴り押し退ける様に振られた金砕棒が矢を叩き潰した。
うん、地面が隕石落ちたみてーに陥没して蜘蛛の巣状に砕けてるね。
コイツら本当に人間?
勝介は握る腕に一瞥。
「次ッ!!」
「はっ!!」
矢継早、マシンガンのテンションで放たれる矢を振る速度が頭おかしい金砕棒が弾く。正直言って光景が頭おかし過ぎんですけど。
三十発くらいか?矢を撃ち尽くすと勝介は金砕棒を杖にし。
「うぅむ、今日は調子が悪いな」
そう言って一息吐いた。調子良かったらどうなるんこの人、勝介は弓を見てからふと鬼夜叉丸に問う。
「そう言えば鉄砲は如何であった?」
「十発の内六発から八発しか当てられませんでした。伊賀守様は褒めてくださいましたが先達の歴々に比べれば未熟、鉄砲の鍛錬も更に重ねたく思います」
「良い心がけだ。それにしても伊賀守殿に褒められるとは鼻が高いな」
勝介は鬼夜叉丸を撫でた。そうしていると先の戦の鬱憤が晴れていく。
端的に言えば想定していた結果通りになったのだ。援軍に向かう途上で横山付近で自身の率いる先遣隊が足止めをくらい不覚を取った上、救援すべき丹羽氏秀が今川の援助を受けた丹羽氏勝に敗北し撤退してしまったのである。信長に対する小さな不安が国衆の中に広がり、侮るないし離れる者が出かねない状況だ。
勝介は鬼夜叉丸の頭から煙出るんじゃねーかってくらい撫でた。鬼夜叉丸は分かってねーけど禿げないか不安になるレベルで。
勝介が手を退けると鬼夜叉丸は照れ臭そうに笑ってから。
「父上、俺の元服は何時になるでしょうか……」
「ん、どうしたのだ?藪から棒に」
「これから三郎様は熾烈な戦いをしなければなりません。微力ではありますが全力で尽力し、せめて一助になりたく思います」
勝介は思わず鬼夜叉丸の頭に退けた掌をもう一度乗せる。
「誇らしいぞ。そうだな、すぐにとはいかんが初陣を終えたら元服しようぞ」
「はい、父上!」
勝介は嬉しそうに二、三頷いた。鍛錬を再開する。町人が通りかかり『またやってるよ。あのヤベー親子』的な目で見ていく。ただ、その中で腰を抜かす者が何人か居た。
「珍しいですね。皆、見慣れていると思うのですが。余所者でしょうか?」
「そう言えば今日、伊賀守殿の処に大御様の又甥が一族五十人余を率いて参っているのだったか。
何でも大御様と前田蔵人殿御両名の伝手でな。滝川彦右衛門と言う者で火縄の腕を披露したいと申したそうだ。その腕を認められた暁には一族諸共鉄砲衆として仕える事を許されておる」
「と言うことは何か催しでもするのですか?」
「うむ、彦右衛門の腕を見る的当て勝負を大衆の前で披露させるそうだ。三郎様らしく祭りにしてしまおうというのだろうな」
「対戦相手は何方が?」
「ふふ、凄いぞ?九郎左衛門が采配したのだがな。内蔵助、鉄砲組頭の福富平太郎、更に伊賀守殿よ」
佐々成政は伊賀守の生徒の中では最も上手。福富貞家は信長麾下の鉄砲衆の中で最も腕が立つ。最後に橋本一巴は織田家全ての砲術に於ける師だ。
正に信長の配下での砲術頂上対決じみた代物だった。
で、当日。
前日に喧伝され練兵場に家臣町人達が集った。陣幕を背にして信長や一部重臣が床几に座し、家臣達がならび鬼夜叉丸達若衆が次の的の横に控える。四つ並んだ的と弾薬の詰められた三丁の国友筒が並んだ射撃場を挟み町人達が今か今かと待っていた。
鐘が鳴り塙直政が町人達の前へ。
妹の塙直子に似て落ち着いた大人な雰囲気があり細身で長身の男だ。きっちりとした裃姿で武人と言うより文人である事が見て取れた。
大きく息を吸い。
「此れより滝川彦右衛門が望みし鉄砲勝負を始める!!」
町人達から歓声が上がる。
「先ず織田家からは三人の射手。
砲術を習う若衆で最も妙手、内蔵助。続いて鉄砲組頭にして鉄砲足軽の中で最も優れる福富平太郎殿。更に織田家砲術指南は橋本伊賀守様!!」
それぞれ三人が現れ鉄砲を握る。佐々成政は言わずもがな他の二人も筋肉ムッキムキだ。若ムキムキ佐々成政、ダンディムキムキ福富貞家、髭もじゃムキムキ橋本一巴って感じ。
まぁ、そりゃ日本の鉄砲がいくら緩発式に比べて狙撃に向いた瞬発式つっても銃自体が地味に重いし反動が無い訳じゃないからムキムキじゃねーとブレブレよ。
「以上、掛け声に合わせ鉄砲を放ち外した者から脱落して行く!!火縄の腕を認められれば一族纏めて鉄砲組として雇う約束だ!!」
一拍。
「滝川彦右衛門、前へ!!!!!」
塙直政の呼びかけに応じて陣幕が跳ね上がる。よく日に焼けた褐色肌で二十代半ばの男が出てきた。
ただ何というか……こう顔は至って平凡で強いて言えば気の良さげな感じだ。
しかし、そう、うん首から下が岩。
岩。
ムキムキってかゴリゴリみたいな。あんまり背丈は無いので、何だろう昨今のファンタジーにおけるドワーフみたいな岩を纏うが如き鍛え過ぎな筋肉が全身を包んでいる。袴を履いており下半身は分からないが片肌脱ぎの上半身の鳩胸ッぷりと六つに割れた腹筋がボディービル。
「俺ァ滝川、彦右衛門だ!」
ゴッと声が通る。観衆に吊り上げた口角が食わせ者と言った印象を与える。
「滝川八郎貞勝が孫にして滝川八郎一勝が子、滝川儀太夫殿の甥にして池田勝三郎の従兄弟!!!」
流麗に装飾された堺筒を掲げ。
「恥じぬ勝負をお見せしよう!!」
言い切って列に並んだ。信長が面白そうに笑って立ち上がる。握り振り上げるは軍配。
「一射ッッッ!!」
豪と轟く。
「てェッッッ!!」
落ちた軍配、ドフオゥと爆音と噴煙が重なり風が煙を拐えば残るは砕かれた四つの的。上がる歓声と感嘆に驚嘆、町人の中には鉄砲の実物を始めて見た者もおり腰を抜かす者もいた。
「的用意、次弾込めぃ!!」
楽しそうな信長の号。鬼夜叉丸達が次の的を用意して射手四人が手早く弾薬を込める。弾薬が込められ鬼夜叉丸達が離れれば掲げられる軍配。
「てェッッッ!!」
第二射、砕かれた的は八。
「てェッッッ!!」
三射、的十二。
「てェッッッ!!」
四射、的十六。
「てェッッッ!!」
五射、的二十。
「てェッッッ!!」
飛んで第十射、的四十。
「的用意、次弾込めぃ!!」
信長の握る軍配が——。
「てェッッッ!!」
また落ちる。
噴煙が晴れて響めき、第十一射にして割れた的は四十三。
「的用意、次弾込めぃ!!
内蔵助、良くぞ健闘した!!!後で褒美を取らす、下がって休めぃ!!!!!」
信長ニカッと人好きのする笑顔で言えば悔しそうにしていた佐々成政も笑顔で一礼して台から降りる。
その後、十八発にて福富平太郎が外し一騎討ちとなった。
「御主もようやったぞ平太郎!!
よし、次からは的の距離を半町ずつ離してゆけ!!」
的を離していき凡そ五町の距離、轟音が響き的が砕ける事、八度目。これ以上の飛距離を持つ銃は未だ無い。
「弓の距離を越えたか。彦右衛門、的に当てれば組頭に迎えるぞ!!」
砲身の掃除をしていた滝川彦右衛門がニヤリと笑う。
「師よ。的に当てれば褒美に古酒を一壺を加えるぞ!」
弾薬を詰めていた橋本伊賀守がクワッと笑う。
「いくぞ、構えッ!!」
ガチャッと音揃えて砲口が的を捉える。
「てェッッッ!!!!」
白煙を吹き散らして進む鉛玉。
的は割れていない。
「鬼夜叉、的を持てい!!」
信長が吼える。
「はッ!!」
一礼して与三と共に駆け、的を外して信長の前に出す。二人の献げる的を受け取って検分し、上機嫌に笑った信長が床机跳ね除ける様に立ち上がり的二つを掲げる。
「両名、見事!!
見よ、両の的がド真ん中に穴が空いておる!!流石よ一巴。そして彦右衛門、組頭として分限帳に名を記せ!!」
「はは、此の滝川彦右衛門一益。この火縄の如くお役に立ちます!」
「大義、励め!!」
着実に織田信長が直下の兵が集まりつつあった。