どっかの大鬼曰く、大いに不満。つーか誰が地獄の悪鬼だコラ
ポイント・ブクマ有難うございます。
暇潰しにでも見てってくれたら幸いです。
「勝三、あの妙な灰色の物体は何?」
勝三は相対する与三に唐突に問われて思わず動きを止めた。
「隙あり!!」
そこに与三の木刀が振られ鎧の上からとはいえ脛に鋭い一撃がスコーンと入った。
「お、ごぉあ......!」
思わず脛をさする勝三、見学していた野郎どもが驚きと共に。
「凄いな与三、俺らの中で初めて勝三から一本とったか」
「でもちょっと狡くない?斬られたら戦えなくなるとはいえさ」
「まぁでも一本は一本だし今のは勝三が悪い」
岩越二郎高綱が与三を褒めれば岩越梅三郎高忠と齢十五毛利藤十郎忠嗣が笑いながら言う。
「あのヌメヌメやっぱり勝三の物だったの?」
「蘭姉、アワアワのが良くない?」
毛利家姉妹の蘭と菊の会話で勝三は吃驚した。なんせ部隊を任された事で忙しく、一段落して半分忘れてた代物を確認しようとしていたトコである。
「え、いつ知ったのアレ。てか何で知ってんの姉ちゃん達は?」
「正月の大掃除の時に勝三の部屋にあった壺を水桶に落としちゃって……」
「謝ろうとは思ってたんだけど出産とかで言い出す機会が無くって与三に機会を作って貰っちゃった……」
申し訳なさそうに言う二人。毛利家の二人、というか面々は基本的に明るい明朗なタチだ。良いも悪いも感情をめいいっぱい表に出す。そうなってくると何か勝三の方が申し訳ない。
まぁ忘れてたしね、存在。
「いや、まぁ。俺も忙しかったし良いんだけど手とか大丈夫?」
未だ未使用であり手荒れとかの不安がある。
「うん。あ、濡れた手で触ったらヌルヌルして床に落としちゃったんだけど、拭き取ろうとしたらアワアワして、お湯で流したら凄く床が綺麗になったよ。あと、そう言えば何となく手も綺麗になった」
「本当か?」
菊が頷けば与三が。
「確か火薬を作れないか試した時に出来た物だったけど大丈夫なの?爆発しない?」
「あー、基本的にお湯と油と灰汁だからしっかり水とかで流せば大丈夫だ。うん......うん?爆発って言ったなコノヤロ」
蘭が戯れ合う......。追いかけっこ開始した二人に苦笑いを浮かべながら。
「勝三!!ヌルヌルは枡に入れて勝三の部屋に戻しといたから!」
「わかった蘭ねぇちゃん!!んで待てコラァ与三!!」
「ほらコッチだ!」
岩越二郎高綱が三次元的な動きを始めた二人を見て。
「アイツらいよいよ持って天狗じみてきたな」
「与三は身軽すぎるし、勝三は速過ぎるし」
「久々の休息ではしゃぎ過ぎだな」
岩越梅三郎高忠と齢十五毛利藤十郎忠嗣が頷きながら答えた。
そんな鍛錬?の後で自室に石鹸の確認に行った所、石鹸は乾いており一度まるまる水に入ったらしいが確りと固形化したままである。記憶にある石鹸の作り方が正しい事は分かった訳だが同時に思った。
「……油無くね?」
石鹸自体の価値はあるのだがそれ以上に油は貴重だ。ただでさえ内藤陣麺で油を使うので数個作るなら兎も角、売るほどと言うと無理な話である。
つーわけで石鹸計画はまた停止した。まぁ忙しいから服綺麗にするのに良いっすよ的なノリで一先ず信長に献上だけしとこうと思ったが金儲けは普通に無理だと諦めた。
まぁ、指揮官や重臣見習いとしての仕事あるし。
と言う事で麾下の兵の軍忠状を確認する。そして信長領以外からもくる様になった乱暴取り防止の禁制を出してもらう為の礼銭に関して問う書状への返書、その油座に対する朱印状の確認などしているとニョキッと与三が顔を覗かせた。
「おーい勝ぞ、何で仕事してんの?」
勝三は試作石鹸と軍忠状を棚にしまい振り返る。
「え、ああ。休みだったな今日。どうした?」
「殿が休めって言ってくれたんだから確り休みなよ。みんなが蕎麦切り……両三蕎麦作らないかって」
「お、いいな。飯作るのなんて本当に久々な気がする」
「まぁ役職が増えるとねぇ。さ、蕎麦を切るの勝三が一番上手いし頼むよ」
「おっしゃ任せとけ」
台所に向かえば喧騒が。
「おお、二人共。来たか」
「待っておったぞ」
勝介と又八おじいちゃんが纏め上げた生地を俎板に乗せ麺棒(元槍の柄)で伸ばしながら笑う。竹が鯨と釜の一つで汁を作り、菊が火を見ながら水を沸騰させ赤ん坊二人の世話をする蘭と明るく談笑する。
「勝三、切るの手伝ってくれ。一人じゃ数が多い」
二郎が父に似た涼しげな顔に苦笑いを浮かべて言う。手に持っているのは幅広庖丁だ。笊の上の切った蕎麦の山に勝三は頷いて横に並んだ。
「与三はこっちを頼むよ。流石に疲れた」
梅三郎が言えば何時も明るい藤十郎がショボくれた様に頷いて。
「捏ね疲れて洒落になんねー」
「分かった分かった」
勝三も与三も腕捲りをして手を洗い調理場に入っていく。そうしていると杉左衛門が冷えた水を汲んで来て蕎麦パーティが始まった。
味に関しては明言する気は無いが、半刻の時をかけて作り上げられた大鍋の鳥味噌汁と蕎麦の山脈は四半刻の更に半分程で消えたとだけ言っておく。
ほぼ同じ頃、末森城。二人の男が自分達の城であると言うのに息を潜めて相対していた。
「蔵人、蔵人、岩倉は如何か?」
「細工は流々、ですが今川を迎える城を如何致しましょうか?」
「兄上、いや信長が作ると言っていた砦の資材を使うとしよう。清洲から遠く数ヶ月は露見しない筈」
切迫した様に言葉交わすのは織田武蔵守信成と津々木蔵人だ。二人は此の数ヶ月で織田喜蔵秀俊を殺した事の意味を深く理解したので有る。誰もが彼等を猜疑の目で見てくるのだから。特に配下に対する判物発給に関しては酷いもので、律儀な柴田権六勝家を除けば正式な支配領内の者であっても、兄君に頂くのでと突き返される事さえあった。
「蔵人、斎藤を利用する手は如何する」
触れねばならぬ爆弾を前にした様に織田武蔵守信成が問えば、津々木蔵人は忿懣やる方なしとも言うべき形相を浮かべながら、しかし紅潮した顔色をゆっくりと戻しながら振り払う様に首を横に振る。
それは否定では無い。
焦燥、それと危機感を織り交ぜた理性が蔵人の中にある感情を抑えつけた瞬間だった。いや、同時にだ。
己を納得させる為に。
「新九郎高政、いや一色式部大輔殿から再起を促す書状が届いているのでしょう。幕府との交渉を担うと言うのであれば兎角申してはいられません。それに今にして思えばヤツは私にとって道三めを討った恩人に御座います」
蒙を啓かれた。いや啓いたのだと、そう言い聞かせれば正しく自分の心と理性の落とし所という以上の確信をもって言い切る。
「そうか!そうか蔵人!!」
織田武蔵守信成は蔵人を慮りながらもこれ以上ない安堵を覚えた。妻子を人質に取られた事で個人的な幕府との繋がりが完全に断たれ、また今川も仮名目録によって幕府との関係が悪く幕府の権威を得る為に緊急の取次先が必要だからだ。
そう安堵した。その幕府との繋ぎ役に信長を討つのであれば斎藤家がなると言われ、その申し入れを受け入れる事が出来る事に。
正に鎧、正に刀だ。織田武蔵守信成の身を守り信長の武力に対抗する唯一の物。と言うか、もう権威以外に頼れる物が無い。妄想の窮状に視野狭めてそういう錯覚に陥っている。
「ここまで来て飼い殺しなど耐えられん。何より、何よりも俺は死にたく無い」
そう怯えるのも仕方ない。
暗殺に加えて戦の弱さから母に捨てられた。家臣、大半の近衆どころか勝家さえも兄に心酔している。
自分には一切の後が無い。織田武蔵守信成はそんな勘違いに囚われていた。
だが違う。もしそうで有れば信長と言う男が態々、末森城を弟に与えたままにする訳がない。
織田武蔵守信成を生かしてさえいれば彼に組し謀反した家臣も心服させる事は可能な訳だ。それこそ部屋住みにするか寺に入れるかしてしまえば最も安全で最も後腐れ無い。それを城を与えた上に直下の家臣は曲がりなりにもそのままなのだ。
信長からすれば、働いて償え。そう言う意思表示なのである。
だが、恐怖と妄想に囚われた織田勘十郎には分からない。
「今川に寝返るにせよ、斎藤に逃げるにせよ末森城だけでは心許ないな」
「殿、岩倉に戦わせた後に斎藤を呼び込めば我等の兵力とて篠木付近の領地を奪うのは易いかと」
「もう一手、せめてもう欲しいな」
「......そうですね」
怯えた様に言う二人は明言を避けた。彼等の頭の中には見送りに来た勝三の笑顔が浮かんでいた。勿論、その時勝三が浮かべていたのは朗らかな笑顔だったのだが、自覚なき謀反の後ろめたさからか二人には地獄の悪鬼が罪人の苦痛に歪む様を嘲笑っている様に思えたのだ。
小細工に一つ二つ正面から殴り潰されてしまいそうな恐怖がある。
そして彼等に今川からの使者が来る。渡された書状の内容は二人にとって余りにも信じられず、しかし余りにも甘美な希望に満ち溢れる光明に見えて仕方がなかった。
「さて、ならば兵衛殿には伊勢守となっていただかなければ」
生気を取り戻した織田武蔵守信成と津々木蔵人はいそいそと書状を記す。そして年末に岩倉織田伊勢守家で内紛が起きた。
織田伊勢守家は弾正忠家が状況を鑑みて家名を残す為に親斎藤派の信長と親今川派の信勝に勢力を分けた様に兄を親信勝派に、弟を親信長派に割り振って精力の如何に合わせて後継者を決められる様にしていた。稲生の戦い以降は信長寄りになりつつあったのだが突如として長男織田兵衛信賢が今川家を後ろ盾に父と弟と対立して両名を追放。
旗色を鮮明にした伊勢守家に信長は姉を嫁がせた犬山城主織田下野守と共に挙兵。だがその最中、信長が重臣と近臣の鉄火起請でおった火傷が治らず病に倒れた事で出兵が取りやめられる。
その知らせの数日後に母花屋夫人と信長両名から柴田権六勝家を経由し織田武蔵守信成に織田家の此れからを協議する為に清洲へ来る様にと言う使者が送られてきた。
降伏した時と同じ三人で、降伏した時とは真逆の心情を抱えながら清洲城の部屋の中。
起き上がる事もなく信長は。
「勘十郎」
薄く、呼吸の様に名を。
「伊勢守家は、俺が潰す。全てを背負う、その、覚悟をしておけ」
喘鳴の様な早い呼吸と青白い顔、両の手を包む血みどろの布。弱り切った信長の有様に織田武蔵守信成と津々木蔵人は涙堪える様に床に顔を伏せてニッコリと笑みを浮かべた。
彼等が帰った後、大きく吐息を漏らした信長は両手の布を掴んで剥ぎ取り、額の布を使って顔を拭い投げ捨てる。何時もと何ら相違ない顔の信長は吐き捨てる様に。
「母上や義妹、権六を裏切るなよ勘十郎」
そう口惜しげに言った信長の私室には柴田権六勝家から齎されたグシャグシャの密書が保管されていた。




