大戦の準備
ポイント、ブクマ有難う御座います。
暇潰しでも見てってくれたら幸いです。
天文二十三年正月。那古野城では年賀の挨拶もそこそこに評定が開かれていた。
今川との和議締結にて敵方に降らされていた水野家が山口家、織田大和守の戦いを見て再び織田家に付いた。その事を知った今川が水野家を討伐しようと軍を発した上に砦を建築したと言う報告を受けてのもので有る。
信長は全力の救援を主張。
味方であった大給松平も今川に降され尾張と三河間の鬩ぎ合いも劣勢の状況下で数少ない味方を失う訳にはいかなかったのだ。
砦の攻略ともなれば全力をもって当たる必要がある。言わずもがな危機な訳だが、しかし信長の発案した奇策に激昂した者がいた。
「何を考えておいでか!!」
信長に対し顔を紅蓮に染め上げ猛烈に反対したのは大人衆筆頭林佐渡守秀貞だった。基本的には合理的に淡々と話す彼らしく無い程に声を荒げ糸目を酷く吊り上げる。
だがそれも仕方の無い事である。
「落ち着いてくれ佐渡守。無茶な事を言っているとは思うが無謀なことでは無いのは分かるだろう。今川の兵力は未知数、砦を作っているといるという事は多いと見て然るべきだ。なら全力をもって当たらなければ......」
「水野を全力を持って救うのは反対しようが御座いません!しかし那古野を空にして美濃の兵を入れるというのは承服しかねる事です!!此の那古野を、三郎が始まりを彩り眠る城を山城守にくれてやるつもりかァッ!!!!!」
「気持ちは分かる。親父殿へのお前の忠誠も、舅殿に対する思いも全てでは無いが理解している積りだ。だが今、最良手を打たねば反撃の手立てさえも失いかねん事を分かってくれ。慰めにもならんだろうがこの状況で裏切らないという風評の価値を舅殿なら理解出来る」
「論ッ外、若様は御存知無い。父を引き立てた長井家を乗っ取り、己を引き立てた斎藤を乗っ取り、守護の一族を謀殺し尽くした男ですぞ!!」
「知っている。知っている、だからこそだ」
「若、宜しいか。今は昵懇ですが加納口で多くの者が山城守に殺され臣民問わず恨んでいます。そう言う者達が万一斎藤の軍に危害を加えようものなら如何なるかは御分りでしょう!!」
「禁令を出す。今川が迫る今此の時、俺達が頼れるのは斎藤家だけだ。そう言った恨みを持つ者にも其れを知らしめねばならんのは分るだろう?」
「分かります。が、何事にも限度という物が有る。私も弟も知人友人は勿論、親族を討たれた者。我等だけでは無い、そういった数いる者達の収まりが付かなくなり御身の立場さえ危うくしますぞ!!」
信長は舅利政を信頼し、利政は信長を信頼しているだろうが、両家の家臣に付いてはそこまで深い信頼など在ろう筈が無い。加えて言えば自分の城さえ守れぬ信長を斎藤と織田の両家の中で頼り無いと見る者が出る恐れがあった。
「佐渡守、頼む。気持ちは分かる、それに有り難いが今川や清洲岩倉に対抗するには此の手しか無いのだ」
林佐渡守秀貞は堪え難い表情で黙り、大きく吐息を漏らし立ち上がって。
「勝手になさるが宜しかろう」
吐き捨て退室した。
林佐渡守秀貞は信長と袂を分かつ事になると確信する。弟は勿論、家臣領民も信長の今回の行いで勘十郎信勝を担ぐと言う意見が大勢を占めるのは確実だった。
全くもって信長は正しい。だが正しいからこそ受け入れられ無い事もある。弟は特にそうだろう。
歳を取ったからこそ林佐渡守秀貞は理解し、覚悟した。
名古屋より美濃に近い領地を持つ林家の者は皆、斎藤利政に対する懐疑心と恐怖心、何より敵対心を捨てられない。
そして、それは秀貞自身もである。
「許せ三郎……」
十年は老けた様な顔で糸目を悲しげに歪めて呟いた。この日を境に信長と林家の関係は酷く悪化する事になる。
一方、信長は家臣達の目も気にせず額を抑え怒りとも悲しみとも評せない感情を合わせて酷く落ち込んでいた。
「須らく向こうが正しい。だが他に手が無いじゃぁ無いか佐渡守……」
思わず憚る事無く弱音を漏らし、大きく一息。
林佐渡守秀貞が信長の言葉を正しいと思う様に、信長もまた林佐渡守秀貞の言葉の正しさを理解していた。
だが現行、兵力を集める手は他にない。
「皆も済まんな。俺にはこれ以外に手が浮かばない。意見があれば聞くが」
縋る様な思いで問うが、信長に浮かば無い物を家臣達が思い付く筈がない。
斎藤山城守利政に那古野を取られる云々以前に今川の砦を落とせなければ弾正忠家は終わる。熱田を守る事も難しくなり後は雪崩の様に崩れていくのだ。何方にせよ詰むのならば最良手は信長の手しか無いと皆が理解は出来ていた。
そして同時に、林佐渡守秀貞と同じ様に納得出来ない者も多い事も分かっている。
無言の評定に諦念の吐息。
信長は深呼吸をして。
「大叔父上、勝三に書を預け言い含めて有る。共に舅殿の所に援軍を乞う使者に同行させてくれ」
「わかった。子の七右衛門なら向こうも分かるはずだ」
「済まぬ。俺は側女の様子を見てくる」
複雑そうな顔で白髭を揺らし織田玄蕃秀敏が頷けば信長は評定を後にした。
勝三は七右衛門と共にその日の内に出立して津島に泊まり、長良川を登って斎藤山城守利政が居城である稲葉山城麓の居館に向かった。
山頂の山城をボーと眺める。到着して書状と直状を渡すやいなや即座に斎藤利政の前、重臣達の揃う大広間に通された。家臣からの『え、めっちゃデカくね?』的な空気を完全無視した斎藤利政に促されて。
「うーん成る程、成る程」
面白そうに笑った好々爺が使者である勝三に視線を。開いてもいない目から何とも言えない重圧が降り注ぐ。
「いやはや御若き使者殿。そこに居る愚息に勝るとも劣らない身の丈の者が居るとは思わなかったよ。詳しく話を聞かせてもらえるかな?」
「は、山城守様には那古野に後詰を派遣して頂きたく思います。派遣して頂いた将兵の方々の食住は此方が受け持ち平手様の志賀城と越智様の田幡城に駐屯して頂きたく」
「ふむ、文には喜んで頂ける筈のものを礼として譲ると書いているが婿殿は代わりに何をくれるのかな?」
「新品の鉄砲五十丁と火薬の作り方」
怖々爺が現れた。孤月の口に恐ろしい瞳を輝かせ全てを飲み込む様な禍々しい何かを放出しながら笑う。
誰一人、話せない。
「伊賀守ィ……」
三白眼を向けられブワっと脂汗を垂らした大柄でドッシリとした老人が。
「は、はは」
「幾ら、兵を出せるかね?」
「さ、三百」
「悪いがぁ、そう四百出せ」
「は、はは」
「誰か、掃除をしている三左衛門殿に伝えろ。婿殿との約束の兵は集まったであろうから五百を預ける故、それと土岐の家臣だった者供と共に婿殿の元に行くようにと」
小姓が跳ねる様に立ち上がって震える足で足早に退室する。今度は勝三に三白眼が向く。
何故かと問われても答えられ無いが何故か異様な迄に明確に死を感じた。
「素晴らしい。使者殿、流石は婿殿だ。御偉い六角めに関を止められ目前に国友が有りながら手に入らなかった代物、それだけの数が有れば少量とて美濃で作る事も出来よう。ハァァァァァ......素晴らしい婿を持ったぞ、儂は」
恍惚の表情で上機嫌に語れば勝三はシャワーを浴びてるかの様に汗を垂れ流す。
「あ、主三郎様も常々良き舅殿を持ったと常々申しております……」
ちょっと評定が騒ついた。斎藤山城守も少しの驚きを含めて勝三を見て。
「ほゥ……愚息でさえ儂とは目を合わせられぬと言うのに。流石は初陣で七つの首と一つの兜首を取って戦功重ねる若武者よ」
「有難き幸せ。それと一応で御座いますが禁令を出し山城守様の軍に手を出したものは一族斬首となります。援軍に来て頂いた一人でも我等の身内に害された場合は一人につき百貫と詫状を記す事を約束致します」
頷く怖々爺。上機嫌に底篭る様な笑い声。
「信用、鉄砲、火薬。此処まで気を使われてはだなァ伊賀守。無礼を働く痴れ犬畜生めは貴様が悉く屠殺しろ。一匹とても逃すでないぞ」
「う、承りましてっ、御座います。ここ、こ、此の命に変えましても」
「ンフッフッフッフ……ぁあ、素晴らしい。うぅむ気分が良い。使者殿、帰る際に使者を同道させてくれ」
「はは、承りました。失礼致します」
こうして交渉は終わったが初めての大身に対しての使者役目とかどうとか置いといて、褒められて怖いと感じたのは生まれて初めてだった。もう役目とか置いといて 斎藤山城守利政こと怖々爺の三白眼に感情諸々を掻っ攫らわれたよね正直。
津田七右衛門秀重は勿論、何故か使者として付いて来た筈の三宅弥平次にも良く怖々爺の相手出来るな的な意味で意訳するとお前マジかって言われた。
流石の勝三も津田七右衛門秀重は分かるけど三宅弥平次に言われたのはちょっと納得出来なかったよね、うん。
オメ家臣だろーがって。
那古野城に帰って会談のあらましを語れば信長は頷いて。
「流石、舅殿だ。直ぐに分かってくれたか。良くやってくれた勝三」
「は、有り難う御座います。それと山城守様から御使者が参って居ります」
「そうか直ぐに通してくれ」
勝三は控室に控えて貰っていた三宅弥平次を案内して書状と直状を受け取り信長に渡して信長の横に控えた。
「さて」
何時もは大叔父織田玄蕃秀敏に対して送るところを直接送ってくるとは珍しい。信長は余程の事かとバッと紙を開いて手紙に視線を落として固まった。
微動だにしない。
三宅弥平次も勝三も何事かと思い視線が集まっても信長は硬直したままだ。
「……勝三」
「は」
「お前、婚姻するか?」
「え?」
勝三が固まるとズイっと。
「ん」
信長に書状を渡される。
【婿殿へ
白雪世を覆い茶の旨き事甚だしき今日此の頃、御話伺い申し候
信頼と火縄と火薬の由、|感謝の念の絶えぬ事甚だしく候事《超嬉しい》、|重ね重ね御礼申し上げ候《本当あんがと》
件の悉く承知致し候即刻準備致す候事、諸々|使いの者依御聞き願いたく候《使いに聞いてくれ》
以下此れより記す件、些事に由候。
使われし使者殿事、先の事を案じ由候|息女との縁談を勘案し候《娘との婚姻を考えた》
婿殿の思惑如何によって側女にて構わず候
縁尚深める可く門戸にするも良し候由勘案して頂きたく候
斎藤山城守利政】
「いや下手したら離間策と思われるじゃねーか!!?」
思わず叫んで首を横に振るだけの置物になった勝三から手紙を回収する信長。戸惑ってる三宅弥平次に渡せば主人の書状を読み頭痛を堪える様に額を抑えた。
「此れは、申し訳御座いません」
「うむ。まぁ驚いたが気にしていない」
信長は斎藤山城守利政の言いたい事を直ぐに察した。大名が娘を他家の臣下に嫁がせる事は普通ではない。即ち鬼夜叉を早めに囲っておけという忠告だ。
「舅殿に此処まで配慮されては何か考えるべきだな。舅殿に信長が深く感謝していたと伝えてくれ」
「はは、では援軍の仔細を」
「頼む」
信長は姉妹の誰かでも嫁がせるかと勘案する。少々、いや余りにも重用が過ぎるが信長からすれば平手政秀が最後に残した重臣で、勝介の息子であり弟より弟な最も信用出来る存在。
勿論、家臣達は全員大事ではある。だがそれでも勝三と同等の存在など親族や丹羽長秀くらいのものであり、次点で池田恒興とかっていうレベルだった。
勝三が小さい頃からずっと一緒だった上に、その勝三も前世の記憶に吊られて信長の事を常に信用信頼していたのだ。忠臣を忠臣として周囲に知らしめるには丁度いいような気もする。
まぁその勝三は完全に首ふり人形になってっけど。