二つの評定
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清洲城の締め切った一室に悪鬼がいた。いや、明確に言えば悪鬼の形相で涙滂沱の如く流す老年の男だ。
彼は尾張小守護代。坂井大善その人である。勝幡弾正忠家の雄信秀の死と山口家謀反という好機に坂井甚助、河尻与一、織田三位と合議して萱津の戦いを起こし大敗した男だった。
「甚助、彦左衛門、皆待っておれ。仇は必ず討つぞ」
嗄れているが底篭る様な声で漏らす。両の眼から流れ止まらぬ涙を片の掌で乱雑に拭い去り、立ち上がって戸をはじき飛ばせば日に焼けたずんぐりとした身体が陽に照らされる。
復讐と決意を胸に評定へ。
清洲の広間際奥には尾張守護で武衛様と尊称されるの斯波治部大輔義統。
その左手前に守護代清洲織田大和守彦五郎信友がいて、対をなす右手前には武衛様の嫡子で齢十三になる斯波岩竜丸が。
左側に一人分空いて河尻与一、織田三位が座す。
右側には斯波孫太郎統雅に篠田弥次右衛門や太田又助信定が並んでいた。
「遅くなった」
大膳はそう言うと定位置に座す。
「無礼な」
途端、岩竜丸が憎々しげに吐き捨てる。ジロリと睨めば不快そうな顔で睨み返してくるが口は閉じた。何時もなら鼻で笑う所だが敗戦で余裕の無い大膳には気に食わない瞳を受け流す余裕がない。
一喝くれてやろうか。そんな思いが湧いて沸く。
「いやはや大膳。此度の戦、御苦労だったねぇ」
しかし断たれた。上座から流し目を寄越す斯波治部大輔義統。齢四十ながら何処か飄々としており大膳からすれば腑抜けの御飾りだった。
いつも浮かべる薄い笑みが嘲笑に見えて仕方ない。
「武衛様、次は必ず弾正忠家を滅ぼし今川朝倉を砕いて御覧にいれます」
「ンフフ、大膳は面白い事を言うね。その今川と戦っている弾正忠と敵対し、今川の手先である信勝に偏諱を与えさせるどころか信賢との交渉の仲介までさせておきながら」
大膳は内心舌打ちをしながらも、おくびにも出さず。
「偏諱に関しては武衛様の臣下が必要と思っての事。彦五郎については、はて何の事やら皆目見当がつきませぬな。三管領筆頭にして尾張、遠江、越前守護たる武衛様の敵と内通するなど畏れ多い」
大膳は一度口を閉じてから憤怒と殺意の篭る目を向け。
「ああ、それと弾正忠家に尾張守護をお譲り為さるのはお薦め致しませんぞ武衛様」
斯波治部大輔義統は片眉を上げてキョトンとした後に。
「ッ……ブフォアッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!」
爆笑し出した。畳をバシバシ叩きながら大膳を指差し顔を見ては抑えきれずにまた笑う。
「ヒーッフヒ、ヒヒヒヒっクフフハハハハハハハハハハッハハハハハハッハ、ゲッホゲホ、オエエェェェェェェ」
うん。笑いすぎじゃね?
噎せる通り越して吐きそうじゃん。
斯波治部大輔義統は笑いを抑えられずに紛う事無い嘲笑を浮かべて言う。
「ブフフ、だ、大膳。ふふ、自分が私にしている事を思い出せ。此度の敗戦を私の所為にしたいのだろうが弾正忠に密書や密使を送ればお前は直ぐ分かる筈だろう。そんな事があったと周囲に思わせた時点でお前は私を殺さねばならなくなるぞッハハハ。そ、それにしても、しゅ守護を譲るってブッフフフ」
大膳は口端を震わせた。御輿の言う通りであったからだ。今回の敗戦が余りに酷く大膳達の家中の統制が緩んだ為に、斯波治部大輔義統を裏切者かも知れないと言う生贄にして統制を図ろうとしたのである。
しかし、そうなれば家臣達からの突き上げをくらい大膳は守護弑逆の汚名を被る事になるだろう。
「フフフ、ふー。私は皆が思う様に凡愚だが誰が如何見られているかはよく分かっている。大膳、戦も手落ち、政も手落ちとならぬ様にするのだな……」
笑って言う斯波治部大輔義統を今にも殺しそうな目で見る大膳。清洲城のギスギスっぷりのエグさったらない。
ほぼ同刻、那古野城でも評定が開かれていた。政秀の頼みで腹心達を大広間の端に控えさせておとな衆に混じり円座で座る信長。
「萱津での戦は大勝したが敵の一隊の槍が随分と長く手古摺った。此方も長くしようと思うが皆どう思う?」
信長が問えば勝介が逡巡してから。
「良いかも知れませぬ。間合いが取れれば攻防揃って優位に立てましょう。無論、鍛錬と細工は必要でしょうが相応の価値はあるかと」
「確かに。そもそも雑兵は兎も角、足軽の展開する長柄の槍衾は強力。ある程度の兵が揃えば騎馬をも止める。となれば全部隊とは言いませんが本陣備に行き渡らせれば弓鉄砲隊と併用して十二分に使えるかと」
「それはいい考えだ長門守。まぁまだ鉄砲は使えないが、だからこそ合間を使って此の滝川隊に試験させて貰いたい」
居並ぶ家臣も悪くないと頷く。
「良し。では犬山との婚姻はどうだ佐渡守?」
「抜かりなく。喪が明ければ直ぐにでも二の姫様を迎えたいと伺っています。明後日、梅岩様と共に犬山へ伺う予定になっていますので、その後に詳しくお伝え致します」
「重畳だな」
信長は満足そうに頷いた。しかし直ぐに吐息漏らして灌木のように細くなった平手中務丞政秀を見る。ニコニコと見返す爺。
「如何しましたかな若」
「いや、不粋だろうが言わせてくれ爺、余り無理をしてくれるな」
「此れは此れは若様、年寄りを泣かせるものではありませんな。しかし公家の相手はこの中務の仕事なれば」
「......そうだな。すまん」
「謝罪など、ただ任せるとだけ言って頂ければ」
信長は大きく息を吸い。
「公卿の事。万事、任す」
「お任せを、若様」
微笑む政秀にはゆっくりと己が命の灯が消えていく実感が有れど、しかし何の憂いも無かった。命尽きるその時は方々に遺言を残して自決する時だと決めている。何より信長には大きな才能と素晴らしい家臣の二つが有るのだから。
平手政秀は穏やかな顔で部屋端に控える信長の若き腹心達に向き直り。
「儂の死後、若様を守る役目はお前達に任せる。一芸に秀でる者も多芸に富む者も能く能く相手を見て学ぶ事を忘れるでないぞ」
訓戒。
未来の腹心達は唯深く頭を垂れる。二十人にはなろうその中には勿論、内藤勝三長忠もいた。
この日から政秀は後進育成と死ぬ為の準備に取り掛かる。後進育成は年長では岩室長門守重休、同年で丹羽五郎左衛門長秀、年少に内藤勝三長忠と言った政秀の見込んだ信長個人に忠誠を向ける者が選ばれた。
三日後。
「勝三、生きてる?」
「死んでるかもしれない......」
与三の目の前に灌木になった勝三がいた。弱々しく金砕棒を振る姿は勝三か疑わしい程だ。馬を手に入れてから馬にもっと慣れる為に二人で津島まで遠乗をしていたのにその時間も元気も無い。
それに時折、勝三が居眠りをする様になり「あぁ......ま、巻物に押しつぶされる」とか言う様になった。兄弟分と言うか実際に兄弟の様な与三からすれば何事かって話だ。
尚、岩室長門守重休と丹羽五郎左衛門長秀も同じ症状である。