まぁ色んな人が居るよね
「オボッボボ、ボボボ、オボボボボ……」
義昭が流石に可哀想な事になってた。陸にいるのに溺れてる。いや何方と言うか陸に上げられた魚みたいだ。
自業自得は、そう。
が、余りにも不憫。
凄い顔……。血の気が引いて蒼白とは言うが白粉を塗った様な顔で顔中から液という液を垂れ流しだ。口は常に半開きでワナワナ震えエヅく様な声を漏らす。眉毛は完全に八の字で目の焦点は定まってさえいない。流石に幾ら何でも、である。
その手に握るのはクシャクシャになった柳沢新右衛門元政の密書である。要点の部分だけを抜粋すれば。
不識庵の由、之紛う事有らず候。故依って一刻も早く頭を垂れるべしと諫言致し候。伏して願い奉り候。
「コッチだってそうしたいねん」
そして義昭の身が粟立つ。音さえ無いが感覚でわかった。実際に想定通りに小姓が来る。
雰囲気は小姓って感じじゃ無い。凄い整った顔の青年で覇気が怖ぇ。あと立場もヤバい。
思い出しただけで汗止まらん義昭。入室し頭下げる小姓。ちょうど顔を拭ったくらいだ。
「大樹様、皆様がおじゃいもした。評定へ御出ましゅうれん」
大友家の小姓は未だしもコッチは何言ってるかわからん。訛り濃いしあんまり大友家は昔から結構縁があるから慣れてる。完全にフィーリングで受け答えしてた。
「……おん」
「御?」
「いや、わかった。今行くわ」
襖が開き義昭の胃がキュっとなる。それは慇懃深々と頭を下げた三人の男による物だ。なんかもう覇気と圧力が凄い。
「面あげてや」
その向けられた訳でもなお激烈にして余りに重い威圧に耐えかねた義昭が、幸いその内心を隠しながら親し気に言えば三人の頭が上がり顔が見えた。
どれも怪物である。
一人は坂眉の下で何処か望洋とした目を揺蕩わせ薄い笑みを浮かべていた。そしてその褐色で面長な顔の下は鍛え抜かれている。だが如何にも細身な印象を与えるスラリとした体躯であり、また何故か弛緩した様な気風をしていた。それは影が薄いのでは無く次の一手が酷く判り難い不気味さを薄らと漂わせる物である。
此の飄々として侮れぬ男、龍造寺家が一門。鍋島左衛門大夫直茂。
一人は機嫌に関わらず眉間に皺を寄せており人を殺せそうな大目は眼力が甚だしく口は硬く閉じられている。その迫力ある褐色で巌の様な顔を隆々とした雁山の如き体に乗せており一際に覇気や威圧感を轟き迸らせていた。雷鳴の様に非常に判りやすく雷撃のように非常に強力で雷光の様に非常に眩い。
此の激烈にして頑強なる男、大友家の重臣。戸次麟伯軒道雪。
一人は薄い眉の下で冷然として涼やかな目で微笑んでいた。面長だが骨太でガッシリした色白な顔を極めて質量のある身体が悠々と支えている。太っている訳ではないが大らかで頼り甲斐のある体躯。しかして何時炸裂するかも分からない火山の様に座っていた。
此の雄大にして慈悲深き男、島津家の兄弟。島津兵庫頭義珍。
どれも英雄である。
そして織田家が義昭の心をヘシ折る為にボコボコにせねばならないと考えた家家で特に軍略に明るい将達だった。
いや、まぁ義昭の心は既に折るどころか粉々通り越して摺鉢で粉末状にされた感じだけども。マジで織田家からすれば畿内から落ち延びて盟友の手中にあって上杉家を扇動した挙句に九州まで行ってんのだ。初代の室町将軍の故事も考えれば心折れたどころかバチクソ戦意があると思われてしゃーない。
だから織田家は義昭を朝敵にすると同時に龍造寺に少弐の帰還、大友に博多撤退、島津に日向返還を伝えたのである。
勿論だが三家マジでキレた。
で、丁度良いトコに丁度良いの(義昭)が居るし担ぎ上げるよねって言う。んでそうなると義昭が朝敵にビビっても逃して貰えないよねって話だ。少なくとも三家としては自分達が織田家を一旦押し返して多少なりとも有利な講和する迄は神輿(義昭)を逃せない。
ンな訳で。
「織田ん角船は南蛮船には劣るて聞く。まぁ唐国から日ん本どころか遠か南蛮まで行くっ《ける》船と比べてん話ばってん、ばってん津々浦々に兵ば置くわけにもいかん。困ったもんや」
鍋島左衛門大夫直茂が上げた片眉側の顳顬を押しながら言った。戸次麟伯軒道雪。も重々しく頷く。
「うむ……門司に兵ば置くでは対処はできまいぃ。周防長門ん各港に一角船が多数入港しとー。特に三田尻には五、六隻ん船が留まり目も眩む様な数ん兵糧ば積み上げとーて聞く」
二人の危機迫る様にそれ程のものかと頭痛を覚えたのは島津兵庫頭義珍だ。
「常識を言わせて貰うが雷神殿。如何に敵ん船が動けようと撤退を考ゆれば豊前じゃなかとな。二千三千如きなら海へ叩き返せずとも城は守るっど。要衝だけでん置いちょけばないとかならんか?」
「そう見せて、いや我等ん布陣を見てから攻撃地点ば変えるじゃろうね。それが出来っ船たい。織田ん角船は」
「では、船には船だろう。左衛門大夫殿」
鍋島左衛門大夫直茂は島津兵庫頭義珍に言われ戸次麟伯軒道雪に視線を向けられて辟易と頷き言った。
「それしきゃーナカとですね」
そして戸次麟伯軒道雪もイヤそうな顔で言った。
「其方は宮ノ前や横瀬浦ん事もあるやろう。南蛮寺ん方にはこちらから言うとく。寺社ば焼く事はウチも好かん。あん襤褸衣ば纏った長崎ん南蛮坊主とも話ば付くるとは骨が折るーがな。全くとうれす殿が懐かしかばい」
肥前国彼杵郡長崎は口之津の南蛮寺。
「エセマニアコ・デル・ジャポインス《ジャポインス》!!!」
(あのジャポンイス狂いめ!!!)
ラテン語も話せるが故郷の言葉で怒るのは眼鏡をかけたガタイのいい白人。彼によって真鍮の酒杯が叩き付けられ床にワインが広がった。余りにも貴重で懐かしい故国の味が木目に染みていく。
「アイ!マドレ・ミィア!!!」
(あ!しまった!!!)
己の短気な行いの結果を見た軍人は思いっきり絶望した。故郷を離れてから以前程には飲めなくなってしまったのだから絶望も一入である。だが溜息を一つ漏らして冷静さを取り戻し椅子に腰掛けた。
さて此の時代の日本にまで布教に来るような宣教師とは往々にして能力と度胸があるのは大前提。それに加えて先進的であり相手を理解し融和的で極めて尊敬に値する人達だ。だが彼はその中で数少ない何で日本に来ちゃったん?って感じの人だった。
いや、寧ろ時代を考えればスゲェ聖人じみた人がピンポイントで日本に来過ぎな感じがあるけど……。
この時期に来る宣教師の中では異端な事にこの時代らしい傲慢さがあった。まぁ宣教師になる前は此の時代の異文化権で自国民を守る為の軍人だったし実際に故郷は乗りに乗って日の沈まぬ帝国街道の半ばを爆進中である。だから言ってしまえば進んだ国で進んだ能力と学識能力はマジであり傲慢もしゃーないトコは、まぁ明言を避ける。
だがそれはそれとして上手くいってた前任者のやり方を全否定してグッチャグチャにしてんだからマジで意味不明。
いや寧ろ時代相応っちゃそうだし日本人だって狭量狭窄な人間はいる。しかしラテン語ポルトガル語を現地民に教えず、宣教師に日本語も学ばす学ばせずで、何を如何やって宣教すんのって布教活動をかました人物。まぁ身内からもボロクソに言われた宣教師である。
出身はスペインで大西洋に浮かぶアゾレス諸島サンミゲル島、新大陸へ向かう為の海の要地の出身たるスピュリア・ミショネス・イアポネケの貴族。日本宣教師の現総領たる男フランシスコ・カブラルだった。
「それにしても……」
フランシスコ・カブラルは悔やむ。船乗りで軍人だからこそ帆船の作り方を伝えてしまった事をだ。マスケットを作る能力があるのだから現状は十分に想定できた。絹の売買が減り銀の必要性から商人達を説得できなかったのである。痛恨だった。
しかも何が酷いって技術を伝えれば銀をポンと渡してくるので技術者を連れて来て理屈まで教えればコーシューと呼ばれる金や絹や木綿や絹織物まで渡してくるのである。酷い時はオダの用意した料理如き鳥であるが肉を食えるとポルトガル商人が目の色を変えて色々と教えてしまうのだ。軍人として言わせれば正気では無いマジの利敵行為だった。
「だいたい何なのだ。私が奴等を思って主の御心を教えてやっても見向きもせぬ癖に!!
そしてフランシスコ・カブラルは不快な記憶を思い起こす。慈心を持って御心に添い教えを授けようとしたら変な者を見る目を向けられた事を。控えめに言って非常に不愉快だった。
「そもそもジャポンイス狂いは利用されている事を理解もしておらん!!クソ!!!」
まぁここまで荒れるのにはそれなりの訳があり長崎、と言うか肥前国は非常に困った事になっていた。
まぁまぁフランシスコ・カブラルの責任もあるがキリスト教と言うか宣教師に対する不信感と忌避感が早急に広がりつつあるのだ。
そんな中で異教徒の施設を焼くよう諭したり強引な改宗から生まれて当然の反キリスト的な者達が龍造寺軍を呼び寄せたのである。
またキリスト教の日本拠点として長崎は三ヶ所目になるが最初は商売が拗れた事で日ノ宮を追われ、次に地元勢力の権力争いに巻き込まれて横瀬浦から移ったのである。
前者は日本人贔屓な裁定故にフランシスコ・カブラルも商人達も願い下げで後者は割と確りハタ迷惑なトバッチリだった。
で、龍造寺家を反キリスト教の者達が引き入れたのは大友家が毛利家と戦っている間に起きた事で、龍造寺家は南蛮貿易の旨味を知っており敵対まではしないが反キリスト的な家臣を配下に含んだのである。
当然フランシスコ・カブラルは非常に危機感を抱いていた。何せ長崎を失えば次の拠点を得る事が出来るか非常に怪しい状況。挙句に足元でさえ反キリスト教的な空気が蔓延し始めているのだ。戦いとなれば二度三度と戦ってみせるが物資と兵数の不利は軍人で無くとも分かる。
「せめて京に行き情勢を知りたいが此処を離れれば何をされるか分かったものではない」
そうカブラルは何度か京に行こうとした。しかし毛利家と大友家の博多を巡る戦い、織田家の上洛から本願寺との戦い。其れ等が重なった結果、その機を逃し続けたのだ。
まぁ代わりに勝三の記憶より上方でキリスト教信者が増えてるけど喜ばしくも今はそれどころじゃない。
そんな中で日本における庇護者ドン・フランシスコ・ヨシシゲ・オオトモ王およびドン・バルトロメオ・スミタダ・オオムラからガレオン船と船員、即ち戦力の貸し出しを求められたのである。
伝え聞く状況でしか無いが軍人の見識と観点で言えば此れは避けるべき事態。だが現状の宣教師に対する不満とドン・フランシスコ・ヨシシゲ・オオトモ王と言う後援者の状況を考えると無視も出来ない。故に日本布教区責任者フランシスコ・カブラルは決めた。
「セニョール・ペルドナメ……」
だから祈る。
「良くいらっしゃいました御二人共」
勝三は大阪城の己の屋敷で二人の南蛮人を迎えていた。
「お出迎え感謝致しますセニョール・ナイトウ」
勝三の出迎えに下手な日本人より朗々と力強く日本語を話すのはグネッキ・ソルティ・オルガンティノ。宇留岸伴天連と親しまれる宣教師、いや厳密に言えば巡察史だ。服装は仏僧の様な格好で信長が友好の証として送った絹衣を着ていた。現在は初等教育を教えるセミナリオの院長もしている。
続いてルイス・フロイスも頭を下げた。
「ささ、料理の準備ができております。話はそれを食べてからと致しましょう。喜んで頂ければ幸いなのですが」
「貴方と、神に、感謝致しますです。セニョール・ナイト。大変、楽しみだ」
少々途切れ途切れながら十二分に分かる日本語でルイス・フロイスが嬉しそうに言った。勝三はキリスト教徒になる気は無いが二人にはソコソコだが便宜を測っていた。
何せ全く異文化の異国の地に来て異国の言葉を話すと言う点は尊敬して余りあるし、色々と教えてくれるのだから無体な事などしようとは思わない。それに勝三は延暦寺ファイヤーに余り感慨を抱かなかったとは言え、目の前の宣教師達が寺社を焼く事に積極的な事を知らなかったと言うのは大きかった。
だから寄進や御礼と言う形で綿の服や鉄火鉢などの物品に卵と大麦や小麦などを送っていたのである。
さて勝三の先導した先は大机と椅子が並んでいた。それらは漆器であり特に大机は蒔絵で二人のおかげで作れたと言って良いガレオン船サオン・プレステ・ジョアンが大波を越える絵柄が描かれている。尚、勿論だが勝三は信長にも金の蒔絵で龍を描いた一卓を献上してた。
「コレもそうですが貴方方が欲しいと思える物が用意できれば良いんですが。最初は十字架かデウスをと思ったんですが象徴や神様の絵の上で食うのも気まずいなって。なんで普通に木箱に俺の描いた絵を職人に蒔絵にして頂きました」
とは言え勝三はキリスト教の絵とか知らないので描いたのは唯一知ってるエッケ・ホモ。修復の失敗ないしは途中で有名になったエッケ・モノって言われちゃったアレの修復前の絵だ。まぁ記憶も薄れているが十字架を中心にした後光を見上げてる。フランシスコ・ザビエルの絵っぽさもあった。
「おぉ……タブラも素晴らしいが此方は」
グネッキ・ソルティ・オルガンティノが感嘆を漏らしながら言った。
「此方は五つほど作ったので是非お持ち帰り下さい。小物入れくらいにはなるかと思いますので是非。様々な文物を教授頂いた瑣末な御礼です」
「何と」
「多少は恩返しができた様で嬉しいです。さて飯です。飯。飯を前に長話は良くない」
勝三が言えば小姓が刺繍入りの布を敷き勝三の前では箸を手前に置いて二人には匙を置いた。最後に左右へ突き匙と小刀を並べる。なんか所々おかしいが勝三が薄らと覚えてた洋食の作法を何とか思い起こして再現したのだ。
「少し曲がった五本のファーカ」
「伺ったヤツを一人一人使える様に用意させて頂きました。南蛮技師の方々にも食べて頂こうかと。料理も其方の物を幾つか準備させて頂きました。昨年から仕込んでおいた物も有りますので故郷の味には遠く及ばないでしょうが賞味ください」
勝三が手を挙げれば控えていた従者が頷き料理を持ってくる。
「取り敢えずパオンも用意しましたが前に仰っていた物。試しに作ったパスタです。オーレウムが無いので荏胡麻油ですがご容赦下さい」
パスタは極論だが小麦と卵と油があれば作れる。勝三が拵えたのは海老と貝と茸を入れた平打ち生パスタっぽい代物だ。細いのとか無理だし平打ち生パスタはソース系なイメージだったが普通にカルボナーラとかトマトソースを作るのは無理だった。しかもオリーブオイルじゃ無いから独特の風味がある。
あとはパンと鶏の串焼きに菓子だ。近い物を挙げればパンはパオン・デ・マフラ。鶏の丸焼きはほぼ塩味の焼鳥。菓子は正味カステラみてぇなパオン・デ・ローである。
「それと甲州の葡萄を昨年頂いたので購入した機械で搾って拵えた物です。そんなに寝かせて無いですし他に桃とか林檎とかやってみたんですが飲めるかどうか」
勝三が期待しないで欲しいと言わんばかりに言えば配膳が終わり宣教師達が祈りを捧げ勝三が言う様に食事を始めた。黙々と食べていくが表情は柔らか。
オリーブオイルは日本で言うところの醤油とかのレベルだ。故に特にイタリアを出身とするグネッキ・ソルティ・オルガンティノは違和感を覚えたがコレはコレで美味だった。
何よりも自分達を思って努力をしてくれたのだ。であればキリスト教で言うところの黄金律や隣人愛と言えた。宣教師として喜ぶべき事だ。
「非常に美味でしたセニョール・ナイトウ。貴方の慈愛、とても美味しく、とても嬉しかったです。品々は確り商品になりますし食事に関しては皆が喜ぶでしょう。商人の同胞にも聞いておきます」
「それは良かった。では其方の要件ですね。俺に頼みたい事があると」
「はい。私達の恩人。ドン・フランシスコ・オオトモ王およびドン・バルトロメオ・オオムラとの交渉をさせて頂きたいのです。私達は何とか戦いをせずに済む様にしたいと考えています。此の命に変えても彼等を説得しますので、どうか彼等との戦いを辞めて欲しいのです」
勝三は非常に困った。義昭の降伏の為には四肢をヘシ折らねばならないと考えている。四肢とはそれぞれ権威と島津家と大友家と龍造寺家だ。権威は圧し折っている。
だが今までを思えば此処程度で折れるとは思えない。それは思いっきり勘違いで買い被りでしか無いのだが今までを思えばンな事が分かる訳が無い。また義昭に対する不満も非常に大きかった。
「フロイス殿。気持ちは素晴らしいが大友家は無理です。大村家ならば多少の加減は可能でしょうが大友家は大身であり前の大樹に対する助力をしたのも拙い。私も含め将軍には怒りを覚えていますし、それに助力したとなれば殿が許せても臣下が収まりません。既に限度を超えてしまった」
「……では」
「ええ。助けるのは不可能でしょう。殿に頼むのも控えた方が良い。どうしてもと言うなら一度だけになさった方が良いでしょう。貴方方は嫌いでは無いですから」
「ウー、デウス。イエスズ」
「同郷の方々に関しては戦の事ですから絶対とは言えませんが危害を加えぬ様に務めます。向こうから攻めてくる事は無いでしょう?」
「それは御安心下さい。同胞に手紙を出していますので。カブラルも情勢を知って助成はしないでしょう。彼は軍人ですから」
「代わりにはなりませんが説得をなさるなら一筆認めます。大友家との戦いは避けられませんが御怒りにはならない様に」
「感謝いたします」
そんなこんなで九州征伐の準備は着実に進んで行った。