一戦過ぎてまた一戦
那古野城の大広間に信長の主な家臣達が集められた。大人衆、吏僚衆、旗本衆と信長直下の者達に加えて叔父梅厳や弟信勝などの連枝衆に国人衆もだ。
「うぅむ、ならば貴殿は戦さ場には出ぬのですか」
「いや、戦さ場には行くかもしれませぬが如何にも槍働は難しい。体力も持たず身体が動かぬ有様では味方の足を引っ張ります故。それに私がいなくとも柘植殿程の武人を打ち取った勝三や次代の者達がおりますれば」
「うむ、あれには驚きました。彼の御仁は小豆でも活躍した猛者であった。その猛者を初陣にて討ち取るとは勝介殿は良き御子息をお持ちになれられた」
「忝い造酒丞殿」
「なんの、事実に御座いますれば。息子も初陣で七首一甲の功を立てると勇んでおります。それと私も息子も願わくば何時か勝三殿と馬を並べられる時を待っておりますぞ」
「重ねて礼を言わせていただく」
勝介が日頃親しい織田造酒丞信房と話していると収集がかけられる。高座に勝三を控えさせた信長が座って後は左右に連技衆の弟信勝と梅厳など数名。そして家老衆に国人衆と来て最後に吏僚衆と旗本衆だ。
信長は端的に。
「皆、よく来てくれた。山口への対応を相談したい。先の小競り合いで周辺の地勢を見て来たからな」
勝三が地図を出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・・・・・・・・・◯・・・・・・
・・・・・・・・・・◯・・1・・・・
・・・・・・・・・・◯・・・・・・・
・・・・・・・・・・◯・・・・・・・
・・・・・・・・・・◯・A・・・・2
・・・・・・・・・・◯◯・・・・・・
・・・・・・・・・◯◯◯◯◯◯◯◯◯
・・・・・・・・◯◯◯・・・◯3・・
・・・・・・・◯・・・・・・・◯◯◯
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
A鳴海城・1丹羽下・2善照・3中嶋
「鳴海城に対して丹羽下、善照、中嶋のそれぞれに砦を建てようと思う。
丹羽下には古い集落の古屋敷、善照には古寺がある。これを使って砦を築き、最後に中島へ砦を作る」
一人の老将が白い髭を撫でて頷く。
「悪くない。侮られては終いじゃ。八事まで出張って来た義元めに恐れたなどと思われては堪らんわ」
大叔父、織田玄蕃允秀敏だ。信長の祖父の末弟で織田家の長老である。老当益壮と言うか老当益剛……老いて尚ムッキムキ。
「誠に良き思案に御座いますな、ええ」
続いて頷いたのは尾張愛知郡山崎を根拠とする佐久間右衛門尉信盛である。重厚な風を持ちながらも感情豊かな表情で、クリンとしたハの字の口髭が特徴的であった。なんかオッサンなのに、なんと言うか愛嬌的なものがある。
「私も同意する」
場がざわめく。信勝の大人衆の次席で御器所城城主の佐久間大学允重盛である。
荒武者などという言葉では足らぬ忿怒迸った霹靂の如き形相で有るが、デフォルトの顔だ。なんだろう、眉間の皺の深さとか顔面の力みっぷりがアレなサムシングで面長仁王像ってとこか。
場の全員をジロっと、まぁ大学允重盛からしたら普通に見渡しただけだが、見渡して吐息を漏らし。
「何を驚く。今は織田家の大事だ。現状の上策を取らずに如何するというのか」
そう言って無言になる。変わって吏僚衆の村井吉兵衛貞勝が面長で紳士的な顔で執事っぽく口を開く。
「では、殿。普請、作事の銭勘定をするに如何程の規模の物を想定しておいででしょうか」
「うむ、五百程の兵を入れられれば良いと思っている。加えて知多を見据えて更に二つの砦を増やしたい」
「なれば物資を集めるに五年、完成は七年は掛かりますぞ」
「仕方あるまい。吉兵衛、勘十郎」
「は」
「は、はは」
貞勝は即座に応えたが信勝は薄く驚きの表情を浮かべ少し慌てた様に。
「双方に五百貫を預ける。吉兵衛は三郎右衛門と供に津島で、勘十郎はその方の家老山田弥太郎と供に熱田にて諸々を集めろ」
「委細承知」
「承りました兄上」
信勝が薄っすらと漂わせる気に入らないという感情、必要な事ではあるが今川に対抗する行いに手を出さねばならないのは苦い思いがある。
信長は努めて無視して。
「物資が揃えば俺も人を出すが佐久間両名にも頼むことになるだろう。任せられるか?」
「は」
「無論」
「感謝する。埋め合わせは必ず」
信長が謝意を述べると佐久間両人が頷いて佐久間右衛門尉信盛の方がニコニコと手を叩く。
「殿、丁度良いので御報告致しますが大給松平の源次郎和泉守が服属を打診して参りました」
「誠か!!」
信長が目を見開き喜色を浮かべ信勝が苦り切った顔を。
「朗報だ右衛門尉。あの武人が此方に着くと言うのなら心強い。それに一色丹羽氏との交渉も上手くいくだろう。中条小一郎に伝えれば喜ぶぞ」
「うむ、朗報に水を差すのは気が引けるが序でに俺、拙僧からも皆に提案を一つ良いか?」
「梅厳叔父上、何でしょうか?」
気は進まぬがと前置きし口を開く。
「三郎が戦に出た際に清洲が兵を集めていた。直ぐに解散させていたが敵意は相変わらずよ。それに岩倉の事も有れば犬山の十郎左衛門と和解せんか?」
「叔父上が言うのなら否は御座いませんが所領争いは未だ続いていますぞ」
「俺と叔父上で十二分に話を付けるられる筈だ。何せ岩倉と小競り合いが頻発していると言うから婚姻でもさせれば一発だろうよ」
諤諤とした評定を終えると信長が下がり勝三も付き従う。岩室長門守重休と交代して一服させてもらいベターって言うにはデカいが倒れ込んだ。
「おう先達、お疲れさん」
「フフフ勝三、評定はどうだった?」
そんな勝三をねぎらう様に問うのは一歳年上の小姓仲間で前田犬千代と弟の佐脇藤八郎良之だ。
「いや気持ちが付いていかない。何度か評定に同行してたけど藤八郎は良く平気だったな」
「いやいや僕の時は知ってる人だけだったよ。今日みたいな重臣ばかりの評定だったら僕だって緊張するよ」
「あー、それは確かに。いっつも重臣方ばかりって訳じゃないもんなぁ、ん?」
「え、あ。どうしたんですか兄上」
話してる途中でブンむくれた顔の犬千代に気付く。
「なんだお前ら。俺に対する当て付けかコノヤロー、二人して元服した上に評定の付き添いさせて貰いやがって」
「まあ、僕達は養子と唯一の子息ですからね。フフン」
胸を張った藤八郎良之の頭に青筋浮かべた犬千代の手刀が落ちた。
「あ“あ”あ“いったぁ〜〜っ」
「ザマー見ろバーカ!直ぐに初陣して兜首七つ取って元服してやるからなコラァッ!!」
頭抑えてバタバタ部屋の中で暴れる弟と顔真っ赤で指差す兄ちゃん。勝三は苦笑いを浮かべながら起き上って片手で逆立ちする。
「何してんの先達?」
「いやぁ御歴々に挨拶回りをする前の気晴らしです」
ドン引きの犬千代に答えると片腕一本逆立ち腕立てを始めた。
「何してんの勝三」
藤八郎良之も完全にドン引きした顔で呟いた。
勝三が小姓として働く側、勝介は信長直下の戦力拡大を任され兵を集めに四方八方へ赴いていた。元来熱田と津島からの収入を使い兵を雇っていた織田家で有れば慣れたもので、食い詰めた農民や河原者などを雑兵としてでは無く足軽として集めるのだ。
「勝介殿か。また人がいるのかね」
庄内川のほとり、立派な屋敷の横の獣臭いあばら屋の中で勝介を迎えた老人が言った。勝介は土産を渡してから。
「うむ、また頼む。肝の座った者がいれば飢えさせん」
「まぁ豪気な事だ。此処は獲物が無きゃ飢えちまうが子供は多い。望む奴らが居るんなら好きなだけ連れってくんな」
「忝い」
「律儀なもんだね」
「それと今度、息子を紹介させてもらおうと思う。勝三には俺の後を継いで貰うからな」
「ああ、今話題の七首一甲の若武者かね。あんたに似て随分と大きいそうだな」
そんな感じで方々を回り人を集める。特に津島や熱田など港の周りは流れ者が多く雑兵も足軽も集めやすい。
孤児など乱世で有れば山の様に出る。その上で村や町で面倒を見られない者は大抵の場合は野盗になるので、その前に雑兵として雇ってしまった方が治安維持も出来て一石二鳥だ。
三ヶ月もすれば信長の備え八百に加え三百の兵を用意出来、勝介の功績であったことから毛利藤十郎忠之が侍大将に岩越喜三郎二郎高定が副将として新たな備となったので有る。
尚、彼等の抜けた穴には丹羽氏秀を匿った事で城を捨てる事になった中条小一郎秀正や河尻与四郎秀隆が埋めた。
そんな感じで時が過ぎて天文二十一年八月十五日の事、鬼夜叉丸は茹だる様な暑さに汗を垂らしながら吏僚衆の手伝いをしていた。
「一人一日分が米七合に味噌と塩がそれぞれ二勺で兵が千と百だから単純計算で米七石七斗に味噌塩が二十二升か。もう兵の一日の兵糧だけで九匹の駄馬、荷車でも一台を使わなきゃいけないな」
兵が増えた事で必要な事の確認が多く、勝三は最低限の兵站の確認を任されていた。千人を超える人が動く為、些事で有れど規模が大きくなるし、命に関わる大事で有る。
因みに村井吉兵衛貞勝は兵の給料、配給する装備など勝三のやってる事以外は全てやってた。ヤバイ。
実際に両者の前に置かれた文机の巻物の束が山脈と平野の差がある。
「漸く終わった。お待たせしました吉兵衛様」
勝三の差し出した報告書をサッと見て。
「御苦労様で御座いました。差し出がましい事を申せば勝三殿は丁寧に御座います故、仕事が遅い事などは気になさらぬが宜しいかと」
「御気遣いありがとう御座います。それでは殿の元へ戻りますので」
ちょっとホッとした様に礼を言って勝三は退室した。
「使えますな」
勝三の足音が聞こえなくなった部屋でボソッと村井貞勝が呟いた。
吏僚の鬼に目を付けられたとも知らず勝三は廊下を歩いて信長の元へ。侍女に場所を聞いて信長の居る部屋へ向かえば来客があるようで最近よく那古野に来訪する男が対面していた。
赤瀬清六。織田梅厳信光の家臣で小姓から立身した男だ。勝三は一礼して入室する。
「終わったか、御苦労」
「おお勝三殿」
信長が労い清六が一礼する。勝三は邪魔にならぬように礼を返して岩室長門守と共に脇に控えた。
「十郎左衛門は如何だった?」
「出来うる限り早く婚姻を結びたいと」
「大分乗り気だな」
「ええ、何せ岩倉の圧迫ぶりが酷いようで。所領の事も全面的に返還すると申しております」
「うむ。二の姉上にも話は通してある。明日にでも輿入れの話を締めておくとしようか」
「は、主人梅厳にも伝えます」
「頼む。ああ清六、序でに梅厳叔父上へ昨日津島から届いた酒を持って帰ってくれ。今回送られて来た酒はなかなかの出来だと言っていたし伯父上は俺と違って酒豪だから喜ぶだろう。お前もそうだったな、一杯飲んで行くといい」
「あ、いや。それは」
清六は仕事と酒の間。いや、だいぶ酒に傾いているが、迷いで揺らめきながらモゾモゾし出した。
「一杯ではなくいっぱい欲しそうだな。良いだろう樽二つを持っていけ」
「ああ、せびった様になってしまいましたな、忝い。有り難く頂戴致します」
そう言うと清六は少々の申し訳なさと、絶大な感謝を込めていつも以上に深く頭を垂れてから立ち上がる。
「勝三、清六を酒蔵に案内してくれ」
「は、清六殿。此方へ」
退室しようとすると同時に喧騒が聞こえた。大きくなって近づいて来るそれを待てば血相を変えた男が跪く。
「織田右衛門尉が小姓、須賀才蔵に御座います。火急の要件にて御無礼を!!」
「何があった」
「清洲勢が深田、松葉両城を急襲。我が主人と伊賀守が捕らわれまして御座います!!」
「誰が大将だ」
「坂井、河尻は確実。松葉には織田三位らしき旗」
「良し、御苦労。下がって休め」
信長は立ち上がる。
「陣触れだァ!!軍議を開く!!!」
一挙に城が騒がしくなった。