二つの関門前編
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暇潰しにでも見てってくれれば幸いです。
開戦より一刻半。織田家と上杉家の一大決戦の佳境は過ぎ去っていた。だが終幕に向けての大仕事が一つ。
「大いっちゃんで負けたの何時ぶりか……あーあ」
河田豊前守長親の軍と合流した軍神はつぶやいた。政略戦略的に手も足も出ない上杉家乾坤一擲の戦術的一撃。敵総大将の首元まで迫ったが失敗は失敗だった。
メチャ萎えである。
萎え萎え軍神。
敵大将が丘から降りたのを確認してから若い将兵を河田豊前守長親の補強に向かわせ、軍神の戦う戦場で人生を終えられるならと喜び勇んで名乗りをあげた老兵古豪を連れ、薬勝寺池にて発生した霧に紛れて移動。
その霧と丘陵を隠れ蓑に敵の動きを想定して総大将の側面後背を狙う積もりだったのだ。
しかし信長の本備諸共の一気呵成の前進。その動きに霧の濃淡を見て良い意味で場当たり的に丘の迂回では無く反転させた。完全完璧な奇襲で敵本体後続は散々に蹴散らしたが本隊の対応と戦力は想定よりやや強かったのである。
思ってたんと違うって感じだが、まぁ何方も変態みてーな機動ブチかましたって話。
「まぁ天下人と言うことか」
そう軍神は納得した。それに合わせる様に中条与次景泰が騎馬を寄せてくる。万事整ったのだ。
「近江守様も即座に動くと」
軍神はゆったりと頷く。その手には剣と見紛う大身槍。柄と同様の長さの二尺を超えて三尺の穂先。軍神が握れば神剣にも等しかろう一本。重いから置いてったヤツ。
「ほせば行くか」
軍神が軽やかにクルリと大身槍。月毛走らせ騎馬を従え三方を敵に包まれつつも前に前にと進む。眼前には騎馬を信長救出に削った森勢と蜂谷勢の境。
ブッチ貫く。
そう言うしかない見事な騎馬突撃であり、その後に続々と将兵が続く。それは長時間戦った敵の一呼吸を的確に察せねば出来ない一撃だ。だがその突撃は穿つ様な物ではなく抉る様だった。
「さ、撤退だ。早う帰ろう」
元の場所に戻った軍神が気楽に言った。それが合図の様に側面の圧力が薄れた部隊から順繰り後退を始める上杉方。
押しに押されていた為に側面を川と日宮城に挟まれた地点まで態と後退。丘陵による戦列整理が必要な程に前後した織田方は足を止めざる終えなくなった。その僅かばかりの隙で上杉方は軍神を先頭に戦場を離脱。
日宮城どころか薬勝寺池の更に南へ進み丘陵山間を進む。先頭は軍神で後ろを見る事も無くただ進みに進んで前へ前へ一昼夜。
「想定はしたったが、ハァ……」
軍神は嘆いた。……嘆いたって言うと若干過剰かも知れないが、まぁ何と言うか。超めんどくせぇの極みみたいな気分。分かってても来んなって感じのアレ。
「アレが大鬼なぁ……」
軍神は深く深く感嘆する。よく練られた武の境地。鬼神と同等の力を感じるのだ。
「だども金砕棒じゃ無かったっけ?」
兵糧部隊を千坂対馬守景親に任せ別の道を進ませて一先ず突破を試みよう。軍神はそう考え大身槍を握るが直感的に示唆を見せた。小姓が頷きある男と共に帰ってくる。軍神が見下ろす素朴な顔が筋肉質で大柄な身に乗る男の身分は低い。
何処にでも居る半ば農民の嫡男ではない男。だが大太刀持ちの中で随一の怪力の持ち主。一応武士くらいの存在な数人居る小島さん。怪力の小島さんが力士隊には三人いたのだ。要は軍神の騎馬に侍る護衛兵の一人だった。三小島にして鬼小島弥太郎の内で諱は貞興。
「弥太郎、アレをどう見る?」
軍神が問えば素朴な顔で。
「へぇ……あらバケモンの類で」
そう言って大太刀を抜く。
「俺がやらなきゃ勿体ねぇ事になる。そもそも俺でさえも如何なるか分からねえ」
言葉とは裏腹に礼儀など知らずとも敬意を感じさせる返答。それは小島弥太郎貞興は唯々力が強いだけと自覚するからである。そもそも力士隊に入るまで畑仕事で忙しく武術など嗜んだ事がない。政どころか頭を使い人を使うのも以ての外と自覚するが故の言葉だ。
甲斐に行く御侍に付いていき道中襲ってきた犬を殴り飛ばして一目置かれているだけだと理解している。例えば上洛の際に御屋形様に飛びかかった大猿を一刀で切り捨てた小島弥太郎や、川中島で奮戦して死んでしまった小島弥太郎とは違うのだ。だからこそ優れた侍が死ぬくらいななら故郷の為に己が死ぬと言うだけの話である。
木端武士であると自覚する名も残るか怪しい身分の、しかし温厚にして怪力無双の勇士。
それが鬼小島だ。
まぁ軍神に目ェかけられてんだけど。
何なら上杉家家中も割と好意的だけど。
三人の逸話が混ざって超伝わってるけど。
「頼んでいいか弥太郎」
「命じてくれりゃあ喜んで。こんげぐれしか役に立てねぇもんで」
彼らの視線の先、呉羽丘陵の出口。其処には一人の武人と兵達が立っている。
勝三の激烈な推薦で所領安堵の上で織田家に降った元朝倉家家臣。何なら人手が無いんで越中の城と領地を任されてる男。魚住家とか山崎家とか土橋家は越前国の運営と人心慰撫に動かせねー。
敵とすればちょっとした関門の方が幾分マシな存在たる真柄十郎左衛門直隆。
「であれば先鋒はこの俺に」
「伊豆守……か」
軍神が振り返れば顔に槍傷のある男が騎馬に跨っていた。背丈は軍神に酷似しており目鼻立ちは幾らか温和に見える。川中島の戦いで前も見えない濃霧の中、軍神と共に敵大将を襲った影武者。
「この命。あの四度目の、八幡原の乱戦。御幣川に忘れてきましたでな。その大身槍、賜りたく」
軍神より神具が授与された。荒川勢に力士隊を加えた先陣が並ぶ。剛力の者達が竹束を前に並ぶのだ。
その光景は正に壁。
さて、此処で騎馬突撃と言うの物。これについて少々。元来戦場で最も飛距離のある弓矢投石、これの距離は凡そ四町となる。故に凡そ五町までは常歩で進む。其処から加速を始め速歩、駈歩、襲歩となって敵を貫く。これは時間にして百八十を数える程度の戦場において極僅かな期間。
とは言えこれは完璧な流れだ。
凡そ彼我の距離感と言う狂いはある。また焦りであるとか逸りであるとか心理的な物。単純に人馬軍隊の体調や疲労度合い。そんな関わる諸々を含めれば威力が下がり時間が長引くなど往々にある。
その上で昨今の突撃は鉄砲と言う要素。
敵が兵力を温存している、または今回の様に正面突破を必要とする場合。敵が鉄砲を撃つまでは竹束等で騎馬を守る必要性が出てくるのだ。それは規模状況に左右されるが正面から撃つ場合だと凡そ一町半。鉄砲の配置が広い或いは精兵であればその半分程となる。後者なれば突破の助走が足らず敵の鉄砲が悠に鎧を貫く。
「任せるぞ弥太郎殿」
「へぇそりゃぁ勿論」
荒川伊豆守長実の言葉に小島弥太郎貞興は一言返して素朴に一礼。背負い太刀を握り鞘を滑り落として長大な刃を地に突き立て鞘を背負う。抜き身の野太刀を担ぎ竹束を連ねた楯を軽々持って先頭に陣取った。
以降は軍神を先頭に上杉軍が続く。彼等は突破口を広げそのまま撤退する。先頭は死ぬのが役目だ。
「前へェエエエエエ!!!!」
荒川伊豆守長実が大声と共に大身槍を突き上げれば法螺の始に一拍置いて前進を始めた。
勇ましい声。だが騎馬の速度は徒歩。ジリジリと山間に陣を敷く敵へ近づく。距離は四半里。数は三千届かず。
進む先は穂の如く垂れる山間半の槍と銃口、彼等の前には大太刀の煌めきが並んでいた。
「先手衆、走れーーー!!」
騎馬隊は常歩である。だが長槍と竹束を持った小島弥太郎貞興の陣取る先手が先行して距離を広げる。撤退戦とは味方を生贄に生き残る物であり最初の生贄は彼等。矢と石が降り落ちて兜楯無き者を傷付け殺し戦列は歯の折れた櫛の様。それでも気炎を溜め淡々前に。
接敵。
ある所では竹束が槍諸共に相手を押し退け圧し付ける。ある所では大太刀が槍を薙ぎ払って返す刀で人を薙ぐ。ある所では野太刀が竹束を唐竹割りにし土を錯乱させた。ある所では山間半槍が叩き落とされて負けじ長槍が叩き返す。ある所では穂先を捩じ込まれ刀で切り捨てられ竹束に潰されて倒れていく。
「頑張るかね」
いっそ悪く言えばスッとぼけた様な顔で小島弥太郎貞興は言う。彼の掴み上げる楯は幾度と槍を受け止めているが微動だにしない。幾重も落ちる攻撃の僅かな合間に竹束を纏める荒縄を掴み直し。
「よっこいせぇェッ!!!」
担ぐ野太刀を片手で振り降ろす。彼は法螺の音が響いて以降、一歩とて下がらず止まらなかった。それは接敵して尚も、だ。
それは即ち三間半の距離を詰めた事になる。直下させた背負い太刀の刃は三尺だった。人間一人を悠に唐竹割りにしてしまう。
左右に分かれた肉体から刃を避けて血が遡って望洋とした血濡れの顔が現れる。それは瞬く間に般若の形相へと変わり果て。
「我、不識庵様が衛の一人!!小島弥太郎貞興なり!!鬼小島を討てる者はあるか!!」
小島弥太郎貞興は毎度思い返して赤面する名乗りを挙げた。するとズンと巨躯が進み出て立ち塞がる。
「俺が出る。鉄砲隊は騎馬に備えよ」
ポツリ。
雫一つ落ちた様な言葉。
波紋の様に広く淡々と戦場に広がる。
「真柄十郎左衛門だ。御無礼、許されよ。時が無い故な」
その言と共に赤が落ちる。
刀に通る二条の樋が添えた紅。
常なら血の残光へ変わる。
「な、おお?!」
だが驚き目を見開くも小島弥太郎貞興は横に薙ぐ。
刃が落ちたとは思えない雷鳴を思わせる鉄の衝突。
長大な刀が押合い鍔迫り合いへ移り強者が相対す。
「たまげたぁ……とんでものう御強い方だね」
「俺も驚いている」
同時に敢えて引きクルリとまるで掬い叩き上げる様な大太刀の動き。
それにより小島弥太郎貞興の野太刀が上に弾け飛んだ。
圧倒する力を一瞬の内に逸らし、いなしてカチ挙げた。
練りに練った剛力と技巧を相手にしては単なる怪力だけで勝てない。
「ッ……!!」
離す事さえ無かったが野太刀と小島弥太郎貞興の腕は上に伸び、手首の捻りだけで横倒し地面と平行に並んだ大太刀が推し進み。
「ム……」
「ぐエあッ?!」
小島弥太郎貞興の胴が上下に分かれる事なかったが横にブッ飛んで地を削る。太刀の手入れが手間で代わりに腰に吊るしていた鉄棒が身を守ったのだ。身を起こせばピタリと止まっていた鉄塊をひん曲げた大太刀。胴を薙ぎ払う直前だったそれが退けば槍衾が並び銃声が響く。広がる白煙に荒川伊豆守長実が率いる上杉家の騎馬が雪崩れ込んでいった。
「どうか御武運。荒川様」
小島弥太郎貞興の言葉の先、硝煙の中で荒川伊豆守長実は大身槍を回す。円を描くそれは力と技術にて三間半の槍を弾いて薙いでは間を作る。それは出来ない乃至は武運拙く穂先の対処が出来なかった者はその身で道を作った。
「この突撃、止められん……」
真柄十郎左衛門直隆は呟く。
死を覚悟した上での突破。三間半を対処した前衛の味方を轢き殺す前提。更に馬の諸共に伸し掛られては対処しようが無い。
軍事的に見て気狂いな損害。
「それを難なく成させてみせるか」
これは騎馬突撃の本質であるが故に驚愕では済まない話である。であるが故にこそ眼前の光景が組織だって整然と行われるのは恐怖。
死ね、承知。とどのつまりはコレだ。如何に必要な事でも普通は不可能な死を前提にした命令。それを万人に万全と成させてしまう。それが軍神。
その事実を理解させて尚も敵味方に恐怖より神性を覚えさせるのだ。恐怖感嘆羨望こんなモノは既に心霊妖魔の類で相違無いだろう。
「だが、被害は抑えねば。とは言え……」
酷く苦り切った言葉の前には既に突破口を開き、それを拡大する為に下馬した荒川伊豆守長実。
だが未だ荒川伊豆守長実はいい。奮闘は目を見張るが多勢に無勢。問題は間髪入れぬ第二弾だ。
軍神を先頭にした騎馬が兵士達を引き連れ突っ込んで来ていたが、それを止められる兵が無い。
「……行くか」
この現状ともなれば覚悟を決めるしか無かった。常識的な話として上杉家が自領に戻るには南の川幅の狭い地点まで進む必要がある。真っ当な指揮官なら迂回するし織田家としてはそれで十分だった。
だからこそ真柄十郎左衛門直隆は城を守る兵は残しつつも、敢えて敵の最短経路に陣取り迂回させようとしたのである。それを正しい選択とは言え損害前提で押し通ろうと言う相手だ。猛進する敵を前に迷う、損害を気にしては尚の事、損害が増えてしまう。
何より軍神を取れば終わる。であれば真柄家を背負う者として進まぬ訳にはいかない。息子と甥は城に残した。
「ッシ!!」
短い呼吸一つ大太刀担いで走る。それに即座に手隙の者達が続く。八人の長柄持ちと三人の大太刀持ち。
大太刀が荒川勢を撫で斬り、三間半槍が殴り落とす。
軍神の前にて仁王立ち。即刻、横に勇士が大太刀構え、背にて精兵が槍衾。迫る馬蹄と数千の兵士武具。
「来るぞ!!!」
真柄十郎左衛門直隆の言葉の次の瞬間には三間半槍の撓垂れ掛かる様な数本の穂先に馬の首元にメリ込んだ。
大きく湾曲して跳ね飛ばす。
しかし掛かった二騎は馬廻。
軍神は跳ね避け切り落とす。
真柄十郎左衛門直隆は屈めていた身を起き上がらせ太刀持つ軍神の騎馬、その足を掬うように大太刀を振るう。
将を欲するならば馬を斬れ。
槍の間を広げる軍神の騎馬。
物理的不可避な着地を狙う。
軍神が振り下ろした太刀と真柄十郎左衛門直隆の振った大太刀が結果を出すのは同時。
その太刀は前立てと眉庇の合間に入り兜鉢をなぞって吹返に傷を付け赤熊をバッサリと切りながら錣を撫でて先へ。
その大太刀は果敢にして流麗にして良き名馬の足三つを斬り飛ばし軍神は放り出され、彼の名馬はそのまま地面に首を打ち付け折ってその使命を終わらせた。
「ック……ぬあァッ!!」
軍神は驚愕の顔を激昂に染め上げながら身を翻して着地。真柄十郎左衛門直隆の巨大に過ぎる背中へ自身でさえ如何しようも無い視線を叩きつける。一瞥というソレだけを残して偶然近くに居た馬に跨り走らせた。
「ゼァアアアアアアアアアア!!」
一方で軍神の怒りを買い一瞥を受けた男は濁流の様に迫る騎馬隊を撫で斬りにしながらもそも数の波に押されていた。
刀を、大半は竹刀か。そうでなくても武術や格闘技、それもなければ野球でバットのスイングをするだとかサッカーでボールを蹴りだとか。何がしか力を込めた一発を放つ際の動作の前、必ずと言って良いほどに片足を前に出す物だと言うのは経験的にわかるだろう。
てか端的に当然の事を言えばだ。人間は後退より前進が得意な作り、この場合は骨格をしている。それでも退がっているのだ。
「……ッ、不甲斐ないばかりだ」
口惜しいと言わんばかりに真柄十郎左衛門直隆は大太刀を奮い振るって言う。
いやまぁ普通に馬群に突進されながら大太刀振えてる方がおかしいんだけど。
サーキットの真ん中に立って鮭の遡上みてーに迫るバイク避け続けてるノリ。
「非常識な相手に常識的な対応をしてしまうとは!!」
真柄十郎左衛門直隆は悔恨を述べる。確かに交戦自体が異常。正に想定外というやつだ。
多少遠回りとは言え別の道もある。ともすれば交戦するにしてもそれは殿の様な、即ち追撃部隊を拘束する戦力を繰り出す物。全軍にて突破というのは狂気。
大将は勿論だが諸将やそれ等の後継が討たれる可能性を考えれば取れない選択だ。だいたい突破出来ても下手すると致命的なまでに疲労するのだから南下するのなら普通は迂回する。織田家にすれば敢えて包囲に逃げ道を用意して敵を誘導するという当たり前。
それを総大将が諸共に突入とか非常識という他無い。選択そのものが愚の骨頂で突破出来ねば万世に唯のアホと言われ当然。それ程に異常で非常に危険な手。
奇を衒う。それを奇貨として軍神は突破すっけど。それも軍諸共に。だから軍神なのだ。
「これ以上は此方が保たんか」
ここは左右を山に挟まれた地勢。故に小勢でも封鎖が出来た。しかし突破されては如何しようも無い。
自身を抑えようと怒涛の勢いで迫る敵の悉くを人馬問わず真っ二つにしながら真柄十郎左衛門直隆は後退を決めた。
御誂え向きに確認してみれば左右に分けられた軍勢、上杉軍に絶たれた先の味方は既に後退を始めている。
「退き際だ!!」
真柄十郎左衛門直隆がそう言って敵を斬りながら少しずつ下がれば敵も東方への突破を優先して構わずに進む。
真柄勢は奇妙な停戦とも言える現状、南下する上杉軍を眺めながら思った。
御愁傷様、と。