霧の中の出来事
ブクマ、ポイント、いいね、誤字報告ありがとうございます。
今回はアレな布陣図とヤバい戦況図があります。
それでも良いよって方は暇潰しにでも見てってくれれば幸いです。
信長の号令より織田家の布陣は凡そ二刻後の事だった。港を出て直ぐに騎馬を抽出し十社大神の橋を渡らせ渡河地点を確保。火宮城攻めを始めようとした時点で上杉軍が城から出てきた結果だ。その上杉家の出陣に合わせ横陣を敷いた形である。
そう信長の憶測通り逃走では無く交戦の意思表示をしたのだ。こうなれば渡河地点を増やす為に船橋を掛けた丘陵にて評定を行ったが力推し。皆がその意見を是としたし其れしか対応が無く其れが常道。
相対した地は川が近く湿度がある。数日暖かかったが今日はやけに冷えた。寒さか、予感か、それとも武者震いか。軍勢は強く震えている。
倉垣庄の戦い
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ー北ーーーーーーーーーーーーー◯ーーーー
西4東ーーーーーーーーーーーー◯ーーーー
ー南ーーーーーーーーーーーー◯ーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーー◯ーーーーー
ーーーーーーーーーーーーー社◯ーーーーー
ーーーーーーーーーーーー◯◯ーーーーーー
ーーーーーーーーー陣◯◯ー凸凸凸ーーーー
ーーーーーーー◯◯◯ーーーーーーーーーー
ーーーー◯◯◯ーー凸凸凸ー凸凸凸ー凸凸凸
ーー◯◯凸凸凸ーー凸凸凸ー凸凸凸ー凸凸凸
ー◯ーー凸凸凸ーーーーーーーーーーーーー
◯ーーーーーーーー凸凸凸ーー丘丘丘ーーー
ー◯ーー凸凸凸ー凸凸凸ーー丘丘丘丘ーー
ーー◯ーーーー凹凹ーーーーー丘丘丘丘ーー
ーー◯ーーー凹凹凹ーーーーーーーーーーー
ー◯ーーーー凹凹ーーーーーーー丘丘丘ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
凹日宮城
凸500〜600・◯下条川
織田家約14,500
上杉家約5,500
「丘陵が多いな……」
信長は目を細め周囲を見渡してゴチた。どれほど少なく見積もって敵の倍を揃えたのだ。何なら三倍といってもおかしく無い兵数。
それで尚も勝ちを確信出来ない違和感からの言葉。信長という男であっても感じる恐怖に近い感覚。経験の鳴らす警鐘の音なのだ。
見えない場所があるのは当然で常の事。その当然が嫌な程に恐ろしいのだ。敵機動如何を悉く知りたいのは将の常とは言えである。
「仙千代、久太郎、伝十郎。確と物見を出せ。いつも以上にな」
信長が言えば馬廻の三名が答え騎馬隊を率いて離れる。それを見送るでもなく信長は周囲を睨み軍配を握った。それより敵が布陣を終える前に開戦するのは常道。
「開戦!!」
本陣の法螺を端緒に音が響き増えていく。現状多勢の最良は敵に何もさせずに唯々擦り潰す事。一重二重に無駄も無く前に進むが最上手。
「後軍各位に伝令だ。側面を突くのは前軍に任せろ。何時でも対応出来るようにしておけ」
織田軍が動く。佐々内蔵助成政、稲葉一鉄良通、蜂谷兵庫助頼隆の三つの軍が敵の二つの前軍と交戦を始めた。また森傳兵衛可隆が側面を打つ機動を始める。
その数は三千を超える敵の倍。ただ進むだけで敵の側面に辿り着く。策など下策で圧倒する力の顕現。
普通なら戦いにすらならない圧倒的な差。その勢いで五部でさえ無いのは異常、下がりこそすれ崩れない上杉軍。小高い丘上の陣から眺める信長が覚える勘。
「敵本陣は動かんな」
上杉軍の西は川だが東は盾となる丘で退路はある。この丘の裏と言う安全な道を残したのは敢えての事だ。敵の無茶を行った狙いはわかるが非常な危険な行為である。
だからこそ丘陵の奥へ軍を迂回させて敵の帰路を潰さなかった。敵中で多勢を相手にした軍勢が抱く当然の心理と言うやつを助長させる為である。真っ当に死にたく無いと言う当然の考えを汲んで逃げ道を残し離散させ易くしたのだ。
そう敵は一度崩れれば後は万全の兵数で押し潰して狩殺せる。しかも残兵は兵糧物資気力が削がれた状態となるのだ。また此のままでは押し潰され城と言う籠で飢え死にだ。
「如何する積もりだ?」
信長の頭が回り回る。勝利が見えたからこそ今打たれる最悪の一手を探って。双方の布陣、物資、兵力。
「兵、力。……兵力」
「如何なされました?」
福富平左衛門尉秀勝が黙した信長に問う。
「……兵の指揮に移る。此処は引き払うぞ。伝令を出す」
「承りました」
そう頷きつつ福富平左衛門尉秀勝は表に出ない程度に少々の戦意を激らせた。陣を張った最も安全な高所を捨てる事の意味を理解するが故。そう現状は信長の用兵においてとある機動を納得させる状況。
敵を大兵で受け止め精兵を抽出して側面を突く。長く信長の戦いを見てきた福富平左衛門尉秀勝は理解しているのだ。だからこそ即座に指示を出す。
「茂助、五名ばかり連れて来い」
福富平左衛門尉秀勝に呼ばれ伝令の馬廻が集まる。若武者達が控えると信長は彼等に向き直った。
「陣頭指揮に移る。婿殿と共に前進し傳兵衛の後を追う。しかし俺達は敵本陣を抑え、押す。そのまま下条川に敵を追い詰める」
単純で当然。時間をかける意味も価値も無い事。最良の一手。
手早く馬廻が動く中で信長は敵味方の動きを見る。川側から半ばまでの味方が敵を拘束し丘に行くにつれて敵を押していた。森傳兵衛可隆が敵前衛側面に食いつく。
負けるはずが無い。勢いと数で圧倒している今この状況から。
「上様、準備万端整いました」
思考に埋没して敵の遊兵と言う不確定要素について考えていた信長に声が掛かる。
「うむ。行くか。霧が濃くなる前にな」
思考を一度打ち切って信長は川を渡った。
「あらら……勘づかれたかね。あれくらいの数なら喰たんだがなぁ。運か勘か、天下人は違うねぇ」
信長のいた丘の麓のススキ野原と葦野原の堺から鬼神が丘を見上げて言った。尚、絵面はモサモサ葦の化け物である。だってバレちゃうかんね。
丑三つ時に釘打つ蝋燭の代わりに葦を円筒状の髪の様に生やし、随分と厚みのある蓑笠の蓑を着てた。
モサっと。葦の化け物、略して葦モンがもう一匹。
矢羽幾佐渡守長南だ。
「若さん。夜中まで待機でいいな?腹が減ったぜ」
「おう爺様。あの四角い麺煎餅もそうだが甘い茶角も食っちまおう。全部だぞ」
「へへへ、そりゃあ良い。向こうに帰って食ってたら恨まれちまうからな。良いモン食ってやがるぜ連中は」
さて一方。
凡そ千八百が信長の指揮する本備だ。
「折り畳み、押し潰す。行くぞ!!」
六角近江守義定の率いる部隊に続く様に伝令を出し味方を迂回し敵側面へ向かう。狙うのは上杉軍本陣。即ち軍神の首。
信長は自ら陣頭指揮を取って進んだ。馬廻とかの言葉は当然無視。場所も時代も違うけど北方の獅子もかくや進む。
此の一撃が如何考えても決着となる。そう考え、またどうすべきと信長が考えた故だ。軍神との戦いは妙な違和感が付き纏う。
「払底せねばな」
丘を正面に側面には森傳兵衛可隆の軍勢の背に沿って進む。気付けば薬勝寺池から霧が出ている。味方の軍勢の壁が取り払われて進行方向を西に向ければ何も無かった。
何も、だ。
「……いつ動いた。いや、何処へ行った」
信長が唸る様な声で言う。丘を降りるギリギリ迄は居たのだ。不動の軍勢が。
思考を巡らせる。
地形を考えれば難しい話では無い。答えを出すのは簡単だった。だが答え合わせと同時では対応は後手となる。
「クソッ!!後ろだ!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーー◯◯◯ーーーーーーーーーー
ーーーー◯◯◯ーーーーーーーーーーーーー
ーー◯◯ー◇◇◇ー◇◇◇ーーーーーーーー
ー◯◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ーーーーーーー
◯ーー◆◆◆◆◆◆◆ー◇◇ー丘丘丘ーーー
ー◯ーーーーーーーーー◇◇ー丘丘丘丘ーー
ーー◯ーーーー凹凹ー◇◇◇ー丘丘丘丘ーー
ーー◯ーーー凹凹凹ー◇◇◇ーー◆◆ーーー
ー◯ーーーー凹凹ーーーーーーー丘丘丘ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆=上杉軍・織=織田軍・本=本体
騎馬を走らせたまま信長は声を張る。
「婿殿に即刻伝えろ!背より上杉が来ると!!我等は此のまま突き進む!!!」
気付いたとて軍勢は即座に止まれない。また振り返って戦うにしても最低でも三つの動作が必要である。停止、回頭、構え。
無論これは行軍隊形から戦闘隊形に変わる訳ではない。文字通り兵一人が振り返るだけでの話だ。しかもどれ程の練兵を受けていても数秒かかる。
振り返れたとて心構えも無く浮き足だったまま間髪入れず敵を迎え討つ。整列して槍衾を組み矢を番え火蓋を落とす戦いの始まり。此処までの事さえ六十を数えて尚足りないのだ。
騎馬の歩き方、常歩。これは時速にして凡そ6.5㌖。分速にして10㍍程となる。
騎馬の走り方、襲歩。これは時速にして凡そ65㌖。分速にして100㍍程となる。
鳥の如き視点を用いて見れば六角勢と上杉勢の距離は凡そ五町程。六百を数えるまでも無く上杉勢の突撃を受ける状況だった。
結果である。
本備は距離を取り振り返る事は出来たが、しかし六角勢は食いつかれてしまう。追撃を受け壊滅し残党と化した六角勢を猟犬の様に追い立て、その勢いままに霧を纏った上杉勢が突っ込んで来る。非常に合理的かつ状況を最も活かす最悪で最良の一手、それは攻撃を躊躇させるに十分。
「久太郎、二段だ!!」
信長の声に一部隊を率いていた堀久太郎秀政が即応し兵を並ばせ始めた。それは信長の周りも同じ事で上杉家に向かって急ぎ隊列を整える。慌ただしい周囲の中で漸く信長は敵を見た。
「婿殿の軍を盾にする様にッ!!」
信長は吼える。ほんの一瞬の躊躇。しかしそれでも即座に。
「やむおえん!!前列鉄砲隊、良く狙え!!各々の好きに撃て!!」
長柄兵が最後尾の肩越しに銃が構えられる。
それは当然だが敵の騎馬を狙う位置。
火縄銃は正確に敵を撃った。
「槍衾ァッ構えェーーーーーーーーッ!!!」
濛々と周囲を隠す白煙の中。
煙などものともせずに発する総大将。
信長の号令に長柄の石突が地に突き立った。
「来るぞォ!!!」
信長の大声に合わせる様に第一戦列の穂の様に垂れる槍先へ重量物がぶつかった。貫く事もあれば突き落とす事もあり弛んで吹き飛ばしてみせる事もある。そうでなければ長柄を支える兵の方が吹っ飛んでいた。
騎馬突撃の勢いこそ減じたが一部が突破され乱戦である。堀久太郎秀政の指揮下に置いた前軍も勢いに飲まれた。その間に信長の率いる数百は万全に備えてみせる。
「槍持てぃ!!」
信長自身も槍を握る状況。周りには小姓や馬廻が集っていた。信長は笑っている。
鬱陶しい程に滞留する白煙。見えぬ訳では無いが視界が悪く霧も晴れない。
キィと大嶋雲八光義が弓を引く。弓頭であり極めて射術に優れた男の一射が直進。
「何と……。雲八の矢を落とすとは。アレが不識庵か」
信長は小手調べに強弓から放たれた矢を刀で叩き落とした極めて彩色豊かな腹巻具足を纏う騎馬武者を見て感嘆し確信した。
「よし。距離を取るか。陣形を崩すな!!」
だが信長はメチャ冷静で、信長の周りも同じである。本備え全軍の乱戦からユックリと少しずつ下がっていく。それが出来るのは危機にあって平静を取り戻す胆力故。
落ち着いて導き出すのは遅滞作戦、いや規模で言えば遅滞戦闘である。本備え後軍は陣形を保ち何時でも迎え討てる体制のまま距離を取った。軍神の麾下とて騎馬と人の体力は無尽蔵では無いのだ。
とは言え言ってしまえば僅か、ほんの少しの後退である。だがそれによって見えるのは敵が前後に分けた本備え前軍を抜けた突破戦力の実態。突っ込んで来た敵大将に従うのは騎馬十余騎と徒士複数。
信長の周りには馬廻小姓の五十程が残っている。更には長柄弓鉄砲がいて全体的に見れば兵力的余裕は多分にあるのだ。増援も有れば高々数十の敵に何を恐れることがあるか。
「余裕の筈、なのだがな」
弓鉄砲が飛び槍衾が抜かれて信長の周りの兵が前へ、敵の兵十三、信長の兵五十三。並ぶ槍を一騎が抜け、続く一騎は大身槍が馬の首ごと騎馬武者を貫き、最後の一騎は馬脚を薙ぎ払われて止まる。嚆矢を失い徒士は多勢に無勢の無情な情理に倒れていった。
それでも一騎は止まらない。
霧を纏い漂わせ、ただ一騎駆けてくる。
信長は愛馬の腹を蹴り槍を強く握った。
何とも愚かだと自覚しつつ。
「来ぉい軍神!!」
信長は吼えた。
騎馬は嘶き槍が突き出て軍神の腹を狙う。
落馬ないし致命傷を狙ったそれは下から掬い上げ絡めとる様な一太刀に弾かれ鎧袖を引き千切るに止まった。
となれば懐に入られた槍に成す術は無い。
信長に迫る刃。
「とアァッ!!!」
だから信長は態と落馬した。
首を狙った一刀は騎馬の揺れと偶然の一致で頬を擦り錣を叩いて過ぎる。
薄皮一枚を切られ地に落つ。
「勝ったな……」
受身を取って地面に倒れる信長は誇らしげに言う。それを岩手月毛の馬上から一瞥した軍神は馬首を返して離脱した。入れ替わる様に織田家の騎馬が集まってくる。
「上様ァッーーーーーーーーーー!!!!!」
右頬から血を流し左半身泥でベチョベチョの信長の周りに騎馬。家紋は鶴丸紋であり森家が騎馬を割いたらしい。無骨で純朴そうな老年手前の武者が飛び降りて信長に手を貸す。
「フッハッハ五郎右衛門か。傳兵衛が気を遣ってくれたな。いやぁ負けは無くなったが賭けに負けたぞ」
「ありゃ、上様も博打にハマったんですかい?」
「うむ、良い様にやられたがな。軍神をこの手で討つつもりで挑んだがこのザマだ。まぁ死ぬ予感はしなかったが無茶をした」
「そりゃあ本当に無茶ってもんで」
「全くだ。さあて三左の事で酒でも酌み交わしたいが戦の途中だ。行くか」
下条川の戦いの佳境は過ぎたが未だ終わらない。
「さぁて此処からの頑張りで後の苦楽が変わるぞ」
信長が言い周りの者達が笑みを浮かべる。戦いにて兵が最も倒れる時間。追撃の始まりだった。