猫騙し
本日二話目です。
暇潰しにでも見てってくれれば幸いです。
「いやぁ〜来るなぁ〜ホント」
「なー。凄い来るよなーホント」
勝三と次郎が富山城の本丸櫓の欄干に乗り上げもたれ掛かるようにして言った。その四つの目は遠くを眺め望洋として若干口が引き攣っている。彼らの眼下にはイかれた数の軍勢が参集するのが見えていた。
「出羽と陸奥で何か、と言うか東北勢はやられたな、こりゃあ」
次郎が言う。仕方ない、そんな感情込みで。敵の数と動き鑑みれば上杉家の当主がいて当然。
とすれば推論になるが挟撃作戦の瓦解は確信していた。だいたい上杉家と長年争った北条家がああなったのだ。良く攻勢に出てくれたくらいの気の持ちようである。
「にしても動きが的確かつ早すぎだろ」
次郎が言えば勝三は疲れた様に頷き。
「だなぁ……」
北陸勢と攻勢を合わせるのは当然で一発かましておこうかという空気だった。それこそ物資などを前線に移送し準備を終えて後は戦力を移動させる段階だったのだ。要は兵達の一戦やったろうぜってノリに機先を制され若干萎えてる。
「本気で戦えない内に敢えて出兵して出血を強いて、少数の防衛の兵を残してコッチにって感じか」
勝三の予想は次郎の考えに非常に近い物だった。
「まぁ、うん。あの量じゃな。そうだろ」
野郎二人がチラッと視線合わせ。
「は〜あ」
「は〜あ」
揃って肩を落とし面倒臭そうに溜息を漏らした。二人が此処まで億劫そうなのは政治的理由である。現状は既に公方を最上位とした反織田と主上を最上位とした親織田の戦いになりつつあった。
武家対朝廷などと言う程の酷さでは無いが北陸戦力の劣勢は響く。織田家領内であれば問題は無いが九州や北陸北部の趨勢に大きな影響を与えるのは想像に難く無い。
要は今回は兎も角も遠征する未来が確定した事へのゲロクソ面倒臭ぇっていう反応。特に内藤家的には毛利家がグズグズになってるのマジ困る。いや、良く混乱を抑えては居るんだけど流石に公方いると、ね?
「ん……?」
ふと勝三が違和感を覚える。違和感、それは知覚であった。存在感、そう言うものを感じ取ったのだ。
「二郎、アレ軍神じゃね?」
漠然と、しかもこんな距離で。異常である。だがそうとしか思えない感覚。
遠目に判別できるのは特級の精兵だろう兵士達の戦場慣れした空気だった。
それらの中心に佇む大鎧、朱皺漆紫糸素懸縅具足の武者、アレ絶対に軍神。
「いやぁ、一廉ってのは大概目を引くモンだがあれぁ特級だな勝三」
「ああ、夜陰に紛れてブン殴れねぇかな?」
「……それ誘われてね?」
次郎は返答になってねぇよと思いながら懸念点を挙げた。大将の位置がモロバレになるのは富山城が富山平野を監視出来る為に当然。しかし故意とは言い難いが薄く見える陣容は余りにも釣針を幻視する。
まぁ勝三なら釣針を口に含んだが最後、船諸共に水底へ引き摺り落とすだろうが、罠を警戒しないのは蛮勇通り越してアホ。
軍人として赤点。
赤点の赤は兵の血と命。
即ちカス。
「そりゃそうだろうけどアレじゃん。上杉家の強さを肌感として知っとく方が良くね?今なら警戒は薄いだろうし罠を張ってんなら尚の事だ」
「あの有名な上杉不識庵が罠を張ったからって満足して油断するクチか?っつってもまぁ普通の相手だと思ってんなら食い破れるか……」
「ヤバくなってもあの距離なら騎馬で如何とでもなるだろ。まぁ本願寺に似たような事をしたからアレだけど」
「お前が行くんじゃねーなら良いけどよ」
「えぇー」
「三十も後半だし総大将だろテメー!!」
「気持ちは若くありたいなって」
「若さと馬鹿さを一緒にすんなバカ」
「……グゥ」
「与三にチクっとくわ」
「マジやめて」
「お、久々に聞いたな真事」
「あ、しまった。いや、息子達にうつちゃったからよ……」
「あー、ね。それで言うとウチもなぁ」
「柊ちゃん」
「ああ、アイツ最近俺の使ってた大太刀振らせろってよ」
「二郎の娘感が凄げぇ。薙刀か弓とかじゃ、ダメなんだろうな。蘭ねーちゃんに言って貰えば?」
「いやぁ、母上と妹か弟を守るんだーっつって聞かねーのよ」
「そういや今年だったな。やっぱオマエ帰れ二郎。与三も言ってたし」
「寧ろ蹴り出されたんだよなぁ……」
「ああ……蘭ねーちゃん相変わらず強すぎィ」
二人が駄弁っていると上杉軍の布陣が終わったらしい。同時にガヤガヤと八千そこいらの人々の話し声が聞こえてきた。籠城経験の少ない二人にとっては数が数とは言え良く届く物だと感心さえする。
「敵さんは飯か。攻勢は明日かね?」
「だろうな。まぁ焦ったが問題はねぇか。三郎様マジ凄くね?」
「敵からすりゃあ此処を攻めるしかねぇもんな。海はコッチの物だし陸路は遠いし山が過ぎる。んで此処取らなきゃ逆進行されるんだから」
「ああ、此処さえ守ってれば敵の主力は如何したって釘付けって言った通りだ。そりゃ当然攻撃はされる訳だけど」
「その激戦区に揚々と乗り込むバカが居るらしいな。まぁ此の城が落ちるとも思えねーけども。弾薬や大砲は確り送って貰ってるとは言えな」
織田家は上杉家をナメてない。だからガンメタ張った。上杉不識庵謙信とか話聞く限り機動戦させると手に負えなさそうな感じがしたのだ。軍神の決断力と臭覚は要衝を抑える機動戦の要。それを非常に強力と見たのである。
だから敢えて橋頭堡(富山城)を保持だけして敵本隊を拘束した。
まぁ結果として事実、軍神は引っ張ってこれた訳で。後は本隊を富山城で受け止め拘束、数と水軍の機動力で圧し擦り潰すのが織田家の方針。柴田軍団と信忠軍団に交代で一軍団加え五年くらいで擦り潰す想定に変わった。
「つーか……ホント戦略ひっくり返されたよなぁコレ。長くても二、三年で終わってた筈なんだが」
次郎が溜息を漏らしてから言った。だいたい勝三が此処に来た時は激戦区は激戦区でも今ほど危険地帯では無かったのだ。他の攻勢地点が戦力誘因も出来なくなるのは想定外。
「な、意味分かんねーよ。信濃だけになるとは思わねーじゃん。彼処は彼処で城攻めになるから兵削れねーしな」
まぁ勝三がやるのは富山城の保持だけだ。
現状で上杉軍は一万程。織田家は柴田軍団が各地に点在する形で二万と内藤軍団が富山城は五千で二万五千。迂回侵撃をされても水運にて補給は万端。
敵の攻勢を待ち受け止めるが常套で上等。
「まぁ長丁場になりそうだ。今日はのんびりするか。鍛錬してくるわ」
勝三はそう言って踵を返した。その背に次郎は溜息一つ。
「オメーの鍛錬のんびりの範疇じゃねーから」
まぁ、せやね。
翌日の明朝。
勝三の目がバチっと開いた。
「クッサイ……たぶん来るな。コレなぁ」
木綿布団の中でモゾモゾして。
「寒ぃんだけど……」
不満を漏らしてゆっくりと出る。不寝番の小姓達に白湯と甲冑を持って来させ白湯を飲んでから厠へ行って着替えを始めた。城内が騒がしくなっていく。
「さて、気合い入れるかぁ」
鐘の音を耳に腰に刀を吊して呟いた。
「殿、失礼致します!!」
稲田 大炊助影継の声がして襖が開く。
「殿!!……おぉ」
「?……如何した」
「あ、いえ。上杉軍、動き出しました。兵達を起こして回っております」
「御苦労さん。あ、そうだ女房衆に確り暖かい飯を食って確り暖かい飯を作るように伝えておいてくれ。行こう稲田殿」
勝三は小姓に指示を出して稲田 大炊助影継を連れて歩みを進めた。
「あぁー眠ぃー寒ぃー無理ぃー」
廊下を歩いていると背中から声。振り返れば次郎だ。勝三は足を止めて。
「おう次郎。大丈夫か。今飯作って貰ってるからよ。また東は頼むぜ」
「あいよー。気合い入れなきゃなぁ……。顔でも洗ってくるか。冷たいけど」
そう言いながら次郎は横に並ぶ。二人で歩いて行き勝三は大手門。次郎は東門へ向かうために別れた。
勝三が大手門に一番乗り。サッサと櫓門に登って敵を見た。中々な数である。
まぁ一向宗に加え上杉の軍勢が足されてる訳で当たり前だが前回の数倍。絵面としちゃあ中々に壮観。
「てかヤベェってアレ」
勝三は誰もいないのを確認してから呟いた。他国で精兵と呼ばれる類の兵がザラに居て、他国で名将と呼ばれる類の将がザラに居る。武田家で感じた戦えば強敵だという確信に。
「上杉軍はまぁ歴戦ばっか残ってるんだから当然として一向宗連中も決死って感じだよなぁアレ」
勝三が目を凝らす。城攻め故の「うわダル」みたいな空気はあるが緩みは無い。また一向宗は勿論だが上杉軍にも小さいながら砲のようなものが見えた。
寺の鐘辺りを使ったのか二人で持てる臼砲みたいな物だ。例えとして微妙だがあの学校給食のカレー入れたバケツ運ぶ感じ。あのノリで兵が二人で左右の取手を握って運ぶ感じだろう。鉛玉でも石弾でも石玉でも強力だろう。
敵情を見える範囲で確認してある程度の注意点を確認した勝三は櫓に取り付けた大砲の確認をしようと窓際から離れながら。
「まぁコッチも向こうも飯……」
立ち止まる。
悪い顔。
「食わせる必要無くね?」
勝三は甲斐八升を連れて来させた。足軽達がせっせと準備する中で騎馬隊だけを集めて二百騎程を前に勝三は弓を握って甲斐八升に跨る。みーんな悪い顔してた。皆んな。
「じゃあ敵陣から湯気が昇ったら悪戯しに行きます。その後で朝飯にします」
飯の恨みは怖い物だ。そんな事は知ってる。特に寒い朝に食べる温かい食事とか邪魔されたらブチギレてもしゃーない。そう冷静さなんて保てる訳がないのだ。戦いとは嫌がらせ多き者が勝つのだから。
大手門の前で騎馬集団が弓を握っている。籠城で騎馬を使うのは反撃や機先を制するのに有用だ。だから彼等は当然のように控えていた。凡そ五列横隊を四十段重ねて勝三は変わらず先頭。
「じゃあ敵軍が飯を炊き始めたら悪戯しに行くぞ!!甚兵衛殿、合図お願いしますよ!!」
勝三が櫓門に顔を向けて言えば槍持つ老将が顔を出し。
「ハッハッハ任せてくだされい!!」
此処にいるのは言わずもがな精兵。ただ表情は悪戯小僧。やろうとしてる事はエゲツないけど。
「殿、湯気が出始めましたぞ!」
「もう行っちゃっていいかね!」
「いやいや暫時!出来る直前にひっくり返してやりなされ。フフフフフ」
「そいつぁ良いや!!」
上杉軍から湯気が登り始めた。それは寒さ故に広範囲で何より高々と天まで登る。もちろん交代での事だがそれでもだ。
「殿、そろそろ」
「じゃあ行ってくるわー!」
四人がかりで押された門が左右に開いていく。
「続けェーーーーーーーーーーーーッ!!!」
騎馬の群れが進む。銘々が弓握り馬を操り前へ前へ。敵兵が槍衾を並べ弓鉄砲を構える。
いや、構えようとする。
者もいる。
襲撃を考えた部隊を分けての食事の準備、だがこの後飯だと考えている兵は多かった。未だ寒い中で荒波に飲まれ着陣して漸くの温かい食事を待つ故に仕方ないが戦時に平時の感覚は極力排さなければ動きが鈍る。十二分な距離を取っていても平地で騎馬のみを抽出した部隊の機動力は高過ぎた。
要は散発的な反撃が精々という事。
そんな攻撃は大抵が足並みが揃わず遠過ぎるが故に弾丸さえ甲冑が弾いてしまう。特に薄く反応の悪い部隊と部隊の合間を突破して調理中の湯気に向かって突っ込んだ。調理中故に大した対応の出来ない敵を蹴散らし鍋をひっくり返し薪に火をつけ米俵を切り捨てる。下馬して数十数えた時間で即座に戻りまた敵陣を突破して外に戻った。
まぁ正直マジ唯の嫌がらせ。
無駄に洗練された馬術と無駄に洗練された戦闘と無駄に洗練された動きで無駄に洗練された嫌がらせをしてサッサと帰る。
こういうのの積み重ねが大事なのだ。
「アイツらブチコロシャアアアアアアア!!」
など敵陣から叩き付けるような怨嗟の声が聞こえるが悲しいけどコレ戦争なのよね。
「で、朝餉って何?」
大手門を潜った勝三は甲斐八升から降りて弓を預けながら聞いた。受け取った賀島弥右衛門長昌が鼻をクンクンして。
「おそらくは魚介の味噌汁でしょう」
「オッシャァッやったぜ」
「そう言えば昨日、ガザミが届いて泥抜きされてましたな。時期が違うが豊漁故に是非食べてほしいと漁師の方々より届いたモノが」
「カニの味噌汁とか神だろ」
「ですな」
「なかなか食えないし。良いよな魚介。出汁が美味い」
「ですです。マンボウの吸い物。また食べたいもので」
「あー乙子城の確認行った時の。アレは吃驚したわ。たまたま獲れたからつって食わせてもらったけど結構イケる味だったな。蟹以外は何が入ってるかな?」
「カワハギ、真鱈、ヒラメが美味いと」
主従揃って涎をジュルリと垂らす。惜しいかな越前蟹は無いが戦国時代。漁業権を文字通り死んでも守る為に取れる時はアホ取れる。
そして蟹はいつ食っても美味い。
温かい蟹の味噌汁を鱈腹食って……。因みに味噌汁の具材で一番多かったのは鱈だった。内藤家は敵の攻撃を待つ。四半刻もすれば軍使が降伏勧告に来た。
「上杉弾正少弼様が近習、樋口与六に御座る!内藤殿が朝駆け敵ながら見事!故に城を開け渡せば若様の太刀持ちとして仕える栄誉を差し上げよう!!」
勝三は若武者の挑発という虚勢を装った交戦意図を読み解く。まぁ普通に飯メチャクチャにされてキレてるだろうし籠城されると嫌だってだけだろうが。であれば挑発には挑発を返せば良い。
「おお樋口殿、随分と御若いな!!俺が少弐朝臣内藤備前守勝左衛門だ!!俺の持つ太刀は三尺を超える。兵と共に朝から温かい蟹汁を啜り姫米を食った俺達は兎も角、腹を空かせた貴公らには難しかろう!!国に帰って飯を食ってくるが宜しかろうよ!!」
向こうはコッチを怒らせて城から出して野戦で戦いたい。で、コッチは向こうに城攻めさせて損耗を増やしたいのだ。命が掛かれば煽り合いも立派な戦略戦術である。
「俺達はこれから都で流行りの甘い甘い芋餡の啜り団子を食すのでな!!」
勝三の声はよく通る。樋口与六兼続は柳に風って感じだ。だが上杉兵や一向宗兵はバチギレ。俺達に飯メチャクチャにした奴が何を御馳走食ってんだテメェとキレる。まぁそらキレるよねウン。誰だってキレるわこんなん。
「何と内藤殿、上方の武士は戦場でその様に軟派な物を食されるか!!これは益々以て降伏なされよ!!」
立板に水って感じて淡々朗々スラスラと。勝三も同じく余裕をもって。
「逆に上杉殿は戦場で命を賭ける兵に甘味一つを渋るのか!!戦が始まれば碌に飯を食わせてやれなくなることもあるだろうに!!何より甘くて温かい啜り団子は寒い中で働く将兵の体を動かす力になるぞ!!それとも噂に聞く軍神の勝鬨飯は甘味さえ出さん程に貧相なのか!!」
「相国の将兵が喰らうその汁の砂糖の値は幾許か!越前加賀能登越中の四国の荒様を見て何も思わないのか!」
「それは本願寺を名乗る賊供の無思慮な暴虐が為!!門主さえ破門義絶とした男を担ぎ上げる上杉の責任!!そして漸く港を手入れした此れからこそ諸国を建て直す好機だった!!それを上杉の侵攻により遅らせざるをえなくなったのだ!!恥をかきたくなければ良く調べられよ若武者殿!!あと砂糖は大量に入ってくる故に以前に比べれば安くなったぞ!!」
……煽り合いっちゃ煽り合いだけど世間話みてーになってないコレ。
まぁともかく語るに及ばず、後はただ一戦交えるのみ。
そういう流れで舌戦が終わった。