一つダメだったからって諦めない
ポイント・ブクマ・いいね・誤字報告、有難うございます。
恥ずかしい話ですが御指摘頂いた小白の大きさについて昔すぎて若い馬であの設定だったのか、大黒が大き過ぎて何だったら平均よりは大きいのに小白と名付けられたのか、それとも両方の理由を複合させたのか忘れてしまいました。一応、センチ表記の方に直しますがネットでサラッと調べた古今要覧稿だか何だかの記述が元だったのでアレですがお好みの感じで呼んでください。
こんな感じですが暇潰しにでも見てってくれたら幸いです。
大阪城本丸奥御殿で呆れさえ含んだ顔で信長が書状を読む。溜め息を漏らし実際に戦った者達の話や、密偵や商人から集めた話を思い起こしていた。話半分にしても嫌に納得できると書状にもう一度視線を落とし。
「先手を打たれた、か。彼の上杉ならばまぁ仕方ないだろう。長、北条からは誰が来た?」
滝川左近将監一益が北条家に送った申次が状況を見聞して送ってきた報告書を畳んだ信長は菅屋九右衛門長頼へ問うた。
「北条家最長老の幻庵殿が参られました。伊豆国侵入を成し遂げた彼の伊勢早雲庵の末子たる方です。何でも齢七十を越えるそうで」
信長は菅屋九右衛門長頼に信じられない様な顔を向けた。百里を超えられる齢七十越え。
「……仙人か、なんかか?」
菅屋九右衛門長頼は事前の顔合わせした時のことを思い起こす。思い起こして否定が出来なかった。
「白髪白髭の老人ではございましたが、いや、そんな、まさか……」
信長と菅屋九右衛門長頼が目を合わせる。迫真の、そう。まさか、え、マジで?みたいな顔と否定ができない事に混乱する顔。
「……今はどうしてる?」
「養蚕に付いて伺いたいとの事で軍議にいらっしゃっていた勝三様と御会談の最中かと」
「うむ、それが終わったら直ぐ会おう。奇妙にも伝えておけ。……ついでに長寿の秘訣とか聞いとこうか」
その頃、大坂城武家屋敷、内藤館の客間に続く廊下。勝三は織田家の客人と顔を合わせる為に歩を進めていた。障子に手を掛け横にスライドさせ。
一歩。
「初めま——」
「キョエエエエエエエエエ!!!」
爺さんが唐突に奇声を発し絶望を絵に描いたような、思いっきりムンクっぽい顔で泡吹いて白目を剥いた。
「えっあ、あの。ちょッ、たぶん幻庵様?大丈、大丈夫なわけねーわ!!だッ、誰かァ医者呼んでェェェェェェェェェェ医者ァッ!!!」
「た、直ちにィ!!!!!」
内藤家は当然混乱。
「オワ玄庵様ァ!!」
「ハヴァ、ハヴァヴァヴァヴァ……」
北条家も何か混乱。
勝三が登場した途端にコレである。勝三的にはマジ訳わかんねかった。そりゃわかんねー。
入室したらジイさんが奇声変顔かまして泡吹くって何。
千年の時を過ごした松の如き生命力を体躯から溢れさせ木々と岩壁を流れる滝のような長い白眉と白髭を蓄わえてる爺さん。彼こそ積雲の如き存在感を放って在るが儘の生き字引たる北条の古老。ダッシュしてきた曲直瀬翠竹庵正慶、通りの良い名で呼べば曲直瀬道三の診察を受け。
「カヒュー……カヒュー……」
死にかけてた。安静にする様に言って医者帰ったけどダメなタイプの呼吸してるもん。勝三はマジで気を遣って。
「あの、幻庵様。御無理なさらずとも。他の者を呼んで参りますが」
北条幻庵宗哲はプリンくらいの揺れ方でプルプルと首を振った。勝三は視線をずらして何とかしてくれ兼、良いのかこの状況って顔を向ける。此方は勝三より二、三年嵩の僧侶で織田家に出向している顔見知りだ。
この僧侶は板部岡江雪斎融成。北条家の外交僧である。毛利家で言うとこの安国寺 一任斎恵瓊だ。
体躯はガッチリしており凄い眉毛太い。その顔は面長で随分と気の回りそうな顔だ。良く文字を書くのだろう手は技術者の代物。
「此の愚僧めは幻庵翁の意を無碍には出来ませぬ。例えうーん……これ大丈夫かな?と、思いましても!!」
「いや不安視してんなら止めて下さいよ!色んな意味で怖いわ!!」
勝三は半ば思わず敬語かなぐり捨ててツッコんだ。だって板部岡江雪斎融成めっちゃキメ顔だもん。キリッとしてんじゃねーよって感じである。
北条幻庵宗哲がプルプル震えながら何か言おうとした板部岡江雪斎融成を押し留め。深呼吸をそんなする?ってくらいしてから。
「失礼した少弐殿。此の老骨は貴方を見ておると初陣の折に見た三浦の勇士を思い起こすのです。名を平朝臣三浦荒次郎弾正少弼義意と申す七尺五寸の物怪。我等の勝ち戦を蹂躙し尽くしてから己の首を血に濡れた勝者の笑みで掻っ切った巨人。美しく雄々しく何より恐ろしかった。ねじ首殿で慣らして来たが……もぅ本当、怖い」
何か何のフォローにもなってない言葉に勝三は頷いた。正味、勝三は空気で頷いてる。違和感は感じて、ん?とはなってるが。
北条幻庵宗哲は大きく深呼吸をして居住まいを正し。
「織田家が絹を、大々的に取り扱っておられるのは、此の幻庵の耳にさえ届く事。また上方に参りまして聞かぬ事の方が少のう御座います。そして御恥ずかしながら我等北条も絹を作って御座る」
これは大事である。場合によっては戦争になる程の通達だ。織田家の収入源に真っ向から戦いを挑む宣戦布告と取られかねない。
何せ織田家の絹産業もまた将軍家の西陣織から派生して現状に至っている。即ち北条家が織田家の絹産業を圧迫すると取られかねない言葉なのだ。織田家としては産業保護の観点で北条家を攻撃する理由たり得る。が、まぁそれは百も承知だろう。
故に勝三は耳を傾ける。北条幻庵宗哲は気合を入れて。ちょっと吐きそうだけど。
「我等、北条家の絹に御朱印を頂き、その上で織田様に絹を買い取って頂きたいと考えております。その考えが適う物か知る為に先ず織田家で作られる蚕繭および生糸の質を知りたい。故に内藤様に目通りを願った次第」
その申し出は織田家との仲を鑑みれば頷ける話だった。先ず外交的に言えば相手の産業に対しては同等とするならば触らない。逆に立場が弱い方が気を使い配慮する。要は織田家に対する契約不履行への詫びる意思表示だった。
そして養蚕業は織田家内で完結しており繭は質問わず外に出ず、糸は余れば堺か堺で余れば敦賀に流れる。糸は最終的に南蛮商人か密売人が悪くない額で買い取っていく為、東に流れるのは大抵の場合は反物の状態で、同時に絹よりも木綿の方が東では売れており絹の質はソコソコ。織田家の贈答品が質としては特上だった。
要は今回の仕方ないとは言え上杉家への攻撃不履行。その詫びとして絹の産業を織田家の主体とするが、その程度をどれほどの物にできるか探りたい。が北条家としては配慮するにも事前情報が無いのだ。
「承知しました。主上や上様にお渡しする質の物は有りませんが幾つか持って来て貰いましょう。与右衛門、頼む」
「は」
医者を送りに行った増田新兵衛長盛に代わって控えていた藤堂与右衛門高虎が品々を持ってくる。
「こう見ると我が家の品質は心許ないのう……」
並べられた繭や反物を前に北条幻庵宗哲は困った様に呟いた。西国は唐や南蛮の船が寄る最新の情報溢れる地。故に覚悟はあったが、だ。
勝三も北条家が持って来た見本を見ながら。
「敢えてハッキリ申し上げますが良くて並ですね。其々の買取額は此方になります」
こればかりは仕方ない事であるが織田家の大事たる絹産業の発起人にして責任者なればこそ厳しく出た。そこに同盟相手が手を突っ込んで来るのだから曖昧にした方が後で面倒になるのは当然。それを立場と経験から理解し鷹揚に受け入れて北条幻庵宗哲は勝三の買取表を受け取り。
「悪くは御座いませんが、些か……」
刺激をし過ぎない様に言葉を濁し呟く。南蛮や明などの商人にそれなりに売れている事は知っているのだ。北条家がそこに食い込む手数料と言い変えればそうだが確認は取っておきたい事である。要はもうちょい高く買い取って欲しいなーってチラチラ見ながら聞いた感じ。友好前提の外交の一環だからね。
「せめて数を作って頂ければ多少の融通は何とかなりますが……」
「では織田家の養蚕を伝授して頂けませぬか。此度の事を含め上野下野をお譲り致します故」
勝三はモニョった。上野国も下野国も北条家の完全制圧した土地じゃねぇし内陸部だし飛地過ぎて厄介事でしか無い。交渉になってないのだ。
つーか上野国とか散々に荒らされてるし。
そりゃ長い目と楽観を含めれば得もある。越後を取れれば関東への嚆矢足り得るし二国の統治について北条家の一切を無視できるだろう。しかし今んな事言われても何言ってんのって話でしか無い。
「と、言うのは建前でしてな」
北条幻庵宗哲は言う。
「上野の国人。彼等の食い扶持が必要となりまして。そも乱取りを徹底されたのです。人手がない」
板部岡江雪斎融成がスと一枚。
「此方は起請文に御座います。上様にも出すつもりでは御座いますが」
勝三はマジで困った。つーか絹の話は重要ではあるのだろうが唯の前振りだったのだと理解したのだ。確かに絹の話を終えて頭も口も回せそうだがどの程度の言葉が出るか想像がつかない。板部岡江雪斎融成の言葉を待つ。
「我等は同盟を表向きにした臣従を模索しておりましたが、名実ともに臣従を申し出るべきと心得ました。無論に御座いますが申次たる左大将様や滝川殿、佐久間殿にも目通りの上で相談は済ませております。故に内藤様にも相国様の御赦しを頂く一助を願いたい」
勝三が覚えたのは疑問。同盟の中で何某かの譲歩ならば頷ける話だ。だが臣従とまでなると過剰な反応としか思えない。例えば北条家が伊豆以外の領地を取られたのなら臣従も分かる。が荒らされはしても北条家は寸土も失っていないのだ。おかしな話である。
要はアレだ。家も無くなり飢えた者が足舐めるから助けてって言ってくるなら分かるが、まぁまぁの豪邸に住み飢えを知らない様なのが足舐めたるわって来たら「はい?え、何コワ」ってなるじゃん。キショくなったけど勝三の認識としては近からず遠からずこんなノリ。そら警戒する。
故に耳を傾けるしかなかった。が、その警戒に類する心象。それは北条家からするとヤメテ欲しい考えだ。仕方ないにせよ世の中は数多の視点が混在するのだから。
経験則で交渉相手が思惑と違う方向へ思考が流れたと察した北条幻庵宗哲は諦念じみた表情を浮かべ。
「関東における我等の立場は非常に強固。故に此方が折れねば織田殿の敵足り得てしまう。それを我等は恐れております」
関東において北条家は磐石な土台を持つ。伊豆国、武蔵国、下総国は完全に掌握したといっても問題ないし上総国九郡の内の七郡は掌握しつつある。
で、だ。同時に織田家の伸長っぷりも加味して見て欲しい。あくまで北条家視点だが先ず徳川家だ。現当主の弟たる北条助五郎氏規が今川家にいた以来の付き合いである。その徳川家当主より今川家に世話になった同士として送られた私信から凄く分かりやすい一文を抜粋すれば。
【我等同盟と申し候雖其の実織田の茶汲みに候。甚だやうがりに候】
丁度、武田家との紛争問題でガチギレされた後くらいの手紙である。また、その少し後の事だが。
【此度淡海に於ける戦の仕儀、万事驚驚愕致し候事止めど無く候。大筒船に火縄を乗せ延暦寺悉く焼き払い由候上、朝倉残党悉く大鬼を用い燼滅致し候。敵ながら誠に悼ましく候】
である。まぁクソ愚痴った私信だが、その状況を甘んじて受ける必要があるのだと言う認識をされたのだ。またトドメとして武田家の事があったのである。
武田家も織田家も認識は同盟であるが北条家側からすれば、徳川家と武田家の問題を織田家が裁定を下した。じゃあ武田家も織田家の家臣じゃねーかよって話だ。
あの武田家が、である。北条家にとり武田家は時に恐ろしき敵として、時に頼れる味方として存在した。周辺国で己と同等か以上の存在であると血肉をもって理解していた相手。
それが織田家の裁定に一切の不満を吐露する事なく従ったのだ。その衝撃たるや北条家上から下までフレーメン現象を起こした猫みてーになっていた。武田徳栄軒信玄在ってそれなら亡き後など語るまでも無い。
北条家の認識としては自身達と張り合う立場の家でさえ織田家にとっては一家臣程度でしか無い様に見えていた。
「我等も四ヵ国を治め上総、上野、下野、常陸に手をかけ百五十万石を越える地を治める立場。昨今の佐竹との諍いを織田家と我等に置き換えて鑑みれば、毛利家を手本と致せる内に損切りの必要性を考えたまでの事。それも強敵のある内で無ければなりますまい」
「あぁ……成る程、緩衝地帯ですか」
勝三は越後を取った後の事を考えて言ったが北条幻庵宗哲は現状の事と考えていると受け取った。
北条家としては武田家も徳川家も織田家に臣従してるし織田家と隣接してる認識だ。対して織田家的には徳川家はともかく武田家は婚姻同盟って認識だけど。まぁンなモン似た様な感じだから織田家と北条家間では無問題。
「北条家の御希望はその二国を除いての現領安堵で?」
「正しく。形としては毛利家に近い形に落ち着きたいと考えております。無論それは同盟ではなく相国様を上様と御呼びする形にて。当然に御座いますが軍役等は務めさせて頂く。違えはしませぬ」
「まぁ、うん。そうですね。その形に落ち着くとは思います」
明言すると言うのは大事だ。一度言葉に発した事に向かって行動をしなければ信義が揺らぐ。信義を失えば外交の相手としてその程度の存在としてしか見られなくなる。要は会談の場で言葉にした時点で一定の覚悟を示している訳だ。
「相国様の御相談を受けた際には是非とも北条家の異存なき事を、此度の会談の事を伝えて頂きたい。我等は我等が如何見えているかは理解している積もりです。どうか少弐殿には二心無き事を御理解頂きたい」
そう言うと頭を下げ。
「此度の事があって関東一円とは申しませぬ。しかし枡座の京都十合枡などの受け入れ等も甘んじて受ける所存。どうか御配慮頂きたく願います」
「……古河公方と、その分家たる小弓公方。その辺りも如何なるか分かりませんよ?」
「其方も当然、相国様に従います」
「分かりました。その時は今回の事を伝えましょう。それも陣中の事となるでしょうが」
勝三の言葉に北条幻庵宗哲と板部岡江雪斎融成がピクリと反応する。
「もしや相国様は越後に行くのですか?」
驚愕の顔を上げた板部岡江雪斎融成の思わずと言った問いに勝三は首を傾げながら。
「ええ、まぁ我等の計画は未だ変わっていません。何せ出羽の最上殿なども攻勢に出る予定ですし越後はともかく越中くらいまでは取っておく予定です。私はその前段階の準備が御座いますので」
「余計とは心得ますが……かの軍神、侮られますな少弐様」
言葉を発した板部岡江雪斎融成は切実だ。切実で心実に織田家を憂う色がある。勝三は侮っている様に見えるのだろうと納得して感謝した。
「事実、軍神と幾度も戦った方の言葉。心に留めておきます」
そう言った勝三は翌日に大阪を立ち近江今浜に寄って兵糧等の確認を行なってから越前へ向かった。