東の神と西の神
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「与三、次郎。助けてくれ」
勝三は懇願した。いや、哀願である。心底の臓腑より吐露された助命嘆願にも似た救いを求める言葉。言うて帰ってくるのは当然。そう白眼視。
「そういうの良いから手を動かしてね」
これは兵糧の提供を頼める相手へ文書を記す与三の言葉。
うん、鎧袖一触。
「コッチの文書もな。与三のそれ終わったらキリキリ書けよ。後つっかえてんだから」
これは堺など瀬戸内水運の寄港地へ書を記す次郎の言葉。
うん、金剛不壊。
勝三は政務において無難な男である。やるべき事は欠かさず何か急用あれば即応するクチだ。それでも一日の半分は狂った様に鍛錬するバイタリティモンスター。略してバタモンである。
が、しかしだ。
そう何事にも限度というものはある。特に完全に独断で毛利家へ船貸しちゃったのはマズった。同盟関係や周辺状況など無論だが重要で肝要たる事ではある。が、それはそれとして突発的に対応するには重い。そりゃ戦こそ無いが暇では無い家臣がオコ。
「勝手に船貸したのは謝るって。借りがあったから仕方ねぇじゃん」
勝三がブー垂れるが与三も二郎も呆れ顔で。
「一言相談してくれれば未だしもねぇ」
「それもそうだがな。六隻も貸すなよ。アホがよ」
「……グゥ」
「うわ勝三から偶の音でてる……仕事しろ」
「へぇーグウの音ってホントに出るんだな。仕事しろ」
マジでキレてっけどアレやん、タスクってあるじゃん。とどのつまりは物事をスムーズに進めるための手順と段取りを企画するってヤツ。それをグチャグチャにされたら普通キレるし変更される場合も事前連絡は最低限。
与三なんか特に酷い目に遭ってて乙子城主として津の管理も行っており内藤家の物品移送計画は一から練り直しだ。大坂城に送る石材および木材は遅らせられず逆に言えば予定を変える必要はないがカツカツにはなっちゃったからね。
最低ラインは勝三も守ったが余裕を保って済ませられる筈の仕事をカツカツにされては堪らない。だから増えた仕事は勝三が全部やるって事にした。まぁ後でツッコまれてからヤベってなった勝三の詫びである。
まぁそんなこんなで過ごしていた訳だが。
「長宗我部と一向宗は終了、北条家も実質降伏って形か」
勝三に信長から近況が記された手紙を受け取った。ぶっちゃけ天下統一というものがフンワリと見えてきた形だ。まぁ形としては豊臣政権くらいのノリだろうか。
信長の手紙に記されていたのは漠然とした政権構想。
毛利家、武田家、北条家、上杉家。現状で残りそうな大家はこれらだ。この家とは協調路線を維持しつつ朝廷の名の元で私戦停止令を出し逆らう者は都度ボコボコにすれば良い。信長的には面倒だが後を考えて上記の家以外は積極的に大名家の力を削っていく考えだ。
また各方面の軍団長をそのまま各所に配置して大家に対する即応体制を整える。その上で重臣達に意見書の提出をする様に言われたのだった。
「つっても政の事とか分かんねぇしなぁ……」
勝三とて参勤交代だの名前は知ってるがどう言う状況で何故行われていたかまでは分からない。そりゃ表面的なのは知ってるが政策というのは事前に準備すべき下地と空気が必要なのだ。例えば参勤交代が諸大名を弱らせ経済を回したくらいは聞いた事があっても各大名への軍役である事は知らない。要はテメーらの立場は徳川が保障してやるから門番とか作事やれってのが分からないって話。
だからまぁ提案してもフワッとした感じにしかなんないよねっていう。
それに勝三が聞いたことあるのは江戸幕府の頃の物である。徳川家以外の勢力は彼の百万石の家とて身の振り方を考えなければならなかった時代。現状に則した政策提案をするには知識が無さ過ぎた。正味、刀狩さえ怪しいもん。
勝三としてはこんな感じを目指してみてはと政策を羅列するくらい。
要はそんくらいしか出来なかった。
「まぁ、俺の出番も終わりかね」
勝三は、思う。
自分は少弐朝臣内藤勝左衛門長忠だ。自身がなんなのかあやふやだった頃もあって、その頃と変わらず確かに未来の知識は頭にある。だが己は織田三郎信長の臣、内藤勝三長忠なのだ。
そして内藤勝三長忠の役割は戦場である。織田家に立ち塞がる敵をボコボコにする事こそ使命。だが織田家の敵は既に居らず居たとても悉くが信長の出張る必要が無い相手。
戦国の終わりが近づいていた。
手紙を前に勝三は思ったのだ。
「後は政務の合間に鍛錬して絵でも描きながらのんびりするかぁ……」
だから勝三は書き終えた返書を傍で乾かしながら呟く。家族やダチと温泉に浸かりながのんびりしよう何て考えながら。三郎様はお忍びで休みに来てもらおうなんて。
「で、伝令ッッッ!!!!!」
「ホワっ?!」
勝三がビクゥってなって廊下を見れば息を切らせ片膝を突いて控える賀島弥右衛門長昌。
「上杉家と北陸一向宗が和議を結びました!」
「え“ッッッ今?!」
「は、間違い御座いません。柴田様より確かな事とであると。また民部少輔様が上杉家へ使者を出して確認なさったそうです」
その報告から数日後。
「官兵衛殿は何と?」
勝三は書状を手渡してきた男に問う。
「は、まず間違いないだろうと。龍造寺への守りを捨てねば回せぬはずの兵が博多に集っております。御自ら官兵衛様は行かれ確認して参りました」
「毛利殿は何と?」
「兵糧鉄砲大筒弾薬をあるだけ買いたいと。加えて船の貸し出しを延長させて欲しいそうです。また必ず始末は着ける。申し訳ない、とも」
「……成る程、義昭の野郎かァ」
勝三の顔が憤怒に染まった。
美しい瀬戸海を一望できる縁側に四つん這いの凄いのが居た。四つん這いで青筋浮かべた赤面を青海に向けてる。余りにも美しい絶景に広がる余りにもあんまりな。
「ふぅんぬああああああああああああああああああああンでヤァ!!!!!!?」
絶叫。
義昭はキレていた。筆握り過ぎて豆のできた手を口に左右に。鞆の浦の絶景へ向け絶叫。
麓の漁師とか水夫が「うわ、またかよウルサ」ってなるくらいの声量。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっホッッッゲッホゴッホオエエエエエエエエ——……」
感情炸裂させて声を張ってたが喉が死んだのか咳き込み四つん這いに崩れ落ちて嘔吐みたいな声を発する義昭。
そのまま騒ぎ過ぎたのか息を切らす。
ゼェーハァーと喘鳴を整え唾を飲み干して決意の顔を上げる。
「新右衛門。今回の、いや最後の大博打、大一番や、どうなる」
シーンと。なーんも返答なしで十秒。四つん這いのまま顔を後ろに。
「新右衛門?」
誰も居なかった。
義昭は固まった。
将軍なのにって。
ショック義昭が四つん這いになってる縁側と部屋を挟んで反対側の廊下から椀に口を付けた柳沢新右衛門元政が現れた。
「この芋茎お麩みたいでうめぇ〜、ん?」
主従の視線が交差する。
「……お邪魔しました」
「いや、何に気ィ使うてんッねんッ!!!戻って来いコラァ!!!」
スッと退室しようとした柳沢新右衛門元政は足を止めて振り返る。すっげぇ面倒臭そうな顔で。
「いや将軍が四つん這いはダメでしょうよ」
「……確かに」
スンと頷いた義昭へアホを見る目を向けながら部屋の中央に腰を下ろして四つん這い将軍へと淡々。
「で、何か?お忘れの様ですが仰せの通り時間潰してきましたけど。と言うか鞆の浦の方々が吃驚するので騒ぐな」
「え、聴こえてたん?」
「……え、聴こえてないとでも?あの絶叫が?」
「……ま、まま、まぁエエわ」
動揺エグい義昭は一呼吸。
「新右衛門。今回の大博打は勝てるやろか」
「いや無理でしょ」
「……………もうちょっと……こう、手心くれへん?」
「では手心を加えて申し上げれば毛利家からの小遣いは半分になるでしょうね」
「手心あってソレなん!!?」
「まぁ御所巻くらいは覚悟していただいて」
「おっふゥ……」
義昭のボディブローを食らったような呻き声をガン無視して柳沢新右衛門元政は鉄面皮。
「まぁ毛利殿にせよ織田家にせよ先の公方を殺す事はしないでしょう。その価値が己の不満の発散程度の価値しか御座いませんから。寧ろ殺した事による弊害の方が大きい。感情は時間と共に溶かす努力を重ねれば此度の始末は付きます」
「あぁ、うん。失敗前提なんやな」
「まぁ何かの手違いで信長と嫡男が同時に亡くなれば成功するでしょうが、そこまで成れば此度の策謀を実行した我等は鏖殺でしょうね」
義昭は溜息を一つ。左近衛大将という慮外の対応は織田家の権威的な価値を圧倒させた。足利の権威が霞む程に。
特に織田家が都を抑えている。これは致命的な事実。時間が敵となり残る権威で最後の花火を上げようとした策。
「幕府再興最後の大博打。合従連衡の代償がこの首な訳や。エエやん、最後くらい派手にイケるっちゅう訳やろ」
情けなかろう。惨めだろう。だが義昭は構わない。
遅かったと悔やんだ。今更だと嘆いた。将軍らしさなど無いと知っている。
が都を出てからは己が意思で万事選び万事決めた。
「エエやんけ」
たった数年、されど数年。割と満足してしまっている自分がいたと気付いたのだ。義昭という男は。
まぁ義昭の大義名分に乗った勢力的には堪らんけども。死にかけで縋った一向宗とか、北条と武田の同盟に端を発して越中に目を向けた上杉家とか、独立を願う龍造寺家とか、農地を欲して北方へ歩を進めたい島津家とか。まぁ彼等的には義昭のテンション知ったらキレるだろうけど。
まぁ少し思いを馳せて欲しい。物心ついた頃には慣習により寺に入り、僧として生きて凡そ二十年で命の危機と幕臣の懇願で還俗、将軍となってからは御飾りでしか無い空虚を。人生の岐路においてどころか己の選択が介在する余地もない人生。
これでは己が程度を見極める方が難しい。
挙句に都から蹴り出されて尚も価値を持つ権威という力を実感し、漸く気付いた時にはそれが薄れている現実。
何の事は無い。義昭は全てにおいてこんなモンかと納得したのだ。己にせよ将軍にせよ。
今の感覚はスゲェアレな例えだが夢追ってた若人が自分の程度を理解し就職するかってなって、踏ん切りをつける意味で最後一度だけプロへの道に挑戦する感じだ。
だって最近は織田家たおそーぜ(意訳)な手紙を送ってもクソほど丁寧に書かれた行けたら行く(意訳)みてぇな返事しか来ないからね。そら絶景に向かって絶叫もする。四つん這いは、ちょっとアレだけど。
何だったら織田家の馬鹿デケェ一角船が六隻ばかり鞆の浦から見えたからね。あんなモン対応出来る訳ねぇじゃんって話よ義昭的にも。大筒とかアレ頭おかしいもん。
まぁ諦めてんのだ。最善を尽くしちゃいるが。マジで今回の義昭の一手に乗った勢力はキレるけど。
「新右衛門、手間やろうけど他の連中の事は頼むで。家格はそこそこあるし京の事も詳しいんやから粗略にはせんやろ」
義昭は瀬戸海の空を流れる雲を眺めながら言う。柳沢新右衛門元政は目を細め。
「うわ、めんどくさ……失礼。つい本音が。大樹の願い承りました。此の命に換えても果たして見せましょう。たぶん」
「ちょ?!なぁ!!ホンマ最後くらいカッコ付けさせてくれへん!!?」
「四つん這いでケツ突き出して怒鳴り散らかす将軍にどうやって格好を付けさせろと?」
「……何か、こう、良い感じでやってや」
「無理ですね」
一人の神が歩いていた。未だ現人神が在わす此の時代には余りにも不敬な例えだが、そうとしか言えない様な男がゆっくりと。彼は静かに全てを圧していた。
竜であろうか、神であろうか、定からぬ。
そんな一個人が堂に向かっていく。
軍神が己の社に帰るように。
「いつもの様に」
物理的圧迫を感じる程の声に応える様に堂の扉が閉められた。
男の存在感に塗り潰されていた覡の様な小姓達の手によって。
「……」
扉の前で佇み歩を前に。
堂に安置された毘沙門天に対峙する。
座り薄い微笑みを浮かべて神像へ一礼捧げ。
「……へへ」
顔上げたらただのオッチャンになった。手をスルスリしながら毘沙門天の安置された部屋の脇に置かれた大盃を乗せた樽の前へ行きニヨニヨと担ぎ上げる。大盃のけて蓋開けて杓で掬いで一杯を木像の前の小杯に。
「ふふふ」
そして逆の脇に置かれた壺を開けて梅干しを取り出し毘沙門天の前に。
酒を杓で掬い朱塗りの大盃へダヴァー。
満杯の赤い大盃を口元へ運び像に目礼。
口付けてゴッ、ゴッと喉鳴らし呷る。
「ッあ〜〜〜コレェばっかイんめぇ」
そしてまたビールでも飲んでんのかってノリで酒を飲み梅を口に入れ種を吐き出してまた酒を呷る。
散々飲んで食うては嚥んで呑む。敢えて飲まれ嚥まれて呑まれ溺れる。
「ッか〜〜〜ッ!!さぁ鬼の強さはどんなもんかな〜〜〜!!!」
「なしてッ止めんやったァアアア!!!」
雷鳴が落ちた。猛々しい雷鳴が。武士供が固まり半泣きにさえなる。
「伺う!!!!!」
座ったままズンと前へ。褐色の肌にギョロリとした真ん丸の双眸が君主へ。身を進めるため床を殴りつけた太い腕には雷を斬った際に付いた赤い雷光が走っていた。
その雷紋迸る腕を握り上げまた床をズンと殴る。
「和議には無か条件やった!敢えて省かしぇたけんだ!!龍造寺へん札ば無うしゃん為に!!!」
圧倒される主人が冷や汗を流しながら。
「面倒しいが大樹も良う分かっちょん。奴にとっち勝者がおらん事が重要やと。好きでやったんじゃねぇ」
「納得はでくる。が、後ん事ば考えりゃあ悪手やろう!関係ば完全に断絶しゃしぇる必要は無かった筈や」
眼光と正論に怯む主。だが仕方の無い面も大いにあった。
「最悪ぅ避けたんじゃ。此処じ反故にされちはかなわん。分かっちくりい」
「否。最悪なんぞ避けれとらん。今に大鬼が来るさ」
主人はハッとして。
「……一時凌ぎって糊塗な事?」
「くらすくさ」