やってらっれっか!!!俺は逃げるぞ!!!!!
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中村大炊助頼宗は美作国中部の苫田郡に拠点を持つ小領主だ。そして後藤家に次いで織田家へ臣従を誓った美作国人で有る。だが領地的に宇喜多家との折衝なんかが有って勝三に目通り出来なかった。
ンな訳でこの因幡侵攻の際に勝三が会談がてらご飯食べようと使者を送ってきたので美作国に勝三がブチ建て中の鶴山城に向かったので有る。
尚、鶴山城の城主はそん時そん時で決まる感じであり宮部善祥坊継潤、堀遠江守秀村、樋口三郎左衛門直房の誰かが駐屯する。今は宮部善祥坊継潤がそうで客人の前では禿頭の筋肉モリモリマッチョマンが歩いていた。その客人こと中村大炊助頼宗は先導する彼の禿頭には目もくれず城を見て。
「なんじゃぁ……こりゃあ」
普通のオッサンで有る中村大炊助頼宗はドン引きした。アホ程デカい城を建ててるのは知ってたがマジでデカかったのだ。単にこれは山陰方面への救援を考えて規模を大きくした結果で有る。
まぁその山陰軍の進軍速度がヤバくて街道広げる前段階の築城終了と同時に開戦って形になっちゃったけど閑話休題。
さて鶴山ってか津山城と言えば勝三の記憶の方で言うと江戸時代に森三左衛門吉成の息子から始まった改築によって大量の櫓が建つ美しくも重厚なる白い平山城として有名だった軍事拠点だ。
しかしまぁ勝三はそんな知識とか無いので兵が住めて政務所が有って物資の集積と最低限の防衛が出来れば良かった。
そこで勝三が思ったのは全く別の事。
超白桃くいてぇなって。
間違えた。
これ物流拠点に丁度良くね?
何せ毛利家および山陰軍への援助として兵糧を掻き集めた。
それが余りにも多くなったので保管場所に困ったのだ。備前でも使うし讃岐とかに送るが陸のハブ港として活用しようと思ったので有る。御誂え向き西に久米川、南に吉井川、東に加茂川あるんで水運にエエやんっていう。
ハッキリ言えば大規模倉庫と大規模軍事施設が併用され美作国に織田家強いぞーって思わせる程度の見た目になった。
そらもう結果ゴリゴリに広くてデカくて無駄に豪華な天守が建つ総構えミテェなのが出来た訳だ。斎服山城は潮風対策に銅瓦と派手さを求めて一部を赤漆で塗ったがコッチはいぶし瓦で壁は白漆喰で白く塗ってやったのである。見栄というよりは織田家すごいよって魅せる為だ。
後どうせ人集まるし温泉近いし歓楽街にするのも良いなって一般公開できるようの庭園とか桃園とか作った。
端的に言おう。
悪ノリで有る。
最近の勝三はアレ。大砲とか船とか信長を最強にすると言う大体の夢が叶い、挙句に警戒してた明智光秀も細川家の家臣のままだから気持ちが浮ついているのだ。そう言うと聞こえは悪いが信長から命令があった。
文面を言えば毛利家に侮られない城を作れと言う命令であり。しかしその実は将軍家の威光を霞ませる城を作り毛利家内の幕府を担ぎ上げるワッショイ派の動きを掣肘もといボディブロー叩き込めとの御達し。デカくてカッコよければ良いよって言われたんで勝三の入れたい物をぶっ込んだ結果だ。
グダグダ言い過ぎた。
五階層天守の本丸、漆喰塗りの櫓が四方に建つ二の丸、庭園と屋敷と足軽長屋が詰められた三の丸だ。んで周りに材木と兵糧を運ぶ為の港湾および大規模倉庫群と大規模兵糧制作長屋と労働者の街で有る。その周りには山際まで広がる水田が盆地に広がる形だ。
「多い……のぅ」
高瀬舟がズラリと並ぶ城下町。岸に留まる船だけでも十二分に多いが吉井川を進む船達もまた多い。それら高瀬舟は前に一人に後ろに二名が乗り込み長い棹で操船しており全長は十一間、最大横幅一丈で非常に吃水が浅く平たい印象を受ける。しかし今にも沈みそうな程に俵や樽が山の様に積まれていた。
「アレらは此の鶴山にて兵糧にする為に掻き集めた物です。今運んでいるのは干物と油ですな」
宮部善祥坊継潤が興味深そうに見る中村大炊助頼宗の好奇心に応える。中村大炊助頼宗は尚驚きを含めて。
「戦の準備か。あの量となるとは。如何程の兵を因幡へ?」
「そう多くは御座いません。まぁ五千前後ですな」
「五千……」
「美作どころか備前からも女房を集めて陣麺や乾飯を作っております。触書にて三十日分が決まっており殿がそれに合わせた兵糧長屋を設けているので。今はその全てが用いられていますな」
「わざわざ長屋を?」
「我等も使いますし山陰や四国への兵糧の準備も賄っておりますので。毎日の様に数百人分の兵糧が作られております」
「はえ〜」
中村大炊助頼宗は居城がメッチャ近く友好的な国人なのだがこの反応だ。て訳で今回の勝三が周辺国人を招待した意図は織田家の力を有効的に見せて遠征中に反乱が起きる可能性を無くす為だった。美作周辺への仲良くしよーぜ的なのや内藤家内の慰労会と戦頑張ろうぜ的なノリも込みだけど。
まぁそんな宴会は端折る。膳食って酒飲んで終わり。それで十分で十全だから。
「はい。じゃあ因幡へ出発。山道だから気を付けような」
勝三はそう言って甲斐八升に跨った。大黒はもう戦場では走らせられない。相棒と言えば老馬たる大黒だったが彼は近江で仕事を任せている。
マジそろそろ子供の数が百に届くと思う。父からの手紙に【大黒精根無尽蔵に候 森家の雌馬十五匹悉く相手致す由候事 獣と謂えど驚嘆羨望の思いに候】って書いてた。勝介って父親がコレ書くってヤベェよ。
閑話休題。
進軍は有り得ないくらい暇な物だ。街道整備も出来てねぇから黙々とクソみてぇな山道を進んでくしか無い。兵の歌が無聊を慰めるが森の中すぎて景色も一辺倒。
朝に出たが昼過ぎ頃に漸く盆地に出る。
荘ノ尾城、香音寺城、唐櫃城を落としてまた山を、しかし今度は川に沿って進んで行き樅尾城を落としてまた盆地に出て三角山、景石城を落としながら進軍。
計六つの城は警戒と兵が無く大概が速攻で開城した。
「さて与三、用瀬備前守だっけ?上手い事逃げたのは。こりゃ抜かったなぁ……」
「山名家の防衛は強固になるね。大筒使おっかな」
崩れた石垣に腰を下ろして暖かい陣中食を食べながら勝三と与三は話す。今、悪ノリで落とした景石城、夜襲を仕掛け門をこじ開けて突撃した城の中で。勝三が櫓の見張りを射抜きピョイーンって入ってって閂を引っこ抜いたのだ。
まぁ端的に言って忍者の真似事をした訳であるが燥ぎ過ぎである。あくまで控えめに言っての話だ。マジで何やってんのコイツ。
ホント総大将がやる事じゃねーから。
何がタチ悪いって政務処理でバグってんのかツッコミ役がツッコミしてない事だ。何時もならキレてる与三とかが仕事してない。寧ろやっと僕の番とか言ってハイタッチしてから次の城落としの作戦練ってる始末。
「最近さ。ちっさめの門なら粉砕できる様になったじゃん?俺って」
勝三が湯漬け乾飯を飲み込んで言えば与三は椀を傾けながら頷く。
この中にツッコミが出来る方はいらっしゃいませんか。マジで。
誰か一人で城門壊すなって当然のツッコミ入れろよ御願いだから。
「正直、最近は鍛えてても大筒があれば意味ねぇなって思ってったんだ。けど、まさか此処に来てそれが役に立つとはな」
「まぁ大筒に比べれば音も鳴らないしね」
「芸は身を助けるとはよく言ったもんだぜ」
オイこいつら休んだ方がいいっって。もう仕事しすぎて脳みそ死んでるって。総大将が一人で門を破壊しに行ってる状況に違和感ないのはヤバいって。
そんなヤバヤバな勝三達は因幡海に向かって進軍を再開した。
さて一方。
「……これどないすっかねぇ」
二十七歳と言う未だ血気盛んな男がツーと涙を流しながら言った。何かもう凄い可哀想な感じがするこの人物は山名中務大輔豊国。昨年漸く鳥取城を取り返したのに織田家に攻め込まれた可哀想な人だ。
叔父が織田家にボコボコにされ尼子家がワチャワチャしたお陰で十代の頃に追い出された城を取り返せたので本人は親織田なのだがバチバチの反織田としてしか動けない。
もっかい言うが可哀想な人だった。
「えれぇモンでこりゃあ……海に米と木綿、山から大鬼け。んで七城殴開って何よ」
山名中務大輔豊国はグチグチと愚痴る。彼の籠る鳥取城は織田家の軍勢に囲まれていた。マジ可哀想。
「備前入道殿が曰く城門が殴り潰されたとか」
「儂は鉄柱を振り回しておったと聞いたぞ」
「コッチは大筒だったと聞いた。しかし小鬼だったというてたな」
「何にせよ兵が逃げ込んで来る故に聞く話からして門を簡単に壊せるのは違いないか」
家老的な立場の片割れ中村対馬守春続が口をヒクヒクさせながら言った。横に並ぶ森下道誉吉途がンなバカなって顔をする。因みにコイツら山名中務大輔豊国を因幡から蹴り出した連中だ。
山名中務大輔豊国は思った。
コイツらの為に首切られるとかヤダ。
つか状況的にしゃーないけど外の情報が入ってくる程に兵が逃げ込んで来てんだから兵糧攻めされてることに気づけよ、と。
天正二年神無月。
鳥取城から何か十人ちょい出てきた。
山名中務大輔豊国の一行だ。
彼等が何をしようとしているのか、その事実は驚愕に値するだろう。だが同時に納得する程度には至極当然の事である。端的に言えば何と無く予想は付いたろう降伏だった。だが城主とその一族だけという注釈が付くが。
山名中務大輔豊国としてはアレ。餓死にという未来を選択した家臣連中には付き合ってられない。言っちまえばそういうノリ。
ガキの時分に蹴り出した己を担ぎ上げる。これが尼子家の講話条件だったから自信は返り咲いたのだ。当然だが部下達との関係が良いはずもなく苦しみ抜いて死ぬまで付き合う気も義理もない。尼子家に対しては本気で申し訳ないと思うが正味やってらんなかった。
だからまぁ……。
「降伏します」
「え、ほんとに来たんです?」
こうなる。丹羽五郎左衛門長秀がらしくないビックリ眼で思わず吐露した。木下藤吉郎秀吉も勝三もえぇ……。ってなった。
勝三ってか内藤家にしたら散歩してたら敵大将が降伏してきた感じである。そりゃもう、えぇ......だ。
その顔を前にして何ら臆する事なく山名中務大輔豊国は言う。
「この山名中務、粉骨砕身。左近衛大将様へ忠を尽くします。どうか先陣を賜りたく御配慮頂けますよう」
降るんならこんくらいはするよね、うん。
まぁ鳥取城は落とさにゃならんのだけど。
さて唐突だが勝三の記憶の方と打って変わって尼子家を織田家が援助しなかった理由は織田家と朝廷の繋がりが強かったからだ。
先ず前提として尼子家が将軍家の権威を頼っていたのである。これは尼子家が戦い続けた大内家や毛利家が朝廷と非常に仲が良い家だった事が大きい。そうすると尼子家としては朝廷には頼り難くなり当時の幕府も己を頼る尼子家には好意的だった。そんな側面があったが故に尼子家は将軍家中心の外交となっていたのである。
当初はそれで良かったのだ。織田家も武家として幕府の権威を頼りとしていたから。だが幕府のポカが増えると状況が変わった。
特に記憶と現状の決定的違い。そのズレが大きくなったのは京の統治が織田家だけでは無く六角家および三好家の三頭政治だった事だろう。そんな三家共に義昭コノヤロウってなるのが早かったので結果的に織田家と朝廷との距離が近くなったので有る。また六角家と三好家と言う分かりやすい先例がいた為に織田家と朝廷の仲は深まりやすかった。
そうなると延長、織田家として幕府と仲の良い尼子家と朝廷と昵近な毛利家となれば毛利家との縁を重視するのは当然。また織田家と敵対した義昭が重視した家の一つが尼子家だった為に織田家としても敵でしか無い。
まぁてな訳で。
「おお月よ。今宵、私は七難の一つを越えてみせよう。御笑覧あれ」
尼子家は徹頭徹尾、織田家の敵であった。
故に七難八苦の全盛りみたいな戦が始まる。
正直ヤメといた方が良いと思う。マジで。
「さぁ孫四郎様。此方をご覧下さい」
ホントやめとけって。