戦で一番簡単なのは始める事。後全部ダルい。マジ無理すぎ。お片付け始められるだけマジでマシ
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主従の再会でポカンとした表情の勝三をもう一度。頭からつま先まで見た信長は安堵を吐息と共に漏らした。甲冑姿の信長は兜を取り馬から降りて座り込む。
「いや驚いたぞ。もう此処まで来ていたとはな。此方も急いだんだが流石は勝三だ」
そう笑っていう信長に勝三は未だ混乱を残したまま。
「あ、有難き御言葉。御屋形様がいらっしゃると言う事は荒木は既に?あ、と言うか畿内でも義昭の文書が出回っていたのですね」
話しているうちに察した事は正しかったらしい。信長は頷き。
「ああ御名答だ。荒木本人には逃げられたがな。畿内の騒乱に素早く気付けたのは兵部大輔のおかげだ。旧幕臣は勿論だが旧三好三人衆、本願寺離反組、丹波勢、他にも挙げればキリが無い。全くまぁよくも書いたものだ」
「えぇ……。そんな事出来たんです?アイツ」
「都にいた時とかも手紙だけは書いてたからな。そういえば毛利の方はどうなんだ?捕まってた小寺、いや、もう黒田と言うべきか。に多少は聞いたが。一先ず敵では無いのだろう?」
「ええ。御内書を見た時の一任斎殿すごい驚いてましたよ。理解できなくて固まったかと思ったら怒号ですよ怒号。もう完全に怒髪天でしたね、髪ないけど。まぁその後すぐに動かない確約と兵糧の融通はしてくださいました。こればっかりは助かりましたよ正直。おかげで後顧の憂い無く別所家を撃滅できましたから」
「成る程、播磨平定が早い訳だ。なら少なくとも一任斎は振り回されたクチか。十中八九毛利殿もだろうな」
信長はそう言って疲れたように溜息を一つ。
「アレだったしなぁ……」
「アレでしたもんねぇ……」
二人に去来する幕府の尻拭いの記憶。なんかマジでドッと疲れた。
「御屋形様、芋餡揚げでも食べます?」
「食べる」
二人して甘味をパクリ。訂正、勝三はポイ。飲み込んで溜息を漏らした。
「さて勝三、来て早々すまんが直ぐに帰って備前に駐屯しておいてくれ。争う気は無いが万に一つでも毛利の軍が備前に出張ってはかなわんからな。勝三が居れば毛利家の意に反する動きを掣肘出来るはずだ。その間に山陰と四国攻めも視野に入れての助力と準備を頼む」
「承知いたしました」
「荒木の治めていた領地は一先ず勝三郎に任せる。幸い都の混乱は無いが山陰攻めを直ぐに始めねばならなくなった。軍勢の方は無理だろうがどうだ?」
「ええ、何せ東播磨八郡が転がり込んできました。直ぐとなると多少の増援なら送れますが少し身動きが取れそうにありません。瀬戸内の方は三国船なら送れます」
「おお、分かった。瀬戸の海は四国が荒れると同じく荒れるからな。淡路だけは抑えておきたいから助かるが寧ろ三国を送っても良いのか?」
「三国船は練度が足らなくて一角船と足が合わないんす。何かあった時に横帆を扱えないんで微妙に船団を作るのに向いてないし。それだったら泉灘で使ってもらった方が安心できます」
「そうか、なら勝三には一先ず播磨と美作備後の全権を任す。戻ったら淡路へ三国を送ってくれ」
「承りました。市之介殿に頼んでおきます。おそらく四郎三郎殿が向かう事になるかと」
「分かった。あ、そうだ芋な。新助と共に送ってくれたの半分植えたぞ。芋餡の作り方も有難うな」
「あれ?もう半分は……」
「……美味だった。芋餡」
「あぁ……良かったです」
そして勝三は信長と希望的観測と現実的観測と悲観的観測の状況想定と対応認識を擦り合わせた。まぁ少なくとも加賀一向一揆はテンションをブチ上がらせて燥ぐだろう事は確定として朝倉家残党とかは怪しいし旧幕臣もどう出るか分からない。所業がアホすぎる四国の三好家とかアホ故に色々と可能性があり洒落にならなかった。
「名残り惜しいが勝三、それでな。官兵衛は少し養生させてから帰す。怪我は無いが随分と弱り果てていてな」
「は、忝く。吉備と播磨はお任せください」
「うむ」
て訳で足早に二人は来た道を戻った。出来るだけ早急に信長は畿内および四国、勝三は吉備周辺の安定に取り掛かる必要がある。勝三は信長を見送ると与三と馬を並べた。
「浦上庄が揖西郡だっつてったし揖東と合わせて浦上家に加増するか?七万五千石なら和気郡と邑久郡の五万五千石より多いだろ。浦上家の石高って実際のところは二万石くらいだし」
「いや龍野赤松家の事を忘れてるでしょ。それに沿岸部は織田家の誰かの方が良いんじゃない?」
「あ、ヤッベ忘れてたわ赤松家の事。それに津は抑えるが飾東を黒田家に任せるだけじゃやっぱ不味いか」
「そう思うよ。備前の方は?」
「浦上家がどう思うか分かんねーけど俺が駐屯しようと思ってる。赤穂と備前の二郡は俺らが駐屯地にした方が宇喜多家も浦上家も良いと思うんだよ。俺だって一応は備前守だし何時争い出すか分かんねーから」
「あー、じゃあ勝三は備前の和気郡と邑久郡に播磨赤穂で三郡の予定?」
「そうだな遠江殿によるけど。西大寺あたりに城を建てれれば楽なんだが領域超えちゃうしそうもいかねぇからな……。あそこは唯でさえ宇喜多家と仲良いし」
と、まぁ早速こんな感じで戦後統治の相談しながら帰った。
さて改めて明言するが勝三は信長の代理として初めて数国の采配をする必要が有る訳だ。
この場合に必要なのは妥協点を探る対話を誠実に行う事である。評定という形で丁度、人が居るのは幸いだった。
別所孫右衛門尉重宗に関しては適当で良いってか適当じゃないといけない。功績の順序で浦上遠江守宗景、赤松弥三郎広秀、明石左近将監則実。先ずはこの三人と面会する事にした。
「浦上殿、俺は今回の事を感謝しています。全てを叶えるのは不可能ですが一先ず御希望を伺いたい。やっぱり浦上庄とか欲しいですか?」
「うぅむ……故郷か。有れば嬉しいがやはり石高こそ欲しい物だ。力無くしては、な」
「では石高が増えれば備前から移る事は気にしませんか?」
「うーむ、それはちと複雑じゃな。何せ失いこそしたが儂の人生じゃ備前は。ま、七、八万石もくれるのであれば文句も無いがな。ガッハッハッハ!!」
「成る程、佐用、宍粟、神西の三郡でどうですか?だいたい七万七千から八千石くらいになると思いますよ。宇喜多家と離れてた方が良いでしょうし」
「へ?」
「山名も蹴り出したんでそんくらいなら差し出せます。山中な上に前線で申し訳ないんですが」
「いや、ちょと広すぎるわ……広いのは良いんじゃけど。全部山じゃし」
「じゃあ佐用と宍粟でどうです?」
「佐用赤松家の連中が煩かろう」
「佐用家と宇野家は反旗を翻したんで気にしなくて大丈夫です。それと置塩赤松家と龍野赤松家にも褒美は出す気ですよ。て訳で赤松家はそんな気にしなくても良いかと」
「えっと、じゃあソレで」
「はい。承知しました。
続いて赤松弥三郎広秀は旧領揖西郡龍野城を望んで。
「……と言う訳で龍野城周り一万石で」
「やったぜ!!」
てなった。
ほんで明石左近将監則実は明石郡内の領地を望んで。
「……というわけで。じゃあ明石郡にて千五百石くらいを考えています左近殿」
「ッシャア!!」
てなった。
「ハイ。と、言う訳で各地の責任者を発表します」
事前の割り振りが終わった勝三は柄にも無い事をしていた。戦の大将でも無いのに偉そうに上段でふんぞりかえってる。まぁ言葉と動作が全然偉そうじゃ無いけど。
こう言っちゃ何だが学校の特徴的な先生を真似るお調子者の生徒みてぇだ。勝三もう三十超えてるけど。まぁ似合ってないというか滑稽というか。そんなノリで山陽軍団の面々を集めた。
分かりやすく言えば褒賞発表するってだけだ。
「先ず治部大輔様には揖西郡南部および揖東郡と飾西をお願いします。赤松殿に揖西郡北部の龍野城周りの一万石を渡すんで良い感じに頼ってください」
「おう……おん?俺監軍なんだが」
「人手ないんで」
「お、おう」
「右近大夫殿は印南と加西、加東の三郡」
「はは……は?三郡、三郡か?!」
「副将ですからね」
「え、いや、うん。まぁ分かった」
「岸孫四郎殿は退路の美嚢を」
「はい」
「義兄上は加古、新庄殿は明石を。ただし新庄殿本人はウチの水軍戦力の主力なんで備前に駐屯して貰います。あと明石郡は明石殿が千五百石で入るんで何かこう良い感じに」
「ああ」
「はっ!!」
「飾東は黒田殿」
「承知いたしました」
「海側ってか退路はこんな感じかな」
勝三が言うと事前の説明があったとはいえ三郡ほど任された連中が頭を抱えてた。こうマジでそんな統治すんのかい、と。まぁしかし播磨は大体が反織田として立ったのでしゃーないのだ。
「じゃあ続いて山側。こっちは山名の攻撃の可能性や五郎左衛門様と木下殿への援軍の可能性もあるんでそこら辺の事を念頭に置いといてください。兵糧とか多めに渡しておきます」
勝三は気持ち姿勢を再度正して。
「佐用および宍粟の二郡、浦上殿」
「うむ」
「神西は新次郎殿」
「分かった」
「神東は甚介」
「任せてくれ!!」
「多可は八郎右衛門尉殿」
「はい……」
「それと本願寺関連の事は刑部殿に任せますんで」
「は」
信長に教えて貰った必殺奥義。出来そうな人にブン投げである。まぁちょっと怪しいのも居るがそこは誰か補佐役でも付ける気だ。
そんで湯浅甚介直宗に好みの絵柄の胴服一着の約束と良い感じの備前を刀一振り渡したのを始め功績のある者に褒美を渡して一息。
「んじゃ俺、備前に行かなきゃいけないんで困った事があったら文を出してください。各領地では駅馬と早船の整備を最優先でお願いします。足りない物とかもある程度は御屋形様に頼んで融通するんで播磨の慰撫に務めてくださいね」
と、ちゃっちゃと播磨の事を通達した勝三は急いで備前に向かった。天神山城に岩越家を入れて岡豊前守光広を許す代わりに赤穂城へ毛利家を入れる。急いで前者の要塞化を進め後者の港湾化を推し進める必要があった。
何より邑久郡には自分の城を作らねばならない。必要なのは兵の駐屯地と港湾設備を備えた城下町だ。つーか場所の選定はこれからする感じになる。
また近江与力衆の宮部善祥坊継潤、堀遠江守秀村、樋口三郎左衛門直房、彼等は勝三の自由に出来る戦力として用いねばならない。要は彼等と彼等の戦力の駐屯地整備も必要って訳で広さが居る。当然ここに新庄新三郎直頼とかも同じ感じとなれば選定は大事だ。ンな訳で勝三は与三と船の上でボケーと話し合った。
「与三、乙子をデカくするか今木城を改造するか。やっぱ富田茶臼山城か久々の浦に城を作るか。どうしよう?」
「勝三だし鬼ヶ城とかでいんじゃない?」
「お前ソレすごい山の中じゃねーか。城下町作れねぇって。つーか今廃墟じゃんアソコ」
「なら西大寺に話を通す?」
「てか宇喜多殿にだな。比叡山とか石山とかやっちゃったからか微妙に坊さん達が気を使って来んだ。逆にやりづらい」
「……そう言えば高野山にも御内書が来てたって聞いたけど大丈夫かな?」
「あぁー素直に調べさせてくれれば良いんだけどな。そうか、つか西大寺も高野山の同じ真言宗か。根来寺とか来てくれてたら話早かったかね?」
「どうだろう、同じ宗派でも仲悪い事もあるしねぇ。石山の浄土真宗もコッチに付いた寺があったでしょ、たしか」
「そういやいたな。ああ、富田林とか寺内町なのに寺と別口で味方してくれたし」
まぁすったもんだの末である。勝三は与三を連れてある場所に立った。
「此処を本拠地と、する!」
勝三が叫んだ場所は麻御山神社の北西の山。周りの田園広がる吉井川の東岸、いや吉井川河口を見下ろす地だった。北に千町川があり西南が小高くなっており吉井川とも近い。
「最終的には山の上全部削ってそこに天守閣を作る。山麓の高台に土を集めて広げて石垣を積んでそこを屋敷にする。乙子を船を作れる津にするからそっからも土出るからそれなりの広さにはなるだろ。横山七郎衛門が言うところじゃ吉井川の暴れっぷりはとんでも無いらしいし」
手間だが地元の有力者曰く吉井川クソほど氾濫すっから平地に居住地を作る気にならなかった。故に勝三的には麻御山の上部は兵と人足掻き集めて木々を薙ぎ倒し真っ平にして高台とし、更に乙子城付近の吉井川の淵に四角い大穴を堀り土を集める。広げた高台の外周は前島から運んだ石を積み上げる積もりだった。
序でに言えば乙子城の南の岸には三国船用の水門を設けた軍船の船渠にする穴を掘る予定だ。その穴は底部を石畳で整え左右を階段状にして石垣で補強し船渠にする。可能ならば三国船の造船も想定していた。
勝三は全体像を想定した絵を見せながら。
「津はこんな感じを想定してんだけど乙子の方は与三に任せて良いか?」
「城は一先ず最低限で良いよね?」
「おう。船の整備が出来る津の方が大事だ。湊町をどうするかは後で考えるから引き続き穴掘り頼むわ」
「了解」
「つっても乙子の方は宇喜多殿の作った形のままだと流石に危ないから後で建て替える。指図も建割地図も姿図も書いといた。まぁ後で目だけ通しといてくれ」
「あーい」
勝三が城造りの指示をしていると賀島弥右衛門長昌が山を登ってきた。その背に親子らしき者達が付いてきている。
「殿。後藤摂津守殿、御子息の与四郎殿が参られました」
後藤摂津守勝基と与四郎元政。この親子は美作国の有力国人である。浦上家と毛利家の和睦の結果として毛利家と織田家の両属関係を結ぶ事になった。
「初めまして後藤殿、申し訳ございません。まだ何も御座いませんがごゆるりとなさって下さい」
山中なんで何も無いがガチすぎる。勝三の主力は備前の良港である牛窓に駐屯しておりそこが居城で居んじゃね?という意見はあったが最前線で万事に対応する為に牛窓は新庄新三郎直頼に駐屯してもらってた。宿所としては牛窓の本蓮寺ってとこに金払って泊まってる。城そこで良いじゃんとは思うが勝三はやはり信長ファン。
まぁつっても限度がある前線居城だけど。そんなトコに新たに城をブチ建てる故に児島湾には一角船が数多浮かんでいた。それこそ牛窓近くの前島からの石材や滑車台に兵の食料を運んでいる。何も無い山頂から見下ろせてしまう大船団と言うのが正しい光景だった。
だから。
「備前の地で此処以上に物のある場所は御座いますめえ。あんな船の数なんぞ見た事ねぇけん度肝抜かれましたわ」
何とも言えない表情で後藤摂津守勝基が言った。そしてハッとしてから頭ブンブンして頭を下げ。
「御紹介に預かった後藤左衛門尉に御座います。こっちは倅んなります」
「よろしくお願い致します」
親子が揃って頭を下げ勝三も返礼し。
「内藤勝三左衛門です御両名。よろしくお願い致します。弥右衛門、飯の準備頼むわ」
「は」
賀島弥右衛門長昌が一礼して去る。
後藤摂津守勝基は驚いた。状況的にも目の前の男の強さ的にも護衛は不要だろうがそれにしても小姓の一人も置かないのヤベェと言う至極真っ当な物。会話の弾みで約束でも交わした時の証人や周知の手間であるし見栄という地味に馬鹿にならない要素もある。そう考えた辺りで単純に世間話でもするのだろうなと黙っていた。
それは正しい。
「後藤殿、美作の事。教えて頂けますか」
まぁ世間話って言うには、な話だけど。勝三は続ける。
「主に尼子に付いたと言う三浦家および菅屋党に付いてお願いします」
「先ず三浦は美作西部の大半を有しとる。じゃが既に宇喜多と三村にすり潰されとるな。吉川殿御本人は九州に居るが早晩潰されるじゃろう」
「成る程、東部への侵攻は無用ですね」
「菅屋党は総領で大別当城の有元右衛門大夫、それと廣戸新三郎、江見下総介あたりをすり潰せば話は早いじゃろうな」
勝三は手早く誰を向かわせるか考えた。自分で行きたいけど立場的に無理だから。それを考えつつも両属と言う立場になる後藤家と縁を深める為言葉を交わす。
それから賀島弥右衛門長昌が帰って来てから朱印状を発行し勝三の播磨備前の統治が始まった。