そら一人で処理できる訳ねぇってこんな領域
妙覚寺の大広間に信長が座している。彼の前には数多の重臣達が揃っていた。凡そ織田家の主要家臣の全てが揃い踏みで壮観と評して然るべき光景だ。
「さてもうすぐ即位礼だ。だがこんな機会はなかなかない。最近は正月でさえ忙しかったからな」
儀式が始まる前日に織田家は評定を始めていた。もう他の家々も動けないようにしたし重臣連中ほぼ此処にいるし丁度いい。新たな主上の即位後に新たな武家の棟梁の代替品として信長の指標を改めて通達する為に。
それ即ち目指すのは天下太平。カッコよく聞こえるけどまぁアレ。言う事聞かない連中をボッコボコにする必要があった。
その大きな指針の上で重要な軍団長のサイド通達である。
「各々、改めて聞いてくれ。連携を取る必要も出てくるだろう。そう言った時に通達が出来てないと大変だからな」
信長は連枝衆に顔を向け。
「大枠で言えば俺が大阪城を拠点に西方を攻略し、奇妙が岐阜城を拠点に東方の攻略だ。大隅の異母兄上には二条御所で朝廷との調整を任せる。また七兵衛が若山城を拠点に紀伊統治をしながら俺の後詰、喜六郎と六角の婿殿は奇妙の後詰を頼む」
呼ばれた連枝衆達が頷く。淡々としてるのは本人達には既に通達した事であるからだ。発表は責任者が誰かと言う周知徹底に他ならないのだから仰々しくはならない。
「北陸は権六を総大将に任じ府中三人衆として不破、佐々、前田の三家を付ける。肝要なのは越前統治と一揆連中が攻めてきた時の防衛だな。鬱陶しいだろうが相当な状況にならなければ攻めずとも良い」
此処は加賀一向宗対策と越前の統治が目的だった。まぁ越前は殊の外安定しているが戦後は戦後だ。とどのつまり土台固めが主目的である。あと本願寺の血気盛ん連中が居るから一応戦力多めに配置した。ほんで上杉家との交渉が終われば東西から一向一揆を擦り潰す感じ。
「中国は二つに分け山陰を五郎左を総大将とし木下家を副将に、山陽を勝三を総大将に任じ簗田家を副将にする。手を出されれば別だが毛利殿と争わない様に用心する様に」
此処は毛利家との関係を鑑みてのものだ。先ず山陰に関しては但馬侵攻。同時に山陽では播磨の完全平定から備中までの攻略が目的である。それらが上首尾に終われば三好家と毛利家の間に入りつつ四国侵攻の補助が仕事になる。
「四国は長門を総大将に塙家を副将に松永家と平手家を付ける事とする」
此処はまんま四国平定だ。一条家の要望及び三好家を救援し長宗我部家を征伐する事が目的となる。戦はそんな手間取らないだろうが九州への橋頭堡としての整備が必要だった。
「関東は彦右衛門に任せる。三好殿と九鬼家と徳川家を付ける。万一の時は徳川家を上手く使い、またよく見張る様に」
こっちは対北条だが武田家の要請を受けての事だった。甲相駿三国同盟の破棄以降、北条家と和睦を考えた武田家。だが盟約破棄された北条家的にはブッ殺すぞって話で、クソ拗れたから織田家の仲裁を求めた形だ。実質的に次代たる織田勘九郎信忠の手腕を見るものである。
「さて南は薩摩、北は陸奥までを平定し主上の御心を鎮撫する。正直めんどうクサイがそう言う立場になってしまった。未だ未だ本当の意味で隠居は出来そうに無いな」
敢えて露悪的な物言いをするが非常に面倒くさいことに信長は大真面目だった。朝廷が幕府の代わりを求めているが故に今の立場となった事を理解している。であるならば相応たる結果を目指さねばならない責務があると考えるのが信長だ。
本当に真面目としか言えない。だが、であるがこそ朝廷は信長を頼りとしたのだし家臣は信長に付いていく。確りしようという姿勢は重要である。
「まぁ、それはそれとして飯食おう。もう本当に色々ありすぎて疲れた。酒は無いがパーっと行くぞパーっと」
と言うわけで都で仕事詰めの織田家家臣に慰労の料理が振舞われる。尚、大広間の脇には料理を運び終えた小姓達が文書のタワーを抱えスタンバっていた。そのまま業務連絡会と相なったのは個々人的な視点で嘆くべき事だろう。
飯食い終わった後に文書の束を見た織田家連中(信長含む)の顔はお笑いだったぜ……。
さて、デスクワークってかデスワークを乗り越えた織田家が協賛の即位式はゴリゴリに気張った流れで行われる事となっている。まぁ端折って言えば譲位する儀式を皆んなで見てから飯食おうぜってのが今回の流れだ。その程度の事だが規模が規模ってんでてんてこ舞いよ正直。
「じゃあ勝三、御二人の事は頼んだぞ」
「承知いたしました」
「うむ。それでは後の事は勝三に申し付けてくだされ。名残惜しいが失礼する」
てな訳で勝三は信長が迎えた客人の接待を引き継いだ。彼等はてんやわんやな織田家に気を使って上洛を随分と遅くした。故に十二分にもてなさねばならない。
それ含めて重臣を使って相応な相手だ。
「御二方、改めて良くぞいらっしゃってくださいました。御久しゅう御座います」
そして勝三が改めて頭を下げた先には武田家の二人。
「うん、鯖食いてえんだか良いかな?」
「オメェ何言ってんだか父上?!挨拶が先だらずが!!申し訳ね……あ、申し訳ございません内藤殿」
先代の武田徳栄軒信玄と今代の武田大膳大輔勝頼だ。先代は覇気が抜けて爺さん感が増し今代は相変わらずである。まぁ今は親子でボケとツッコミかましてるけど。
「ハハハ、夕食には鯖の炊き込みご飯が出ますよ。何せ鯖街道が通ってますから意外と京は海産物が豊富なんです。それと京料理を食前に出しますが此方は我等には少々塩味が薄いです。ですが出汁を楽しむ物で慣れると旨みが多く中々に美味すよ」
場所は京の妙心寺だ。もう都の寺社って寺社の全部に各所の有力者が集まっていた。因みに都だけだと場所がねぇから近江や摂津に大和にも宿泊してる。
「まぁ何はともあれ今日は休んで頂き二、三日かけて即位式にの事をお聞き願います。また京都や朝廷の事も一応すり合わせを考えておりますので気にして頂けると。それ以降は京見物を御楽しみください」
「忝う御座います内藤殿」
武田大膳大輔勝頼が言う。勝三は勿体無い言葉だと一礼し脇に置いておいた文書を出す。
「此方の三冊が儀式と朝廷の事、都の注意書及び名所、服装の貸し出し目録になります。何かあれば御呼び下さい」
そう言って勝三も退室した。
残された書物達。儀式のヤツは本と言って良いのだが他は文書っつーかパンフレット的な厚さだった。これは木版印刷を発展させ粘土で型を作り鉛などを使って作られた印刷機を用いた物だ。いろはとカタカナに漢数字に用いた物でファミコンの様な絵面となっている。正味作ったは良いがコスパ悪過ぎて普及は限定的に有るだろう代物。
因みに大砲の余りで作られた砲金の物もあった。ブッ壊れてもう治す余裕が無いのとか使ってる物だ。御札擬きの需要がヤバくて木版すぐ使えなくなるから勝三がキレた結果だった。南蛮人の技術と唐国の技術と勝三のメモを混ぜた高炉の完成と共に南蛮の凹版印刷の銅版画をヒントに作ったので有る。加えて一緒にコークス炉も作ったけど木が結構取れる日本でも引くぐらい燃料バカ食うからね。
勝三の夢が叶ったと言えるだろう。だが大砲を自弁出来る事より寧ろコークスこと骸炭の方が喜ばれてるし喜んでる。カステラとかクッキーとかの南蛮菓子作れるからって。あと忙し過ぎて喜ぶ暇も感慨に耽る暇もねーって言う。
話がアホ逸れたがそんな代物を見た武田徳栄軒信玄は目を見張り息子の手に渡された同じ物を見て驚嘆した。
「四郎、分かるけ……?」
「ええ、こりゃ途轍もねぇ……。文字が全部同じだ」
「文字どころじゃねぇ」
そう言って息子に自分の書の同じ一面を開いて見せる。情報や技術の伝搬は主に西からだ。その意味を痛感した。
「織田札の様に大小切も変えられりゃあな」
「成る程、金の取引を紙に変えられるか如何かだなぃ?父上」
……なんか金本位制始まろうとしてない?
何はともあれ正親町天皇の待ちに待った日は余りにも清々しい晴天であった。誰もが浮かれいて幸せそうである。だが一人だけやむを得ない理由で他の者と違って十全に喜びを表せない者もいた。
「やはり出ない訳にはいかんか……。何で俺が……。いや仕方ないのだが……」
これはその一人シオシオの信長の言葉だ。
そう清々しい蒼天とは変わって信長は当惑し疲労していた。践祚は三種の神器を渡す剣璽渡御を行う行事だ。ほんでその儀式において内大臣が机である案に三種の神器を置くと言う過程がある。
で今の内大臣って信長なんで出席必須すよ。
これを信長は武家が公家の仕事を奪うと丁重に断ろうとした。だが逆に信長に全掛けした正親町天皇陛下と誠仁親王殿下および、領地名目で扶米を貰う確約を反故にされたくなかった公家が儀式への参加を熱望。つか何より朝廷及び公家を尊重しようと言う姿勢に寧ろ協調の強調に丁度良いと頼まれ、また縁米意外にも様々な思惑の公家が現状を崩す可能性を考慮して後押し。
これ信長も朝廷との仲を考え断れなかった。
まぁ公家衆が必死なのも当然でこの後に朝廷に三千石。それに加え五摂関家に各千石で五千石、九清華家に各百石で九百石、三大臣家に各百石で三百石、六十六羽林家に各五十石で三千三百石、十三名家に各五十石で六百五十石、二十八半家に各五十石で千四百石。締めて一万千五百石に合わせ切りよく皇室料として一万五千石の献上を約束していた。
所謂、不知行と言う凡そ無収入となった公家救済政策である。その返礼に即位礼の実施の功績で正二位と右大臣任官、禁裏御料一万五千石で左大臣への任官という道筋。スピード昇進が過ぎて信長がヘロヘロになる事請合いである。
まぁコッチはしゃーないし必要な事だ。何ならちょっとミスっても気にしないだろう。だって武家が公家のやり方を学んで筋通してんだから。
ヤベェのは武家のメンバーである。信長は日の本全域に皆んなおいでよ都の町って書状送った。踏み絵にもなるし戦わなくても良いならそれがいっちゃん楽だから。
先ず東は武田家から前当主と現当主、姉小路家も当主、上杉家からは代理の使者、他に使者を寄越すのは佐竹家、里見家、伊達家、相馬家、蘆名家、最上家、安藤家、南部家、津軽家、蠣崎家までも来ていた。
西は毛利家から現当主と叔父二名、赤松家、別所家、浦上家、山名家からは当主が来る。河野家、西園寺家、大友家、松浦家、相良家、伊藤家、秋月家、島津家、肝付家も使者を送ってきた訳だ。
喜びよりそんな来る?ってなるやん。ミスったら物笑いのタネじゃん。流石にヤベェってコレ。
しかし即位式の開始で有る。
「内大臣様、刻限に御座います」
「……うむ」
京で最も大きな敷地を持つ内裏。その正殿たる紫宸殿に公家と武家が並び庭には兵が壁を作りその隙間からは町人達が見学していた。絢爛豪華な空の高御座と御帳台が座るべき主人を待つ。
楽師が清涼で厳かな曲を奏で始め新たな主上と皇后代わりの女房が現れた。その後ろに信長と三種の神器を捧持した侍従が続く。主上が高御座に座り信長が案机に神器を奉安して女房が御帳台へ座った。
楽曲が止まる。
主上が立ち上がり鋭敏なる千里眼の様な瞳で参集する全ての者へと視線を向ける。
「先の践祚により皇位を継承し此処に即位を天下に宣明する。先の上皇陛下は弘治三年より天下泰平を願われ、その御心を私達に御示しになられてきた。上皇陛下の御在位中は王法喫緊の時であったがその末に平信長が畿内の騒乱を鎮めて行ってくれたのは寿ぐべき事だと常々仰られている。私も上皇陛下と同じく天下太平を願い、また倣って太平に尽くす者へ報いたいと思う。どうか此処に集まる皆にもこの日の本往々の天下の太平を願って欲しい」
朗々たる天皇陛下の御言葉だ。コレ大分とんでもねー事言ってる。朝廷ノッブと仲良くするからヨロシクゥって事だもん。御本人の御言葉ともなれば無視したら、ね?時代が時代で武力が武力だから。
関白二条晴良が立ち上がり中央へ行く。
寿詞である。
「臣、謹んで申し上げます。主上におかれましては此の度、殊の外目出たく即位礼を挙行なされ即位を内外に宣明なされました。天下万民こぞって心より御慶び申し上げます。
只今、主上より上皇陛下の御心を倣い天下泰平への道を願い全うなされる御気持ちを伺い深く感銘と敬愛を尚一層深くいたしました。
我等臣民は主上の天意を抱き太平の為に粉骨砕身致す所存に御座います。
此処に天正の世に天下泰平と主上の弥栄を御祈り申し上げまする」
スと息を吸い。
「万歳、万歳、万歳」
参列者と観覧者達まで声を合わせた万歳三唱で締めくくられた。天正元年文月の事である。
さて此の後は主上主催の歌会茶会が行われ町衆にまで茶と歌が披露された。その後に各地から呼び集められ、そして来れた者達には下賜品が配られる。後で辞退した者や来れなかった者にも送られる代物であるが、それは一勢力に一つの茶道具一式だ。
茶碗、水差、棗、茶釜、蓋置、柄杓、茶筅、茶杓とまぁ茶道具一式。更に秤、錘、升と茶道指南書および調理指南書。それらを包む絹織と綿に箱である。
これアレ。信長の茶器褒美スタイルの強化と朝廷の権威を用いて交易時の単位統一の初歩を期待した物である。もちろん内容物は瀬戸焼や日根野漆器に宇治抹茶と織田家領内の産品で宣伝もバッチリだ。それらを入れる鎧櫃から着想を得た茶櫃は菊の紋が美しい京漆器の箱である。
小さな一歩だが共通規格の走り足り得るかも知れない。たぶん、おそらく、メイビー。
「儂、帰りたくねぇんだけど」
「何言ってんだか父上……。内藤殿、御世話になりました」
「御二方供、息災で」
武田家一行を送った勝三は織田家の打ち上げ的な宴やって近江へ帰れる。尚、信長はその宴中完全にゲル状になっててカステラ消費マシーンになってた。まぁそれはさておき。
「よく帰って来たな勝三」
「何か凄い久々な気がします」
「実際に久々だからな。さて、春日井の事だが又八様の調子が良くない。まぁ八十にもなれば仕方ないが」
寺沢又八道盛は今、寝てる時の方が多い。代わりに春日井郡は色々と叩き込まれた有村太郎重利が差配し口中杉左衛門忠就が補佐している。勝介も最近は春日井郡に詰める事が増えていた。
「八郎に春日井を任せるのも手かな?」
「良いと思うぞ。だが御屋形様との連絡が取り難くなるな」
織田家の馬廻である 寺沢次八郎道存に春日井を任せるのは有りだ。だが多用する事では無いが信長と直接的に連絡が取り難くなる事が懸念された。二人は考えは有るのだが微妙に嫌そうに。
「……父上、鬼夜叉と絹千代を小姓衆に出すしか有りませんかね?」
「まぁそれしか無いな……」
スゲェ名誉である。でも超イヤそう。此の二人は親バカと孫バカだ。しかし御伽衆と宿老という立場上あんま会えない。どっちもアホほど土産を渡し手ずから色々と教えるくらいマジで会えないのである。だからまぁ二人とも会える機会が減るのでマジでヤだった。
だいたい名誉栄誉三割、早くね?てか会えないの辛……が七割みてーな空気。
まぁ後は家族の時間で、その後は夫婦の時間だ。五日ほどそんな日々を過ごしてから勝三は八王子山大津城へ船旅をかました。クルージングとかじゃなくて思いっ切り仕事で。
「漸くお会い出来ましたね。私が内藤勝左衛門です。顔を上げてください」
「失礼致しやす。備前守様」
今回の仕事はヤの付く人の若頭っぽい兄ちゃんみてーのとの面会だ。年齢は二十八で非常に英邁な風気と才幹を晒す。
「お初目に。儂が小寺ぁ言うモンですわ。爺様譲りの備前訛りで聞き苦したぁ思うが勘弁してくだせぇ」
後あり得ないくらいスッゲェ早口っぽい。落ち着きが無いと錯覚する程にキビキビ動いて身振り手振りする様は自己紹介だけだがちょっとクドかった。勝三は何かキャラ濃いなーと思いながら。
「いえいえ御噂は予々。丹羽様や木下殿からよく伺っています。毛利様との折衝から何から世話になりっぱなしだと。俺も頼りにさせて頂きますよ」
「あの方々にそうまで言われるたぁ儂も鼻が高ぇもんじゃ。まま、永遠聴いてたい話じゃけど本題を話させてくだせぇ。是非ウチの姫路の城、使ってきくださいや」
「え?」
勝三をキョトンとさせた此の若頭っぽいの。察してる人も多いだろうが生国は播磨国で名を小寺官兵衛祐隆。分かりやすい名で言うと黒田官兵衛だった。