終わりと始まり
「フッフッフ。めいいっぱい派手に行こうじゃないか!!何せ越前朝倉の最後なんだからね!!華々しく終わるくらいの見栄は許してもらうよ!!」
満面の笑みで唐衣を取っ替え引っ替えする朝倉左衛門督義景。最終的に彼が選んだのは鮮烈な浅緋の唐衣に黄色い朝倉家の家紋を刺繍した直垂姿。輝く様に真っ白な純白の芦毛に黒地に金箔で装飾をあしらった鞍を乗せ跨った。
そうして宝を二つ受け取り抱え城を降りて行く。何時もは騒々しく繁栄を伝えてくれる一乗ヶ谷に満ち満ちて広がり繁栄した城下は静寂の中。進む先の空は雨でも振りそうな曇天で両脇に抱える息子二人も唐衣を掴みぐずりだしている。
「さぁ責任を取りに行くかな」
最外周の門の前。そう言って我が子二人を二人の側近に預け一人で門を潜り総構えから出て目を合わせた。馬上にあって見下ろす事なく視線の合う稀有な存在が頭を下げる。
「いやはやこれは。敗軍の将如きに随分な迎えを寄越してくれたね。全く偉丈夫の極みな君は噂に聞く大鬼殿だろう?」
「御存じ頂けるとは光栄です左衛門督様。確かに大鬼と呼ばれる事が多いです。殿の元までの案内を勤めさせて頂く内藤勝左衛門に御座います」
「うんうん、これは嬉しい事だね!さぁ案内しておくれよ大鬼殿もとい勝左衛門殿。折角だから洒脱に行かせて貰おうじゃないか、敗者の行進をごろうじろってね」
半刻の時をかけて一国の長が堂々と敵軍の中を進んで行く。面会場所は開城した槇山城の三社神社の本堂だった。そこでたった一人で会うのだ。
「いやはや、ほんと壮観だね」
城の道中は織田家の重臣達が戦に纏っていたのだろう甲冑のまま左右に並び頭を下げていた。彼等の合間を勝三が真っ直ぐ進んで堂の扉を開け脇に控えれば朝倉左衛門督義景は一礼してから入室し。
「お邪魔致します右大将様」
朝倉左衛門督義景はそう言って大鎧を纏ったままの男の前で腰を下ろす。悠々と穏やかに笑みを浮かべたまま。視線を合わせる甲冑姿の織田右近衛大将信長は神妙な顔だ。
「左衛門督殿、お初目にかかる。織田三郎信長だ」
「朝倉孫次郎義景に御座います。沙汰を伺いに参りました」
このほんの少しのやりとりで信長が深い吐息を漏らした。勝者故に出る云々を越えて漏らした感嘆と言うやつだ。この程度で覚悟と言うものが知覚できてしまうのだから。
「左衛門督殿、貴方には腹を切って頂く。一先ずは子息及び御一族衆と共に高野山へ行って頂こう」
「承りました。願わくば家臣の命と越前には寛大な処置を願います」
己の死を粛々と受け入れる。だが顔を上げ最後の願いを発する瞳は信長をも圧倒し得るものだった。それを受け止めて確り頷いた信長は口を開く。
「これは世間話だが此度の戦の後に即位礼を行う事になっている。左衛門督殿の切腹だけは免れん。だが御子息について希望があれば伺おう」
「え?」
こう言っちゃ何なんだけど。すっげぇアホみたいに気の抜けた顔のオッさんがいた。信長はそれに気付かずに疲労の滲む顔で続ける。
「先ずもって本願寺の動きも不安だ。越中の征伐も考えねばならんし都の事を考えると人手を裂けん。まぁ此方も手一杯なのだ左衛門督殿」
朝倉家は降伏し朝倉左衛門督義景は蟄居、越前は織田家の支配する所となった。
元亀三年。夏の始まりの事である。
その頃、各所。
「御邪魔でおじゃ!!退けるのじゃ!!践祚どうするのじゃァッ!!」
「大嘗祭の事、ここは退けられぬ!!」
「えぇい寿詞の文は未だ出来へんのか!!」
都では公家がキャラ崩壊してた。理由は色々と儀式の準備があるからだ。たぶん死人が出てもおかしく無いと思うくらい忙しかった。
何時もは静かで清涼な筈の御所がマジでウルセェ。
「オラァ木材が通るぞボケェッ!!!もう構わねぇ全部丸太のままでも運んじまえ!!滑車台は未だか!!」
「さぁ最初に堅田に着くのはどの船か!!はったはったァ!!」
「越前から帰る兵を送る船に積むんだ!!塩津で待つ間に必要な兵糧も持っていけ!」
琵琶湖ももう全部ウルセェ。ウルセェってか酔いどれ水夫が消滅して耳が死ぬ程。最近はクソほどウルセェけど今が一番ヤバい状況。
北から兵を返し西に人と木材を運びまた北へ人を送るのだから。
「御袍と一緒に黄櫨染の反物を送れ!!各家に配る大袖の刺繍はどうなった?!」
「五姓の方々に渡す旗と胴服の箱だ!!遡及に運べェッ!!」
「また公家から依頼だ!!もう構わんから蔵にある反物は全部出せ!!」
春日井郡は動いて無い者が無い。即位礼に伴い各所からアホほど注文が来た。機織りと人の行き来がヤヴェ程に止まらねぇ。
つーかもう、これ織田家各所どころかその同盟国でも同じ様な事になってた。
さて、この状況の理由は即位礼の前に織田家が幾つかの行事を行うことになっているからだ。先ずは朝廷に勝利を伝え官位を授かった上での馬揃えを行い、続いて同盟相手を京に呼び朝廷との折衝役を仰せつかったと言う建前を得る。そして漸く即位礼を行い朝廷と共同で各所の武家も祝うと言う流れだ。
とどのつまり将軍は名乗らないが実質的な幕府の代わりを行うと内外に示すのである。
これは朝廷が如何に望もうとも武家が織田家を武家の棟梁として認めるか如何かと言う問題の為だ。都の情勢と経験があれば織田家が足利家の代わりとなる事に反対はしても理解は出来てしまう者が大半である。しかしてそれを肌で感じ取れないほど遠方の者にとっては武家と言う自分の所属する世界の頭が唐突に変わると言う現象に反発が起きかねないと言う懸念があった。
まぁグダグダ言ったが一先ずは朝廷が認めている事実の周知徹底と反発の低い慣らし行為と考えてくれれば正解だ。
何せこの後で信長は関白になるのだから。
で。
「俺、朝倉家の後片付けをするべきだと思うんだ」
「長岡殿、父上もこう言ってますし帰って良いだろうか」
信長と織田右近衛中将信忠が揃って言う。対面の長岡兵部大輔藤孝は心中察しつつも。
「そう言うんは後で願います御屋形様、若様。今は早いとこ作法を覚えられませ。時間は御座いませんやろ」
「……うむ」
「……ハイ」
取り敢えず践祚に出席する前に左近衛大将の除目と内大臣の任大臣儀だ。それ目指して公家社会に慣れる為に織田家のトップと次代が入れ替わり立ち替わり朝廷儀礼を習ってた。この二つの儀式を簡略化とかしないでガチでやる感じ。
まぁ言うて践祚を終わらした上皇様と主上が控えていた公家の前で信長とその後継者に仕事手伝ってねって言う課程をやる必要があった。その際の問答で信長が公家への補助を確約し主上が喜んで見せ関白就任の確約って言う絵面作りが必要なのだ。だから今日の教師たる長岡兵部大輔藤孝はビシバシ行く。
因みに長岡兵部大輔藤孝はレベル1だ。武家相伝の飛鳥井と日根野を経て山科へ渡り近衛の教えを受けて漸く皆伝と言える。尚、左近衛大将軍になる儀式は十日後の予定だ。
「お家帰りたい」
「お家帰りたい」
実質日本のトップ親子の言葉が揃う。
因みに践祚は来年、元亀四年弥生である。
だが信長には他にもする事があった。
「春日井だいたい死んでますよ今」
元亀四年の正月、信長に凄い格好の勝三が言う。クソデケェ二本の牛角を生やす唐頭の頭形兜、右の大袖に鬼の顔を刺繍した絹を張る黒い南蛮胴。虎の腰巻きに大太刀を吊るし大黒に跨って金砕棒を担いでる。大黒の馬鎧は黄色で染められた飾りが凄い。
正直コスプレだ。
そんな勝三を労う信長も大概な格好である。先ず頭は直垂とセットで被る様な唐冠なのだが黄色く目立ち後なんか簪みてーに梅の枝を刺してる。ほんで黒地に黄色で唐草とドデカく木瓜紋が刺繍された外套を肩にかけ、白く四季の花々が刺繍された真っ赤な小袖に虎の袴。腰に白熊の毛皮を巻いて金漏斗の大小太刀を履いている。
「ホント御苦労だったな勝三。まぁ皆が鬼絹を身に付けている。鬼絹を求める者も更に増えるだろう。質も唐布に劣らない物も増えてきたしな」
「まぁ未だ即位の前に公家の歴々に進上する服の納入が終わってないんですけどね。ハハッ」
「……南無三」
「死んではないです。ギリで」
今回は俺ら越前で勝ったよーって名目で朝廷に対してやる馬揃の事前練習だ。今回は信長の居城である近江の八王子山城の城下で練習兼ねた実施である。都でやる馬揃は朝廷に対する返礼として行い左近衛大将と内大臣に任官だら問題点の洗い出しも必要だから。
そんな訳で此処には本番で馬揃をする者が全員集合している。何せ都で主上を前に失敗とか面目丸潰れだから。尚、羅列すれば。
一番、木下筑前守秀吉と丹後衆
二番、柴田修理亮勝家と越前衆
三番、滝川左近将監一益と伊勢衆
四番、原田備中守政直と和泉衆
小筒、五十名
大筒、大筒九門
五番、惟澄越前守長秀と若狭丹波衆
六番、少弐備前守長忠と近江伊賀衆。
七番、惟住長門守重休と摂津河内衆。
八番、村井民部少輔貞勝と山城衆。
蓮技、中将織田信忠と尾張美濃衆。
公家、太政大臣近衛前久。
本備、小姓馬廻各五十と弓衆百。
名馬、六頭。
坊主、武井二位法印助直。
大取、右大将言織田信長。
以上だいたい二千人くらいが練り歩く。
今回の経路は八王子山城から八王子大津城と呼ばれる支城へ向かう形だ。この辺りは九割焼いてっから再開発して道もクソ広く京の様な条坊制である。経路の左右の道には屋台の出店を許可しており本番さながらだった。
まぁ言うて祭りっちゃその通りである。
「おっと。そろそろ出番なので行きます」
「ああ、行ってこい勝三」
信長は大手門へ向かう勝三達を見送る。勝三の率いる近江衆は内藤家家臣団と元六角家家臣団が続く。元六角家家臣団は順当に強そうである。伝統的な大鎧に身を包んでおりこれぞ武士と言う出立で信長でも立派と思う。
内藤家家臣団はアレ。勝三の監修でゴリゴリに戦闘特化の武装に鬼っぽい装飾を凝らし五色の鬼の顔が刺繍された大袖で統一してる。マジで絵物語から鬼の軍勢が飛び出たみてぇな絵面。
「勝三は平和な時代に生まれていればとんでもない文化人になったろうな」
信長は熟も思ったままを口にした。今回の馬備は忙しい者が多く信長自身も自分の事で手一杯。そこで機織りの全権を担う勝三に白羽の矢が立ったのだ。信長の代わりに馬備の奉行として采配したのである。特に忙しい重臣達の派手な装備の悉くが勝三の図案が元にされていた。
まぁ後の世の知識を持つ勝三は浅いとは言えこの時代からすると有り得ない程に文化に造詣が深い。本物には遠く及ばないが絵と設計図っぽい物が描ける出力能力は時代を考えれば十二分に文化人を称せるものだ。まぁつか忙しすぎて自分で衣装を揃えることのできる者が少なかったのだから必然っちゃ必然だったんだけど。
そんなこんな信長も楽しみつつ門を出る。
「都でも上手くいくといいが」
これは大津城に入った信長の言葉である。ちな都での実施は十日後だ。目の前では大急ぎで服飾鎧が荷車に積み込まれていた。つか信長も馬廻を率いて速攻で都に向かう必要がある。
現状、天下人となる儀式をしてる訳だが本人的には何というかアレ。勝三が後で感想を聞いた時感じたのはベルトコンベアで天下人に加工されていく様な感覚だったんだろうなって印象だった。マジで信長的にはそんな感じだったろうと思う。
事実、信長が曰く。「何か国友で作られてる鉄砲になった気分だった。流れ作業とでも言うのかな」つってたし。
まぁ先の事は傍に置いてだ。
「馬引けェッ!!」
マジ急いで都に向かった。
て、訳で十日後。
白鳥は優雅に泳ぐが足をメッチャ頑張ってバタバタさせてると言う。まぁ意外とそうでもないみたいな話もあるが信長や関係者がバタバタどころかバッタバッタしてる様は外からはどう見えていたか。単純にガチの祭りってノリである。
通過する都の通りが事前に告知されその左右の通りには出店を出す事が許可されていた。下京本能寺より一条通りを東へ向かい二条城の馬場へと向かう手筈。その道を挟む通路は屋台が並び人がごった返す。
そう戦続きの都の住人が待ち望んだ商機であり祭事なのである。もうファッキン応仁の乱からカスみてーに戦場にしくさられて漸く祇園祭が出来る程度。
現代的に言えば他所者が庭で殺し合い始めたせいでバーベキュー中止させられて来た感じの町衆は娯楽に飢えていた。
騒乱起こしたらミンチにすっかんな!!
都の御触書を意訳した声明であるがコレは村井吉兵衛貞勝や朝廷や寺社が出した物では無かった。都の町衆と言うとどのつまり自警団を結成した者達が出した声明である。
強訴する連中相手にテメー等の事とか知るかっつって祇園祭強行した古の都の人間を舐めてはいけない。
「鯉の管領が愛した淀川の鯉こくだよ!!一杯五文、一杯五文だ!!」
「どうや西陣織にも勝るとも劣らへん洒落た娘さん!!この簪なんてつけたら織田さんトコの御侍様も一目惚れやで!!」
「大和の酒だよ!!極楽の酒だァッ!!あ、違った……般若湯、長寿の妙薬だ!!」
「さぁさ御笑覧!!伊賀より仕入れた砲弾壺が此処に!!行列の大筒に入れる弾と同じ大きさだよ!!」
「長保からの味!一文字屋和輔のきな粉餅出来とります!」
「お面は如何かな?!厄除けに西の大鬼と東の大鬼!!大力無双に勇士に似合うよ!!」
「唐板ぁ〜。水玉玉雲の唐板ぁ〜!」
だから露店設置が許された通りはこんな感じである。因みにに押しかけた町衆や旅行客なんかの声を丸々遮断してコレ。そこまでいくと既に喧しい程で。
「あれ木綿藤吉、米五郎左、算盤村井に舟守滝川、かかれ柴田に退き佐久間、対せば誉の欠け無し岩室、負けても泣くな大鬼内藤ってのは知ってるけど実際どうなん?」
「近江で見た時は凄かったで?まぁ退き佐久間は居らんかったけど。柴田と内藤はトンでもないわ」
「公家の歴々も来るんやろ?織田の右大将様が雑袍まで送った言うとったで。これ公家さんトコに野菜売った時に聞いたんやけど鬼絹やって」
「ほんでウチらには鬼柳の振る舞い酒か。豪勢なモンやねほんま」
また通路に来た町衆の大人は達は誰とも知らない相手と話し童は玩具か食べられる物片手にキャッキャしてる。
「控ーえぃい!!控ーえぃい!!」
そして騎馬武者の集団が進んでくると場合によっては店の者さえ通路に集う。大きな通りに左右にズラリと見物人がごった返す。熱気を発する人海を左右に割って現れる。
日輪を背負い日吉大社に因んで猿の面を大袖代わりに吊るす一番。大薙刀を握り東と描かれた一本角の白鬼を大袖に刺繍した二番。碇を担ぎ背に三角帆を立てた四番。鉢巻を付け十河額を輝かせ大鉄砲を二丁背負う五番。
続いては豪奢な堺筒を背負い進む五十人の鉄砲隊と牛に引かれる大筒達。
将軍家さえ凌ぐ程の甲冑の上から米俵の刺繍された胴服を纏う五番。金砕棒を握り先の白鬼と鏡合わせの様に進み大武者達を率いる六番。味気ないと言う言葉を正面から擦り潰す南蛮装束を纏った七番。絹の裃に大きな筆を交差させ判の形の幌を背負った八番。
そして豪奢にして武士の中の武士たる様相の大鎧を纏った織田家の時代を知らせる次代。
続くは京都中から晴れ舞台と集まった公家の歴々が狩衣を纏い弓を背負って馬上に。
蒼天に照らされた赤と黒の屈強な馬廻よ小姓衆。武家で無くとも良し悪しが分かる屈強な名馬達。何処の寺にも勝るとも劣らぬ僧達。
最後には天下人。
多くは語るまい。
日ノ本一は彼だ。
『かすていら食べたい……お、あの童が持ってるのは、きな粉餅、アレも美味そうだな』
尚、馬上で考えてるのはこんな感じの事だ。