決着
110 元亀三年の春の終わり頃。この時期としては越前国は珍しく気温が高く所々霞が漂っていた。昨日などは菜種梅雨ともいうべき時候だったのである。
シトシトと穏やかに降った雨は上がり晴れていくだろう。事前に渡河していた織田家は布陣をはじめる。それに対抗して朝倉家も布陣を始めた。
織田朝倉布陣図
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ーーーーーー◯ーーーー山ーーーーー北ーー
ーーーーーーー◯ーー山山ー山ーー西4東ー
ーー◆ーーーー◯ー◆山山山山ーーー南ーー
ーーーーーーー◯ー山山山山ーーーーーーー
ーーーーーー◯ーーー◆山ーーーーーーーー
ーーーーーー◯ーーーー◆山ーーーーーーー
ー凸凸凸ーー◯ー凸ーーーーーーーーーーー
ーーーーーー◯ーー凸ーーー凹ーー凹ーーー
ー凸凸凸ー◯ー凸ーーーーーー凹ーーーーー
ーーーーー◯ーー凸ーー凸ーーー凹ーーーー
ーー凸凸ー◯ーーー凸ーー凸ーーーーーー山
ーーーーー◯ーーーー山山ーーーーーーー山
山ー凸凸ー◯ー凸ーー山山ーーー山ーーー山
◇ーーーーー◯ー山山山山山山山ーー山山山
山ー凸ー凸ーー◯山◆山山山山山山山山山山
ーーーーーーーー◯山山山山山山山山山山山
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◯日野川・◇◆拠点
織田総勢二万五千ほど
凸2000〜2500前後
朝倉総勢一万二千ほど
凹2000〜2500前後
布陣の通り朝倉家は東に追いやられていた。織田家の前進に海路を回った元六角家の別動隊たる南近江衆が西から現れたが故にだ。とどのつまり挟撃される前に戦線を後退させたのである。
その撤退に合わせ南近江衆を主力とした部隊が日野川を渡河。織田家本隊も城の抑えとして丹羽木下隊を先発させ他もケツ持ちの形で合流したのだ。それが三日前の事だ。
全体の布陣としては朝倉家が陣を張る村国山の南麓から織田家の陣を張る妙法寺山の東麓まで。
織田家本陣は北の府中手前の龍門寺に備えての西美濃四人衆を配置。それを一陣とすれば二陣からは東へ渡河待ちをして柴田岸隊、三陣に勝三、最後に本備えとなる。尚、信長自身は茶臼山城に陣取り指揮を取る形だ。
「暇ぁ……」
まぁだから勝三は暇だった。龍門寺への警戒も三陣ともなれば不要。敵の主力は日野川の向こうで味方の前進待ちだしやる事がない。
もうずっと大黒の上でボボボボボボって何の音か理解出来ない音立てて金砕棒を頭上で回してた。
これ回してるのプロぺラにしたらワンチャン飛べると思う。刃に変えりゃフードプロセッサよ。常人なら手首死ぬ。
「弓も新調しよっかなー。三郎様に見せて貰った為朝の鏃撃てるくらいのヤツ欲しい。今のでも撃てたけどもっと強いの」
ガチ人外目指すって発想が出来る時点でガチ人外。因みに為朝ってのは源平合戦前の源氏のヤベェ人。特徴としては大体ヤバい。
まぁ勝三はそれぐらい暇だった。龍門寺城から敵が来る可能性も有るが距離は取っているのだ。大筒などの火砲は南近江衆へ貸し出しているし圧倒的な数的優位は揺るがない。それこそ自身でさえ突破できるとは思えないのだから。
南近江衆が相手取る朝倉家の軍勢は一万を超える。ならば敵の残る手札は千を超える程度の兵しかいない。此処から自分達、西美濃四人衆、馬廻を突破して本陣とか勝三でも無理だと思う。
いや、前線の状況によっちゃ西美濃四人衆以外と本陣を除いて日野川を渡河すんだけどそれでも残存の敵を跳ね返すのは難しくない。死中の活を見出した乾坤一擲の一撃なら警戒はするが自殺となれば話は別なのだ。
だから暇。
前を見れば与三の備の兵達の背。さらに先には岩越家の旗で後は丹羽家の軍勢が並ぶ。日野川の向こうは辛うじて見える範囲でぼんやりと友軍が並んでるくらいの事を除けば粗何も見えない。
ピィ〜〜ヒョロロロ。そんな鳴き声。空を見上げれば猛禽類、たぶん鷹が丸を描いて飛んでいた。そして水鳥の群れが北から鷹の円の下を潜るように飛び一匹が取っ捕まる。吉野瀬川から飛んだのだろう彼等の野生では起きえない捕食者の前に出る行動。
「......何で?」
直感的に視線を落とせば霞の合間に見える砂塵。
「回れーーーーーッ!左ッッッ!!鉄砲、前へーーーーーッ!!!」
北に向く味方の兜の先へ勝三は反射的に視線を。
「法螺吹け!!伝令!!行けッ!!!」
それだけで即座に馬廻が周囲の味方部隊の元へ向かう。直後に本陣から長谷川竹が龍門寺方面より敵が出現したと通達。更に柴田勢の陣営の旗が揺れ始め毛受茂左衛門勝照が交戦を開始すると通達に来る。
「なッ!!???」
だが戻ろうとした毛受茂左衛門勝照は驚愕して歩みを止めた。勝三さえ目を見開く状況でしかない。柴田勢と岸勢の合間から大太刀を持った軍勢が現れたのだから。
「馬廻は下馬!!退き撃ち、立ち構えェーーーーーーーー!!」
勝三の声に鉄砲持ちが立ち上がる先。幸いなのは柴田勢と岸勢は敵を押し留めたれなかったが無理なく左右に分かれる様に敵の突撃をいなす。士気崩壊を起こす最悪を回避したのだ。
故に前方の味方を撃つ事は無い。とすれば火縄を用いるに憂いはないのだ。また突撃する敵は走らせ体力を削ればそれだけ受け止めやすくなる。故に本備えがやってきた調練を発揮した。
射程に入った途端に合わせて前列一斉射し、前列の者が下がり消えれば中列が一斉射し、後列の者が下がり消えれば後列が一斉射。
三度の轟音の中で勝三は声を張る。
「長柄馬廻小姓衆は悉く刀を抜け!!鉄砲組は最後尾で再整列と玉込めだ!!弓組は煙に向かって防ぎ矢を放ち続けろ!!」
白煙から出た。
煙を纏い荒ぶる大武者が。
馬の立髪が兜の唐頭が燃えるように揺れる。
大太刀は既に振りかぶり水平に伸びていた。
白煙より火焔のように出でて銀一閃迸って。
勝三の兵が吹き飛んでく。
瞬く間の事だ。
「十郎左衛門殿ォッ俺ァ此処だぞ!!!!」
笑顔の勝三の怒号じみた声が炸裂する。
それで先頭がほんの少し進路を変えた。
奇襲においては大将首を狙うのは常道。
「此れで最後だぞ勝左衛門殿ォッ!!!!」
煙と兵が撒き散らされて相対する。
黒と白の扇を生み出す大武者二人。
金砕棒を大太刀の鍔が受け止めた。
馬の蹄が地を砕き武者の肉体が鳴動する。
鍔迫り合いで生じた熱は燃やさんばかり。
激烈な乱戦と激烈な一騎討ちが始まりだ。
双璧たる将が不合理にも前へ進む。
双方の全筋肉が膨張し間が詰まる。
双眸交差しバチリと稲妻が迸った。
「ガアアアアアア“ア”ア“ア“ア”ア“!!!」
「ゼアアアアアア“ア”ア“ア“ア”ア“!!!」
咆哮と共に金砕棒の黒円と大太刀の銀円が幾重と衝突しては離れる。
激烈な力と激烈な技術が激烈な攻防を続けさせていた。
二匹の巨馬が跳ねては踏み込んで首を捻って噛みつく。
先ず持って異様な速度で超重長大な金砕棒が振られる。
その金砕棒の重撃に合わせて大太刀を添えるように当て逸らし弾く。
「オラララララララァッ!!!!」
「くっ……!!」
勝三が金砕棒の速度を上げ真柄十郎左衛門直隆が顔を顰める。
落ちる鉄塊に刃を添え手首を捻って弾く。
だがそれた金砕棒を力で強引に引き戻す。
異常な速さに大太刀での刺突を諦め鍔で受け止めカチ上げた。
「何と言う力か!!」
「まだまだァッ!!」
真柄十郎左衛門直隆が大太刀と言う代物を得物とし得るがこそ勝負は勝三に優位になっていく。それは勝三は極論を言えばただ振れば良いが真柄十郎左衛門直隆は太刀が曲がらず折れない様に受ける必要があった。そこに若さから生じる無限の体力と斬れず折れない鉄塊を剛力のままに振るのだ。
「さて此の力、如何に応ずるべきかッ!!」
寧ろ対応出来ていた今までがおかしい。
だが、いやだからこそ戦い漬けの日々に真柄十郎左衛門直隆と言えど小さな瑕疵を生む。
いや瑕疵などと言えば余りにも過剰か。
『振りが間に合わんッ!!!』
ただの疲労による振り遅れだ。
そうほんの少し振るのが遅れて大太刀の構えが遅れた。
それだけの事でしかない。
「貰ったァァア!!!!!」
勝三の一喝と共に鉄塊は大黒の尻の上を始点に大きく横に薙ぎ振られる。その一振りに対して応じるには間に合わず迎撃は叩き逸らすまでは不可能。真柄十郎左衛門直隆の馬の鬣の上を進んで大太刀の刃の下を潜り大きな鍔にぶつかった。
「ヌア“ッ!!!」
激痛。
「……ッ!!!」
反射的にである。真柄十郎左衛門直隆は得物から手を離して大きく腕もろとも手を広げ金砕棒の軌道から手を外す。そして即座に勝三に向かって飛びかかった。
「うえぇ?!」
勝三は驚嘆して妙な声を上げる。気を抜いてた訳ではない。腰に刺した太刀を警戒しており完全に意表を突かれたのだ。
故に二つの巨体がズズンと地に落ちた。
次の瞬間には共に立ち上がり撞木どころか巨大な鐘同士を叩きつけた様な衝撃波と轟音が共に広がるブちかまして衝突。
「——ッ!!!」
「——ッ!!!」
反発し太刀など抜く暇も無い至近距離で一撃でも多く入れた方が勝つという超至近距離。
互いに足を地に突き刺し互いに拳を握り締め互いに目の前の好敵手に獰猛な笑みを送る。
双方が腕を大きく振りかぶった次の瞬間から四つの腕が入れ替わり立ち替わり交差する。
将軍の戦いでも武人の戦いでも無く唯々純然に相手に負けたくないという意地だけの戦。
両雄が純全と力を発す最後と道理も条理も理性も無くし打撃の衝撃と轟音を撒き散らす。
永遠とも錯覚する延々の戦は一撃一撃が天地を揺らす気炎と力だけを混ぜた必殺の乱打。
終わらない終われない拳の応酬が乱戦の中で続き続く純粋な力にて両雄が並び立つ絶景。
「ヅッア“ア”!!!」
しかし勝三が大振りな我武者羅の一撃を放ち顔に入る。遂に半歩下がった真柄十郎左衛門直隆は後ろ足に力を込め踏ん張る。未だ未だ終わらぬと拳を下げ。
「ガッ……」
今にも拳を突き出そうと構えたままの姿勢そのまま気を失った。それは余りにも唐突で余りにも当然な戦いの終幕。死力を振り絞った勝三がゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「はい。しゅーりょー」
勝三には聞き覚えのある第三者の声。ギンギンの戦意沸る目をバチバチに合わせ頭でさえ押し合い相手の手を互いに鷲掴んだままの兵達が動きを止める。止めると言うよりは疲労困憊で崩れ落ちた。
「ハァ、ど、どした。……ハァハァ与三」
「決着付いたよ勝三。朝倉家本隊は一乗谷に撤退した。真柄衆の方々、この戦いは終わりです!!」
「って事で停戦しませんか真柄殿」
「いや真柄殿、ハァ、ハァ気を失ってる、からハァハァちょい待ってあげ、ハァ、て」
「フーーッ……気を失っていたか。立てん」
「え、真柄殿?」
「スーーーーフーーーーー。やられたぞ内藤殿。停戦、フー、有り難く受け入れる」
それだけ言うと真柄十郎左衛門直隆は深呼吸を繰り返して黙った。降伏ではなく停戦と言う気遣いに意地を張れる程の厚顔無恥では無いし力が入らないからだ。それに主君と認めた男の為に出来る事が未だあるとも思う。
そして呼吸が落ち着いて真柄十郎左衛門直隆は寝転がったまま。
「我等は食いますぞ内藤殿」
「大丈夫ですよ。俺らも食いますもん」
「でしょうなぁ」
真柄十郎左衛門直隆はおかしそうに笑った。