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巨星墜つ

 勝幡の城にて城主が伏す一室の襖が開いた。


「おお、吉法師。よく来てくれた」


「正月の時より元気そうだな親父殿」


 そう親子の会話をしながら信長は伏す信秀の横に座す。信長は霞んでいく様な父の様相に思わず沈痛と言う言葉以外に表現出来ない程の表情を浮かべた。


「ンナッハッハ。辛気臭い顔で言われても……ゲッホゲホ」


 対して信秀は空元気を見せる起き上がろうとするが枯枝の様だった。咳も力無く信長が押し留めて寝かせる。


「無理をするな親父殿、それで今日は何用だ?」


「うむ、二、三今川に対する策を練ったのでな。遺言がてら置き土産として伝えておこうと思う」


 信長は大きく一息、頬杖をつきながらも耳を傾ける。親子が密やかに、しかし激しく語らう。此れが父信秀と生前最後の会話となった。


 天文二十一年三月三日、織田信秀死去。


 尾州織田弾正忠家、いや戦国の巨星の一つが落ちたのだ。尾張の虎が死に顔は微塵の憂いも無いものだったという。


 辞世の句は人の世ば(人の世は)四季の如し(春夏秋冬の様だ)冬死なむ(冬に死ぬ)我嗣者は(俺を継ぐのは)春呼ぶうつけ(春を呼ぶ信長だ)


 信長の主導による葬儀はしめやか且つ速やかに始められた。母花屋夫人に重臣達を交えて父が生前、那古野城の南側に建立した萬松寺にてである。


 父の葬儀の十日後、信長は小姓や子供達を連れて熱田近く精進川の辺りに集っていた。信秀の死によって大人達が将来に対し不安に思っている事を明敏に察した子供達を見た信長が精進川にて願掛けの寒中水泳をする事としたのだ。


 この精進川にて己は当主として精進すると言う言葉遊びの願掛けは一種のパフォーマンスで有る。


 狙いとしては重臣達に態々次期当主が苦行を成す事でインパクトを与え、皆の不安を理解し共に歩もうとしていると明確に伝えることが出来、後継としての決意が有る事を示すことが出来ると信長は考えた。


 くだらなと思う者もいるかも知れないが信長の周囲に居る若衆や子供達には分かり易く、彼等から最終的に尾張の方々に伝わる事を見越しての事だった。何せうつけと称される信長本人がアレコレ言うよりは身内から言われた方が納得出来るものだ。


 そもそも、くだらないと思われようとも後継として歩むと言う意思を示せれば良いのだ。


 ただ、凄い風吹いてる。甲高い渇いた寒風の音が矢継早に響く。焚き木の火も心許ないく煽られていた。


「義兄上、誠に今日為さるのですか?」


 勝三郎(池田恒興)が口角を引攣らせて問う。


「当たり前だ。もう五日も前から喧伝してしまったんだからな」


 信長はそう言うと褌一丁になって腰に注連縄で巻いた護身用の脇差を縛りつければ万千代(丹羽長秀)や勝三が素早く続いて他の者達も続く。


「いや、お前らはしなくて良いぞ」


 若干、引いた顔で言う信長。まぁ何せ別に家臣達が付き合う必要は無いのだ。


「我等は家臣。殿一人と共に艱難辛苦を切り抜ける覚悟に御座いますれば」


 万千代(丹羽長秀)が言えば皆が頷く。信長は嬉しそうに困った顔を浮かべて気恥ずかしそうに。


「心強いぞ。では付いて来い!!」


「応」と皆が活きよく応えた。


 皆が精進川に進んでいく。ザブザブと進んで行き。


「ぐぁぁぁぁぁぁ効くなぁっぁぁっっ」


「さっば、アババババババッババババ」


「はっはがあ、ああ、っぶぶぶぶるる」


「あガガガガガッ冷た、てかいた、い」


「さぶくないだぶくなさぶくない……」


 うん。まぁそうなるよね。てか普通は寒中水泳なんてしねーから。


「み、みみ皆様、ま、まま先ずはささ寒さに、慣れましょう」


 勝三がそう言って自分の体に水をバシャバシャ掛ける。未来の記憶、初めてのプール授業の事を思い出したのだ。あの一気に冷やすのは良く無いとか何とかで体に良く無いから最初に水を掛けるやつ。


 寒くて思考がままならない全員が真似して寒さに慣れてから対岸へ向かって往復した。


 元の岸に戻り泳ぐ前に付けていた焚き木に当たりながら身を温める。だいぶ温まった頃、万千代(丹羽長秀)が横に並んでいた勝三を見上げて。


「勝三殿、元服なされたが齢幾つでしたかな?」


齢十三(12歳)になりました」


「身の丈は?」


「確か此の前測った時は六尺(約180㌢)少々に御座いました。着物が無くて困っています」


「それは……齢十三(12歳)の体躯では御座いませんからな」


 万千代は張った筋のある大きな勝三の体躯を感心しながら見る。無論、皆武士の子であれば有る程度の筋肉と背丈はあるが勝三が抜きん出ている。


「まさか俺よりデカイのがいるとなぁ」


 昨年から信長に仕え出した犬千代(前田利家)が呟けば皆がそうだろうなと頷いた。信長は薄く上機嫌に笑いながら火に当たる。


 そこに騎馬が駆けて来た。勝三達が信長の周りを固めると武者が飛び降りる。勝介がすぐに気付く。


「殿、長門守(岩室重休)殿に御座います!!」


「那古野に何かあったのか?」


 そう言って信長が皆の合間を抜ければ長門守(岩室重休)は跪き。


「若、一大事に御座います!!


 勘十郎様と花屋夫人が参って勘十郎様が喪主となって葬式をすると現れ歴々を集め申した!!」


 その報告に信長はクワッと目を見開き。


「どう言う事だ!葬儀は終わらせたのだぞ!!」


 服を干していた長柄の太刀を握り長門守(岩室重休)の乗って来た馬に飛び乗り腹を蹴る。皆が呆気にとられたが慌てて信長についていった。


 信長の怒りは尤もだ。喪主は後継と目される。日本だとパッと出てくる好例が浮かばないので、そうアレクサンドロス大王がダレイオス三世の葬儀を取り仕切って敵討を喧伝した事などその最たるものである。


 それこそ権力者の後継争いで喪主の座を巡って流血沙汰になる事さえ洋の東西を問わ無い事で有り、端的に言えばある種の宣戦布告であった。


 信長が那古野城の南側に父信秀が建てた萬松寺に着く。


「若、お待ち下さい!!」


 遅れてたどり着いた足の速すぎる勝三の声も届かない。怒り心頭、戸を破壊しかねぬ程に力を込めて開けば数多の僧侶と重臣達が並んでいる。安堵した様な林秀貞、平手政秀、青山与三、内藤勝介の三人の家老と家臣達。柴田権六勝家、佐久間大学と次右衛門、長谷川、山口の大人衆を控えさせた弟と母は覚悟を決めた顔で座していた。


 信長は全て察しズカズカと草履も脱がず進み行き焼香を握る。


「カァッッッッッ!!!!!」


 一喝ブチ撒け母と弟に一睨みくれてから足音立てて出て行った。外でどうして良いか分からず立ち尽くしていた勝三が思わず。


「殿」


 信長は睨む様な目で。


「勝三、今は話しかけるな」


 それだけ端的に言うと屋敷に戻る。勝三は如何して良いか分からず長門守に馬を渡しに戻った。


 翌日、信長は勝三含めた数人の前でボソリと呟く。


「上総守でも名乗るか」


「治部大輔が上総介でありましたか」


「そうだ万千代(丹羽長秀)、親父と約束したからな。奴に勝つと言う意思表示として奴より上位の名を名乗る。とは言えせめて義元めと一戦交えてからでなければ唯の恥だがな」


 勝三はピキーンと。そそと信長の横に移動し囁く。


「三郎様、詳しくは覚えていませんが上総国に守は無かった気がします」


「む、何だと?」


「詳しくは覚えてないのですが何とか王国だかなんだかで介迄しか居なかった気がします」


「……爺に聞いてみるか」


 この後の事になるが平手政秀に確認に行った結果、上総国は親王任国と言って自称するにしても介が最上位であることが分かった。勝三は織田信長が上総守と名乗る可能性を潰すことに成功したのである。たぶん始めて前世である未来の記憶が役に立った瞬間だった。


「それは兎も角、勝三。なかなか初陣を果たせられずすまんな」


「それは良くも悪くも戦が無いので三郎様が御気に病む事では」


「うむ、まぁ何れ戦は起こるだろうが。それに勝介の願いで戦場には連れて行く気だが覚悟はしておくんだぞ」


「はは!」


 そんな遣り取りをしながらも筆を止めぬ信長。重臣や家臣に副署させる安堵状などは岩室長門守達先達の小姓衆が持って行ったので、新参の勝三や万千代は信長が個人的に書いた手紙を受け取り墨が乾くまで扇で扇いでいた。


「邪魔するぞ」


 嗄れた声に視線を上げれば老人が立っていた。いかんせん体躯逞しく巌の様で目の鋭さが尋常ではない。老人の名は土田下総守政久、東海郡の豪族にして信長のお爺ちゃんだ。


 チラリと視線をやった信長は筆を置く。まぁ此れ以上に無い有り有りとした不満顔である。


「爺様か。先触れもなく如何なされた?」


 爺ちゃんの顔がワシってなった。


「孫にされる顔としては最悪じゃな。気持ちは分かるがの。三郎よ、娘が呼んどるぞ」


「末森に来いと言うのですか」


「うむ、まぁその通りよ。それも柴田権六(勝家)、佐久間大学(盛重)に次右衛門、長谷川宗兵衛、山田弥右衛門の連名でな」


「分かった。何時だ?」


「直ぐにでも」


「良いだろう。勝介を呼んで来い勝三、それとお前も付いて来い。万千代、佐渡守と爺に伝えておけ」


「はは!」


「は」


 そう言うと信長は立ち上がり呆然とする祖父に。


「では末森に行くので失礼します」


 一人残された下総守政久は吐息一つ。


「娘よ。家督は三郎に任せた方が良さそうだぞ」


 そうボヤいた。

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