乾坤一擲 凡事徹底
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摂津国は石山本願寺本堂にて二勢力の代表が仏に背を見下ろされながら並んでいた。大広間の左右に二勢力それぞれの有力者達が並んでいる。右側に座るのが三好三人衆で左側に座るのが本願寺だった。
彼等の中心には全身を血の滲む包帯で巻いた男が頭を垂れて不動。仏に肩へ手を置かれた錯覚を覚えながら本願寺顕如光佐は内心はどうあれ穏やかな顔で頭垂れる鳥屋尾石見守満栄に向けて口を開く。それはそれは慈悲深く慈愛溢れた表情で。
「……石見守。御苦労やったな。まぁ頭上げてや」
本堂に迎えた三好三人衆の諸将に加えて一家衆、坊官衆、御堂衆、殿原衆の代表達の表情も極めて険しい。ただ本願寺の席に座る大河内左少将具良、名を改め北畠左少将具良は真っ青だ。そんな視線と空気の中で鳥屋尾石見守満栄は頭を上げた。
その堂々たる表情を見て本願寺顕如光佐は溜息を一つ。
ポツリと。
「……何ちゅう顔してんねん」
笑みを浮かべ己の禿頭をペシっと叩き。
「まま、その顔しとるっちゅう事は出来る限りはしたんやろ。やけど今の状況を改めて教えてくれへん?現状が分からな手の打ちようも分からへん」
鳥屋尾石見守満栄は礼一つ。
「は、我等の船は一隻のみとなり敵船は二十五隻は残っておりましょう。先ず皆様の御考えの通り木津川口を封じられました。泉灘そのものが織田の手中に落ちたと言うのが正しいでしょう」
退路を塞がれた三好家の面々が一様に顔を顰めた。
「私の乗ってきた三国船は木津川口にて砲台となっておりますが早晩突破されるかと存じます。既に大筒の回収を行なっております」
「他ん三国船は全滅したんやな?」
「十中八九。先ず沈んだのは一隻、船の体を保て無くなったのが二隻、敵に乗り込まれ皆殺しにされたのが五隻に御座います。戦況を伝える為に包囲を抜け敗走致しましたので此処までが把握している全てに御座います」
「少なくとも三隻無くして五隻が敵の手に渡ったっちゅうのが確かって事やんな。言うて石見守の船しか戻ってけぇへんかったんやから一等マシな状況でソレやろうけど」
本願寺顕如光佐はそこで問答を切り口を閉じた。信賞必罰と言う様に将兵門徒を納得させる為に宗主として、敗戦と船舶喪失と言う二つの責任の所在をどうするべきか。今回の敗戦は士気の維持などを鑑みて難しい籠城戦の前に内で揉めない為にこそ罰が必要だ。
しかし今回の敗因は単純に本願寺全体が織田家を舐めていた事である。雑賀衆の大半が織田に付いた事から始まり艦隊の数と財力戦力の双方を見誤ったのだ。そも水上の戦で倍の敵に勝てと言うのは陸での戦以上の余りに酷な事であるし個人的にも申し訳なさがある。とは言え特に下部組織の心情だけを見れば手っ取り早いのは目の前の男に全ての責を負わせる事。
しかし安易な選択は余りにも組織として問題が大きい。伊勢衆は本願寺の戦力として確かな地盤を築いている。水軍としての技能者な上に失地奪還と言う門徒には無い戦意を持った精兵だった。そしてこれは戦後の話になるが石山御坊の防御力を持ってすれば織田家に勝つのは不可能でも負ける事は無いと言う前提の下で水軍の再編を考えれば助命は絶対。
更に三好三人衆との連携が今まで以上に本願寺にとり必須である。本願寺は三好三人衆の客分を協力と造船援助を対価に引き抜いた立場だった。現状で水軍として動けるのは鳥屋尾石見守満栄だけで三国船を作り動かせるのも同じく彼一人なのだ。とすれば彼を殺してしまえば三好三人衆の退路を本願寺が完全に潰す事になり唯一の味方が敵に降る可能性があった。
纏めちゃうと罰しても罰しなくても本願寺割れるし、罰すると隣の味方勢力が離脱する訳だ。
「そやなぁ……」
本願寺顕如光佐は呟きの間に考えを纏めて周囲に言い聞かせる様に。
「さて今回の戦はまぁ、負けて当然や。寧ろ倍の敵と戦わしたんやから負け戦に出てもろた様なモンやで。とは言うて何の罰則も無いっちゅうんも伊勢衆の立場が悪くなるやろ」
そこで言葉を切る本願寺顕如光佐。勿体ぶって禿頭を円を描くように一撫で。鳥屋尾石見守満栄を見て周囲の耳を更に惹きつけ大きく息を吸う。
目をカッ開き。
「ンメッッッッッッッッッ!!!!!」
鳥屋尾石見守満栄が思わず下げていた頭を上げて困惑の表情。てか言った本人と刑部卿了入頼廉こと下間頼廉くらいか。困惑してないのは。
まぁ勢いは兎も角、めって子供怒るみたいなノリでメされたら、うん。そんな呆然の極みみてーな周囲を気にせず本願寺顕如光佐は咳払いを一つ。
「ん”ッん。はい拙僧、超怒りました。三日くらい部屋籠っとってや。お菓子とか持っていかしとくから。ほんで次の戦まではそれっぽく振る舞っといてな」
どうと言う事も無いような表情で言う本願寺顕如光佐。鳥屋尾石見守満栄は首を斬られる覚悟であったが故に言葉を発せなかった。一隻が凡そ千両ほどで銭で言えば四千貫文にもなる。どの程度かと言えば勝三のトコの寺沢お祖父ちゃんの年収の約四倍だ。
鳥屋尾石見守満栄からすれば織田家への対抗策として十二隻、四万八千貫文という巨費を投じさせてこの結果である。正直言えば卑怯な逃げである事を自覚した上で腹でも切った方が精神的には楽だった。故に敬愛する主人にしたような飄々とした態度さえ取る事が出来ない。
口が勝手に動く。
「……罰を賜りたく」
パサついた口から漏れた言葉は小さく呟く様だった。当然この広い本堂で聞き取れなかったのだろう。本願寺顕如光佐は何か言ったのは分かったが何と言ったのかと首を傾げ。
「ゴメンな。聞き取れへんかった。何て?」
鳥屋尾石見守満栄は弱音を聴かれなかった証拠であるその問いに胸を撫で下ろし。
「失礼致しました。しかし五万貫と言う巨費を無駄にした身として贖いをさせて頂きたく思います」
「ふぅむ、まぁ気持ちの問題やからね。刑部卿了、五万貫の価値ある功績の一手を」
本願寺顕如光佐が己の首筋を撫でながら腹心中の腹心に問う。
「承知」
グッと下間刑部卿了頼廉が重々しく頷く。
その一動作さえ巌の如き体躯に相応しい。マジ仁王像とかの生写しみてぇに口を開いた。阿吽の呼吸で門主の考えに添い策を考え。
「現状我等の戦いは織田家の反攻を受けて起きた物、しかし織田は此度戦を退いても次がございます。即ち我等に必要なのは強大たる織田に対抗し得る存在としての印象。それによって味方を増やすべく強大な織田を跳ね返し長く籠城をする必要が我らには有る。しかし腹が減っては戦はできませぬ。よって一番の問題は端的に申して兵糧に御座います」
先ず状況の羅列を改めて行い必要な物を印象付ける。
「そう、兵糧こそあれば此の石山と幕臣の方々に門徒と力を結集して幾度であれ織田を跳ね返せましょう。と、すれば我等はその兵糧を得るか、然も無くば敵を我等と同じ状況にせねばなりませぬ」
カッと下間刑部卿了頼廉は目を見開き。
「それが出来れば十万貫の、いやそれ以上の価値が御座いますぞ」
言い切った。
鳥屋尾石見守満栄は考えを巡らせる。四方を囲まれているのだ。打てる手は無いと言って良いがそれでも。暫しの沈黙は熟考ではなく覚悟。
「包囲の薄い内に敵から頂く外は御座いませんな」
周囲の視線を受け当然の前提を呟く鳥屋尾石見守満栄。当然の事だからこそ周囲は腑に落ち耳を傾けた。危険で常道な唯一の道、故に大きな博打。
「幸い畿内には門衆が事の他多く摂津などは大半の者が御坊と強い縁を持つ。彼等のおかげで夜半の兵糧入れをして糊口を凌げているほどに。この本筋の糧道を完全に潰される前に織田の糧道を知らねばなりません」
これは既に本願寺がやっている事だ。しかし織田家の補給線は誰にでも分かる。補給線が分かれば補給拠点を探すだけ。
「今申し上げられるとすれば淀川を遡上致す事になるでしょうな」
戦の最中だが皆んな鮎を思い浮かべた。淀川で割と取れるしよく遡上してるから。
さておき誰もが鳥屋尾石見守満栄の言葉に黙して耳を傾ける。偶に頭の中で鮎がピョイーンて跳ねるけど。
「今出来る最高は淀川堤の辺りにて一戦を行い各大阪並を立たせ一度退かせるのが限度で御座いましょう。海での負けを取り返す事しか現状の最良と存じます。他勢力が立たなければ後は朝廷を動かして和を乞い謀神の消えた毛利に手を差し伸べ味方として如何すべきか……。現状から見える先は楽観的な物の見方で此処程度かと」
鳥屋尾石見守満栄の話が終わると本願寺顕如光佐は掻く様に禿頭を撫でて。
「まぁ最良はそれやろな。それで行くしか無いわ。頼んでもええね?」
笑って言った門主。鳥屋尾石見守満栄は自罰的な思考で如何しても安堵し、しかしそんな己の気の迷いを振り払って弛緩した気を奮い立たせる。これで終わりではなくこれからを考えて。
「願って先陣を賜りたく」
永禄十四年ないし元亀二年の鮎の遡上の終わり頃。石山御坊の東では広域の陣営が設置され、その木柵の裏では森河内砦が建築されていた。明朝であると言うのに既に作事が始まっているコレは本願寺を囲う大小の付け城の一つだ。
その付け城でいの一番に造られた櫓で目を擦りながら見張りをしていた兵が気付く。
「城から敵が出てきたぞ!!」
言うや否や激しく鐘を叩く。俄に騒がしくなった森河内砦から狼煙が上がる。同時に少なくとも城と言われた方が頷ける寺から続々と兵が出続けた。
更に狼煙が上がる。敵兵の数を通達する為のそれは二つ目のそれが意味する所は目算で五千。御坊から出る兵は永遠と続き全くもって途切れる様子もない。
守将の中川八右衛門尉長政が次の狼煙の用意をさせる。そうしている間に各所から後詰が参陣し最後に信長率いる本体も着陣して二万が結集した。これぞ織田家の妙、速戦を得意とする軍勢の面目躍如。
敵陣を覗き信長が言う。
「謀られたな」
合わせた様に狼煙が上がった。
場所は本願寺淀川沿いの葱生城を前にした守口城。立ち上る狼煙は三つで一万五千が迫ってきていると言う。森河内砦から距離にして凡そ二里。
信長は来た道を見返す。
その視線が向かう先の守口城の守将は篠田右近大夫正次である。簗田出羽守政綱の子で父と同じ渋味のある声を持つ信長の側近の一人だ。都とかクソめんどくせぇ統治する羽目になってアホ立場を上げられた人物の一人。
まぁ官位や苗字ブン投げられた一人で朝廷と関わりを持つ必要にかられた人物って言えばその通りだ。
「う〜ん」
揺れるが、重い。そんな父に似た味わい深い渋さのある声。眠たげな半眼で眼下に広がる敵勢を見てガッシリした顎をする。
「コレ無理じゃない?又助爺」
そんでまぁ渋い声で渋い事を言った。
そんな渋い言葉を受けたのは横に並んで敵を眺めている副将兼増築責任者の太田和泉信定だ。信長公記カキカキおじさん太田牛一の方が若干通りが良いだろうか。斯波家元家臣の誼で面倒を見てる爺とよばれた壮年の彼は少し頭痛を堪える様に頭を抑えてから。
「別嬉姓に加え官位まで頂いたのに何を言うんだお前は。まぁしかして天運は確も織田に在る。前のめりに死ねば天命、無駄死ではないよ」
「此の状況で死ぬとか嫌過ぎるんですけどジジイ」
「私の事を爺とかジジイというガキは死ね」
「天命どこ行ったジジイ」
櫓にいる彼等の足下では何人もの兵達が弓矢や鉄砲弾薬の準備を急ぐ。一万五千と言う数はなかなかに恐ろしい数であった。動きの良い兵をチラ見してから篠田右近大夫正次は世間話を続ける。
「摂津平定に向かってるのは知ってますが内藤殿とか来てくれませんかね。あの人が居れば一万人くらいは一人で殴り潰すでしょ」
「うむ、割と否定できないな。織田三宝とは良く言ったものだ。内藤殿など東織の意匠もするし筆まめだし絵も上手いし料理までするからな。出来ない事は有るんだろうか」
「押せ路なら私でも勝てるんですがね。実戦となると、突撃する時の感というか嗅覚というか何というか……。経験を積めば分かるものなんで?」
「私にも解らん」
「何より何であんな鉄柱みたいな代物振れるんだろう……」
「それは本当に解らん」
二人は非常に落ち着いているのは敵に大筒が無いからだ。そして此方は彼方をどうこう出来ないが逆もまた然り。漸く弓握った太田和泉信定がポツリと。
「これは包囲だけで狙いは後ろか」
そう敵の行動を予測した。マジその通りで有る。本願寺の狙いは淀川の上流にある織田家の物資集積地の一つ枚方寺内町順興寺。其処は本願寺顕如光佐との会談の後に織田家が押し入って兵糧集積地にした場所。
河内の富田林道場を降伏した例とし、此方は逆らった例として寺一切を焼き尽くし、作り変えた拠点だった。
「俺たちじゃ如何しようも無いな」
淀川に沿う様に直進する軍勢を見て篠田右近大夫正次は溜息を漏らした。その軍勢の最先頭は伊勢衆を率いる北畠左少将具良。巧みに操りながらも愛馬の疲労さえ顧みず己に続く騎馬武者達へ声を張る。
「進め進め!!鎮守府大将軍の上京に比べれば何の事はないぞ!!」
本人もメチャクチャ疲労しているが織田家本隊が帰ってくる前に集積所を焼き払う必要があった。せめて海で負けても陸では勝てると言う状況を周囲に見せつける必要がある。それは様々な思惑の上でだが北畠左少将具良にとれば自分達と鳥屋尾石見守満栄の為にだ。
伊勢衆の面々は客将と言うより間借りさせて貰っている仕事の無い傭兵と言うのが実態である。まぁ今は良いがぶっちゃけるとヒモとか無駄飯ぐらいってノリの集団だった。それを船を得て状況を変えたのが鳥屋尾石見守満栄なのである。彼や自分達の立場の為に今回の戦略目標の達成は必須だった。
「何としてでも順興寺の兵糧を焼くのだ!」
淀川に沿って半刻ほど進み焼失した善光寺跡地で大量の俵や木材の山を発見する。大量の付け城を作っているのだから当然と言えば当然だが圧倒されるのは確かだった。
「織田の力とは……これほどなのか」
それこそ本願寺の米倉に勝るとも劣らないだろうと思える……まぁ北畠左少将具良は本願寺の米倉を見た事ないけど、そんな量。敵の力を見せつける様な物資に愕然としたが、故にこそこれらを燃やせば本願寺の劣勢を払底できる確実な喧伝効果を得ることが出来るだろう。
振り返り数秒前までの己と同じ表情の兵を確認して。
「あれを燃やせば織田も退かざるおえまい。敵が来ては面倒だ!急ぎ火を付けるぞ!!」
守兵を追い払い火打石を使って火種を作り松明を投げて回る。遠くから火の手が上がるのを確認して更に上流の枚方寺内町順興寺へ向かう。枚方寺内町を本願寺の手元に戻せば敵の糧道を一つ潰せるからだ。
あと普通に石山まで戻るのは無理。此処まで四里程の距離で八里の距離は行く事は出来ても戻るのは不可能だ。北畠左少将具良は夕日より尚も燃える織田の物資を背に進む。
だが、そこまでだった。登った火が位置を知らせ織田家の軍勢を呼び寄せたのである。北畠左少将具良は流れ込む濁流の様に迫る織田軍を見て太刀を抜いた。そしてあまりに神々しい先祖と程遠い己を自嘲して笑う。
「私も最後まで伊勢北畠の男で有りたいものだな」
北畠左少将具良は銃撃に倒れ、鳥屋尾石見守満栄は行方知れずとなった。淀川の辺りを遠い伊勢から来た武人達の骸が無情にも埋め尽くす。機内には徹底した圧倒的な武力という物が知れ渡ったのだった。
守口に着陣した信長は報告を聞き終えると吐息を漏らし首を傾げて感想も漏らす。
「何がしたかったんだ奴等は」
「材木が燃えたのは確かに痛手ですが、うーん。兵糧でも狙ったんですかね?」
信長の呟きに答えたのは池田勝三郎恒興である。石山本願寺から出てきた門徒衆の大半は休息を与えられていた摂津侵攻軍や、後詰として控えていた柴田権六勝家などに擦り潰された。だいたい織田家は長島一向一揆で似た様な戦いを経験済みだ。
それこそ決死の敵が行う突撃と言うのは城一つを呑み込む物だと弟の死と共に刻み付けられている。
増して石山はその長島より大規模で本山でさえ有るのだから気を付けない訳がない。でなければ十もの付け城なんざ造って後詰なんぞ配置したりしねぇ。そこまでやって敵の攻撃の危険がある場所に食いモン何て一番大事なモン置く訳ねーじゃん。
「……まぁ完全に包囲されれば外の状況を量り損ねたのでしょう。ともかく後は野田と福島の三好三人衆を討つか降伏させて終いですな。寧ろ我等は此処からこそ気張らねばなりますまい」
そう言って悩む二人を現実に連れ戻したのは河尻肥前守秀隆だ。摂津攻撃軍の兵糧を受け取りに来たついで本願寺の騎馬隊を撃滅して此処にいる。何故まだ居るのかと問われれば若衆の、信長の嫡男の評価を伝えていたのが一番の理由。
まぁ信長の親バカエピソードは端折って現状を再認した信長は頷き。
「そうだな。野田城の攻略、奇妙の手並み拝見と行こうか。もしもの時は確と頼むぞ」
信長はそう言って河尻肥前守秀隆に声をかけた。
「はは!」
博役は自信満々に頷き返す。
石山本願寺の孤立は尚深くなるだろう事を約束する様に。