泉灘の戦い
二話目です。
暇潰しにでも見てってくれたら幸いです。
信長が甘味片手にして鋭い視線を克三に向ける。今最も織田家が優先すべきは畿内の安定。若狭を丹羽五郎左衛門長秀が抑えた事で後顧の憂は無い。
「勝三。今回も軍勢を出して貰うぞ」
「お任せください」
勝三は春日井坂田浅井伊香四郡二十八万石を任された男だ。織田家家臣の中では岩室長門守重休の和泉河内半国の二十八万石と同等、丹羽五郎左衛門の丹後若狭敦賀二国一郡二十一万石の上を行く。森三左衛門可成や坂井右近将監政尚が討たれた事で家中宿老衆の席でも上位に座る事になっていた。
朝廷との交渉を済ませ織田家の三好三人衆の征伐に赴く。軍勢は尾張五十七万石、美濃五十四万石、志摩二万石、伊勢五十七万石、伊賀十万石、近江七十八万石、大和四十五万石、三河二十九万石。計八国三百三十三万石にして八万三千人を動員して。
何かの冗談みてーな数だが信長はマジだ。都全域での乱暴、狼藉、陣取、放火、伐採、寄宿の禁令を発布。村井吉兵衛貞勝を筆頭に十万石の軍糧と物資を山城国に集めてなお更に物資を集めさせた。そして八国に及ぶ諸将の悉くを二条御所に集めたのである。
「さて、今回の大戦の前にする事がある。奇妙!」
二条御所の大広間で信長は諸将を前にして息子を呼んだ。嫡男の後ろに続くのは林佐渡守秀貞と内藤備後介秀忠である。織田家の家臣として信長の家臣として長年過ごした忠臣である。父信長が烏帽子親として勘九郎信重として元服。
従五位の下に任じられ出羽介に任官された。
「此度の三好征伐は勘九郎に任せる。一方で俺は石山を攻め落とす。三好征伐はゆっくりで構わん。与四郎、勝三、奇みょ……勘九郎共々若い連中が多いが頼むぞ」
「父上!」
「慌てるな勘九郎、大将が如何有るべきか良く学べ。お前は織田を、此の場にいる者を、此の場に居る者が背負うている者達含めて背負い立たねばならん。急くな」
信長が当然の事として。それこそ序での様に言った言葉。織田出羽介信重は思わず諸将の顔を見る。
口を結んで心と顔、引き締め。
「……はは!!」
「フフ、頼もしいが気負うな」
対三好には嫡男の織田勘九郎信重に一万二千を預け、補佐に勝三の五千を加えて摂津から三好家を撃滅する事になっていた。これは嫡男の大将としての初陣で凡そ勝ち戦が決まった物である。
三好征伐と言うが実際は石山本願寺攻略を含めた畿内平定だ。伊勢長島が有り将軍の居ない畿内の安定を目指す信長は六角家の延暦寺攻略を手本として不安要素を潰す気だった。そう不安要素と言って憚らない状況なのである。何より信長の、延いては織田家の危機感を煽ったのは三国船。
船、それで十二分に今回の畿内平定を急いだ理由として頷ける話だろう。水運は現代でさえ日本の根幹にして物事の趨勢を左右するのだ。それに比べれば語弊がある物言いをするが三好の主力だろう四国の軍勢など歯牙にかける糸間もない。
「長島の時とは打って変わって海の戦が如何なるか分からん。故に少なくとも半年は石山を囲う。その間は常に攻め続けて坊主供を休ませず圧迫する」
信長の言葉に諸将はギョッとした。事前に説明を受けた奉行衆でさえマジかと言わんばかりの顔してる。近江での戦いは所謂ところの短期決戦であり故に数が多くても問題は無かったが半年は異常だ。
「先ず三好との連携を断つ。石山の北西、浦江城と野田城並びに福島城が争点となるだろう。勘九郎と此処までは歩調を合わせる事になるだろうな。その後は東の守口と森河内、南の天王寺に布陣し城を建てる」
此処までは絶対に行うべき事だ。事前に配置などの確認は終えており語るまでもない。信長は少しその口を閉じて二人の男に視線をやった。
「彦右衛門、大隅守。頼むぞ」
全ての人間の視線を受け博徒と海賊がニッと笑って視線を合わせ頭を下げる。
「御屋形様の大博打、此の俺達が勝たせて見せますとも」
信長の博打。これは伊勢で建造された二隻の巨船の事で有る。織田家が京都の状況に対応する為に滋賀郡で始めた築城を後回しにして作られた化け物の様な軍艦。全長三十間最大幅七間半。一角に帆柱が三本立ち総砲門数は十四門。人員八百人が乗り側面に仕掛けを施していた。
それは、そう。鉄砲大筒に対抗した側面防御にこそ主眼を置いた施し。近江の戦いでの経験から甲板両側面に土詰めの竹束を土俵で挟み大筒の左右側面に並べ、置き楯に薄い鉄板をって吊るして側面の防御を増した鉄甲船。伊勢長島で得た金銀財宝と銅鉄錫の半分を用いて産み出した前例の無い水上決戦兵器。
一角船の強みたる速度を殺す事になるがその上でも織田家は敵の産み出した脅威に対抗する道を選んだので有る。つーか今まで自分達がやってきた事を返されるってんだから過剰反応してもしゃーないのだ。そりゃ見るも無惨に粉々になる敵の大船と水面の下へ沈む敵将兵の亡骸を見た時は酔いしれもしよう。しかしで有るからこそ敵が同等の力を持った時に受ける恐怖は酔い醒めの水と言うより氷の域。
「まぁコッチにゃ以前から作った一角船が三十隻はあんだ。そこに俺と滝の旦那が居りゃあ生糞坊主や落武者供の船くらいチョチョイのチョイよ」
「おいおい九鬼っちゃんそらねぇぜ。折角、大見え切って格好付けようとしたのに!」
「まぁまぁそう言うなって滝の旦那ぁ。後がねぇ方が燃えるだろ?!」
「ハッ言うじゃねぇか九鬼っちゃん。茶の湯は落ち着いてやるもんだが博打と戦はハラハラしてナンボだな!!」
空元気である。敵船の事は密偵の話程度でしか知らないのだ。少なくとも五隻の三国船が有り一隻につき十門の大筒が載せられそうだと言う程度。
堺を抑えていた三好家がその程度だとは、堺を知る者はには考えられない事。少なくとも敵の戦力を額面通りそれだけと捉える事は悍ましき慢心と言うべき悪行と思える程の所業に他ならない。だからこそ、そう故にこそ信長は獰猛で大らかに相反する様な気迫をと心情を発露して笑う。
「此度の戦は勝つ事、それ事態は難しい事とは思わん。だが彦右衛門、此度の船戦で勝てたのならば珠光小茄子を三年預ける」
滝川彦右衛門一益は目を見開く。信長は笑みを浮かべながら。
「俺は唐物の茄子茶入において俺は九十九、澪標、紹鴎、そして珠光小茄子が天下の至上の四茄子と考える。九十九と澪標の茄子を俺が持ち、紹鴎をその高弟炭屋の修理入道が持つ。最後の一つを此度の船戦の褒美とし三年間はお前の物だ」
これは信長としてはパフォーマンスも含んでいた。と言うのも土地の広域化に伴い信長一人での決済が物理的に難しくなって来たのである。距離と時間と言うのは未だに戦国の渦中たる此の時代において重い意味を持つ。
戦でも起きた際に一々信長に判断を仰ごうと思えば二日三日を無駄にし機を逸するのだ。また通常の政務の決済及び裁判だけで一日が無くなる事もザラである。であるならばある程度の権限を持った者に遠国を任せる必要があり褒美を兼ねた権威を信長自身が与える必要があった。
そう朝廷、幕府ではなく信長その人の与える権威の創設。出来うる限り彼等の領分を犯さずに信長が与えられ、また融通出来る物を考えた時に茶器という答えが出たのである。信長的には茶器は手放したく無いが色んな人が欲しがってて権威付け出来そうなのってパッと思い浮かんだのコレくらいだったって話。
「此の滝川左近衛将監一益、微力ながら死力尽くして尽力致しまする!!!」
そう言うアレで滝川彦右衛門一益はマジで喜んでくれるし二重の意味で最高の相手だ。まぁ船造って朝廷工作して城建てて戦してりゃああと実際に褒美に触れる袖も無くなるかんね。幾ら儲かってるっつっても今なんて小袖がタンクトップになるレベルだからマジで。
此の様な事を経て摂津国の高槻城に駐屯。そこに織田家全軍の本陣と言う名の物資兵糧の集積地が置かれた。最初の戦闘が起こったのは想定通りに織田出羽介信重の三好征伐軍だった。
「じゃあ改めて戦の肝要な事を列挙させて頂きます。その後に一先ず城の落し方を伝授致しますれば」
「うむ」
勝三が言えば脳筋ハイパー血気盛んモンスター若人ならびに織田出羽介信重は有り得ないくらい真剣に頷く。勝三は特に武功を持って身を立てる事を熱望し立身出世を指標とする、ぶっちゃけて言えば軍記物大好き若人にとり目を眩ませる程に燦然と輝く綺羅星であった。星ってかもう焼き尽くさんばかりの太陽みてーなアレで、夢持つ若人がその道のプロの言葉を聞いてる様と言えば想像し易いだろう。野球ボーイが二刀流の御方を前にし将棋ボーイが八冠の御方を前にする感じ。
だが彼等に求められているのは武功では無いのだ。
「戦にて何より肝要なのは一から十まで糧道の確保に御座います」
……えぇーって顔。もう聞き飽きたって顔だ。
「重要な事ですよ。飯無くして将は将足り得ず兵は兵足り得ません。一度、一食抜いて私と共に鍛錬でもしましょう」
そこまで言って肩に手。それを伝って見下ろせば河尻肥前守秀隆が正気を疑う顔を左右に振っていた。勝三に目を合わせ。
「それは普通に死ぬぞ。若に何させようとしてんだお前」
勝三は死にはしな……するかも、と其処で思考を切り替え。
「んッン“。冗談です。しかし運ぶ道が長くなれば手間と銭が掛かり運べる積荷は減るのです。また運べる道筋は大軍で有ればある程に分割の必要が出る。また個々の糧道は一つを潰される事に備え複数目処立てるべきで、その道は本道予備問わず水路であれば尚良い。其れを考慮して若様は先ず何処を取るべきと心得ますか。当然これは敵にも同じ事が言えますぞ」
織田出羽介信重は地図を見て。
「ふむ、しかし兵の分散は悪手。とすれば手早く要点を抑えれば大兵を用いても無理は効くだろう。とすれば安威川に沿っての進軍が一番手堅いか。父上の猿真似だな、常道と言えばその通りだが」
自嘲気味に言うが勝三は笑顔を浮かべ河尻肥前守秀隆も満足気に頷いた。勝三は心持ち軽く感心と言った風に。
「戦は手堅さこそ肝要。無論、場合によりけり無理をせねばならない事は数あれど、良き大将とは出来うる限り敵を絞り、出来る限り多勢を集めて持ち得る最良の状態で戦う者です。拙速でも巧遅でも無い現状最良の選択をそのお歳で取れる若様は紛う事無く将才が御座いますよ」
そこは若くとも信長の嫡男である。要点の見極めと即応速攻を当然とする戦争の才は十二分だ。戦争に限らず物事は早く動けば失敗しても巻き返しが効く。そういう意味で一般的で当然の決断の遅行は特に戦争においては致命ともなり得た。
若さ故の逸りも無ければ後は経験を積むだけだ。河尻肥前守秀隆は勝三の言葉に頷きながら。
「何より今、此の日の本で御屋形様程に領地を増やした者は居りません。であるなならば教書と致すに父君程の方がいらっしゃいましょうか。猿真似大いに結構では御座いましょうに」
勝三も二、三頷いて。
「しかし気を付けなさいませ若。御屋形様は今代の英雄ですが英雄故に全てを真似するのは良く有りませぬ。人には得意不得意があり英雄とてそれは変わりませんぞ」
「お前、発案者なのに押せ路雑魚だしな」
「河尻様。そういう事じゃない……けどそういう事です」
勝三は死ぬ程ツッコミたかったが軍議兼教育の場なので口を噤んだ。マジ色々とツッコミたかったが。……大事なんで二度言った。
なんかスッゲー成る程って納得してる若い連中の事は努めてスルーだ。まぁ教師役が真顔で止めてとも言えんし。
「まぁ後は城攻めですね。茨木城は既に降る事になっています。水尾城攻めが初陣となりましょう」
勝三がそう言えば織田出羽介信重は頷き立ち上がって。
「ならば早速行くとするか。出るぞ!!」
今回の戦いは織田家次代とその側近の育成が主である。確かに机上で凡そを理解してしまう者もいない事は無いだろう。だが百聞は一見にしかずってのは間違いのない事である。
「はいソコ仕寄は山を作るんだから確り竹束を並べて!兵に教えなきゃいけないんだから足止めないで確りやる!!」
勝三が土俵を土入りの竹で包んだ特急の竹束を片手で担ぎながら掻盾牛や車竹束を押し出す若衆を先導する。勝三の持つ竹束にはアホみてーに鉛玉を弾く音がしていた。若衆が足を止めたのは鉄砲の音のせいだった。
あと此の人なんでこんな平然と竹束担いで銃口の前に立ってんのって言う当然の疑問。
「さぁさ日が暮れますよ。二重に竹束が有れば十二分です。田んぼなんて柔らかいんですから急いで急いで!」
水尾城の守将と城兵には非常に不憫な事だが安威川を除く三方を包囲され次代の仕寄の練習台にされていた。古城に対する所業じゃないし流石に竹束道なんて代物は無いが説明して仕寄を一回やればどの程度の物で必要かは分かる。
仕寄ってのは攻城兵器に車付きの櫓を用いた井闌車と言うのがあるが、用途としては正にそれである。早い話が小山と堀で出来た簡易攻城拠点を作って敵城に玉と矢を叩き込んだれっていう代物。
手順としては竹束で城からの攻撃を防ぐ裏で堀を二条掘り進め、その二つの堀の合間で小山を作る。鉄砲や大筒の登場により必須にして必修の物となった新戦術だ。で有れば若い彼等にこそ教えるべきものだろう。
「良いですか。高さは敵を見下ろせるくらいが理想です。最悪土俵でカサ増しても良いですが、しかし重要なのは敵の鉄砲を防ぐ事。そこを忘れないように」
そう言いながら勝三は土俵をひょいひょい担いで竹束持ちに先導されるように盛土を登っていく。若衆も俵を担いで続き最後に牛を使って大筒を運び上げ城内に鉛玉ブチ込めば敵が打って出るが手柄欲しい若衆が蹴散らし城は開場。
そのまま進軍を続ければ敵の抵抗は少なく数度の小競り合いを経て降伏が続き、摂津は石山本願寺と野田福島以西を残して織田家の支配する所となった。
さて翌日の織田家本陣。至高では足らず至極と言って差し支えない豪奢な袈裟姿の禿頭が座る。何処か嫋やかに何処か軽やかに何より凛然と笑みを浮かべて。
「初めましてやね。織田はん、本願寺の生糞坊主やで」
「尾張の田舎者だ。石山の宗主殿、此度は何用で参られたのかな」
信長の冗談に冗談で返した返事。しかしその中に明確な拒否感と怒り、更には義務感の様な物を読み取り禿頭を撫でた。
「んー分かった。単刀直入に言わせて貰うとやね。今回は三好三人衆との和睦話を持ってきてん」
信長の目が続きを促す。その視線は普通の人間が見れば平静な物。だが聞くだけ聞いてやろうと言う冷淡な目だと禿頭は察していた。
だが禿頭の成すべき事わ変わらない。己の渇く口を唾液で潤し、それを舌を回す油として説法を始める。織田家の狙いが石山にあるのは明白なのだから。
「まぁ仏家なモンやからね。それらしい物言いさせて貰うんやけど浄土宗には悪人正機っちゅう考えがあんねん。ま悪人言うて悪い事をしようって輩ちゃうんよ?善悪の判断でけへん、まぁ仏様にとっての未熟者みたいな話や。そう言う未熟者やって自覚を持った者こそ阿弥陀様は救済の手を差し伸べてくれるっちゅう話」
禿頭は信長の目を覗き込みニコニコと心情とは真逆の表情を浮かべて。
「何が言いたいかって御武家様に仏家が頼むんもおかしいけど、此の悪人に正機を乞わせて欲しいんよ。そら因果応報、今回の悪果は当然、長島の事を考えたらそらもう紛う事なく当然拙僧の落度や。やけど一度、そ、一度でええから和睦をして欲しい」
一度、小さく息を吸った禿頭。
「勿論やけど御武家様に誠意や何や言うて集ろうっちゅうんやない。三好三人衆を四国に返して兵を退いてくれるんやったら矢銭を払う。流石に五千貫は無理やけど千貫やったら何とかヒリ出す」
スルリと溶け込む様に懐に入り込み甘露の様な滑らかな声で嫌悪感を抱かせない声を僧が吐いて信長を見る。
「都抑えるんは金がかかる。幕府に集られとった拙僧が言うんや間違いない。俗物な物言いやけど金も出す。武田家と一緒に補佐もする」
軽く無い禿頭を下げ。
「どやろか織田はん。此の信楽院、本願寺法主顕如の顔を立ててくれへんか」
所謂、説法なのだろうか。何処か、そう此の場に唐突現れた本願寺の首領が語ったのは。
信長の感想はそれだけだった。
そも六角承禎義賢の前例を見れば自勢力の真横に武装した宗教の存在を許容出来るはずがないのだ。でなくとも石山本願寺の戦力は異常であり三好三人衆と協力していた。織田家は六角家と打って変わって縁も無いのだから何をいわんや。
だが戦を望むかと問われれば信長の答えは否である。信長は下げられた禿頭を一瞥して。
「法主殿、此方が鉾を収めるのに必要なのは三点。義栄様の将軍位返上と前将軍の帰還、湾に存在する全ての三国船の引き渡し、本願寺の武装解除だ。此の三点を即座に叶えてくれるのならば兵を退こう」
信長の言葉が途切れてゆっくり三つ数えたくらいの時。禿頭が長大な溜息を長く長く、ゆっくり五つ数えてる程に吐いて頭を上げた。仏の様に穏やかな表情の禿頭、本願寺顕如光佐が口を開く。
「熟、義秋を見ただけで事を判じた悪因はとんでもないわ。因果巡って織田はんを敵のする悪果やと釣り合わんで。でもコッチにも護らなアカン物は有るんよ」
本願寺顕如光佐は嫡子を筆頭とした主戦派の事を考えて言った。頭の痛い話だが戦を躊躇し無い息子を切り離す事は現状で出来ない。それは自身の考えと合致する非戦派が少数であり本願寺の分裂と衰微を意味するからだ。
交戦するにも講和するにも本願寺は少なくとも一戦が必要だった。そう法主の口を持ってしても戦争を辞められ無い程に本願寺は狂乱の最中にあったのだ。伊勢残党の意図も合わさり長島の状況が伝われば当然の事だった。
それをら勘案と諦念を微塵も見せず微笑みを持ってして穏やかに一礼して立ち上がり。
「ほな織田はん、戦の準備をせなあかんので失礼させて貰います」
開戦の火蓋が落とされた。
まぁつっても石山本願寺は既に包囲してる様な状況である。初戦は海の戦いで結果如何によって織田家の趨勢が決まる物だ。
その命運を分ける船団は伊勢志摩の津々浦々から和泉国の下津浦で滝川彦右衛門一益以下が乗り込み雑賀衆水軍を加えて進発した。
「さぁて三好の連中も野田福島に篭ったままみてぇだし気合い入れなきゃなぁ」
一角、バウスプリットの根本に立ち海を眺める九鬼大隅守嘉隆は日に焼けた顔に獣の様な笑みを浮かべて言った。
「野郎供ォオ!あの二つの島にゃ敵が手ぐすね引いて構えてる筈だ!!淡路島と友ヶ島の合間を行くぜ!!右舷回頭宜しく候ォ!!」
「へーい!!」
紀淡海峡の最も広い海域は淡路島と友ヶ島 間の一里と十五町前後の場所である。そこのド真ん中を通れば敵船が島影に隠れていても対応出来た。
織田家の船の最高船速は7から8ノット、時速にして12キロから15キロに届かない程度で、敵の船が同等の物と仮定すれば島裏に隠れていても、交戦には四半刻程の猶予ができる。当然だが武装を施し兵を乗せれば半分程度となり猶予は更に大きくなるのだ。
船員達の掛け声を聞きながら九鬼大隅守嘉隆は二つの島を睨み見た。左手側西の淡路島と右手側東の友ヶ島が南南西の風を観音開きの帆が受けて迫る。追い風という状況を活かして勝つべく敵の船影を探す目は真剣で鋭利だった。
「頭ァッ!!敵、見えた!!淡路から一角が十二、友ヶ島から安宅と関船が二十五、小早は多過ぎてわかんねぇ!!」
「良くやった!!後続に伝達!!敵一角から潰すぞ!!」
鏑弓と滑車の音。それを耳で拾いながら目は淡路島の方へ。そうすれば九鬼大隅守嘉隆の目にも敵の船が写った。
「おうおうアレだな、腕が鳴らぁ。左舷回頭ォ、砲戦準備ッ、宜しく候ォッ!!」
九鬼大隅守嘉隆の号令に端を発し砲一門につき五人と彼等の纏め役の砲主が弾く様に動き出す。㮶杖によって大筒に火薬に続き砲弾が押し込まれ砲門が開けられる。車止めの角材が抜かれて大筒の左右からハの字に伸びて舷を通り左右に伸びる綱が三人づつに引かれて砲口が船体から顔を出す。砲を押し出すのに使われた綱とは別に左右から伸びた鉤付きの綱が大砲を固定する。最後に大砲の準備が終わればそれらの間には鉄砲と狭間筒や抱え大筒が並んで隙間を埋めた。
織田艦隊の帆達が操作され南から北に向かって直進していた船が北西に向かって進む。己を縛る帆桁から逃れようとしているかの様に広がる白帆。傾いた船体が大阪湾で大波を生む。一方で敵艦隊は逆風で横帆が畳まれ二枚の三角帆で進んでいる。
三好本願寺連合艦隊における十二隻の三国船は七丈から十丈が六隻づつで関船か大型関船ほどの大きさだった。大型を先頭に単縦陣で進む。
一方で織田家艦隊は大小様々で三十間の巨船二隻、十七間の大船十五隻、十一間の中船十隻、半間の小船五隻である。此方は巨艦を先頭に敵と同じく大きい物から縦陣を組むが二列であり、同時に小型の五隻は巨船のやや後方で横陣を引いていた。傘か矢印の様な陣形と言えばその通りだ。
一本線と矢印の喧嘩って言われると急にチープに感じるけども俯瞰してみればそんなところだ。まぁ状況説明としては端的だで無限にも感じる時を経て船乗り達にとれば相手の表情さえ見て取れる距離まで近付いた。
「十町、いや九町か」
九鬼大隅守嘉隆が彼我の距離に目算を付けると同時に横陣を敷いていた小船達が船速を上げた。この機動を行うと敵は高い確率で陣形を崩し一対一の戦いを挑む事が多い。往来の敵達との戦いが未だに個々の船戦の繰り返しの域を出ない故だ。
小舟はその船体故に武装も兵も少なく当然ながら装甲も薄い。しかしだからこそ重装備の大中ならびに巨艦の倍ほどの速度で進める。その機動力を持って扇状に広がるが一角の根元に立つ九鬼大隅守嘉隆は苦笑いを浮かべ。
「まぁそう上手くはいかねぇか。残党供とは違ぇわな」
当然、敵も側面に大筒を乗せた船を用いているのだから自分達と同じ考えに至っておかしくない。惜しいという思いも有るには有るが九鬼大隅守嘉隆は当然の事と受け止める。此方に向かって直進する敵船船団を待ちに待って迎える様な満面の笑み。
「左舷交戦準備ッ!!右舷回頭ッ!!挟撃、宜しく候ォ!!」
距離五町にして織田艦隊の先陣、先行する九鬼船団が敵の右手側に舵を切る。敵は幸いと言わんばかり頭を押さえようとしたが逆に先行した小船が弧を描き回り込んだ。
東南へ向かう敵船正面に対して北西へ向かう様に滑り込んだ小船側面から覗く砲口向いている事だろう。遠いが確かに聞こえたボウッと言う鈍い炸裂音と白煙。敵船の帆桁が一つ吹き飛んだのを目視した九鬼大隅守嘉隆が呵呵大笑した後に口開く。
「ギャハハハハ!オイ本気かよ?!小舟の癖しやがって敵船団の動きを止めちまいやがったぜあの野郎!!こんな船に乗って小船に遅れをとっちゃられねぇぞテメェ等ッ!!!」
野太く応じ得物を構える船員達。九鬼大隅守嘉隆も二十匁の大鉄砲を担ぐ。
三好三人衆本願寺の艦隊は先頭で先導役を担う船が混乱し、速度を更に落として直進を続ける事しか出来なかった。
九鬼船団が北に向かって直進する様に進めば敵船が慌てて向きを変える。
「何をしている生き過ぎだ!!!クソッ直ぐに櫂を持ってこい!!!」
慌ただしいのが見てとれる敵船からそんな声が聞こえた。敵船は焦る余りに操舵を誤り風に向かってしまったのだ。敵にとって幸いだったのは後続が同じ轍を踏まなかった事だろう。
だが同時に敵にとって不幸だったのは声が聞こえる程に近づいた彼我の距離。正に相手の顔を認識出来る直ぐそこまで迫っており減速した事である。結果として三好三人衆本願寺の艦隊進路を九鬼船団が塞ぐ形になるだろう状況。
ゆっくりと進む双方の艦隊。圧倒的優位な状況に急く心と反した速度。九鬼大隅守嘉隆は大鉄砲を構えて号令を。
「来るぞ砲主、しっかり狙え!!」
言うや否や引き金を引く。ドオ!!と音に続いて白煙が広がり船を置き去りにする。その後は砲声と銃声が定間隔で音を鳴らして敵の二隻目へ砲弾弾丸を叩きつけていく。
巨船の片側七門全てが撃ち尽くされると敵船は船と言う体を保ってはいられなかった。船首は砕け帆柱を一つヘシ折られ甲板の上に人は居ない。辛うじて浮く事が出来ているだけの代物と化した。
そして続く船団は撃ち合いを始める。敵も味方も西に向かって並走し大筒と鉄砲の殴り合いを始め、鉄砲大筒で勝敗が付かないと分かれば移乗戦が始まった。だが此処で機先を制する九鬼大隅守嘉隆の先導によって進路が北東へ変える。敵も合わせざるおえないがそれこそか狙いだった。
「さぁ滝の旦那の出番だ。オラァ!テメェら俺達ももう一発叩き込むぞ!!」
九鬼大隅守嘉隆はそう声を張れば兵達の快活な応答が返り快活に笑った。移譲戦闘や銃砲の応戦に必死で九鬼船団の船速に合わせていた三好三人衆本願寺艦隊は気づかない。彼等の背から大きく帆を広げた滝川船団が迫っている事に。
それに気付いたのは背中から銃撃と砲撃を叩き込まれた時だった。着々と交戦能力どころか航行能力さえ失っていく三好三人衆本願寺艦隊。その中にある一隻が横帆を広げた。
「あの野郎ッ逃げる気だ!!」
九鬼大隅守嘉隆が声を張るが敵船と交戦中では何も出来ない。代わりに戦闘に参加出来ていなかった小舟が追うが追い風では敵船の方が早かった。だが織田艦隊が逃したのはその一隻だけである。
泉灘は織田家の支配する所となり木津川口は封鎖された。