大敵
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季節外れの菊の花が咲く掛軸を吊るした一室で二人の男が囲碁盤を挟んで対峙していた。体格の良い僧兵とでも言うべきだろう厳つい坊主頭の老人が、身を包む常闇が如き黒衣と対極の美しい象牙の白石を摘む。
碁盤を眺める温和怜悧たる顔をニヤァと歪め。
「ケェ〜ッケッケ、堪りませんなぁ芳菊丸様との囲碁勝負は。ホレ!!」
パチっと一手。対面する富士の刺繍がなされた羽織を羽織る雲中白鶴たる武士、背負う富士が如き泰然英邁たる気風と出で立ちの壮年の男。鋭く理知的な双眸が碁盤を俯瞰し貫いて。
「ヌアッあ、ちょ、ま、待った。待ってくれ承菊先生!!」
すんごい慌てた。盤上を確認しながらも額抑えて懇願する。
「四手、四手で良いから戻してくれ!」
「ん駄目でぇぇす。戻して欲しければ六文になりむぁぁぁす」
「そこをなんとか!」
「はぁい、お断りぃ」
ニヤニヤっぷりマシマシの坊主はそう言うと、顎しゃくらせて自分の口の両端を左右の小指で、両目の目尻を人差し指で伸ばし、ベロを突き出しベロベロしながら煽る。
「あ“あ”あ“腹立つうぅ。超、腹立つ此の坊主ゥ!!」
顔を真っ赤にして天仰いだ武士は両掌を苛立ち現す様にワキワキさせる。ガッと視線を盤上に戻して打開の一手を探す。
「お、探す?探しちゃいます?
四手戻せば挽回はできましょうにな〜。いやぁ〜これで拙僧の記録が伸びちゃうな〜、千三百五十二勝、二十三敗、三持碁、五百流れになってしまうなぁ〜」
探す。
「僧職だけどォ、お、さ、け。買っちゃおう〜かな〜」
スゲェ腹立つ顔で煽って来る坊主に何をこんクソと探す。が、一っつも無い、どんだけ見ても無い物は無い。
武士は青筋浮かべて懐に手を突っ込み懐の銭袋を握り叩きつけ。
「ええいクッソ、持ってけ生臭坊主!」
「グヘヘ、六文、六文」
坊主がいそいそと銭袋から六枚取り出し自分の銭袋に移す。
「んの野郎、意にも返さねぇ」
武士がそう言って碁盤に向き合えば四手戻して対局が再開された。
「これにて六十文、毎度あり!」
「クッソォォ……毎度とか言うな!!」
「ケ〜〜〜ッケッケッケッケェ〜!!」
勝敗は察してほしい。
さて彼等は主従である。老年の坊主の名を太原崇孚といい号を雪斎、今川家の執権、太原雪斎である。
そして対する壮年の武士は花倉の乱にて異母兄を降し、北条織田と同等以上に闘った乱世進む稀代の雄。街道一の弓取と称される今川家の惣領、今川治部大輔義元だ。
囲碁を指し終えた義元は雪斎と火鉢を囲む。
「なぁ先生、仮名目録も甲相駿同盟も済ませたら少しは休んだらどうだ?」
鎌倉時代から始まったとされる安部川の茶を飲みながら義元は言う。齢五十七になって尚、精力的と言う言葉では足らない程に働く師を慮ってだ。なにせ年の割に若過ぎて義元と同年代だと錯覚されていた師が年相応の見目になっている。
雪斎は半眼でズズズと態と大きく音を立てて茶を啜り。
「何言ってんだか。十五しか変わらん癖に」
「いや十五はデカいだろ」
「おお嘆かわしい。この雪斎を老いぼれと言うのか囲碁糞雑魚のクセに、囲碁糞雑魚のクセに」
「囲碁っンッケーねーだろラァ!!あと何で二回言ったジジィ!?」
クワっとツッコんだ義元は飄々とニヤニヤする雪斎に溜息を一つ漏らし。
「その、何だ。先生は俺の親父みたいなモンだ。偶には孝行させろって話さ」
「何、姫さまが嫁に行っちゃって悲しいのか。馬鹿親だなぁ」
「否定はせんが働き過ぎだ、先生は。仮名目録だけでも大抵の者では手に負えんのに、発案したとは言え同盟交渉まで任せてしまった。
しかも気がつけば山口親子や戸部の謀略にまで手を伸ばして……」
義元は一瞬躊躇し、茶の入った碗を煽って。
「まるで命を燃やす様だ」
そう言って情け無いと自覚できる様な顔で雪斎を見上げる。雪斎は鼻糞ほじってた。
「え、甚だ腹筋に候」
ニヤニヤ言って鼻糞を丸めて塵紙に。その塵紙を折って鼻と指を拭いた。義元の額で青筋がピキッた。
「いやはや、この程度で死ぬとか本当にハハッ。寺育ちの芳菊丸様じゃあるまいし」
「いや先生に至っては現職の妙心寺の住職じゃねーか。寺育ちどころじゃねーから」
「んな事言っても拙僧はほら」
そう言って黒い袖を捲り上げて上腕二頭筋をボコッと盛り上げる。義元の倍はあろう腕に盛り上げるは富士の如き筋肉。
グゥの音も出ない。
雪斎はヤレヤレと肩をすくめ。
「ま、さておき今は三河の安定こそが肝要。織田が動けぬ内に固められませ」
「そうだな。三河が安定せねば那古野奪還も覚束ない」
義元はシワって顔を歪めて。
「にしても、あー吉良とか面倒臭い。無力のクセに陪陪臣として敬わねばならんわ、婚姻関係になっても別れて争いやがるわ。大体分裂の尻拭いをさせておいて何故ああも意気軒昂なのか本気で分からん」
「アララ、まぁ焦らずゆっくりとやりなさいや。芳菊丸様は好みじゃ無いでしょうが万一失敗しても竹千代を旗頭にすれば三河は安定させられましょうから」
「先生の鼓舞の仕方、性格悪くない?」
「ケッケッケ、拙僧の渾名は黒衣の宰相に御座いますれば。……あ、大方様が仮名目録の事で呼んでんじゃなかったっけ?それにそろそろ馬鹿供の相手をする時間だな」
「む、もうか。ならもう少し我慢して尾張を目前にして足を止めさせられた挙句に何も得る事無かったツケを払ってもらうとするか」
「まぁ、そこに関してはもう一踏ん張り頑張ってくださいな。今回で輿に乗る事だけでも認めさせれば権威は十分、後は好きにさせてもらいましょう」
「うむ、気張るとしようか!」
義元は膝を叩いて立ち上がる。
「先生、体を大事にな」
案じる様に一言残して去っていった。足音の消えた部屋で雪斎は誇らしい様な複雑な笑みを浮かべて。
「いやはや、それにしても出来過ぎる弟子ってのも頭が痛い。察しが良過ぎるぜ治部大輔様」
どこか満足そうに政務へ戻ったが突如として激しく咳き込む。
苦しく長い。
咳が治れば喘鳴を漏らす。
少しの間を置いて苛立を吐き捨てる。
「ハァーハァーハァ......糞が、仏罰だけ下しやがって。ゲホ」
塵紙で口を拭き茶で血を飲み干す。その口を抑えていた手は真っ赤に染まっていた。