1-4 最初の一歩
普段と変わらない普通の朝がやってきた。
普通に朝起きて朝食を食べて学校へと向かう。
昨日の事が夢だったんじゃないかと思える位の普通の朝。
だが、自分のスマホの連絡先にある平沢暁子という名前がそれを本当だと教えてくれた。
休み時間の時等は連絡はまだ来ないだろうか、連絡はまだ来ないだろうかと、何度も画面を確認してしまう。
「お前さっきからなにスマホの画面見てんだ?」
「ん、いや別に」
訝しんだ様子の藤原の声に顔を上げてスマホをポケットに入れる。
「なんか昨日も何時の間にか居なくなってたし、今日は朝から様子がおかしいし、なんかあったんじゃねえか?」
そうか、昨日は平沢さんたち人払いの結界を俺だけが抜けていったから、二人には気が付けば俺が居なくなっていたという事になるのか。
「だから何もない、昨日も用事を思い出して直ぐに帰っただけだ」
適当に誤魔化すと藤原は疑っているようだったが、別に良いかと話題を変える。
「まぁ良いや。で、連休の間なんだけど何するよ?俺ん所は特に何もないけど、親も居るから集まるなら二人の家の方が良いかもな」
「今年は明日の金曜から5連休だっけ、僕も特に予定はないかな。鷲崎は?」
田辺が話を振ってきたが、生憎とこちらには用事がある。
「いや、俺は連休中用事がある」
「用事ってどこ行くんだ?」
何処と聞かれて答えられる場所ではない。
「少し行くところがあるんだ。だから休みの間は殆ど家には居ない」
「だからそれが何処だよ?」
藤原が食い下がってくるが、答えられない物は答えられない。
「いいだろ別に、お前には関係ない」
「まさか彼女か!?」
何でそうなる。
「え、鷲崎彼女が出来たの!?だれだれ?」
「待て、勝手に話を作るな。彼女とかそういうのじゃない」
実際違うが、何故か藤原は聞く耳を持たなかった。
「いーや、突然消えたのも連休中に俺達と遊ばないのも彼女が出来たからだ!スマホを見る時も何かニヤニヤしてるから怪しいと思ったんだ」
「だから違うって」
「なら何の用事か言ってみろよ」
「それは……」
「ほら、やっぱ彼女だ」
くそ、本当の事を言ってしまおうか。
しかし、言ったところで嘘を付いたと思われるのがオチか。
ここは休み時間が終わるまでやり過ごすしかない。
そう思ってるとスマホが震えた、連絡が来たのだ。
反射的に手を伸ばすが、藤原の目を見て手を止める。
「どうしたよ、彼女からの連絡じゃないのか?」
「だから違うと……昨日から習い事を始めて、そこからの連絡を待ってたんだ。連休中もそれに集中するから遊ぶ暇がないだけだ」
言っている事はそれ程間違ったことは言っていない。
自身の力の使い方を習いに行くのは事実だ。
「ふーん、それでその習い事ってのは秘密なのか?」
「悪いが秘密だ」
まだ藤原は納得していなかったようだが、横から田辺が助け舟を出してくれる。
「まぁ、何を始めたのかは分からないけど、聞くのは話せるようになってからでも良いんじゃない?それにしても、鷲崎が習い事を始めるなんて意外だな。何かしてるのって小学生の頃のサッカークラブ以来じゃない?」
「そういや中学になってからは一年の時に部活を色々回った後は俺達と一緒に帰宅部所属になったもんな」
「あれは、何というか……本気になれる物がなかったというか。別にサッカーが嫌いになったとか、他の部活が面白くなかったとかでもなくて」
鷲崎は中学に上がった時、自分はまた一つ大人になり、新しい世界が広がるのだと思っていた。
しかし、そこにあったのは顔見知りのサッカーの先輩が在籍する、レベルは上がれど劇的に何かが変わる訳でもない部活。
それは自分の理想とは違い、鷲崎は他の部活動にも手を出したが、やはりあったものは普通の学校生活だった。
無論それらには本気で挑む他の生徒達も居たのだが、詰まる所、彼は思春期らしく自分に他の人とは違う特別な何かを求めていた。
「で、本気になれるやつが見つかったと」
「……ああ、見つけられた気がする」
「なら良いや、何するのか知らないが頑張れよ」
「ありがとう、頑張るさ」
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、俺たちは自分の席へと戻っていく。
戻り際にスマホを取り出し、平沢さんからのメールを開いた。
「明日から本格的に修行を始められるように今日中に君の力を起こしておこうと思うのだが、今日の予定は大丈夫だろうか?大丈夫なら返事を待っている」
放課後、藤原達と別れ学校横にある駐車場へと向かった。
迎えが来るとの事だったが、疎らにしか車が止まっていない駐車場には迎えの車が見えない。
まだ来ていないのかと思ったが、視界の端に何かが見えた気がしたので、そこを目を凝らして見る。
すると開いた駐車場の一か所に非常に薄っすらでぼんやりとした白いセダンと、それに背を預けて立ってスマホを弄っている黒鉄が居たのが見えた。
今回の服装は一応ジャケットの前は閉じてはいるし、下はかなり短いがまだ普通と言えるタイトなスカートに変わっている。
もっとも、これで割と普通の格好と思えるのは前回ので感覚が狂ったせいな気もするが。
真っすぐにそこへと歩いて行くと「あれ?」と黒鉄が顔を上げ姿を現す。
「なーんだ、驚かそうと思ってたのに。どの位見えてた?」
「薄っすらと何となくって位に」
「成程、じゃあそれをはっきりと見えるよう竜也の力を起こしに行こうか」
さり気に呼ばれ方が名前で呼び捨てになっていた。
車に乗り込み、平沢さんの家へと向かう。
30分ほど行った先にその家はあった。
意外と普通だな。
最初に出た感想はそれだった。
街はずれの場所にある昔ながらの日本風の二階建ての家は、塀に囲まれた庭はかなり広くはあるも、外見は普通の木造住宅だった。
庭内にある雨よけ用の屋根が付いた所へ止め、車から降りる。
黒鉄が「こっちこっち」と呼ぶ案内の通り、正面の玄関じゃなく庭を回っていく。
角を曲がると、縁側に羽織を軽く肩に掛けただけのポロシャツにジーンズというラフな服の平沢さんが本を読みながら待っていた。
「おや、鷲崎君こんにちは。直接こちらに来たのか」
「すみません、お邪魔してます」
「いや構わないよ、では早速取り掛かろうか。靴はそこに脱いで置いていいから上がりなさい」
「失礼します」
招きに答え靴を脱ぎ揃え上がる。
平沢さんが障子を開けると、ゆったりとしたブラウスとスカートを履いた白陽さんが敷かれた布団の横で待っていた。
その雰囲気に気圧され足が止まってしまう。
「どうした?遠慮する事はない、服を脱いでそこに寝転がってくれ」
え、なんだこの展開。
平沢さんは「ほれほれ」と手招くし、白陽さんは準備は出来てますといった顔をしている。
初めて来る年上の女性の家で、今から何をするって言うんだ。
「服を脱ぐって……何を?」
「何を?君の力を目覚めさせようと思うのだが」
いや、その為に何をするって言うんだ。
思考がぐるぐる回り混乱していると、後ろに居た黒鉄がニヤーと笑みを浮かべる。
「おやー、竜也はナニを想像したのかな~。仕方ないよね~、男の子だもんね~」
図星を付かれ顔が赤くなってしまい、恥ずかしさに顔を俯かせ反らした。
「ん……あー、すまない説明不足だったな。今から何か如何わしい事をする訳ではないから安心してくれ。ツボ押しの様な事をするだけだから、服も上だけ脱いでくれたら良いよ」
「そうですよね!そういう事ですよね!」
急ぎ上を脱いで恥ずかしさを誤魔化そうとする。
「竜也的にはエッチな事でも良かったんじゃない?」
勝手に言ってろ!
「はいはい、あまり子供を虐めるな。さて……では、先ずは仰向けで寝転んでくれ」
平沢さんの言い方も正直少し気に障ったが、気にしないよう心がけ本を見ながらの指示に従い布団に寝る。
「さて……私もあまりこれには詳しくないのだが……ふーむ……」
平沢さんが指で背中をなぞっていく。
くすぐったさに身体が震えそうになるのを枕を握りしめ堪えた。
黒鉄の顔はニヤついたままだったが、もう知った事か。
暫く指は背中をなぞったが、平沢さんは唸るばかりで中々終わる気配がない。
「これ、何をしてるんですか」
痺れを切らして尋ねる。
「ん、ああ。先程も言った通りツボを押そうと探しているんだが中々見つからなくてな。偶に重傷を負った後に変な勘の良さに目覚める話があるだろう?あれはそのツボが刺激され、私達は魂力と呼ぶ力が起きた結果なんだ。大概は魂力が起きたところであまり意味はないのだが、鷲崎君の場合は大きな力が眠っているから、こうして意図的に目覚めさせようとしているのだが……」
説明しながらもずっと俺の背中を探り続けるが、それでもそのツボと言う物は見つからないようだ。
「……これは珍しいな。よし、ちょっと仰向けになってくれないか?」
仰向けに寝がえり、平沢さんが胸の辺りを指でなぞる。
また顔が赤くなってきた。
向こうは何も気にしていないようだが、恥ずかしい事に変わりはない。
「珍しいって、何か特別だったりするんですか?」
恥ずかしさを誤魔化す為に一先ず口を動かした。
「珍しいだけで、特に何かある訳ではないそうなんだが……私もこれにはあまり詳しくなくてな……ふむ、角度が悪いのかもしれないな、少し失礼」
そう言って突然平沢さんが俺に跨った。
「うん、これなら分かりやすい」
腰に馬乗りのまま真剣な顔で作業を続けていく。
しかし、そんな事はどうでも良い。
薄手のシャツに包まれた大きな胸が目の前で揺れる。
股間が相手の下半身に圧迫される。
「平沢さん、これ以上は、うぐっ!」
「ほら、暴れない暴れない」
この状況から逃げようと平沢さんの下から抜け出そうとするも、黒鉄に顔を太腿で挟まれ、手で腕を上から押さえつけられた。
もがく顔をこげ茶の柔らかい脚が捉えて離さず、こちらの顔の動きに合わせ形が歪む。
と言うか、この人タイトスカートだっただろ!?
視線を上にあげるとスカートの布地が少し見えてくるのと同時に、黒鉄のニヤついた顔が見えた。
「中、気になる?いいよ、今から結構痛いからこっちに集中してな」
痛い?ツボを押すときはそんなに痛むのか?
確かにテレビで見るツボ押しマッサージは痛そうに見えるが、パンツを引き換えに見せる程なのか?
「お前はまたそういう事を……まぁ痛いのは事実か。耐えろ、男の子だ」
「お口、舌を噛むと危ないですからこれを噛んでおいてくださいね」
今から起きる事に対して待ったをかける暇も無く口に布を噛まされ、平沢さんの手が肋骨の間に深く突き刺さった。
容赦のない痛みに布のしたからくぐもった叫び声を上げる。
「直ぐに終わりますから、あと少しだけ頑張って」
バタ付く手を白陽さんが包むように握ってくれた。
更に続く痛みに耐えようとその手を力の限り握り返す。
「ほら、あとちょっと、あとちょっと。アタシのパンツはどんなのかって事でも考えて耐えな。ちなみに今日の色は紫☆」
黒鉄が何かを言っているようだったが、最早痛みと自分の声で何も聞こえてこない。
何時までも続くかのような痛みの最中、突然視界が上に飛んだ。
いや、飛んだというよりは先にある物が全て透けて見えた。
二階、天井裏、外、空、宇宙。
視界の広がる速度が増し、星が巡る。
遠い遠い星と世界の時間の出来事が目の前で繰り広げられる。
目まぐるしく変わる光景が一つの結果に向かう。
あれは……誰だ、何だ……!?
陽炎の様に映る人影が見えたと同時、灼熱の光が視界を焼き尽くした。
耐える事の出来ない痛みに絶叫を上げる。
「やばい、白陽!包帯!」
「はい!」
痛みに暴れ狂う俺の顔に包帯が巻かれ、視界に闇を取り戻していくが、それでも痛みは引かない。
目から脳まで焼いた鉄の棒を突き刺されたような耐えがたい激痛に苛まれ、近くにあった何かを両手で爪を立て握り締める。
涙を流し、嗚咽を吐き、意識は闇の中に消えた。
「……分かった、今回は突然で済まない。では、また後程」
電話を切り平沢が一息つく。
丁度そのタイミングで黒鉄が居間に戻ってきた。
多少疲れた感じでソファへと座り込む。
「鷲崎君の様子はどうなった?」
「今は落ち着いて眠ったとこ、一応白陽が傍で面倒見てるってさ。と言うか見てよこれ、竜也に傷物にされちゃった」
そう言って左足を上げて見せる。
足は多数の引っ搔き傷や指の形の痣があった。
傷の中には肉まで達する抉られた部分も、そこから血が流れている。
「済まないな、無理に引き剥がすことも出来たんだが」
「良いって、これ位なら直ぐに治るし。それに、無理に引き剥がしたら自分を傷つけてたかもしんないし。でも、これは竜也には黙ってた方が良いかなー、変に気負いさせるのも嫌だし」
「気を遣わせるな」
平沢の言葉に気にしないと黒鉄が手をヒラヒラとさせた。
「それで、そっちはどうなったの?」
「ああ、光霊会には連絡を取った。役所には向こうから連絡を取ってもらい、これから鷲崎君の家に行こうと思う。鷲崎君は、何かあるといけないから今晩はうちに泊まってもらう事にしよう」
「了解、あんだけ魂力垂れ流し状態だと何が近づいてくるかも分かったもんじゃないしね」
黒鉄が自分の足の血をタオルで拭いながら、眠っている少年が発している力を思い返す。
言ってしまえば今回の少年は当たりだった。
それも予想していた以上の大当たり。
黒鉄が覚えている限り、彼の年代であれだけの才覚を発揮した子供は相当珍しい。
結果、目覚めた自身の力に身体が耐えきらず眠ってしまったが、これからの成長が楽しみに思えた。
「しかし、彼のご両親にはもっと良い形で挨拶をしたかったのだが、大切な息子を気絶させてしまってその詫びで会う事になるとは。うーん、せめて何か良い土産物はあっただろうか」
平沢が何かないかと棚を物色するも、白陽が良く食べているコンビニで買えるようなお菓子ぐらいしか見当たらない。
「光霊会が何か良い物持ってくるでしょ」
「そうかも知れないが、やはりこちらかも何かあればと思ったのだが……特に何も無さそうか。仕方ない、誠意だけ持っていこう。それでは、私はこれから出るから留守を頼むよ」
「はーい」
黒鉄に見送られ、平沢は光霊会の支部に車で向かっていく。
平沢たちの予定とは違ったが、眠りの中で鷲崎の第一歩が始まった。