赤+青=紫
「ヘルミオネ! 私レオナルドはここに、そなたとの婚約破棄を宣言する!」
学園の卒業パーティ会場で、私の婚約者、王太子レオナルド殿下の口から放たれたのは意外な言葉でした。
いいえ、意外でもなんでもなかったのかもしれません。
彼の心はとっくの昔に、隣に寄り添う男爵令嬢のノノ様のものだった。それだけのことなのでしょう。愚かな私が気づいていなかっただけです。
ノノ様の胸元には、見事な首飾り。
大きな紫色の宝石の左右に小さな青い宝石……皮肉ですね。
紫は私の瞳、青は王太子殿下の瞳の色ではありませんか。
「かしこまりました」
「……待て!」
おとなしく会場を出ていこうとした私を殿下が呼び止めます。
わずかな期待を胸に振り返ると、彼は言いました。
「私の新たな婚約者であるノノに謝れ」
「はい?」
思わず間抜けな声が漏れました。
婚約者を奪われて、謝罪されるのは私のほうではないでしょうか。
首を傾げる私を見て、眉間に皺を寄せた殿下が、滔々と私の罪状を口にします。私はノノ様に執拗な嫌がらせをしていたそうなのです。まったく身に覚えがありません。
……いえ。身に覚えはありませんが、そう誤解されそうな状況はありました。
ノノ様に呼び出され、煽られて、言葉を荒げてしまったことが何度か。
あの情景を他人が見ていたら、私が彼女を苛めていると思われても仕方がないかもしれません。つまり、嵌められたのです。むしろ見ていた他人も共犯者かもしれません。
「あなた……っ」
さすがに怒りに震えてノノ様の元へ踏み出した私は、彼女の取り巻きのひとりである(そうです。ノノ様は殿下一筋ではありませんw)義弟に突き飛ばされました。
お母様の死後、我が侯爵家に分家が送り込んだ後妻に子ができなかったので、やっぱり分家が送り込んできた養子です。
私は大きく体勢を崩して──頭を打って死にました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ヘルミオネ! 私レオナルドはここに、そなたとの婚約破棄を宣言する!」
……あら? 義弟に突き飛ばされ、頭を打って死んだはずなのに、気が付くと学園の卒業パーティの会場でした。
王太子レオナルド殿下が、また同じことを言っています。
一度死んだのは間違いありません。そのせいか、彼への愛情が消えています。
いいえ。考えてみれば、最初から愛などなかったのでしょう。
お母様が亡くなり後妻が来て、やがてお父様も喪った私は、婚約者である殿下を愛することしか、愛していると思い込むことでしか自分を保てなかったのです。
私は冷めきった心で、殿下が上げる私の罪状を聞き流します。彼は不思議そうに尋ねてきました。
「ヘルミオネ、異議はないのか?」
「私が異議を申し立てたとして、あなた方に聞く気はあるのですか?」
ノノ様に向けて足を踏み出しただけで突き飛ばされたんですけど?
殿下はなにも答えず黙りこくり、私は現れた衛兵に連れられて会場を出ました。
ノノ様に嫌がらせをした罪で投獄されるのだそうです。この国にそんな法律ありましたかね?
私は、王都の外れにある貴人専用の牢獄塔に入れられました。
国王陛下ご夫妻はなにをなさっていらっしゃるのでしょう。まあ、妃殿下は私が何度殿下と男爵令嬢の件を相談しても対処してくださらなかった『息子ちゃんのすることはすべて正しい』姑でしたし、国王陛下は殿下の父親ですしね。血筋ですよね。
身に着けていた装飾品の多くは没収されましたが、母方のお婆様から受け継いだ赤い宝石の指輪だけは、形見の品だから、ということで許されました。
牢獄塔での平穏な暮らしが始まります。
侯爵家の本家令嬢に与えられている不当な処置に対して、分家はどう考えているのでしょうか。……どうでもいいですけどね。
ある日食べたパン粥は、舌を刺すような味がしました。毒です。私は死にました。死んだのはいいんですが、もしかして──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ヘルミオネ! 私レオナルドはここに、そなたとの婚約破棄を宣言する!」
「はいはい」
私は、パンパンと手を叩いて王太子レオナルド殿下を止めました。
「私が悪い、すべて悪い。それでよろしいのでしょう? そちらにいらっしゃる男爵令嬢のノノ様に嫌がらせをした罪を認めますので、とっとと牢獄塔へお連れください」
「え、ヘルミオネ……?」
「なんなら、この場で直接毒を賜ってもよろしいですわよ?」
私の言葉に、卒業パーティ会場にいるほかの生徒達がざわめきます。
さすがに恋人に嫌がらせをした罪で婚約者の侯爵令嬢を毒殺する王太子は嫌ですよねえ。
殿下は、明らかに狼狽えた様子を見せました。
「いや、そんな、私はそなたが牢獄塔で反省さえしてくれれば……」
彼は私の毒殺に関わっていないのでしょうか。
まあ、どうでもいいことです。
私はまた、王都の外れにある牢獄塔へ入れられました。
生きようと死のうとどうでも良かったのですが、パン粥に入れられていた毒で死んだときはとても苦しかったのです。石の床に敷かれた毛皮の上でのたうち回りました。
だから、今回は舌を刺す味を感じた時点で牢番に報告しました。
──毒入りパン粥からしばらくして、私は処刑されました。
いくらなんでもノノ様への嫌がらせで処刑されるほど、この国の法は腐ってはいません。
私が投獄されたことに怒りを覚えた侯爵家分家が兵を挙げ、王家を滅ぼそうとした反逆の罪に血族として連座させられたのです。知りませんよ。私、ずっと投獄されてたんですよ? というか、私を投獄したとき、分家から来た義弟もいたでしょうが!
王都の広場にある処刑台で、私の首は落とされました。
ああ、これは楽でいいわ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ヘルミオネ! 私レオナルドはここに、そなたとの婚約破棄を宣言する!」
「かしこまりました。ノノ様に嫌がらせをしたという罪で、おとなしく牢獄塔へ参りましょう」
もう慣れたものです。
王太子レオナルド殿下の婚約破棄宣言を聞いても、心は少しも動きません。
冷静にカーテシーをしてみせると、殿下は息を呑みました。
「お、おう? そなた、なぜそれを……」
「最後に一言だけよろしいでしょうか」
「うむ「殿下!」」
殿下の許可は、義弟の制止よりも先でした。
私は卒業パーティ会場に集まっている学園の生徒達、貴族の跡取りもしくは優秀で裕福な平民達に語りかけます。
「もしかしたら未来、殿下の私に対する処罰について侯爵家の分家が不服を唱え、王家に対して兵を挙げることがあるかもしれません。でもそのとき、皆様は覚えていてください。私を断罪し、処罰に加担している方々の中に私の義弟がいることを。彼は分家から養子に来た、侯爵家の跡取りです。くれぐれも筋の通らぬ扇動に惑わされぬようお気を付けくださいませ」
もう一度カーテシーをした後で衛兵が来て、私は牢獄塔へ入りました。
……どうしましょうかねえ。
処刑台は楽だったけど、牢獄塔でズルズル生活するのも面倒くさい。だからといって毒入りパン粥を食べても、あの時間に戻るだけなんですよねえ。
普通に死んで、お父様とお母さまのところへ行きたいのですが。
そんなことをぼんやりと考えていたら殿下が来ました。
えー、彼と話すの面倒くさいです。
私の言葉で疑惑を持って調べたところ、ノノ様への嫌がらせは事実無根、義弟と分家は王家への反逆を企てていたことが判明したそうです。……へー。
「それで、どうかなさいましたの?」
「……そなたは冤罪だった。王太子として私も詫びる」
いえいえ、あなたが主犯ですよ。あなたが。
「本来なら名誉を回復し、私の婚約者に戻すところなのだが、実はもう私には新しい婚約者がいる」
へー、そうですか。
あ、ノノ様ではないそうですよ。当たり前ですね。彼女は処刑されました。私の首を落とした処刑台ではなく、絞首刑だったそうです。
今から王妃教育して婚約者を育てるのは難しいので、外国の王女様と婚約なさったそうです。私への仕打ちでこの国の貴族には相手にされなかったみたいです。外国も力のある国にはそっぽを向かれたらしく、この国に借金のある小国の王女様だそうですよ。あらあら、可哀相。もちろんその王女様が、ですよ。
「彼女の補佐として王宮へ「嫌です!」」
私は殿下の言葉を遮りました。不敬罪で殺されても構いません。
「そうか。……私の側にいるのは辛いか」
違います。
侯爵家の権利と財産すべてを放棄して、私は修道院に入りました。
そんなつもりはなかったのですが、侯爵家の権利と財産を受け取って、婚約破棄以降求心力が落ちていた王家が力を取り戻したと言います。うわあ、胸糞悪ぅーい。
寿命を迎えても婚約破棄の瞬間に戻るのなら嫌だわ、などと思いながら、修道院での暮らしが過ぎていきます。
することもないので(なんだかんだで貴族や元貴族は特別扱いです。王家が私のために定期的な寄進をおこなってくれましたしね)、修道院の書庫で本を読んだり部屋で刺繍をしたりとのどかな毎日を送っています。
数十年が過ぎ去ったころ、私は書庫で本棚の裏に落ちていた魔術書を見つけました。
「時戻りの秘宝?」
ページをめくっていた私は、ある首飾りの項目に目を奪われました。
紫色の大きな宝石を中心にして、左右に赤と青の宝石が埋め込まれた首飾りです。
紫色の宝石だけでも時を戻せますが、赤と青の宝石がないと未来の記憶を維持できないのだそうです。これ、見たことあります。……ノノ様の首飾りじゃないですか。
私が死ぬたびに戻っていたのは、この首飾りのせいだったのでしょうか。
でもノノ様の首飾りは左右ともに青い宝石でした。
私は自分の手を見ます。どんな運命のときも変わらず、そこには母方のお婆様から受け継いだ赤い宝石の指輪がありました。もしかして、投獄も毒殺も処刑も、私からこの指輪を奪うためだったのでしょうか。
考えても仕方がありません。
ノノ様は処刑されました。おそらくその前に首飾りは取り上げられて、今回は時を戻ることはできなかったのでしょう。
とか言いつつ、寿命で死んだ後で時戻りに巻き込まれたら嫌だわあ、と溜息をついたところで、修道院の院長が書庫に私を呼びに来ました。最近来た新参者です。いつの間にかこの修道院では、私が一番の古株になっていました。面会者が訪れたと言われて応接室へ行くと、殿下がいました。もう即位されているから陛下ですね。
「昨日、息子に王位を譲った」
へー、そうですか。
「妃とも離縁した」
あらまあ。私が放棄した侯爵家の財産を運用して稼いだお金で、とっかえひっかえしてきたお妃様の名誉ある三人目様ではありませんか。
若くて美人なんだから、そのまま結婚していればよろしいのに。
お妃様と離縁したら離縁したで、あなた愛妾作るんでしょう? これまでの経歴でお見通しです。まあ、国王としてはまずまずでしたけどね。息子さんは父親に似ずまともな方のようですし。
「今後は、本当に愛する人を慈しんで生きようと思う」
相変わらず莫迦ですねー。
三人のお妃様を幸せにできなかった方が、本当に愛する方を幸せにできるわけないじゃないですか。
あ、違いますね。自分の都合で慈しむだけなんですね。クズです、クズ。
「その人はそなただ、ヘルミ「嫌です」」
ふざけないでくださいよ。
「もう遠慮することはない。そなたを責める者がいたら、私が黙らせる」
「いえ、そういうのではなくて、私は国王陛下を……レオナルド様を愛していないのです。婚約を破棄されたあの瞬間に、すべての愛は砕け散りました」
まあ、その前から本当の愛だったかどうか疑わしいですけどね。
早くお父様とお母様に会いたいですねえ。
今度こそ時が戻りませんように。ノノ様が余計なことをしていなければ良いのですが。
「……そうか。では最後に、これだけは受け取ってくれないか。本当はそなたの十八歳の誕生日に送るはずだったものだ。あの女にせがまれて、渡してしまったのだが」
えー、なんですか、それ。
罪人の遺品を贈られるとか冗談じゃありませんよ。趣味が悪いにもほどがあります。
……まあ、これで彼と縁が切れるのならいいかもしれませんね。寄進のついでと称して訪ねてくるから鬱陶しいと思っていたら、未だに私に愛されていると自惚れていたんですねー莫迦ですねー。ノノ様の遺品は修道院の新しい院長にお願いして、清めて処分してもらいましょう。
「そなたの瞳と同じ紫色の宝石を、私の瞳と同じ青い宝石が見つめている意匠の首飾りだ」
「……っ!」
レオナルド様の言葉に、思わず息を呑みます。
時戻りの秘宝なのでしょうか?
私は、赤い宝石を持っています。今の記憶を持ったまま過去に戻れます。お父様とお母様を救うこともできるかもしれません。今考えてみると、おふたりの死は怪しいのです。分家が絡んでいたのかもしれません。
「ありがとうございます、レオナルド様」
レオナルド様の青い瞳には、紫色の瞳で微笑む私の姿が映っていました。
朝晩鏡で見ている老いた自分の顔よりも美しいように見えたのは、光の加減のせいでしょうか。
あのとき婚約破棄を宣言されてきてからこれまでで、初めて希望を抱けたからでしょうか。
とはいえ、時戻りの秘宝を使うかどうかはまだ決めていません。
このまま寿命を迎えてもお父様とお母様には会えるでしょうからね。
受け取った箱を開けてみたら、案外本に描かれていたのとはまるで違う意匠の首飾りが入っているのかもしれませんし。……レオナルド様は、そういう期待外れをおこないそうな方なのです。
★ ★ ★ ★ ★
王家のたったひとりの跡取り息子として甘やかされて育った王太子レオナルドは、六歳のときの婚約者選びのお茶会で、同い年の侯爵令嬢ヘルミオネに恋をした。
人見知りだという彼女が帰宅を許されて見せた、満面の笑みが彼の心臓を射抜いたのだ。
青い瞳に映った紫色の瞳の少女が、赤い情熱を燃え立たせる。
レオナルドはまだ知らない。
幾度となく繰り返した未来の記憶を持つ彼女が自分を愛さないことを、婚約の打診もあっさり断られてしまうことを──
・めでたしめでたし・