産婦人科の衰退 ケース:大野病院事件
今回は医療訴訟の中でも物議を醸し、実際に産婦人科医療に与えた影響の大きかった裁判【福島県立大野病院産科医逮捕事件】についてお話をさせていただきます。
事件と言っても〝医師が悪い事をして、訴訟されて懲役を食らいました〟……という事件ではありません。逆です。〝医師が普通に診療をして、執刀をしたけれど命を救えなかった、そうしたら逮捕・起訴された〟という事件です。事実上の冤罪事件ともされています。
簡単に概要を説明しますと
① 妊婦さんに前置胎盤が分かったので、大野病院の医師が出産時の危険性を説明し、医大などの設備の整った施設での分娩を勧めたが、妊婦は大野病院での分娩と子宮温存を希望した。
② 希望に沿って大野病院で出産することになったが、予見できなかった癒着胎盤が存在、力を尽くして処置するものの、子宮温存は困難と判断して摘出。救命できたかと思われた直後、妊婦が心停止に至り、母体は助けられなかった。
③ 病院・医師の処置や判断や手続きに過誤は認められなかったが、不幸な結果に至ったことに対して遺族に全く償いがされないことはあまりに非情ではないかと、病院内部で検討〝過誤〟があったことにして病院から賠償金を支払う決定をした。
④ 遺族はそれでも執刀した医師に対する恨みは消えず、産婦人科医が遺族とともに墓参りに同行した際に墓前での土下座を要求し医師はそれに従った。
⑤ 福島県警・福島地検は〝医療過誤あり〟との病院から遺族になされた報告に業務上過失致死罪が適応されると判断・母体死亡から1年以上経過してから、妻の出産を控えている時期に医師を逮捕。拘留中に妻は出産、医師は自分の子供の出産に立ち会えず。
⑥ マスコミが医療過誤として報道するが、癒着胎盤という疾患の難しさを知る医療界は全国で不当逮捕ではないかと疑問の声が出る。
⑦ しかしそのような抗議を無視して地検は起訴を決定。
⑧ これだけ波乱を呼びながら、検察側の求刑は【禁固1年】というもの。
⑨ 結果的に第一審で無罪となり、検察も控訴を断念。医師の無罪が確定。
ちょっと悪意を込めましたが、こんな流れの裁判でした。遺族の名誉のため言いますが、刑事告訴とは家族がいくら恨もうと出来るものではありません。検察が起訴状を取り、国家が行うものです。家族を失った苦しみを貶める意図は御座いません。
さてこの裁判、どのぐらい影響力があったかといいますと、この裁判が問題視された平成19年~20年の1年で106施設、全国のお産を扱う産婦人科の約8%が産婦人科を診療科から撤退させたほどの影響力がありました。
当然それほど影響が出て医療業界も座視出来なくなり、【人体の身体を予見出来るなら医者はいらない、〝業務上過失致死罪〟の適応はおかしい】と日本産婦人科医会含め様々な団体が立ち上がりました。
この事件は、起訴した検察側の杜撰さも問題視されました。
・まだ有罪にもなっていないのに、医師逮捕について福島県警本部長賞を受賞
・初公判で検察側の首脳が「なんであんなものを起訴したんだ」と語る
・裁判で医師に過誤がある証拠として〝ステップ産婦人科〟という医療者の初期ガイドを参考文献として法廷に出す。
・その後〝ステップ産婦人科〟の著者から「前置胎盤と癒着胎盤の併発例は天文学的なもので、この本を参考にされても困る」と抗議される。
・逃亡や証拠隠滅の恐れがないのに、逮捕した疑惑がある。
といった具合です。
この事件を切っ掛けに、産婦人科医療は完全に【防衛医療】に入りました。リスクのある妊婦は絶対に診ない、少しでもリスクがあれば帝王切開を行う、それを拒否するならばお産は諦めて貰うという患者からすれば残酷な医療体制です。
勿論本意でこんなことしておりません。〝前例を作ってしまった〟ため〝根拠に基づいて〟判断しているのです。そもそも産婦人科というのは特殊な領域で、〝妊婦〟というのは〝病人〟ではありません、健常者です。
しかし何故〝産婦人科〟という病院の診察科があるかと問われれば、〝お産〟とは母子共に死ぬ恐れがある一世一代の危険を含む行為だからに他なりません。
日本では妊婦は健康に子供を産み、育児が出来ることが当たり前のように考えられておりますが、発展途上国では100人に1人の妊婦がお産で亡くなり、6人に1人が何らかの障害を持つ危険な行為なのです。現在の産婦人科医療が発展した先進国でも、お産で1000人に1人の妊婦が亡くなる残酷な現実があります。
……あなたの地域の産婦人科医療はどのような体制になっていますか?あなたやあなたの大切な人に子供が出来たとき、安心してお産が出来る体制にあるでしょうか?
是非地域の産婦人科医療に目を向けてみてください。