【誤報の恐怖】ケース:福島双葉病院
あの悪夢の震災から10年となりました。東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
さて、今回は震災の真っただ中で発生した風評被害と誤報についてです。
舞台は福島第1原発から南西約4.5キロにある350名の患者を診ていた双葉病院。断絶されたライフライン、外部との通信不可、震災で滅茶苦茶になった院内、4km先にある原発が制御不能になっているという恐怖、正しく【絶望】と呼ぶに相応しい状況を呈しておりました。
結果から申し上げますと、50名の救命が叶いませんでした。
最初の救助が始まったのは翌日12日。しかし、何度もいうようにここは福島第1原発から南西約4.5キロ。自衛隊の救助も断続的であり、350名全員の救助には5日かかりました。最後に救助されたのは、双葉病院の院長で、最後の最後までこの絶望的な現場に残り患者を診ていました。
この院長は、家族や子供のいる看護師や介護士を患者と共に救助させました。10年経ったわたしたちでしたら行動を批判するのは勝手ですが、当時を鑑みれば
〝原発が爆発すれば、死ぬかもしれない〟
状況だったわけです。
しかしマスコミやネットは、その行動を凄まじい勢いで批判し始めます。
【双葉病院の医療従事者は患者を放置して逃げた。】
【自衛隊が救助に行った時には患者しかいなかった。】
マスコミの報道に尾ひれがついて、ネット上でもこんなフェイクニュースが乱立します。挙句には〝カルネアデスの舟板〟を持ち出し。「医療従事者だって人間だ、しょうがない。」なんていう論調もありました。
何度も話しますが、この病院で最後に救助されたのは院長であり、16日の救助日まで残っていた医療従事者もおりました。
しかし一度広まった悪評は最後まで院長並びに医療従事者を苦しめます。【患者を置き去りにした病院】というレッテルを張られ、遺族から糾弾され、政府や東京電力もこれ幸いにと、提訴された答弁の中で「医療従事者の対応が不十分だったから亡くなったのであり、震災関連死としての関連性は低い」と述べ、散々な目に遭います。
わたしたちが考えるべきは「同じことを繰り返さない事」です。
しかし上記したように、断絶されたライフライン、外部との通信不可、震災で滅茶苦茶になった院内、4km先にある原発が制御不能になっているという恐怖。こんな中でどんな医療が提供できますか?また、あなたは双葉病院の院長と同じように、忘己先他の精神を貫けますか?
どうすればこの悲惨な事故と、誤報という事件は防げたのですか?
答えは10年経過した現在も出ていません。




