流石異世界。
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「ワン!」
「…うおっ?!」
犬の鳴き声で起きた。
「…アイヌか。おはよう。あれからずっといるのか?」
「ワン!」
「そりゃおつかれさまです。」
頭を撫でてやる。
「やった!ごしゅじんさまに褒められた!」
「そんなにうれしいのか?」
「頭撫でられるの好きだよ!」
人の頭を撫でる人ってあんまりいないよな。
小さい頃、ふざけて父親の頭を触ったらブチギレられた記憶が薄っすらある。
子供なんだからそんなに怒んなよな。
昨日、神様の確証を得てから少し話して友達になったはいいが、共通の話題は当たり前に無く、何とは無しに時が過ぎるだけだった。
…なんか話題になる様なこと、考えておかないとな。
と、ベッドの上でムニャムニャしてるとセバスチャンが入って来た。
「お、ベル坊ちゃん早いな…ってまたそいつら召喚したのか?!」
「うん。こっちのげんきなほうがアイヌでおとなしいほうがウンヌだよ。」
「ワン!」
「…。」
「名前まで付けたのか。まぁ無理しない程度に頑張ってください。」
「あ、そうだ。きょうからまじゅつのれんしゅうするからセバスチャンにいろいろききにいくかもしれないから。よろしく。」
「わかりました。…守護霊を召喚できるベル坊ちゃんに教えることなんてあるのか疑問ですが。」
「おはよー、ベル!」
「おはよう、ヘレナねぇ。…あの、ちょっとはかくしたらどうですかね?」
「え?何が?」
ヘレナが階段から降りて来たところで、チラリとスカートがめくれる。
この三年間ヘレナと生活をして、割とよくあることだ。
「こう…めのやりばにこまるというか…」
「別にいいじゃない。男の人はベルとお父さんとエイメンしか居ないんだし。」
「いや、ことしからがっこうにいくんだからなおしたほうがいいよ。へんなひとにつけられたりしたらたいへんだし。」
「心配してくれてるの?」
「まぁ、かぞくだし。」
こっちの世界には盗撮の技術もないだろうしされるとしたら直接的にだよな。
そんなこと身内にされたらたまったもんじゃない。
「いただきまーす!」
「いただきます。」
今日はオニオンスープにパンだ。
「ふぁー…おはよう、二人とも。」
ママさんが起きて来た。
「きょうはおとうさんはしごと?」
「うん、そうよ。朝早く出かけていったわ。」
「おとうさんってどんなしごとしてるの?」
「領地の保安から経営まで全部任せられてるのよ。だからあんまり帰ってこれないのよね。あなたたちには悪いけど。」
「そうなんだ。」
領主っていうのは聞いてたけど大変そうだな。
「そうだ。おかあさん、まじゅつのれんしゅうしたいんだけどなにすればいいの?」
「そうねぇ…ベルはもう魔素を感じられるみたいだし…適正属性は何かはまだわかってないわよね?」
「うん。しゅごれいのしょうかんしかまだやってないからね。」
今はアイヌとウンヌには俺の中に入ってもらってる。
たぶん神様がいるところだから神様も退屈しないだろう。
「じゃあそこからね。それぞれの魔術を一通り使ってみて。しっくりくるのが適正属性だから。適正属性が分かったらその属性を有効に使えるように考えながら練習するだけよ。」
「わかった。やってみるよ。」
適正属性か。何がいいのかな?やっぱり華のある火属性か?
「ヘレナ、あなたは今日は計算練習よ。頑張りなさい。」
「計算やだー!何やってるかわからないし!」
「計算はやってて損はないわよ。魔術にも関わってるし。」
「え?まじゅつにもけいさんってひつようなの?」
「えぇ。魔術のことや魔素のことはまだあんまりわかってないんだけど、実験の結果で計算とか現象の知識があると魔術が上手く使えるみたいなのよ。」
「へぇ、そうなんだ。」
「だから魔術を上手く使おうと思ったら他のことも勉強しないとダメよ?」
この世界の数学は小学生ぐらいのものまでしかやらないみたいだ。四則演算ができればいい方みたい。
「私は騎士になりたいから魔術使えなくても大丈夫よ!」
「いや、騎士も多少は魔術は使えないとダメよ?」
「えー?!」
俺も社会に出たら使わないからと家庭科とかの授業は蔑ろにしてたな。
「ヘレナねぇまさかたしざんひきざんすらできないの?」
「まさかって何よ?できないに決まってるじゃない。そういうベルはどうなのよ?」
「ベルは掛け算も暗算で出来ちゃうのよね?」
「うん。」
「…え?そうなの?」
「うん。あとでおしえてあげようか?」
「何それ?!悔しい!なんで計算なんかできるのよ?!」
「てんさいだから?」
「…はぁ。弟にバカにされる姉の身を思ってほしいな…。」
まぁ理系大学建築学部志望だったからな。足し算引き算なんてリスニング試験でもいけるわな。
朝食を食べ終わった後、城下町で買った本を持って庭に出る。
…ホント広いよな、この家。
大きな玄関に続く一本道の左右に芝生がある。広さは大体俺が通ってた小学校の校庭ぐらいだ。
斜めに五十メートル一本入るぐらいだ。
家の裏手には森があるが、魔獣が出るから入ってはいけないとママさんに言われた。
そんな場所が家の裏手にあっていいのかは知らないが。
空はよく晴れている。
広葉樹の葉がそよ風に揺れている。
「…スーッ…ハァ…。くうきがおいしいってこういうことをいうんだろうな。」
この世界で三年暮らしたので分かったが、季節は日本と同じで四季揃っているが、梅雨がなく、非常に快適である。その代わり冬に雨が降る印象だ。
地中海性気候とでも言うんだったっけ。
「アイヌ、ウンヌ、きこえるか?」
「はい、如何されましたか、御主人様。」
「いまからまじゅつのれんしゅうをするんだけどきゃっかんてきにみててほしいんだけど。」
「それは外に出てってこと?」
「うん。」
俺はよく剣道の練習試合の時とかにビデオを撮って後から見たりした。
客観的に自分のことを認識できるのはとてもいいことだというのはよく知っている。
まぁまだウンヌたちが見てるものを直に見ることはできないんだけど。
…この前言ってた感覚の共有ができればいけるのかな。
「分かりました。」
…ニュルッ…
「あれ、まだえいしょうしてないんだけど。でてこれるんだ。」
「ワンッ!」
「それじゃあ、おれのてきせいまほうがなにかっていうのをまずしらべるから。よろしく。」
本をめくって詠唱文句が書いてあるページを開く。
「まずはひぞくせいからいくか。」
左手に本、右手のひらを上に向けて開く。
そして魔素を感じる。
…ポチャンッ…
あれから何回か魔素を感じる練習は日常的にやったので割とすぐに感じられるようになった。
…火って言うと有機物の酸化か?C+O2→CO2と2H2+O2→2H2Oだよな。ホモ・エレクトスが初めて火を使ったんだっけか。火って言うと熱いよな。熱運動激しい感じ。
「…で、えいしょうもんくは…」
えーっと…
「ワンッ!」
「うん?なんだアイヌ?」
右手のひらの上に炎が揺らめいていた。
…え、詠唱まだなんだけど。
「おわっ?!ひじゃん。あぶないって!あついから…ってあんまりあつくないな。」
本を置いて左手で火に触れてみる。
「あっつ!?」
普通に熱かった。
「やっぱあぶないな。あせるなおれ、あせるな。しんちょうに。しょうがっこうのりかのじっけんのときのガスバーナーをおもいだすんだ。うえがくうきちょうせつねじで、したがガスちょうせつねじ。あおいほのおになるようにちょうせつして…」
この火が芝生にでも燃え移ったら大変なことになる。
どうやって止めるんだこれ。
「…こんなことならみずバケツでもよういしとくんだった…」
火を止めるイメージでもしてみるか。
元栓をキュッと。
「…ふぅ、とまった。」
アイヌとウンヌが尻尾を振ってる。喜んでいるのだろうか。
頭を撫でる。
「さすが、ごしゅじんさま!初めから無詠唱で魔術を使うなんて!」
「ことばをばいかいにしないとまじゅつってできないんじゃないのか?」
「いえ、実はそういう訳ではないんです。魔術は術者の経験、知恵、知識、想像力に依存するんです。だから詠唱はあまり必要ないというか何というか…」
「たしか人間が魔術を使うときに簡単に想像できるようにするために言葉を使ったり属性を分けたりするって誰かが言ってたような。」
「え、じゃあぞくせいもえいしょうもあるようでないようなもんなの?」
「うん。」
詠唱で魔術を使う、属性があるっていう固定観念があると魔術の形を想像しやすいからってことかな?
「こていかんねんってすげぇ。」
経験と知恵、知識、想像力か。
想像力はそれなりにあると思いたい。図工とか美術は得意だったし。消防車写生会で賞を取ったこともある。小さい頃はブロックでずっと遊んでたし。恐竜とか作ってたな。
知識は物理、化学だな。あとさっきママさんが言っていた数学。
いやぁ、理系で良かった。
「じゃあ、じっしつぞくせいもえいしょうもいらないのか。」
「えぇ。その通りです。が、無詠唱で魔術を使うのは相当な想像力と魔術の経験を乗り越えないとできませんよ。普通なら。」
「まじか。そんなすごいんだ。」
科学は魔術の究極形っていうのを聞いたことがある。
向こうの世界にいたことが相当作用してそう。
まぁ一通りやってみるか。
イメージだけでできるかな。
「…みずといえば…」
H2O。英語でwater。水素H2と酸素O2の共有結合。HとOの電気陰性度の違い、分子が折れ線型だから極性分子。一気圧で沸点100℃、融点0℃。凝固すると体積が増える液体の代表的な存在。水蒸気は産業革命の文字通り鍵となった。昔は万物の根源として見られてたらしい。タレスだっけ?
「お、でてきた。」
水が右の手のひらから少しづつ湧き出ている。
冷たい。体から出てきてるわけではなさそうだ。
飲んでみる。
「…すいどうすいっぽくもてんねんすいっぽくもない。でもまずくはないな。あったかくとかできるかな。」
分子を振動させて、熱運動を促す。
そんなイメージ。
「…あったかくなってきた。というかあつい!」
…蛇口を捻るイメージ。キュッと。
止まった。
「こんなかんじか。おし、つぎいこう。」
次は土かな。
土っていうか石の主成分は酸化ケイ素SiO2だっけ?確か土の中にはボツリヌス菌っていうやばい奴がいて、1gで100万人殺せたはずだ。確か蜂蜜にも…ってそれは土じゃない。
土ってなんだ?酸化アルミニウムとか入ってなかったっけ?あとは砂鉄とか水はもちろん、カルシウムとかミネラル系も入ってるよな。そういえば土と粘土の違いってなんだろう。…粒子の大きさか?泥に水が加わって粘土になるのかな。そういえば粘土に植物がなってるの見たことないな。なんでだ?
「…うーん…はつどうしないな。こう、あしもとがりゅうきしてほしいんだけど。」
…モコモコ…
「お、なった。さすがおれ。」
蟻塚のように地面が盛り上がる。
体に倦怠感が出てきた。
「…そろそろやすまないとまたたおれるんじゃね?」
「ワン!」
「ふぅ。」
地面を一応戻しておく。
後片付けはしっかりと。
ウンヌが頭を擦り付けてくる。
アイヌは庭で駆け回ってる。何か虫を追いかけてるみたいだ。
「まじゅつってつかれるな。」
「御主人様の魔術の行使には無駄がまだ多いので魔素の消費も速いのです。」
「そうなのか。」
「それに我々も召喚しながらですから尚のこと。」
「そういえばおまえらのしょうかん、きのうはいっかいでだるくなったけどきょうはならないな。」
「守護霊の召喚は初めの一回が一番魔素を消費します。その後は召喚者の中から出てくるだけなので消費は少ないはずです。」
青空を見上げ自分の体の小ささを相対的に感じながらウンヌの話を聞いている。
都会ではどこで見上げても電柱や高層ビルが押し込んでくる。
ここはある意味で何もなく、視界には空の青しか入らない。
芝生の上でこうするのは気持ちがいい。
いろいろ考えなくていい。
ウトウトしてしまう。
「ベル坊ちゃん、大丈夫か?」
ボーっと寝そべってたら夕方になった。
時間が経つのは早い。
空は青から黄、オレンジや紫と移り変わっていた。
「うん。ボーっとしてるだけだよ。」
「さいですか。」
アイヌもいつの間にか隣で寝ている。
こいつらにも睡眠は必要なのだろうか。
「そろそろ夕食の時間なので戻って下さい。」
「ほーい。そういえばアイヌとウンヌはごはんいらないのか?」
頭を撫でながら聞いてみる。
「いらないけど美味しいものは食べたいな!」
「そうなのか。じゃあいっしょにたべるか。」
「わーい!」
「ベル坊ちゃんはその子たちと話せるんですか?」
「うん。あたまをなでるとね。」
「そうなんですか?私にはワンワンとしか聞こえないのですが。」
とアイヌたちの頭を撫でながら言う。
「いぬってパンたべていいのかな?」
夕食はパンに豆のスープ、鶏肉のトマト煮だった。
アイヌたちには焼いた鶏肉だけを食わせた。
ウンヌも久しぶりの食事に尻尾を振ってた。
そして今、俺は風呂場で湯船ができないか考えている。
「…うーん…みずをちゅうにうかせられたらそこにはいればいいんだけど…」
何も支えなしに物体が宙に浮くなんてありえない。
どうすれば良いんだ?
「ぶんしいっこいっこにさようはんさようをいしきしてみたり?」
まず、水を出す。
手で大きなスイカを撫でるようにしながら、なおかつ下から支えるようなイメージで…
「…こいっ!」
…ポヨンッ…
「きたー!」
…バシャッ。
「あっ。」
一瞬水の玉が浮いたが気を抜いた瞬間崩れた。
「むりかなぁ…しかたない。きょうはあきらめよう。」
あったかいお湯を手から出して、体を洗う。
この世界にも石鹸はあるようで。
ちょっとしょんぼりとしつつ、風呂場を後にした。
ベッドの上で昼の続きをする。
「アイヌ、ウンヌー。」
…ニョロッ…
「ひるまのつづきやるよ。」
ウンヌがコクっとうなずく。
後やってないのは風、闇、光だ。
「…かぜやってみるか。」
風って温度差による気圧差でできるもんだろ?
あとは何か物が動いた時にできる。扇子を仰いだらできる風だ。これは魔術じゃないよな。
ってことは、熱の差を生み出す。
あったかい空気は熱運動が相対的に活発になるから体積が増えて密度が小さくなる。
逆に冷たい空気は密度が大きい。
密度が小さい空気は上昇気流になって、そこに周りの空気がなだれ込む感じに風ができると。
「…こんなかんじに…」
…フワァ…
「ちょっとよわいし、あついな。」
魔素で押してみたらどうだろう。
酸素やら二酸化炭素やらアルゴンやらを直接押す感じ。
「お、できた。すずしいなこれ。」
扇風機の弱ぐらいの感じだ。
風呂上がりには最適。
あとは闇と光か。イメージしにくいな。特に闇。
魔術書には闇は目くらまし、光は灯って書いてあるってセバスチャンは言ってたな。
目くらましは相手がいないとダメか?
…いや自分にやってみるか。
「てかやみってなんだ?」
光の粒子?波?をブレさせる感じか?
魔素でこう、波長をランダムにする的な?
…粒子だと思った方がイメージしやすいな。
「…うわ、みえなくなった。」
試しに右目だけやってみた。
自分の左手が見えなくなった。
…怖いな。
偏頭痛で吐く時みたいな感じだ。
閃輝暗点って言うんだっけ?
俺は結構な回数それで吐いた。吐き慣れた。
何回か鼻に逆流したけど。
その時の顔色から"蒼白の山"って一週間ぐらい呼ばれたことがある。
気持ち悪いから早く止めよう。
「…ふぅ。やみはつかわないほうしんで。」
次は光か。
…どう想像したらいいんだ?
「…うーん、わからん。」
そもそも何もないところから光が出るっていうのがどういう理屈なのかわからない。
ファンタジーだって割り切って考えればいいのだろうか。
「…セバスチャンにきいてみようかな。いや、めんどくさいからいいか。」
俺の悪い癖である。
自分でできなさそうなものはめんどくさいの一言で終わらせる。
まぁ、完璧な人なんていないし。
そんなもんでいいんだよな。
時にはいい加減っていうのもいい時があるし。
いい加減は良い加減ってな。
…眠いから寝よう。
「じゃあ、アイヌ、ウンヌ、おれはねるから。きょうはかみさまのところにはいかないからおまえたちがいってあげて。」
「ワン!」
…ニュルッ…
ふぅ。
今日は疲れた。
明日は何をしよう。
魔術の練習かな、やっぱり。
思ったより魔術は簡単みたいだ。
とても使い勝手がいい。
水や火はゼロからできたけど、土や光はできなかったな。
想像しにくいからかな。これも一種の固定観念だよな。科学的にありえないってどこか思ってしまう。
知識として知ってても何か分からないとかもあるし。
…まぁ気楽にいこうぜ。異世界に来たんだからな。
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「なぁ貴志、なんでタナカがあいつのこと殴ったと思う?」
「日本人じゃないからじゃない?ヒトってちょっとでも外見なり喋り方なりが違うといじめて排斥したがるもんだし。」
「…俺たち、いじめの傍観者なんだな。」
「…そうだな。」
「ただいま。」
「…おかえり。洗濯物取り込んどいて。」
「…はい、はい。」