名前はまだない。
「セバスチャンはずっとここにいたの?」
「えぇ、馬車の管理をしなくてはならないですからな。」
「そっか、いちおうしつじだもんな。」
「一応とはなんですか、一応とは。」
馬車までたどり着いたが、ママさんたちはまだだったのでパパさんはママさんたちを迎えに行った。
俺は歩き疲れただろうからと残らさせられた。
確かに足が痛い。
なのでこうしてセバスチャンと雑談してる。
「そうだ。おとうさんにこれかってもらったんだ。まじゅつのほんだって。」
「ベル坊ちゃんは魔術に興味があるのか。」
セバスチャンは執事という身分だからいつも敬語だが、時々タメ語になる。
まあ、そのほうが話しやすいからいいんだけど。
「セバスチャンはまじゅつとくいだよね。いつもそうじとかでつかってるし。」
「えぇ、母親に教わりましたからな。魔術は出来ると暮らしを楽にできるし、おもしろい。それなりに努力は必要ですが。」
「そうなのか。そんなにぱっとできるもんじゃないんだね。」
「えぇ、魔術を使うには物事の原理原則をそれなりに知っておかなければなりませんからな。物は高いところから低いところへ落ちるとか、大地は丸いとか。」
「え、だいちってたいらなんじゃないの?」
「そういうひともいますね。ですが、大地は平らではないです。その証拠に西にずっと旅をすると同じ国に戻ってこれます。」
「へー、そうなんだ。」
辞書には世界は平らであると書いてあったから世界平面説が一般常識なのかと思ってたが、セバスチャンは少数派か。
家に帰ってからゆっくり読もうと思ったけど、気になるので読んでみることにした。
表紙には"魔術新書"と書かれている。
作者はアブドラーマン・ボールドウィン。
…魔術とは神からの偉大な贈り物である…したがって…悪用したものには厳しい罰が課せられる…
魔術は悪用厳禁ってことか?
「セバスチャン、まじゅつをあくようしたらどうなるの?」
「そりゃあ、罪に問われますよ。さらに神からも嫌われると言われていますよ。」
別に即死刑とかではないのか。
…魔術には…火、水…土、風…闇…そして光の六属性がある…これらを組み合わせて…守護霊の…召喚や…身体の…強化…bdhjl…crsn…ができる…
俺の語彙力だとところどころ読めない。
家に帰ったら調べてみよう。
まぁ属性があるってことだな。
守護霊いいな。
…我々は…魔術の素…を…魔術として…利用する…
魔術の素ってなんだ?
「セバスチャン、このまじゅつのもとってなに?」
「それはまだ解明されてないんですよ。まぁ空気みたいなものだと思ってればいいんじゃないですかな。魔素って呼ばれてるぜ。」
空気みたいなものか。
…魔素を…そのまま使うのは…難しく…長年魔術に関わって…やっと…ロウソクに…火を灯せるほどに…しかつかえない……そのため…私たちの…内側に溜まった魔素を…放出する…ようにして…使う…
"私たちの内側"ねぇ…
丹田とか意識してみたら感じるかな…
うーん…わからん。
合気道の準備運動の時にやってた"魂振り"とかどうだろう…
肩幅に足開いて立って、肩を力ませてから…ストンとおとす。
で、へその前で右手を下、左手を上で手のひらを合わせて組む。
目を閉じる。
そしてそのまま手を上下に少し振る。
何も考えずにリラックスして、深呼吸しながら。
…スゥー…ふぅ…スゥー…ふぅ…
…ポチャンッ…ポチャンッ…
おっ、なんだこれ。これが魔素か?
なんか心地いい。
眠れそう…
「…ベル坊ちゃん、すげぇな。」
「…え、なにが?」
「もう魔素は操れてるぞ。ベル坊ちゃんの体の中で蠢いてる。」
「え、わかるの?」
「そりゃそうさ。こちとら何年も魔術使って仕事してるんだぜ?」
…基本的に…魔術には…適性がある…中には…一人で複数の属性を…操る者もいる…どれほどの偏りがあるかは…人それぞれ違うが…水に適性があっても…オイルランプに…火を灯すほどなら…できる…適性は…魔術を使うことで…分かる…
なるほど、習うより慣れろって感じか。
で、具体的には…
…魔術は…発声や…筆跡を…通して…魔素を…放出する…最低でも…媒介にする…文字があれば…魔術は発動する…それに加えて…想像を…することも…重要な要素の…一つである…発声は…次の…順序で…行う…"属性""被魔術物""程度"…
声か筆跡、つまり言語を媒体にして発動するのか。
なんの言語でもいいのかな。
「セバスチャン、まじゅつつかうときのげんごってなんでもいいの?」
「…多分なんでもいいとおもいますよ。自分が慣れてるやつで。一般的にはマージ語っていう亜人語の一種が使われてるけどな。」
確かにところどころ見たことのない文字がある。
これがマージ語か。
「セバスチャン、この表なんて書いてあるの?」
「あぁ、それは基本的な六大属性の詠唱文句だな。火は"聖なる炎よかの樹木を燃やし尽くせ"、水は"根源たる水よかの地に潤いを与えよ"、土は"母なる大地よ我が足下に石柱を立てよ"、風は"神の悪戯よ我のこの身にそよ風を"、闇は"神に仇す力よかの者の目に暗闇を"、光は"深愛なる神よ我が手元に微かな光を"だな。それぞれ放火、地面を湿らせる、足場をつくる、そよ風をつくる、目眩し、灯だな。…この詠唱文句の順序が決まってるってのは初めて聞いたな。そうなのか。しかもある程度自由に詠唱文句を変えられるってのもな。」
「セバスチャンがしらないこともかいてあるのか。セバスチャンはしゅごれいとかだせるの?」
「それは魔術の学校行ってるエリートが出来るようなもんじゃねぇか?少なくとも俺は出せねえ。」
まじかぁ。簡単なもんじゃないのか。
…いや、やってみよう。もしかしたら俺、天才エリートかもしれないし。
守護霊の出し方は…お、これか。
…守護霊の力は…使用者の知識と…魔素の量に…比例する…守護霊の…姿形は…その者の…心の豊かさに…依存する…
ほう。知識ね。
心の豊かさって想像力ってこと?
モノ作るの好きだし。
小学校の頃の消防車写生会で賞取ったことあるし。
美術の先生にもなんだかんだで一目置かれてたし。
「セバスチャン、これなんてかいてある?」
「…"親愛なる霊よ我が心身を護りたまえ"かな。本当に守護霊出せるのか。この本なにもんだ?」
…やってみるか。
いや、姿形をまず想像してからにしよう。
守護霊…守護…守る…守…家守…
ヤモリはやだなぁ。きもいし。
犬とかいいな。
守るねぇ…
狛犬って神社を守る奴らだったよな。
元はライオンらしいけど。
ネコ科なのに犬か。
そういえば沖縄のあれ…シークワーサーじゃなくて…
シーサー。
狛犬とシーサーって似てるけど違いあるのかな。
色は違うよな。灰色とオレンジ色。
どっちかっていうと灰色が好きだから狛犬にするか。
…でも狛犬って神社守るんだよな。
俺は人だけど大丈夫か?
あ、俺が神社になればいいんじゃね?
うん。そうしよう。
俺は神社。俺は神社。俺は神社。
俺はじんじゃ。俺はじんじゃ。俺はじんじゃ。
おれはジンジャー。おれはジンジャー。おれはジンジャー。
I am a ginger.
いやそれは違う。
俺は神社。首に鳥居を掛けて、狛犬と遊ぶんだ。
…よし。いくぞ。
さっきと同じ要領で魔素を感じる。
…目を閉じて…
…ポチャンッ…ポチャンッ…
で、詠唱。
「"親愛なる霊よ、我が心身を護りたまえ。"」
「ん?ベル坊ちゃん、何語だ?」
狛犬狛犬狛犬狛犬…俺神社俺神社俺神社俺神社…
あ、阿と吽どっちにしよう…えぇい、どっちもだ!
…ぺろぺろ…ぺろぺろ…
俺は目を開けた。
そこには俺の手を舐めている一組の白い犬がいた。
「…やった、成功した。」
「…え、ベル坊ちゃん、それってどういう…おい、どうした?!」
…トスッ
俺は倒れた。
————————————————————————
「…おーい、おきろよー。」
「…。」
「…ワンッ!」
…ぺろっ。
「…うわっ。なんだ?!」
「あ、おきた。おはよー。」
大きな水たまりのような地面に朱い空が広がっている。蜩の鳴き声がどこか聞こえる気がする。
地面は触れた感じは水だが不思議と濡れていない。
鏡のように空をうつしこんでいる。
「おーい、どうしたの?」
「…お前、だれだ?」
白い髪に白い肌。
黒い浴衣を着ている。
幼く、その体はまだランドセルに隠れてしまうだろう。
瞳は青い。
…深く青い。吸い込まれそうだ。
「ぼくはオオガミってよばれてるかみさまだよ。」
「…。」
神様、ですか。
「…まだ幼そうだ。そういう遊びだな。」
「ほんとだよ!かみさまだよ!」
「はいはい、そうだね。神様だね。」
「あー!ぜったいしんじてないいいかただ!」
「で、きみの名前はなんだい?」
「なまえは…ないよ。」
「え?」
「ぼくはオオガミ。ただそれだけ。」
事物には何かしら名前がある。それは人が認識をし、モノとモノを識別するためにだ。
また、言霊思想というものもあり名前という概念には
たくさんの意味が込められている。
特に人名とは他人と自分を区別するもの、命名者が他と区別して大切にしたいと願いつけるもの。
それがこの少年はないと言う。
「…お父さん、お母さんは?」
「わかんない。」
「誰か知ってる人はいないの?」
「ずっとひとりだよ。」
「生まれてから?」
「…うん。」
ずっとひとり。
それはつらい。
俺は幼稚園生の頃からずっとゲームが好きだったがその頃は家に引きこもって友達は一切いなかった。
母親が家から引っ張りださなかったら今頃もう生きていなかっただろう。
ゲームをクリアした喜びを誰かに話したいのに親は仕事でいないし、友達もいない。
あのえも言われない虚無感。苦痛。
一人はつらい。
「あ、でもこのこたちはずっといっしょだよ。」
と、俺がセバスチャンの目の前で召喚した白い犬二匹を指差す。
犬というより狼か?
「…そうか。で、なんで神様なんかが俺の心の中にいるんだ?」
…ちょっと遊んでやるか。
「え、だってきみはじんじゃなんでしょ?かみさまがいたっておかしくないじゃん。」
「え?なんでそれ知ってるんだ?」
「だってかみさまだもん。」
…まさか本当に神様なのか?
いや、ないない。きっと夢だな。夢は俺の記憶から構成されるはずだからそういうことだろう。
「それに…きみのこころはへんだからさ。からだとこころでべつのひとみたいだ。こころはくろいもやがかかってるところもあるし。」
…まじで神様なのか?
「そうだよ!かみさまだよ!しんじてよ!」
「…心まで読めるのか。じゃあ何か神様だって証明できるものある?」
「かみさまはなんでもしってるってことでどう?」
「なんでもか。じゃあ、俺の…本当の名前は?」
「えっとね…"こやまたかし"。あってる?」
「…まじか。あってる。」
「やった!これでしんじてくれる?」
「…いや、まだ俺の夢って可能性があるからな。」
「えー?」
「俺の知らないことでお前が知ってることを教えてほしい。俺の記憶にないことを。」
「うーん…きみのいまいるせかいのおかあさんのとしはひゃくさいこえてるっていうのはどうかな?」
「…まじで?って確認のしようがない。どうすればいいんだ?」
「またもどってかくにんしてくればいいじゃん。」
ふと暗い顔をした人影が目に入った。
「…あいつはなんだ?」
「あのひともきみだよ。」
「え?俺ってあんなに暗い顔してるのか?」
「うぅん、してないよ。こころにしかあっちのきみはいないよ。」
「なんか精神病んでるってことか。」
俺が召喚した犬も嫌な目つきで睨んでいる。
「そういえば俺ってこの二匹を召喚して倒れたんだっけ…俺って死んだりしてないよな?」
「しんでないよ、たぶんこのこたちをしょうかんしてまそつかいすぎちゃってたおれただけ。だからそろそろもどれるとおもうよ。」
「さすが神様。なんでも知ってる。」
「フフッ、やっとみとめてもらえた?」
「いや帰ってママさんに歳を確認しないと。」
「…またきてくれるよね?」
ふと少年の表情が曇った。
…やっぱり寂しいのだろうか。
「…別にいいけど、どうやって来ればいいんだ?また意識を失うようなことしなきゃいけないのか?」
「やった!きてくれるんだね!たぶんねるときにこのばしょのことをかんがえながらねてくれればこれるとおもうよ!」
とても嬉しそうだ。
「わかったよ。じゃぁ、今日の夜またくるか。」
「うん!またおしゃべりしよう!」
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…ガチャ…ガチャガチャ…
気がつくと馬車の中で心配そうな顔をしたヘレナに顔を覗かれていた。
「あ!起きたよ!ベル起きた!もう!心配したんだからね?私の誕生日に倒れるなんて!何考えてるのよ!」
「おう!ベル何しやがったんだ?エイメンが慌てふためいてたぜ?」
「ベル!危ないことはしちゃダメでしょ!」
「…ごめんなさい、ヘレナねえ。それにおとうさん、おかあさん。」
ヘレナは泣きそうな顔をしている。
え、泣くなよ。心配掛けたのは悪いけど。
女の子を泣かせるのは罪悪感が…
「あ、なかないでくださいよ、ヘレナねぇ?きょうはあなたのたんじょうびですよ?」
「…泣いてなんか…ヒグッ…いないわよ…」
あー…どうすればいいんだ?
「…ヘレナねぇ、びじんがだいなしですよ。ほらこれをつかってください。」
とりあえずハンカチを渡しておこう。うん。
「…敬語…や…なさいよ…ヒグッ…」
「え?」
「…敬語やめてくれなきゃ許さないから…」
「なんでそんなことにこだわってるんですか?」
「…だって仲良くしたいのに距離を置かれてるような気がするんだもん…スンッ…」
…そうなのか?
「やめたらなきやんでくれますか?」
「…うん。」
「わかりまし…わかったよ、ヘレナねぇ。」
「なんなら私たちにも敬語は使うの禁止ね、ベル?」
「おう!そりゃあいいな、ソフィア。」
「…わかったよ、おかあさん、おとうさん。」
何故かは分からないがこっちの世界に来てからセバスチャンにしかタメ口を使ってない。
確かに心の何処かで距離を置いていたのかもしれない。
…でも敬語ってそんな風に感じるんだな。
「…はい、ハンカチ。ありがと。」
「ヘレナねぇ、あめのあとにはにじがかかるんだよ。」
「ふふっ、何言ってるのか分からないわよ?」
よかった。機嫌なおったみたい。
そうして帰路に着いた。
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「小山、お前、本当に退部するのか?」
「…はい。します。勉強があるので。」
「人生ってのは勉強だけじゃないぞ。先生は部活でそういうところを学んでほしいんだが。」
「大学では遊びたいです。でも今は…」
…ドンッ!…パシンッ!…
「ヤァー!」
「メーンッ!」
「俺、これでいいのかなぁ…」
「ただいま…」
…しーん…
「母さん、まだかな。お腹空いたんだけど。」