春歌
春の歌とはどういうものだろうか。
ここミューシィ国の春はどうやら特別らしい。世間一般の春とは厳しい冬を乗り越えたその先にある暖かい季節という事らしいが、リューシア女王の庇護を受けたこのミューシィ国では年中温暖な気候という恩恵を享受している。それだけ、この国が豊かで幸せな証拠だと周りの大人たちは口をそろえて言うが、ハーノイにその事がどうしても納得いかなかった。
ハーノイ・リウス14歳。身長は130cm前半と同年代の女の子に比べるとかなり小柄だ。淡い色のお洒落に重ね、その下には体にぴったりフィットしたホットパンツを着用している。体は線は細身だが、これからの成長を予感させる肉付きをし、何より跳ね回るたびにふわふわと動く薄桃色の髪の毛がこの国を象徴していると周りの評判である。その性格はお転婆の一言。日没まで山野を駆け回り、年上の男の子さえ打ち負かし、興味があるものには一目散に飛びつくところはどうも「普通」の女の子とは違うようだ。そんな彼女が春の歌とはどんなものか?と考えたらやることは一つ、春の歌を確かめる、この言った句のみである。即断即決、行動あるのみ、良く言えば潔し、悪く言えば無謀な行動である。
「寒い!!」
ミューシィ国を出たハーノイは思わず声を出してしまった。それもそのはず季節は2月、いまだ極寒の吹雪が吹き荒ぶ中、ミューシィ国内と同じ格好で外を出歩くという事自体が間違っているのだが、経験のないハーノイにはそれがわからなかった。目の前に広がる森は暗い影を落とし、吹雪は命そのものを拒絶していた。
(これじゃあ、まだ歌を聴けるのはさすがに無理ねぇ。)
心の中でそう呟き、結局はじめての春歌を求める旅はわずか数分でその幕を閉じる事になった。ちなみに、その事がばれて大目玉を食らったのはまた別の話である。
その日からハーノイの行動は一変する。時間があれば図書館に篭り、様々な事を勉強した。お転婆少女から文学少女へと見事な転職を果たしたハーノイに様々な噂が立ったが、結局は一度国外に出て落ち着いたという意見に着陸した。しかし、その一方で実は密かに図書館の抜け道から国外逃亡を繰り返している事を本人以外は知らなかった。ちなみに、この転職で喜んだ男子が8割、悲しんだ男子が2割といわれている。
3月、年中温暖なミューシィ国でも若干の温かさが見増す季節に入り、ハーノイはふと空気が変わったことを感じ取った。
(来る。)
直感、目に見えるものではない何かがハーノイの周りを取り囲みその時を告げていた。大急ぎでいつも抜け道を潜り、国外へと抜ける。あれほど吹き荒んでいた吹雪は収まり、辺りは静寂に包まれていた。不気味に林立していた森は様相を豊かな生産者と姿を変える準備をしていた。
何かが居る、そして何かが来る。国内で感じ取った僅かな感覚は今、確かなものとしてハーノイの中に宿る。
刹那、ふわりと暖かい風がハーノイの頬を撫で、やわらかい光がハーノイを包む。
(ああ、これが春の歌なんだなぁ。)
ハーノイはいつまでもいつまでもその光と風が奏でるハーモニーの中、ただ立ち尽くしていた。