第一話
失敗した。まさかこんなことになるなんて。
ちょっと食い物を失敬してすぐに立ち去るつもりだった。奴等がいない隙に食えるだけ食って帰るだけだったのに………
「チクショー、さすがに三日ぶりの飯はうまかった」
男は久々に食べた料理に舌鼓を打つうちに盗み食いをしていたところを店の者に見つかってしまった。すぐに逃げようとしたのだが、如何せん押し込みすぎた食べ物は当然喉につっかえスタートを遅らせてしまったのだ。さらに男は痩せた身体では満足に走ることができなかった。
「待てこそ泥が!なんて事しやがる。あれはうちの最上級のディナーなんだぞ。料理長に怒られる前に、せめてお前を調理してやる」
店のシェフが鉈を持って追いかけてくるのが見える。流石にあれで一刀両断されて調理されるのは御免であった。
「捕まってたまるか、俺は行かなきゃならないところがあんだ………よっと」
ひょいっと突き出ていた木の根を飛び越えて森の中に入っていく。そこは深い森ではあったが男には逃げ場所としては絶好の駆け込み場であった。だがそれでも男しか見えていないシェフは追いかけてくる。
「ひぇ〜まだくるのかこうなりゃやってみるしかない」
男はいつまでたっても追いかけてくるシェフに覚悟を決めたのか少し開けたところにくると急停止し、両手を掲げた。
「―――我、契約せし者、我に従えし者よ我を導け!」
ぷすっ
気の抜けたような音がしたかと思うと、しゅるりと一筋の煙が現れた。煙はしばら男の頭上に揺らめいていたが、ひゅっと音がしたかと思うと微風が吹き、煙は無残にかき消されてしまった。
「やっぱ無理ーっ」
男はまたシェフから逃げ出し森の中を駆け出し始める。
その際、すぐ横に光るものを見つけた。どうやら音と風の正体はこれだったらしい。
危ねぇ………
背中に冷やりとしたものが走った。あと数センチで鉈が身体に突き刺さっていただろう。煙のおかげで目測を誤ったらしい。
シェフとまた恐怖の鬼ごっこが始まった。シェフは鉈を拾わず真っ直ぐに男に向かってくる。
その顔は鬼の形相のように目が血走っており、よほど料理を食べられたことが頭にきたらしかった。
「あれは…セラフィ王女に献上するために作っていたのに………おのれぇ」
そうか王女に出す物だったのか………
男は己の失敗に舌打ちした。そして運の無さを呪った。
くそっ…食べていなかったら目的の人物に近づけたのに、なんてこった。
男は走りながら食べていなかった場合のことをつらつらと考え込んでいた。それゆえ気がつかなかったのだ。後ろから何も追いかけてこないことに。
ん………撒いたか?
くるりと走りながら後ろを振り返る。後ろには何も来ていない。
よかった、いない。
ほっとした男は足を止めほっと一息ついた。だが、
「ギュッ………!?」
男を見失ったシェフが最後の攻撃とばかりに放った棒切れが男にヒットした。
空はすでに深い闇色で森の中では視界も効かない。そんな中で腹の虫の収まらなかったシェフは男を見失った腹いせに近くにあった棒を投げつけたのだった。
そして不運な男はその攻撃に見事当たり地面に倒れ伏したのだった。