雨の日に唄えば
今回は短いです。
今日は朝からしとしと雨が降り続いていた。
「嫌な天気ですねぇ。洗濯物も乾きませんし」
レディは部屋の一角に部屋干し用の棒を据え付けながら窓の外を見た。
どんよりとした雨雲が空一面を覆っており、晴れる様子はない。新聞に小さく載っている天気予報も今日は1日雨模様だと言っている。
「降らなければ降らないでまた問題だがな」
今日は一応診療院を開くものの、客足はほとんどないだろう。
「……ドクター、なにか温まるものでも作りましょうか? あったかい紅茶なんかどうです?」
「そうだな、貰おうか。後で1階に持ってきてくれるか? 俺は先に下で開院の準備をしている」
ジェームズは新聞をたたむと立ち上がり、傍らに置いていた杖をついて1階の診療院へと降りていった。
戦場で負った足の怪我は、普段の生活に支障のない程度に回復しているものの、天気の悪い日には鈍痛がジェームズを襲う。
いつもは添えられているだけの杖も、今日はそれをよすがに歩くしかない。
自分の思い通りに動かない体に舌打ちをしたくなる。
雨は、嫌いだ。
砂埃を含んだ泥水がぬかるんだ地面を流れて、濡れた服は患者の体温を奪っていく。
すえた臭いを含んだじっとりした空気は、死の臭いのようで、ジェームズの脳裏に今でもこびりついている。
「どうして俺は、生き残ってしまったんだろうな」
窓に打ち付ける雨粒を見ながらぼんやりと考える。
どうにも、雨の日は思考が下向きになってしまっていけない。
「ドクター! いいものがありましたよ~!」
その時、陰鬱な空気を切り裂くように、ぱたぱたと住居の2階から降りてきたレディの元気な声が聞こえてきて、良くも悪くもすべて吹っ飛んでしまった。
「淑女が足音を立てて走るものではない」
「はいはいそーですね、はいドクターまずはお紅茶です」
「話を聞く気が無いだろう」
「それでですね、いいものはこれです」
レディが取り出したのは、ブリキの色鮮やかな缶だった。
缶の表面に描かれているのはおもちゃの兵隊に、踊り子、木馬……ジェームズの記憶が正しければ、これは帝都で有名な菓子屋のクッキー缶だ。
レディはむふふと奇妙に笑いながら缶のふたを開けた。
「じゃじゃーん! ジンジャークッキーですよ~!」
「……この時期にか?」
ジンジャークッキーと言えば生誕祭の食べ物で、主に冬季に作られるものだが、今は秋。
こんな時期に売っていただろうかと首を傾げた。
「収穫祭が近いからですよ。3日前にガトーショコラ食べたでしょ? そのお店で一緒に買ってたの忘れてました」
「ふむ……」
確かに生姜は体を温める定番の食べ物で、クッキーになっていることで紅茶との相性も間違いない。
ジェームズは缶の中から一枚取り出して、さくり、と前歯に挟んで折った。
ふわりと生姜の香りが鼻を抜け、後からバターの香ばしさと、じわりとしみるような甘さの生地が舌の上で溶ける。
「うん、美味いな」
「よかった! ドクターどのくらい食べます?」
「いや、先ほど朝食を食べたばかりだから、今はこれでいい。今日の休憩時間にまた出してくれ」
「わかりました!」
レディはクッキー缶のふたを閉めると、くるくると踊るように2階へと駆け上がっていった。
「まるで踊り子だな」
先程の缶の柄を思い出して、そんなことを呟いてしまう。
そう言えば、片足のおもちゃの兵隊と、紙の踊り子の童話があった気がする。
結末はどうだったか……覚えていないが、ハッピーエンドではなかった気がする。
鉛のように重たい体を引きずって、しかし心はどこか軽やかに、ジェームズは開院のための準備を始めた。