魔法使いの弟子(募集中)
緩くうねった銀の髪に色気を含んで細められた紫紺の瞳。
節ばった白い指は宙に浮かんだ青い光の歯車をくるくる回したかと思うと、周りをぐるりと指先から紡がれた魔力の光で囲った。青い歯車は瞬く間に小さくなり、目の前に置かれた箱の中にある小さな水晶へと張り付いた。
青い光が幾度か点滅すると、箱からカタカタと小さな稼働音が鳴り、開いた扉からふわりと冷気が漂い始めた。
自分の作った保冷庫のできに満足したのか、男はにんまりと薄い唇をゆがめると、腕を組んで革張りの椅子の背もたれにぐっと寄りかかった。
その時、部屋の扉をコンコンと叩く者が現れた。
「入っていいぞ」
「ジェームズだ。レナード、頼んだものはできて……汚いな!? お前、また弟子が逃げたのか?」
ガラクタのような様々な道具が部屋の隅にいくに従って積み重なっている整理のできていない部屋の中心、夜色のローブをまとった冴え冴えするような美形は心外だとでも言いたげに柳眉をついとひそめた。
「逃げたんじゃない。出ていったんだ」
「同じことだ」
はぁ、とため息をつくジェームズは、目の前の男――名前をレナードという――にチェックの布をかけられたバスケットを差し出した。
「差し入れだ。どうせ飯もロクに食っていないんだろう」
「助かる……その匂いはアップルパイだな、俺の好物だ」
「うちのレディ……えっと、助手が作ったものだ。アップルパイだけじゃなくてサンドイッチも入っているからちゃんと食べろよ」
レナードは表情に出さないままうきうきすると(ジェームズは付き合いが長いのでうきうきしていることがわかった)機敏な動作で散らかった机の上のものを押しのけてスペースを作ると、ティーカップとポットを用意して茶を淹れた。オレンジペコのいい香りがすぐに漂い、ジェームズは感心したようにその様子を見て向かいの椅子に腰かけた。
「幾らでも魔法で茶を淹れられるだろうに、ちゃんと自分の手で淹れるんだな」
「魔法でやってもみたんだが、どうしても味気なくなる。それより早くアップルパイを出せ。シナモンの匂いがしないアップルパイは久々だ」
すん、と鼻を鳴らすレナードに呆れながらも、アップルパイとサンドイッチをバスケットから取り出した。
類は友を呼ぶとでもいうのだろうか、レナードはサンドイッチに目もくれずにアップルパイを引き寄せると、どこからか取り出したナイフでホールごと入っていたそれを半分にして、自分の皿に取り分けた。
「どうせお前も昼飯まだなんだろ。半分やる」
「どうして貰った方が尊大なんだ」
文句を言いつつ、レナードの性格を知っていたため、諦めてアップルパイを自分の方に引き寄せた。
サンドイッチも半分に分けると、レナードの皿に無理やり押し込んで、自分も半分を口に運んだ。中身はスモークチキンと玉子、トマトとレタスを挟んだものの二種類だった。
「なんだ? アップルパイいらないのか?」
にやりと笑いアップルパイに手を伸ばすレナードは、わかっていて言っているのだから非常に性質が悪い。
「俺は好物を最後に食べるんだよ」
ジェームズはそう言って、サンドイッチをもう一つ口にした。
うん、レディのご飯は今日も美味い。
レナードは王宮お抱えの魔法使いで、魔法で動く機械を作ることを得意としている。
銀の髪と紫紺の瞳は見た人にクールで知的な印象を与える絶世の美人だが、無口無表情がデフォルトのため、非常に顔が怖い。美形の無表情は人形のようで不気味ささえ感じる。そしてついた別名が『人形王子』
しかし本人はそれを聞いて10分以上笑い続けるような性格なので、どちらが良いとは言えないが、遠巻きにきゃらきゃらと騒いでいる女性達が知れば、色々と夢が壊れるだろう。
ジェームズとは彼が王宮に戻ってからの付き合いで、職務上様々な機械の修理や新調を依頼することが多かったため、自然とよく話すようになっていった。
甘味好きという共通点もあり、ジェームズは新しい菓子を見つけたら手土産にしてよく訪れていた。
さて、美形で優秀な魔法使いであるレナードには、多少冷たそうな外見でもそれはそれは弟子希望者が殺到していた。
しかしレナードも忙しく、そんなに多くは面倒を見きれないので、弟子は一人と決めていた。決めていた……のだが……。
「どうして2年で5人も弟子が辞めるのか……」
「それは違う、1年で4人辞めて、5人目は1年経って辞めた。辞めた理由も一人目は俺に会いたかっただけの魔法素人だったからで、精査した二人目三人目は自分の実力に限界を感じたとか言って辞めたし、四人目は筋が良かったが魔石狂いで良質な魔石の産地に永住決めて、五人目は育てがいのある天才肌だったが真実の愛を見つけたと言って先日飛び出していった」
「碌でも無いのしかいないな」
「面白いだろう」
「それは置いといて、弟子が片付けてくれないのなら少しは自分で片付ける努力をしなさい。なんだこの部屋は」
ジェームズは呆れた様子で部屋の中を見渡した。
彼がよく訪れていた数ヶ月前までは綺麗に整えられていた部屋も、片付ける人間がいないせいでものがごちゃごちゃと溢れかえっている。
弟子がいない期間のレナードの部屋は概ねこのような状態である。
「片付けられないのなら早く新しい弟子を探してもらえ」
「ジェームズ、わかっていると思うが、弟子は俺の部屋を片付ける魔道具じゃない」
「お前の態度を見てると、似たようなものにしか見えないけどな……うまいなこのアップルパイ」
シナモンが入っていない代わりに、バニラビーンズのたっぷり入ったカスタードがりんごのフィリングを包むようにふんだんに使われている。レディの好みか丁度シナモンを切らしていたかは定かでないが、甘党にとってはこのアップルパイも非常に好ましいものである。レナードに半分渡したのが今更惜しくなってきた。
心なしか相貌をほころばせてアップルパイを咀嚼するジェームズに、全て食べきって紅茶をすするレナードは鋭い目線を向けた。
「で、本題はそれか? わざわざ宮廷魔導士の俺のところに魔石の充填を頼むだけで来たのなら帰ってもらうぞ」
「まさか。相談がある。お前の得意な魔法の話だ」
ジェームズは真剣な面持ちでレナードに詰め寄った。
「本が人になる、又は本に閉じ込められていた人間が魔法の解除で出てきた、と言った例はないか?」
魔法が使えないジェームズなりに、レディが本から出現したことについて推測を立ててみた。
そうして出てきたのがこの二つの案だ。
レナードはジェームズの顔を見て目を瞬かせ、それから天井を見上げて考え込みながら顎をさすった。
「本が人になる、か……本だけでなく、古い陶器や絵画、楽器など、人の手で長く慈しまれてきたものには精霊が現れる、と言われている。しかしこれは少し間違いで、実際にはこの世に存在するあらゆる『感情を持たぬもの』に精霊は存在する。ちなみに『感情を持つもの』には精霊の加護が付き、その力が強ければ強いほど『感情を持つもの』の魔力は強くなる。その辺の雑草にだって精霊が付いているが、どうして長く使われているものに精霊が宿ると言われているのかというと、存在する期間が長ければ長いほど精霊は力を増し、具現化できるようになるというだけだ。そもそも……」
「長い。簡潔に言ってくれ」
ああ、これだからレナードに頼るのは最終手段にしたかった、とジェームズは天を仰いだ。
この魔法馬鹿は一度魔法に関する話を始めると止まらないという悪癖を持っている。
「つまりだ、本が人になったとしたら、それは人ではなく精霊だ」
「……なるほど。精霊と人間の見目に違いはあるのか?」
「ある者もいるし、無い者もいる。精霊は嗜好品程度だが食事もとるし、休息も必要とする。人間との違いは物から生まれるか、人から生まれるかの違いだけだ」
「つまり、子が産まれる段階にならないと、精霊かそうでないかはわからないということか」
「どうした? 精霊にでも惚れたか?」
レナードはさも面白いものを見たとでも言いたげににやりと笑った。
「さあな。もう一つの人間が本に閉じ込められていた可能性はどうなんだ?」
ジェームズは手慣れた様子でさらりと流した。最近この手のあしらいがうまくなった気がするのは気のせいだと思いたい。
レナードは少し不満げな様子だったが「人間が本に閉じ込められる、か……」と素直に考え出した。
「封印、ということなら、悪魔を魔導書に閉じ込めていた話は聞いたことがある。しかし大抵その手の本には厳重にカギがかけられていたり、鎖を巻き付けて外れないようにしてある。お前の話ぶりからして、その本を見たことがあるのだろう? 見た目はどうだった?」
「普通の、本だった。白い、手のひらより少し大きくて、中身はわからなかったが……」
「それなら違いそうだな」
レナードは話は終わりだと言いたげに立ち上がった。これ以上は情報が望めなさそうだ、とジェームズも退出の準備を始めた。
「他ならぬお前の頼みだ。少しその手の事象について調べてやるよ」
「助かる。邪魔をしたな。また菓子でも持ってくる」
空のバスケットを手にして扉へ手をかけたジェームズの背後から、レナードが言葉を投げかけた。
「お前、白の国の騎士にでもなるつもりか?」
ぴたり、と、ジェームズの動きが止まった。
ジェームズは喉の奥でくつりと笑うと、自嘲気味に吐き出した。
「俺はせいぜい、青の国の弓兵だな」
レナードはジェームズの返答に「ふうん」と感情の乗っていない声で返した。
「じゃあな、今度来る時までにこの部屋どうにかしとけよ」
「君だからこのままにしておいたに決まってるだろ。他の奴だったらこうだな」
レナードはぱちんと指を鳴らした。次の瞬間、あれほど散らかっていた部屋の中は塵一つなく綺麗に片付いて、西日がレナードの綺麗な銀糸をきらきらと輝かせていた。
「……相変わらず、お前の魔法は規格外だな」
「簡単なことだよ。乱反射と目の錯覚を利用した幻覚だ。つまり君に部屋全体が綺麗に見えるような幻覚をかけているだけだからな」
堂々とした態度で言い放つレナードに、ジェームズの血管がぶちりと切れる音がした。
「ち ゃ ん と 片 付 け ろ」
「そのうちなー。あ、俺今度はカボチャのパウンドケーキが食べたいって言っといて」
飄々とした態度に呆れを通り越してもう言葉が出てこない。
そもそも「君だからこのままにしておいたに決まってるだろ」には怒っていいんじゃないかと思う。
ジェームズはなんとなく、本当になんとなく、レディの方が憎めない分ほんの少しだけこいつよりはましなんじゃないかと思った。
「うまくやっているようで安心したよ」
紫紺の瞳がすうっと細められる。
それは誰に向けて言った言葉なのか、この男以外に知る者はいなかった。