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開院、リード診療院 後編

レディが夕飯を作っている間、ジェームズは自分の勉強をしていた。医学の世界は日進月歩。治療用の新しい魔法具も増えていくばかりなので、いつになっても覚えることは多い。

以前は静かな自分の部屋で勉強をすると捗ると思っていたが、人のいる空間の雑音も中々いいものであると気づいた。

とんとんと包丁の軽快な音、シチューの煮える匂い、時折聞こえる鼻歌。

「ドクター、もうすぐできますよ〜!」

「ああ、ありがとう」

働き者の彼女のおかげで、当初想像していたよりずっと快適に過ごすことができる。感謝の念は絶えない。

……来月の給料は、少し多めに渡してあげよう。

診療院も軌道に乗ってきて収入も安定してきた。新しいことを始めているというのに、うまくいきすぎて怖いくらいだ。

君は、幸運の女神なのかもしれないな、と口に出しかけて、あまりにもらしくなくて咳払いをして誤魔化した。


夕食はかりかりに焼かれたパンとシチュー、魚のフリッター。

食事中は今日気づいたことの報告をしたりするのだが、ジェームズが仕事のことだけなのに対して、レディの話は仕事や家事、はたまた全く関係ないところまであっちこっちに飛び回る。

腹痛に効く薬の話をしていたかと思えば、市場で見かけたチーズの品種の話に変わっていることなんて日常茶飯事である。

ジェームズは、話題のころころ変わるレディの癖を、早めに直してあげないと、と思いつつ自分が口下手な方なので中々上手くいかないでいる。

それでも、どうにか普通の人がついていける会話のペースを掴んでもらわないと――


――ここをやめた後、困るだろう。


「ドクター? ……どうしたのぼーっとして? 今日は疲れました?」

「ああ……いや、大丈夫だ」

翡翠色の瞳はどこか不安げに陰っている。

まるで、今まで考えていたことを全て見透かされているような気分になって、思わず目線を逸らしてしまった。


親心がついてしまったのだろうか。

なんとなく、今考えていたことが現実にならなければいいと少しだけ、ほんの少しだけ思ってしまった。



夕食の後は、大体レディに勉強を教えていた。

教えている内容は包帯の巻き方だったり、薬草の知識など、仕事で使うものが多いが、たまに流行りの菓子やサーカスの動物、上映中のオペラの演目など、雑談に近いようなことも話していた。

「ドクター、私ダンスのお勉強とかしたいなぁー」

リビングの机にべたりと張り付くように頬をつけてだらけるレディは完全に勉強に飽きた様子で、ジェームズは軽くため息をついた。

「覚えてどこで踊るんだ」

「んもう、ドクターってそういうとこ野暮ね。どこでも踊る予定なんてないけど、私はドクターと踊りたいの」

「言っておくが、俺は踊れないぞ」

「うそー!? だってドクターお城に勤めていたんでしょう? 舞踏会とかあるんじゃないの?」

「王族や来賓の食事に毒が入っていないか確認したり、具合の悪くなった参加者を診察したりすることになるから、正直舞踏会は仕事が増えるだけでうまみは何もなかったな」

レディはジェームズの返答に、ぶすりと半眼になった。

「ドクター、枯れてるって言われなかった?」

「…………レディ、ここのスペルが間違っている。あとここの毒を持つ植物についてだが、アジサイ、スイセン、スズランなどはここの庭にも生えているので注意するように」

「ドクター、私そういう話のそらし方良くないと思うの」

「だが毒は量を間違えなければ薬にもなる」

「ドクター」

「……紅茶でも淹れようか」

大人げないとはわかっている。何も言ってくれるな。


寝る前のお茶は安眠効果の期待できるカモミールとペパーミントを中心にブレンドしたもの。

ミルクと蜂蜜を多めに入れたら、特製オリジナルブレンドハーブティーの完成である。

軍にいた頃は似たような配合になるが、安眠効果よりも二日酔いに効果のあるハーブティーを作る方が多かったな、と思い出して遠い目をしてしまう。

その時代のことを思えば、今はなんて平和なのだろうか。

なんとなく穏やかな気分になって、ジェームズは茶を蒸らしている間煙草を一本とりだして火をつけると、煙を吸い込んでしばし目を閉じた。


『なぁ、軍医さんよぉ。俺は死ぬのか?』


「っ!?」

脳裏をかすめたしゃがれ声に、うっかり煙草を落としかけた。


今となっては、どこの戦場の誰の声だったのかも思い出せない。

だが、確かに幾度となく聞いた声だ。

俺はあの時、なんと答えたのだったか……若くて青臭い、自分の考えが正しいと常に思っていた時の答えだ。どうせロクなものじゃないだろう。

「……茶が苦くなってしまうな」

少し蒸らしすぎたハーブティーをカップに注ぐと、ジェームズは足早にリビングへと戻った。



◆  ◆  ◆


カトレアと騎士は天女の羽衣を探して様々な『国』を巡った。

しかし、この時代の『国』は国境がきちんと引かれているわけでも無く、それぞれの領主が治める大きな町や村がいくつもあるようなものだった。

その中で、当初から付き添っている騎士を含め、7人の旅の仲間ができた。

赤の国の魔法使い、青の国の弓兵、緑の国の聖女、黄の国の格闘家、紫の国の賢者、黒の国の呪師、そして……今は無き滅びた国、白の国の騎士。

カトレアはそれぞれの国を見たことで、様々な国の良さを知った。それと同時に、悪いところも知った。

全ての国を見て回った後で、カトレアは思った。

「自分が国を作れば、もっとずっと、うまくいくはずだわ。ううん、そうじゃない。私は、白の騎士のために、自分の国が欲しいわ」


◆  ◆  ◆



「もうドクター! それだといいところ全部すっ飛ばしてるじゃない! 青の弓兵と白の騎士がカトレアを取りあうところは? カトレアが白の騎士にほのかな恋心を自覚するから、他の国を見て郷愁にかられる白の騎士のために国を作ったらそれは羽衣を手に入れて自分が国へ帰るよりも嬉しいって思ったからでしょ!」

ちゃんとやって! とレディに怒られているのは、ジェームズの寝室。レディにまくしたてられるように彼が怒られている理由は、彼が手に持っている本にあった。

『帝国創世記』

これをくまなく読み込もうとすると到底一日では足りない分量だが、かいつまんで内容を記した子供向けのものもよく読まれている。しかし、ドラマチックなロマンスが組み込まれた部分はごっそり抜かれているため、それがレディにとっては物足りなかったらしい。


「第一、そんなに内容を知っているなら俺が君に読み聞かせる必要はないだろう」

「読んでもらうってのが良いじゃない。私ドクターの声好きよ」

「……君がそれで満足するのなら構わないが」

「ドクター、それくらいで照れていちゃ変な女に引っかかるわよ」

「……」

別に照れている訳でもないし、それをレディが言うのか、と思いはしたものの、ややこしくなりそうなので何も言わなかった。


どうして寝室でレディに本を読んでいるのかと言うと、ここに来た当初から彼女は寝る間際になると、ジェームズに寝物語を所望してきたからだった。

よく働いてくれる彼女の唯一のおねだりであるし、彼女が知識を得るのに物語の読み聞かせは得策だろうと思って引き受けたが、最初はこんなことしたことがないので酷い有様だった。

最近は慣れてきたので、どんな本でも読んでやろうという気分だったのだが、そんな折にレディが持って来た本が、これだった。

「しかし、どうしてこの本を選んだんだ。それも全百編、大長編と名高い原文なんて」

腕の筋肉が鍛えられそうに分厚い本を棚に戻すと(ちなみに今日のはリード家にあった全百編を一冊にまとめたダイジェスト版だ。普段は読み切る前にレディが図書館から新しいものを借りてくる。流石にこんな恐ろしく場所を取るものはリード家には無い)そのまま棚に寄り掛かって煙草を取り出そうとして――逆にポケットの奥に突っ込んだ。

レディはそんなジェームズの行動を見て、くすぐったそうに微笑んだ。

「どうした?」

「なぁーんでもない。それで、なんだっけ、このお話選んだ理由?」

「ああ」

「……千夜一夜物語、って、わかるでしょ」

「古王国のおとぎ話だな。一夜明けたらどんな花嫁も殺してしまう王に殺されないように、続きの気になる話を紡ぎ続ける女性の話だったか」

ジェームズは顎に手を当てて記憶を探った。

きちんと読んだことは無いが、あらすじは有名なので知っていた。

「私はね、その逆が出来たらいいなって思っているの」

「逆、というと?」

レディはその問いかけに少し悲しそうに笑うと「教えたら意味無いじゃない! ドクターおやすみなさい!」と花の精霊のように夜着を翻してジェームズの部屋から出ていった。


しばし彼女の出ていったドアを硬直したまま見つめていたが、すぐに大きな息を吐き出して、ポケットの中から先ほどしまった煙草を取り出して口にくわえた。


「……千夜あれば、分厚い原文だろうと読めてしまうだろうな」

むしろ『千夜かけないとあの分量の物語を読み切ることはできない』だろう。

ああ、全く、軽率に引き受けるべきではなかった、と無性にいらついて髪をかきあげた。


ジェームズの性格上、1度始めたものを簡単には止めてしまわない確信があったのだろう。

となると、読み聞かせにこの本を選んだのは『ジェームズがこの本を読み切るまではレディを追い出さないだろう』と思ったからに違いない。



「どこまでバレているんだろうな……」

強く灰皿に煙草を押し付けて火を消すと、部屋から光源は消え、月明かりだけが窓から差し込みジェームズを照らす。


浮かぶ三日月の船は西の空を泳いでいる。

もう時期今日も終わる時間。


こうして、2人の1日は今日も過ぎていく。


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