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開院、リード診療院 前編



さあ、今日も一日が始まる。

「ドクターぁぁぁああごめんなさいまた寝坊しちゃったぁぁぁ」

「おはようレディ。寝坊じゃないから大丈夫だ」

バタバタと階段を駆け降りてきた少女は背中の中ほどまで伸びた髪がうねって絡まり爆発している。柔らかく癖のある金の髪の毛なのでまとまりにくいのだろう。

対するジェームズは新聞を広げて朝の(ミルク)コーヒータイムと洒落こんでいた。非常に優雅な朝の過ごし方に、少女は自分のぼさぼさの髪の毛を手に取って見て、それからもう一度きっちり用意も済ませたジェームズを見た。

「ねぇドクターまじでいつ寝てるんですか!?」

「きちんと睡眠は取っているし、君と同じように先ほど起きてきたばかりだ」

「うっそだー……って、こんなことしてる場合じゃない! ドクターごめんなさい今朝ごはん作りますね〜!」

そう言ってバタバタとキッチンまでかけていく少女を見て、賑やかな朝の光景に慣れてしまった自分に苦笑いしてコーヒーを飲み干した。



ーー少女は『名乗れる名前は無い』と答えた。

最初に出会った時と同じ返答だったが、どこかその時よりも申し訳なさそうな顔だった。

そして「もし良ければ、ドクターに付けてもらいたい」と言った。

路上で出会った時には何をふざけたことを言っているんだと思った言葉も、本心からのものだと知ると、どんな言葉を返していいかわからず答えあぐねた。

思えば、少女は本から生まれたばかり。名前をつけることで、少女は本から『人』になるのだろう。ジェームズはそう憶測した。

しかし……ジェームズは見つめてくる少女に対して緩く首を振った。

「名前は、大切なものだ。家族でもない俺が君につける訳にはいかない」

魔法のあるこの世界で、名前は重要な意味を持つ。呪いのまじないは本名でないとかけることができないし、祝福の魔法もかける相手の本名を唱えないと意味が無い。

特に重要なのがファーストネームのあとに来るミドルネームで、家族と伴侶以外には教えないものである。

例外で王族への忠誠の証として名乗る場合もあるが、将軍など、重要な役職に就いた時の儀式なので、ジェームズが軍に入隊した時には行っていない。


「しかし、君の呼称無しに生活は厳しいだろう……だから、俺は今まで通り君のことを『レディ』と呼ぼう」


それは、ジェームズにとって無意識に張った予防線だったのかもしれない。

レディはその言葉を聞いて、きょとんと目を丸くすると、その後ふわんと花のように笑った。

「ええ、構わないわ。ドクターだけの『レディ』なんですものね」


こうして、ドクターとレディの生活は始まった。



「お待たせしましたー! パンもしっかり焼けましたよ~!」

レディがとんとんと軽快に皿を食卓へと並べていく。パンに、卵と燻製肉、サラダに、昨日の残りのスープ、ヨーグルト。どうやら料理は得意らしい。

手際もいいので、彼女はもしかしたら家事や料理の本だったのかもしれない。


「今日はいつも通り12時になったら受付を終了する。恐らく1時には診療が全て終わるだろうから、それから軽く昼食を取ろう。その後休憩シエスタを挟んで俺は足りなくなってきた薬を調合する。君は買い物に行ってくれ。いつもの店に湿布用の薬草と、包帯、それから注射器の針を注文してほしい。ああ、買い物用の金は後で渡す。そうそう、適当に茶菓子を見繕ってきてくれ」

「……本当に、ドクターは仕事のことになると饒舌ですよねぇ」

ぽかんと口を開いて呆けた様子のレディに、ジェームズは分が悪そうに目をそらした。

「世間話は、あまり得意じゃないんだ」

「か、かわいい……」

思わず口から滑り落ちた言葉はジェームズの額のしわを深くするのに一役かった。

三十過ぎの大男に似つかわしい単語に頭が痛くなりそうだったが、これから仕事なのだからと言い聞かせてやり過ごした。



朝食の後、片づけを一緒にして(毎回レディが「私の仕事です」と抗議を入れてくるのだが、暇な者がやればいいと思っているので気にせず食器を洗う)レディのぼさぼさの髪の毛をすいてやり、自分の身だしなみも整えると、下に降りていって本日の診療の準備を始める。

その間にレディは洗濯機で洗い終わった洗濯物を干し、箒とジョウロを手に外へ出る。診療所の前を軽く掃いて、花壇に水をやって軽く雑草を抜く。

そうこうしていたら開院時間になり、表にかけてある看板に『受付中』の札をかけた。

リード診療院の一日の始まりだ。


ジェームズはカウンターでお釣りの金額だけ揃っているか確認すると、あとをレディに任せた。

レディが算術も出来たのは僥倖だった。そして、もう1つ良かったことが……。

「おはようございます。ほら、マリーも挨拶して」

「おはよ……ざいます」

「おはようございます。マリーちゃんの調子はいかがですか?」

「最近先生のお薬のおかげで良かったんだけど、今日は突然目がかゆいって言い出して……」

「わかりました。席におかけになってお待ちください。マリーちゃん先生が診てくれるからもう少し待っててね〜」

「せんせ、いたくしない?」

「痛くしないよ〜怖くないよ〜」

ーーどうやら、ジェームズの顔は小さい子にはウケが悪いらしく、泣かれてしまうこともしばしばで、実は少しへこんでいた。

しかし、レディは子供ウケがよく「ドクターは怖くないよ優しいよ〜」と何度も宥めてくれるので、非常にやりやすくて助かっている(正直こうなることは予想外だった)。


◆   ◆   ◆


そんなこんなで時折レディに手伝ってもらいながら業務を終えると、時間は1時。

ジェームズが片付けとお金の計算をし、レディは一足先に住居の2階へと戻って家の掃除と昼食の準備をする。

本日の昼食はチキンとトマトのリゾット。お好みでチーズを上に削ってかける。

米は腹持ちが良いから、午後からもしっかり動くことができるだろう。


食事を終えて片づけをしたらしばしの休息シエスタ

その後ジェームズは薬を作るために部屋にこもり、レディは買い物をするために街へ出かける。買い物に行かなくていい日は備品の整理や部屋の模様替え、庭いじりなど、日によって様々なことをやっていた。

彼女が買い物に必ず持っていくものは、財布と、買い物かごと、連絡用の『式神』と呼ばれる薄い鳥の形をした紙。

使い方は簡単。式神に伝えたいことを話しかけるか、直接書いたら、そのまま届けたい人物の元へ飛んでいって内容を知らせてくれる。

東方のゼンという国で生まれた魔法で、誰でも簡単に遠くにいる人と連絡を取ることができるため、現在どの国でも使われている。

「必ず馬車を使って行くこと。細い路地には入らないこと。17時の鐘が鳴るまでには街を出ること。何かあったら式神ですぐ連絡すること。それから……」

「あーもうわかったわかったわかりましたー! んもう、ドクターそれじゃぁ『おかーさん』みたい!」

「おかっ……」

ジェームズは絶句した。教官時代の癖で生徒に対するように口うるさく(自覚はあった)していたが、まさか母親のようだと言われるなんて。それこそ似合わない言葉だ。もしこれが王城なら聞き耳をたててた誰かに爆笑されてる事だろう。

「じゃ、いってきまーす」

親の心子知らずと言うべきか否か、レディはさっさとジェームズの小言を振り切ると、丁度やってきた辻馬車に乗っていってしまった。


「……まぁいい。さて、帰って来る前に仕事を終わらせてしまわなければ」

ジェームズは診療室の横にある薬品庫に籠ると、様々な種類の薬を取り出して、必要な薬作りに没頭していった。



今日作る予定の薬を全て作り終わり、一段落ついたジェームズは、凝り固まった筋肉をほぐすようにぐっと伸びをした。

身体の節々がばきばきと音を立てる。長い時間同じ姿勢でいたようだ、と時計を見れば、時刻は16時半。

今までの経験からすると、そろそろレディが帰ってくる時間だ。彼女が帰ってくる前にどうしてもやっておかないといけないことがある。

ジェームズはすくっと立ち上がると、傍らに置いてあった白い包みを持って、機敏な動作で住居へと上がっていった。


ジェームズはキッチンへ向かうと、保冷庫の中からジャムと、戸棚の中の蜂蜜を手に取った。

ジャムと蜂蜜は適量を皿に移してスプーンを添える。その皿と白い包みを持って自室へ行くと、ジェームズはにたりと笑いながら机へ下ろし、白い包みを開いた。

中からは香ばしく焼けたスコーンが2つ。いつも薬品を仕入れる店は、ジェームズが菓子を好んでいることを知っているため、たまにこんな『おまけ』を付けてくれることがある。

今日届いた薬瓶や包帯と一緒に入っていたこれを、なぜこそこそと自室へ持って行ったのかと言うと、聞くも涙語るも涙、シルヴィアナ王国とカトレア帝国の間にある溝より深い理由がある。

悲しいことに現在キッチンの権限はレディに握られているも同じ。

放っておくと菓子類で食事を済まそうとするくらい甘味を好んでいるジェームズの体調を危惧して、1日に摂取してよい甘味の量をレディに決められてしまったのだ。

勿論、医師として糖分の取りすぎは身体に悪影響を及ぼすことはわかっている。誰が聞いてもレディの言い分の方が正しい。だから反論することができずにレディに従っているーーフリをしている。

諸君、大人というのは汚いことを覚え、実行してしまう生き物なのだ。

この男も例に漏れず、自室に密かに甘味を持ち込んでは、夜食として頬張っていた。

そう言えば、今日はレディが出かけていたからいつものように茶をする時間は無かったなと思い至ったジェームズは、いい匂いのするスコーンをひとつ割って、たっぷりとジャムを付けてかぶりついた。

さくさくの生地と、とろりと絡まるジャムが美味しいのはもちろんの事なのだが、つまみ食いと一緒で、背徳的なものほど、なぜか極上の味に感じてしまう。

ついつい2個目に手が伸びそうになってしまったが、扉に付けた鈴がちりんちりんと鳴る音を聞いて、急いで白い布を被せて隠した。

レディが帰ってきたのだろう。


「ドクターただいま〜! 今日は大通りの方まで行ってきたの! 汽車って初めて見たわ! とっても大きいのねびっくりしちゃった! それでこれ駅前で売ってたドーナツ! 砂糖がいっぱいかかっててドクター好きそうだなって思っちゃった! 後で一緒に食べましょ!」

両手いっぱいに荷物を抱えたレディはキラキラした目で街で見たものをジェームズに教えてくれる。

ジェームズは汽車を初めて見た時も、彼女のように誰かと共有しようと話したり、感動したように目を輝かせることは無かった。


レディはいつも何かを報告してくれる。

空に浮かんだ大きな入道雲、薔薇の葉にいたカタツムリ、朝露に濡れて光る石畳、市場に山のように積まれていたオレンジ。

もしかしたら、彼女の翡翠色の瞳には、自分とは別の世界が映っているのかもしれない。


そう考えると、まるで好奇心旺盛な学生の頃に戻ったかのような気分になり、ガラス玉のように澄んだ空気を吐き出せているかのように感じるのだった。



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