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ガレキ通りの小娘  作者: 駄文職人
失せ物は大抵見つかるはずがないと思う場所で見つかる
7/14

小さな略奪者

 青い装丁、すこし黄ばんだ紙面。

 ほつれた背表紙に刺繍された、〈調和〉の文字。


「あれか?」


 ラッグに問われて、フォルテは何度も首を縦に振った。

 見まごうはずもない。

 あれこそ、フォルテが探し求めていた楽譜だ。

 たまらずフォルテはミロの方へまろびよった。


「お願いします……その楽譜を返してください!」


 さすがに予想外だったのだろう。ミロは怪訝そうに眉をひそめ、初めて見るといった様子でフォルテを凝視した。

 使用人がミロに耳打ちし、ああとようやく納得顔になる。


「なるほど。何やらまぬけ面だと思っていたら、貴方無形派の回し者だったか」

「元! 無形派です!」


 ここははっきり言っておかねばなるまい。

 後から二派の関係をこじらせることは避けておきたい。

 ふむ、とミロは思案顔を作る。


「では、今は無形派とのつながりはないと?」

「そうです!」

「つまらないな」


 不機嫌そうに楽譜をもてあそぶミロ。


「なんならここでと思ったが、どうやらムダなようだ」


 ムダ……?

 ミロの意図が読めず、フォルテは戸惑う。


「どうしてこんなことをするんですか!? 貴方がた造形派にとって、その楽譜は無価値のはずだ! 盗む必要なんて……」

「無価値とはずいぶんだ。高貴たるワタシはそこまで小さい器ではない。貴賤はあれどどんなものにも価値は存在するというのが持論でね。物は使いようだ、そうは思わないかね? ああ、音楽家には分からない話だったか」


 くつくつとミロは粘っこく笑った。


「どういう意味だ……?」

「簡単な話だよ。キミたち音楽家にとって楽譜というのは価値あるものなんだろう? ならばそうだな。たとえば、楽譜を目の前で燃やされたら……キミたちは激昂するのではないかな?」


 フォルテの顔がこわばった。

 のどがひりついて、からからに乾く。

 燃やす?

〈調和〉の楽譜を?


「そういうことか」


 ラッグは苦々しく言った。


「時計塔を建てたのも、無形派にちょっかいかけ続けたのも、全部無形派の連中を焚き付けるためかよ。あんたたちは最初から、戦争がしたかっただけなんだ」

「聖戦といってくれたまえ。真なる美を守るための、必要な戦いだ」


 楽譜を手に入れたのは、きっと偶然だ。

 きっかけは何だってよかった。

 ただ、彼らは理由が欲しかっただけなのだ。


「まさか……たったそれだけのために?」


 それだけのために〈調和〉の楽譜を燃やすつもりなのか?


「たったそれだけ、とは心外だ。キミも芸術家のはしくれなら分かるだろう。美とは何か? もっとも美しいものとは何か? その問いは、我々芸術家の命題だ」

「だからって……」


 言葉が出なかった。

 胸の中で疑問とやりきれない想いが渦巻く。

 争いを避けるために歌を捨てたはずだった。

 なのに、これはどういうことだ?

 自分の楽譜が、争いの火種になる。

 どうして?


「ぼくは、もう音楽家じゃない……」


 うわごとのように言っていた。


「そんなヤツの持っていた楽譜で、無形派が動くと本気で思っているのか……?」


 虚勢だ。

 それでも言わずにはいられなかった。

 しかし、フォルテの願いは届かない。


「思っているね」


 ミロは自信満々に言った。


「本当にこの楽譜の持ち主なら、キミとて理解しているだろう。この楽譜の真の価値を」

「……!」

「さて、そろそろお縄についてもらおうか侵入者たち」


 気付けば三人を何十人という芸術家たちが取り囲んでいる。

 妙に饒舌だと思っていたら、時間稼ぎをしていたのだろう。

 ラッグはちっと舌打ちした。


「兄さん。残念だが、タイムアップだ」

「! そんな、だって」


 まだ、楽譜はミロの手にある。

 造形派の主席は勝ち誇って笑っていた。


「楽譜を燃やすのは、明日の午後三時だ。時計塔の記念すべき第一点鐘、その時に全てが決する。キミたちにはそれまで、牢獄ですごしてもらおう。造形派が頂点に立つ歴史的瞬間に立ち会えないことを、闇の中で死ぬほど後悔したまえ」

「お嬢?」

「ん。準備おっけ~」


 短く二人は言葉を交わす。

 危機的状況だというのに、メニはいつもと変わらない緩んだ笑みを浮かべていた。


「フォルテっち。口と鼻ふさいで~」


 大地に向かって、どんっと腹を震わせる轟音。

 ミロたちの気が逸れている間にマスケット銃に次弾を装填していたらしい。無造作に銃口を下げていたため、造形派たちも発砲されるとは思っていなかったのだろう。

 真っ白な煙が上がり、視界を染める。


「げほっ、な、なにぃっ!?」


 またこしょう爆弾かと思いきや、石灰だった。

 気が付いてフォルテは反射的に呼吸を詰める。手で口と鼻を強く押さえ、のどを守ろうとする。

 ぼくはもう音楽家じゃない?

 フォルテは思わず笑ってしまいそうになった。

 もう歌うことのないのどをかばって、一体何になるというのか。

 メニはさっとフリルを払い、黒いブーツとそこに収まったほっそりとした足をあらわにする。

 太腿に巻き付いたホルスターから新たな銃を抜き放った。


 今度は天上に向けて、ためらいなく射撃。


 しかし大きな銃口から飛び出したのは弾でもなく煙幕でもなく、ワイヤーだった。

 ワイヤーは空中で何百という糸へと分解し、花弁のように広がる。


「さ、出番だよ!」


 メニがスカートを叩いた。

 すると、フリルの合間からガラスの蝶があちこちから一斉に舞い上がった。


「うわあっ!?」


 石灰のことも忘れてフォルテは悲鳴を上げた。

 蝶といえども大量の虫が群がってはばたくのは、なかなかショッキングな図であった。

 フリルにそんな機能があったとは。


「〈小さな略奪者〉シリーズその三。〈クレイドル〉」


 銃から発射された糸の一本一本をガラスの蝶たちがつかむ。

 蝶たちに支えられて、メニの小さな体がふわりと宙に浮いた。


「ほら、つかまって!」


 銃のグリップにつけた長い革紐の輪に黒ブーツをひっかけ、メニが手のひらを見せる。

 フォルテは迷った。


「で、でも……」


 楽譜をまだ取り返していない。

 今逃げたら、何のためにここまで来たのか。


「でももクソもない!」


 ラッグはフォルテの肩をつかむ。


「連中の目的は音楽家たちの前で楽譜を燃やすことだ。ってことは、今すぐ何かすることはないってことだろ!」


 フォルテははっとなった。

 そうだ、まだチャンスはある。


「早く!」


 メニの焦れた声。蝶たちの力は強く、みるみる高度を上げていく。

 フォルテはあわててメニに手をとり地面を蹴った。


「げほっげほっ、な、何をしている! 早く侵入者を捕まえろ!」

「ラッグさん!」


 背後を振り返り、残ったラッグを急かした。

 せめて一人だけでもと殺到した警備員たちを、ラッグはステップを踏んでかわす。つんのめった身体に容赦なく蹴りを入れ、ついでとばかりに倒れこむ肩に飛び乗った。


「失礼!」


 身軽さを活かし、そのまま前方から来た別の警備員の頭を踏み台にする。


 見事な三段ジャンプを見せたラッグは、差し出されたメニとフォルテの手をしっかりとつかんだ。

 フォルテは歯を食いしばってラッグを引き上げる。


 三人分の体重を支えた〈小さな略奪者〉は、上空へと急上昇を開始した。


 悔しそうにこちらを見上げる芸術家たちも、広大な屋敷の敷地も、俯瞰できるほど小さく見なるのにそう時間はかからなかった。


「にゃはは~。脱出成功っ!」


 ふわふわの金髪を風になびかせて、メニが明るい声を響かせた。


「む、むちゃくちゃだよっ! 空に逃げるなんて!」


 革紐にしがみついたフォルテが叫ぶ。風にあおられてグリップから紐がちぎれないかと気が気でない。

 ラッグは服についた石灰をはたき落す。


「ああも囲まれたら空以外に逃げるトコないだろ。そもそも、逃げる算段もなくおれたちが特攻するワケないじゃん」

「そうそ。言ったでしょ~? 秘密と嘘はレディの武器だって」


 どうやら最初から打ち合わせ済みだったらしい。


「でも……あんなに苦労したのに、楽譜、取り返せなかった」


 フォルテはうつむく。

 せっかく、みんな頑張ってくれたのに。自分がぐずぐずしていたから。


「ったく、兄さんはホントにネガティブだよな。この景色見ても落ち込めるなんて、逆に大したもんだよ」


 確かに、景色は最高だった。


 足元に広がるブロムカステスの町並みと、その合間を練り歩く人々の動きがよく見える。円形にぽっかりあいた中央広場では、赤、青、黄と市場のテントが彩っていた。そこから左手にずっと伸びる薄汚れた区画がガレキ通りか。

 こうして見ると、東と西の違いなどまるで分からなかった。ただよく似た建物が並ぶだけの、一つの町である。

 はるか向こうには町を囲う石造りの壁がぐるりと見渡せ、その奥に真っ赤な荒野がのぞく。上空の丸い空と地平線が交わるのをフォルテは確かに見た。

 胸の奥が締め付けられる。


「さっきので……よく分かった」

「うん?」


 目の前の景色を目に焼き付けながら、フォルテは力を込めて言った。


「あの楽譜は、絶対に取り戻さなくちゃいけない」


〈調和〉の楽譜を燃やさせてはいけない。

 少なくとも、あんなくだらない理由のためには。


 メニもラッグもきょとんとして顔を見合わせたが、やれやれと首を振るだけで何も言わなかった。

 春のあたたかな風が三人を包み込み、〈小さな略奪者〉たちを優しくいざなう。

 それが逃避行だと忘れてしまうほどに、穏やかに。




 三人が空の人になっていた頃、とらねこ亭でも一騒ぎが起きていた。

 最初はファンファーレだった。


「あん?」


 テーブルでまかないのチキンを頬張っていたコシュカが、目を細める。

 彼女が見ている前で、店のドアが弾かれた。

「た、大変だ! ガラスを叩きわるラッパが三つならんでっ!?」


 続いて飛び込んできたのはサインをもらって意気揚々と帰ったはずのボランティア一号である。

 とらねこ亭の店内に緊張が走った。

 誰一人、彼がとち狂ったとは思わなかった。


 手元のナプキンで乱暴に口をぬぐい、ハンとコシュカは嘆息する。


「こ、コシュカさぁん」

「怖かったら奥にすっこんでな。ちょいと荒れるから」


 怯えるコラットに、コシュカは厨房の方をあごで示す。

 彼女が立ち上がると同時に、スネアロールが店内に飛び込んできた。

 ホール中のテーブルと椅子がそれだけで左右に押しのけられる。【力ある音】が作った道を、巨大な旗を振り回したコンダクターが股上げしながら突き進んだ。

 その後ろに三人並んだトランペット隊がおそろいの兵隊服を着て仲良く続いた。小太鼓を抱えたリズム楽器がしんがりをつとめ、美しいひし形を描く。

 トランペットの三人が同時にブレスし、口元に力を込めた。


 ぱらっぱぱーっ!

 ぱぱぱぱっ、ぱぱっ、ぱらぱぱーっ!


 もろに【力ある音】をくらった客の何人かがひっくり返った。

 四方の窓ガラスが弾ける。厨房でもやかましい音が聞こえたから、皿やグラスもいくつか犠牲になっただろう。

 コンダクターの笛が合図をした。


 ぴーっぴっ。ぴっぴっぴっ。


 足踏みをしていた音楽隊の足が止まる。

楽器がおろされるのを確認してから、コシュカはようやく耳に突っ込んでいた指を引き抜いた。


「近所迷惑だ、どあほ」


 第一声にそうはき捨てた。

 ガレキ通りの誰もが切実に思っていた一言であった。


「あら、ごめんあそばせ。こんなにもろい作りになっているとは思わなかったから」


 彼女はファンファーレ隊の後ろから進み出た。

 きらびやかなスパンコールの装飾を惜しげなくつけたブルーのドレス、真っ黒な毛皮のファーを首から腕に流した姿は、明らかに「やっちゃったマダム」そのままだった。

 コシュカはこの女を知っていた。……嫌になるほど。


 造形派を率いるのがミロ・ジョコンダだとすると、彼女はその対極となる無形派を統治する人間。町の者なら誰でもその名は聞いたことがあるだろう。


 音楽家にしてブロムカステス無形派組合の主席。

 西区の支配者、アヴェ=マリア。


 アメジストの瞳を店内にめぐらせ、「ふうん?」と興味なさげに頬をなでる。


「カルミナはどこ?」

「知ってたらあたしが引きずり出してる」

「ということは、ここにも来ていないのね」


 予想していた、といった口ぶりだ。


「用はそれだけかよ。営業妨害だからとっとと帰れ、歩く騒音ども」


 コシュカは腰に手を当てて憤慨した。

【力ある音】で万が一建物に損傷が出たら一大事だ。ガレキ通りとあって廃材には困らないが、補修工事とてタダではない。

 マリアの冷たい眼光がコシュカへと定まった。


「あいかわらず減らず口だこと。卑しいわ、品のかけらもないわ」

「あいにく、上等な教育を受けてないもんでね。責任者は今出払ってんだよ。あたしで不満なら出直しな」

「フォルテという男がここへ来たかしら?」


 マリアの不意の質問に、コシュカは口をつぐんだ。


「来たようね」

「……あっきれた。アヴェ=マリアともあろうお方がスパイに頼るたぁな。いつから張ってやがった?」


 コシュカの目に警戒の色が濃くなる。


「スパイとは人聞きの悪いわね。あの男が町に入った、同じ時期からガレキ通りがにわかに騒がしくなった。だから探りを入れただけ」


 どうやらマリアは、ラッグやメニがいないタイミングを狙って訪ねてきたようだ。

 つくづく、食えない女だ。


「どうやらあんたんとこには行かなかったらしいな。ヘタレにしちゃいい判断だぜ」

「勘違いしないでいただける? あたくしは無形派を裏切った男に関心などなくてよ。たとえそれがかの偉大なスタッカート卿の跡取りだった者でもね!」

「だった、ねぇ」


 不審げに目を細めるコシュカに、あらあらとマリアは声を高くする。


「どうやら何も聞いていないようね。安心したわ。いいでしょう。フォルテ・スタッカートはどちら? 言っておくけど、隠し立てしたら容赦しなくてよ」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ。うちの店踏み荒らしといてただで帰れると思ってんかね? めでたい頭だ!」 


 店の奥から強面のコックたちがぞろぞろと青筋を立てて出てきたから、場は一気に張りつめた。

 一触即発。

 身構える店員たちを、コシュカは片手を振って制す。

 その時、マリアが動いた。

 マリアはすらりとした腰に手を伸ばす。そして、何か楽器が出てくるかと顔を引き締めるとらねこ亭の面々の前で、優雅に羽扇子を広げて見せた。


 悪趣味な羽扇子をあおぎながら、マリアはわずらわしそうに眉をひそめる。


「これだから嫌だわ、下町の者は。なんでも力で解決できると思っている」

「あんたたちと違って手持ちのものが少ないんでね。大事なもん守るのに手段なんか選んでらんないんだよ」

「驚いた。そんなにあの男が大事?」

「まっさか! あいつが欲しけりゃ銅貨三枚で売ってやる。あたしが言ってるのはその先のハナシだ」

「何のことかしら」

「とぼけんじゃねぇよ。てめえらヘタレの持ってる楽譜が目当てなんだろ」


 扇子を仰ぐ手が止まった。

 マリアの顔から余裕が拭い去られる。


「どこでそれを知った、小娘?」


 険しさのあまり、美しかった声が老婆のようにしわがれた。


「さあね。うちには腕利きの情報屋がいるもんで」

「あのバーテンダーね。いまいましい!」


 今にも悪態をつきそうな様子だったが、人々の前だということでマリアはなんとか溜飲を下げる。

 軽く咳払いをし、気を取り直した。


「フォルテ・スタッカートにはある容疑がかかってるわ。楽譜の窃盗、そして創作物保護法違反よ。あの男が持ち逃げした楽譜はそれほどまでに価値がある」

「分からねえな。そこまで大事なもんを、なんで組合脱退する時にとっとと回収しなかったんだよ。楽譜の管理はてめぇらの仕事なんだろ」

「致し方なかった。確かに組合に登録済みの楽譜はひとつ残らず全て押収したわ。我々無形派の威信にかけて」


 マリアは激昂を抑えるように深呼吸をし、続けた。


「見つかるはずがないのよ。だってあの男が持っていた楽譜は、誰も知らない……作曲家スラーの未発表作だったのだから」

「スラー? ……初耳だね。そんなに有名な作曲家なワケ?」


 マリアは呆れ果てて扇子をおろした。


「あなたを音楽家のはしくれと思ったあたくしが愚かだった。有名どころではないわ、そこそこ修行を積んだ音楽家なら誰でも知っている。鬼才スラーはつい一年前に死んだけれど、短い生涯の間に書いた作品はどれも歴史に残る名作よ。スラーに未発表作があるという話はあっても、完成作を見た者は誰もいなかった。あの男を除いては」

「その世にも珍しい楽譜がこの町にあるって?」

「間違いないわね」


 あのヘタレ、やっぱ何か隠していたか、とコシュカは舌を巻く。

 それなら奴の楽譜への異様な執着も納得できる。


「ハン。そりゃ、残念。どうやら造形派に先を越されたようだぜ」

「なんですって?」

「楽譜はフォルテの手元にはないって言ってんだよ。無形派の情報網もたいしたもんだ。目の前で獲物をむざむざ奪われて、気が付いてもいないなんてな。そこらのゴロツキの方がよっぽど良い狩人だぜ」


 コシュカの華奢な体が吹き飛んだ。

 指を鳴らしたのだと後から気が付いた。マリアの真っ白な指が生み出した、鋭い【力ある音】が少女を軽々とテーブルの山へと沈める。


「いっ……」


 コシュカは頭を抱えてうずくまり、コラットが泡を食って駆け寄った。

 見下ろすマリアの目は冷たく燃えていた。


「口を慎みなさいな。奇跡も出せない半人前が」

「だからなんだこんちくしょう……っ。奇跡なんかなくたって歌えらぁ。別に自由だろ! あんたたちに迷惑かけてなんか」

「目障りなのよ」


 声を聞くのもいやとばかりに遮る。


「卑しい口で、音楽を語るんじゃない。まして歌姫など論外だわ。音楽をバカにしてる」

「人を蹴散らしといて、どっちがっ」

「おだまり」


 二度目の指ぱっちんは、床に転がっていた椅子を束ねて、コシュカを押しつぶさんと迫った。

 間一髪でコラットをかばい、横へ飛んで難を逃れる。


「手ぇ出すんじゃねぇ!」


 コシュカの言葉は今に飛びかからんとしていたとらねこ亭の面々に向けられていた。


「半人前のくせに良い判断ね。あたくしに傷一つつけてごらんなさい。この小さな店は瞬く間に西区全てを敵に回すわ」


 悔しそうな歯ぎしりの音を、コシュカは聞こえないふりをした。

 ああ、そうだ、と名案を思いついたというようにマリアは手を叩く。


「この店を壊してしまいましょう。貴女がもう二度と歌えないように。そうすればちょっとは身の程を知るでしょう」


 コシュカの思考が止まった。

 壊す?

 とらねこ亭を?

 本当に楽器を構える彼らを見て、コラットの血の気が引いた。


「お願い、やめてください! ここは私たちだけの場所じゃない。ガレキ通りの人たちにとって大事な家なんです!」

「そんなこと、あたくしたちは知らないわ。ただの汚らしい酒場よ。ガレキの山の方がよっぽど愛着がわくわ」

「お願いです! 何でもしますから!」

「じゃあ、お前。目の前のきれいな赤髪を切り落としてちょうだい」

「!」

 マリアの指はまっすぐコシュカに向けられていた。

 コラットは絶句する。

 それを見て、マリアは失笑し肩をすくめた。


「できないわよね。女にとって髪は命。何でもするなんて軽々しく口にするんじゃないわ、小娘。しょせん貴女たちの誇りなんてその程度よ」


 マリアの合図でトランペット隊がマウスピースに口をあてがおうとした、その時だった。


「そこまでになさい、マリア。やりすぎです」


 清水をたたえる泉のようなアルトが割り込んだ。


 ぽろん……


 ハープの音が鳴ると、スネア奏者の持っていたスティックが踊った。

 とっさに避けようとしたマリアに追いすがり、鋭い矢と化してかすめる。羽扇子が床に落ちた。

 だんっと、スティックがテーブルのど真ん中に突き刺さる。

 見事な六十度のオブジェに誰もが見惚れる中、黒ローブのまじない師はしずしずと入店した。


「とらねこ亭には手を出さない約束です。反故になさるおつもりならけっこう。私はコシュカほど我慢強くはありませんよ?」


 丁寧な口調とは相反し、間に割って入った闖入者はべらぼうにブチ切れていた。

次回8月17日23時に更新します。

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