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ガレキ通りの小娘  作者: 駄文職人
袖振り合わなくとも多少の縁
5/14

やめた理由

 その頃のフォルテは、厨房で大量に積まれた食器たちと格闘していた。

 開店と同時に第一次の混雑に見舞われたとらねこ亭はすぐに満席となった。食事時だけガレキ通りに帰ってくる労働者たちが、こぞって食堂代わりに利用するからだ。

 席の案内、注文とり、皿運び、などラッグの新人教育に最初こそ真面目に取り組んでいたフォルテだったが。


「おい、注文まだか!」

「こないだ頼んだサラダがほしいのよ。なんて名前だったかしら、ほら緑っぽいやつなんだけど……」

「これ、頼んだものと違うんだが」

「もう十分も待ってるんだ! まだ席空かないのかよ! 休み時間終わっちまう!」

「兄さん、コーヒー二つー」

「メニューないぞ! 早く持って来い!」


 あっという間に混雑にもまれ、てんてこ舞いになったフォルテを見かねて、ラッグは混雑が去るまで厨房にいるよう指示した。

 結果、ひたすら裏方で皿洗いを繰り返すことに。


「この店……普段からこんななの?」


 ただの皿洗いとあなどることなかれ。次から次へと洗い場に運び込まれてくる皿たちを全て洗いきるのは至難の業。意外とこれが重労働なのである。

 近くで鶏肉を骨ごとぶつ切りにしていたコラットがにこやかに答える。


「夜の忙しさに比べたら可愛いもんですよ。私だってこのままの格好でホールに出る事ありますもん」


 彼女の顔ほどもある包丁を振り上げ、ずどんとまな板に叩きつける。

 細い腕でよくこんな大きな包丁を振り回せるものだ。

 絶対に逆らわないようにしよう、とフォルテはこっそり心に決める。


「コラット……さんは、いつからここに?」

「ただのコラットでいいですよぅ。フォルテさん、私より年上でしょ? 私は雇われてまだ三か月のひよっ子です。父が仕事で怪我しちゃって、収入がなくなって困っているところを師匠に拾ってもらったんです」


 コラットがひよっ子ならフォルテはさしずめ生まれたてほやほやの卵といったところか。


「ラッグさんとは以前から知り合いなの?」

「はい! といっても、知り合いの知り合いの知り合いって感じですけどね。師匠の人脈の広さは半端ないですから!」


 まるで自分のことのように胸を張るコラット。


 確かに、とらねこ亭にやって来る客のほとんどが知り合いのようにラッグに挨拶をしていく。あまり真っ当でなさそうな荒くれ者たちも、ラッグのことは一目置いているようだ。彼の人間関係の広さなら妙に情報通なのもうなずける。

 ごしごしとひょうたんのスポンジで皿の油を落としながら、フォルテは少しばかり気になっていた疑問を口にした。


「ラッグさんって、いくつ?」


 コラットの目がきょとんとなる。

 今まで疑問に思いもしなかった、という様子である。


「さあ……。とらねこ亭ではけっこう古株って聞きましたけど。コシュカさんも、もともとはラッグさんの紹介で、うちで歌い始めたらしいですよ?」

「そうなの?」

「コシュカは妹分みたいなもんだ、ってラッグさん言ってましたし……。小さい頃からよく知ってる口ぶりでした」

「えぇっ!? ってことは、少なくともコシュカ・ルルよりも年上!?」


 コシュカは恐らく十七、八歳くらい。ラッグは明らかに十代半ばに見える。

 恐るべしとらねこ亭。


「じ、じゃあ、あの子は? あのふわふわしたお人形さんみたいな……」

「メニさんですね。あの方はコシュカさんのお友達です。時々お店のことも手伝ってくださるんですよ。あ、これもお願いしていいですか?」


 コラットは肉を切った包丁とまな板を流しに追加した。

 コラットは新たな包丁と野菜用のまな板を持ってきて、今度はキャベツの千切りを始めた。


 先ほどの豪快な包丁さばきとは打って変わり、慎重に大きさを測りながら切り分けていく。

 目は真剣そのものだ。

 危うげな手元に、フォルテは急に不安になる。


「あの、コラット?」

「すいませんっ! こういう細かい作業苦手で……気にしないでくださいっ! だ、大丈夫ですからっ!」


 頬にたれる汗が、大丈夫ではなさそうだ。


「何の話でしたっけっ? あ、そう! メニさんですねっ! あの方はとらねこ亭の方じゃないんです。気まぐれで遊びに来られるだけでっ。ふだんは別のお仕事されてるみたいですよ?」

「別の?」


 はらはらと見守っていたフォルテが、気になる言葉を聞いてつい聞き返す。


「はいっ! あ、痛た……。私もあんまり聞いたことないんですけど、なんでも、美術館とか造形派の人の家をっ、巡っているとかっ!」


 心と力を込めてキャベツを切っていくコラットだが、切られた千切りは太さも不揃いでなんだか切ったというより細かく引き千切ったといった様子である。

 どうか、キャベツ以外のものを切りませんように。

 もはや息を飲んで見守るしかなかったフォルテの背後から、救世主の声が聞こえた。


「おーい、特製コロッケセット二つ、唐揚げサンド一! ……何してんの、二人とも」


 真っ青な顔をしてキャベツに向き合っているコラットと、それを同じく真っ青な顔をして見ているフォルテとを順に見やり、ラッグは全てを悟った。


「キャベツはおれやっとくよ、コラット。向こうの鍋ふかしてるからそっち見てきて」

「! は、はいっ!」


 見ると、確かに一番奥の大鍋がふたを押しのけんばかりに泡をこぼしている。

 ぱたぱたと駆けていくコラットの背を見送り、ラッグは苦笑して包丁を手に取った。


「根はいい子なんだけどね。あんたも気をつけなよ。力じゃコラットは店一番だからな。あーあー、こんなに力んじまって。まな板まで切れてる」

「まなっ……」

「ま、キャベツの千切りは多少失敗してもごまかせるからな。商品としちゃ大丈夫でしょ」


 彼の見ている前で、ラッグの手にした包丁がひらめいた。

 とたたたたたっ。

 軽いステップと共に、残りの大きなキャベツがあっという間に山になる。


 ラッグが千切りになったキャベツをつかみ横に並んでいた皿へぶち込むと、横から別のシェフが揚げたてのコロッケをその上に載せる。すると、まるで打ち合わせをしていたかのようにホールにいた給仕係がやって来て、付け合せのトマトや玉ねぎやポテトを添えて持って行ってしまった。

 流れるような動きだった。


「んで、何の話してたの?」


 気が付けばすでにラッグは土芋の皮むきに取りかかっていた。しかも早い。


「器用だね……ラッグさん」

「ああ、うん。それだけが取り柄だから」


 と、包丁を一度止めたと思えば、誰かが火にかけたまま離れてしまったフライパンをかきまぜる。

 塩や香辛料をかけつつ、


「あ、ミケ。ちょうどいい。炭酸水のボトルが最後の一箱だから地下から持ってきといて」

「お。へい」


 偶然後ろを通りかかった屈強なシェフに的確な指示を飛ばす。

 この人は千里眼でも持っているのだろうか。


「コラットからいろいろ教えてもらったんだけど、とらねこ亭の人って、その、ちょっと変わってるよね……?」

「そう? まあちょっと個性的かもしれないけどよ」


 個性的な一人、年齢不詳のバーテンダーはそうのたまった。


「コシュカ・ルルと小さい頃からの仲って……」


 お留守になっていた皿洗いを再開し、フォルテはラッグに尋ねた。


「まあな。なに、兄さん。コシュカに気があるの?」

「へ?」


 間の抜けた顔をしたフォルテは、すぐに全力で首を振った。


「ままままま、まさか!」

「ははっ。そんなに遠慮なさんな。別に邪魔立てするつもりはないからよ」

「ち、違うよ! そうじゃなくて、ただ……」


 フォルテは一瞬、言葉にするのをためらった。


「あんなにすごい歌、歌ってたから。どれくらい努力したのかな、って」


 ラッグは笑いを収めた。


「芸術家になるには血筋が必要だ。センスだけじゃ人の心に響く音楽は奏でられない。……少なくとも、ぼくはそう教えられてきた。もちろん血筋だけで芸術家にはなれないけれど、芸術家じゃない人が音楽をするのってすごく大変なことだと思うんだ。それなのに、彼女、あんなに生き生きと歌ってた。……あんな歌は初めてだった」


 奇跡の込められた【力ある音】こそ、音楽の極致。

 そうフォルテは認識してきた。きっとフォルテだけでなく、無形派の誰もが考えている共通認識のはずだ。

 しかしフォルテは見てしまった、いや聴いてしまった。奇跡など込めずとも、人の心を打つ音楽というものを。

 フォルテにとってそれは、今までの自分の音楽を根底から覆す出来事だった。


「彼女は【力ある音】なんかなくたって、立派に音楽をしていた。人の心を、動かしてた。ぼくにはそれが不思議で……」

「芸術家じゃないくせに?」


 フォルテの言葉が詰まる。

 ラッグはふっと笑みをこぼした。


「コシュカは別に、自分の歌で誰かを感動させてやろうとか、そんなこと思ってないと思うけど?」

「え……」

「あいつはただ、歌いたいから歌ってるんだ。芸術家になりたいとか、評価されたいとか、そんなくだんねぇことちっとも考えてないんじゃねぇの?」


 歌いたい。

 ただ、それだけ?


「なあ兄さん。一つ訊いていいかい? あんた、自分の歌が評価されなかったんだってな」


 ラッグはフォルテを見もせずに問うた。


「評価されなかったから、歌やめたの?」

「……っ!」


 フライパンを火からあげ、ラッグは中身を皿に盛りつける。


「別にとやかく言うつもりはないよ。あんたの人生だ。あんたの勝手だと思う。けど、一つだけ忠告しとくぜ」


 フライパンを流しに置き、ラッグは通り過ぎざまに固まっているフォルテの肩に手を置いた。


「コシュカを……あんたの価値観で測んじゃねぇ」


 ささやいた声は、氷よりも冷たかった。

 ぞっと背筋が凍る。


「ぼくは……そんな……」

「あんたは確かに表向きじゃ無形派じゃなくなったかもしれない。だけど同じだよ。くだんねーことで揉めて、くだんねーことに悩んでる、バカな連中と同じだ」

「ち、違う……ぼくはもう……歌は……」

「なら、なぜ楽譜なんかにこだわってる?」

「!」


 ラッグはわざとらしく嘆息し、沈黙したフォルテの背を乱暴にはたく。

 冷徹な口調が拭い去られ、いつもの人懐っこそうな笑みが戻った。


「なーにに縛られてんだか。ここはガレキ通りだ。無形派も造形派もなんにもない、マグナリアで一番自由な場所さ」

「自由……」

「そうとも。悩むことも忘れた、大バカどもの住処だ。あんたも今に分かる。自分がいかに小さなことに悩んでたかってな」


 あっけらかんと笑い、ラッグはピッチャーを持って厨房から出て行った。

 フォルテはラッグの言葉を噛みしめる。


(どうして楽譜にこだわっているか、か)


 彼の言う通りだ。

 自分はまだ、音楽を捨てきれていない。

 無形派を脱退し、王都から離れても、結局自分の本当の気持ちからは逃れられないのだ。


(ぼくは歌が好きだ。それは今も変わらない。だけど……)


 だけど。


「あ、あああああっ! フォルテさん、あぶないっ!」

「え」


 コラットの悲鳴の一瞬後、たまりにたまって山となっていた食器がバランスを崩しフォルテの頭上に襲いかかってきた。



 コシュカは思いっきり扉を蹴り開けた。


「邪魔すんぜ」


 ただでさえ静かだった展覧会場が水を打ったように静まり返る。

 なんだ、この野生児のような娘は。

 誰もがそんな目を交わした。


「い、一体なんだね君は!」


 責任者と思しき男がたちまちすっ飛んで来る。

「ここがどういう所か分かっているのか。芸術家ダン・デライオ様の生誕式典の会場なるぞ!」

「その芸術家サマはどこ?」


 ずかずかと会場に入り、ぐるりと見渡す。

 昼間だというのに会場にいる客たちはみな正装だ。タキシードにイブニングドレス。どこかの結婚式にでも迷い込んだのかと思えてしまう。


(貴族ってもんの価値観はあたしにゃ分からんね)


 肩こらないのかな、あれ。コシュカはこっそりと思う。


「で、出て行きたまえ! ここは君のような下賤な者が立ち入っていい場所ではない!」


 眼中から排除された責任者が叫ぶ。

 コシュカの目が止まった。

 つばを飛ばす責任者の肩越しに、どさくさにまぎれてこっそり奥へと逃げていく後姿を。


「おだまり」


 行く手を阻もうとする彼の手をとった。まるで旧知の友のそれと握手をするかのように。

 ぶんっと大きく放り投げる。

 男がいともたやすくすっ転ぶのを脇目に、コシュカは足早に自分の獲物を追った。


「待ちな!」

「……っ」


 芸術家は怯えに顔をひきつらせた。

 しわの多い手が叩かれると、彼の作品たちが主人の呼びかけに答えた。

 ぐりんっと一斉に作品たちがコシュカを振り返る。


「ハン」


 それを一瞥し、コシュカはどう猛に笑った。

【躍動ある息吹】を吹き込まれた巨大な青銅の騎士像が台座から立ち上がり、柱ほどもある剣を抜く。

 会場中のあちこちから悲鳴が上がった。


「よ」


 コシュカがステップを踏むと、彼女のいた場所に作品の剣がクレーターを作る。

 飛び退いたはずのコシュカが一瞬よろめくほどの余波。


「うお、っと。確かに直撃もらうとやべぇか……でも」


 ちらりと騎士像の台座を見ると〈暴虐の巨躯〉とプレートがあるのが見えた。


「ま、ただのデカブツだな」


 身を沈め、床を蹴る。

 騎士像の丸太のような足の間をすり抜け、剣を抜こうと屈む背にコシュカは遠心力を乗せた回し蹴りを叩きこんだ。

 ぐらりと巨体がかしぎ、地響きを立てて騎士像が膝をつく。


「バカな!?」

「ハン。ただのでくの坊にあたしが負けるかよ」


 立体の作品で一番気を使わなければいけないのは重心だと言われている。

 人間は立ち止まってる時も重心を少しずつずらしながらバランスを保つが、造形作品はそうはいかない。もともと動き回るような作りではない為、ひどく不安定なのだ。

 ならばその不安定な重心をずらしてやったらどうなるか。

 華奢な少女に足蹴にされている巨人騎士像の図こそその答えである。


「立派な造形作品が並んでるからどんなもんかと思えば手応えねーな。ギャラリーの新人(ひよっ子)どもの方がよっぽど独創的なもん作るぜ」

「くっ……」


 一度は歯ぎしりした芸術家がニヤリと笑う。

 ばさり、と音が聞こえて上を仰ぐと、三対の翼をはやした石膏の女神像が天井近くを旋回していた。


「あ、やべ」


 鉄槍を掲げ、女神像が急降下する。

 コシュカを串刺しにせんとする切っ先は


 ぱあんっ


 銃声と共に弾け飛ぶ。


「んも~。コシュカちゃん、一人でおいしいところ持ってくんだから~」


 メニの手に握られた短銃から煙が上がる。

 彼女の放った銃弾は女神像の槍を真っ二つにしていた。


「何がんも~だ。わざわざ登場のタイミングはかっておいて、よく言うぜ」


 コシュカは肩にかかった粉をぞんざいに払う。


「にゃはは。そりゃああたしもカッコよく決めたいじゃない~? ね、おじさま?」


 がちりともう片方の短銃の撃鉄を上げ、銃口を芸術家に向けた。

 作品たちの動きがピタリと止まる。


「な、何が目的だ!」


 血の気を引かせた顔で芸術家が叫ぶ。


「金か? 金なのか! ワシの大事な作品たちに泥を塗りおって、無教養のサルどもが!」

「先にけしかけたのはそっちだろ」


 背後をにらむと、主を守ろうとこっそり近寄ってきていた小人の像が立ち止まった。

 にっこりコシュカは笑って見せる。


「頭かケツ、どっちがいい?」


 がんっと床にヒールを打ちつける。

 単純な威嚇に小人はおののいた。

 恐怖心さえも表現してしまうとするならば、ムダに【躍動ある息吹】で命を得るのも考えものである。


「聞きてぇことがあんだよ、ジジイ。昨日あんたの舎弟たちがガレキ通りで目撃されてる」

「!」


 壁に追い詰められた芸術家が息を飲む。


「南地区の連中が何人も見てんだよ。無形派の連中に誰かれかまわず喧嘩ふっかけてんのをさ。別に造形派と無形派が衝突すんのは珍しいことじゃあねぇがよ。結局、自警団にふんじばられて検挙されたんだってなぁ。師匠はのんびり展覧会たぁいいご身分じゃねぇか」

「……出来の悪い弟子の問題だ。ワシには関係のないことだ!」


 おやおや、と歌姫は柳眉を上げる。


「そりゃ結構! 関係ないときたかい。そうやっていざとなりゃ知らんふり決め込む、貴族サマの悪い癖だぜ」

「面白い話はここからなんだよね~」


 銃をかまえたメニが後を引き継ぐ。


「ブタ箱にいるはずのお弟子さん、なんと今朝夜明け前に豪華絢爛な馬車がお迎えにきたらしいよ~? 下ごしらえしてたパン屋のおばあちゃんが偶然居合わせて腰抜かしちゃったんだって、かわいそ~。でも、寂れたガレキ通りで金ぴかの馬車が通ったら誰だってびっくりするよね~」

「……」

「その馬車に刻まれてた紋章、聞きたくなぁい?」


 無邪気にメニが言った。


「青の剣に翼」

「……っ!」

「造形派のトップの家柄の紋章が、なんでガレキ通りをうろついてんのかね? しかもてめぇの出来の悪い弟子のために? さあ、これでも関係ねぇとしらを切り通すかい?」


 ラッグの根回しは完璧だった。

 ミムズ食堂前に在住のボランティアの皆様は、コシュカとメニにとても興味深い話を提供してくれたのだ。

 その時、ホールの外から複数の足音が聞こえた。


「武器を捨てろ!」


 作品が暴走を始めた段階で会場にいた客たちは我先にと逃げ出しており、代わりに押し寄せてきたのは山のような警備員たち。


「ちっ。思ったより来るのが早いな」


 コシュカはメニに目配せした。

 芸術家はあからさまにほっと息をつく。

 しかし、彼が助けを求めようと口を開きかけた時だった。


「きゃあああああっ!」


 コシュカはあらんかぎりの悲鳴を上げた。


 は? と誰もが目を点にする。


 その彼女のすぐそばを、立ち上がった巨人像が再び剣を振り下ろす。轟音と共に再び床にクレーターができた。


「なっ!? デライオ様! 作品をお鎮めください!」

「そんな……わしは何も……」


 己の作品の所業に、驚いたのは芸術家自身だ。

【躍動ある息吹】を込めた作品といえども、芸術家の意志なしに動くことはできない。「攻撃し続けろ」と命令しないかぎり、巨人像は芸術家の指示を得るまで待機するはずだった。

 しかし作品は、彼の意志に反してひたすらコシュカを叩き潰そうと動き続ける。

 呆気にとられる彼の前でコシュカがよよよ、と泣き崩れてみせる。


「ああ、芸術家様! どうぞこの罪深い小娘をお許しくださいませ! たった一度……たった一度だけあなた様の作品を拝見したかったのです。土臭い娘には資格がないからと、そのようなことをおっしゃらないでください!」

「なにぃっ!?」


 驚きのあまり言葉を失う芸術家。

 続いてコシュカは、ダメ押しのように警備員たちに向き直る。


「おまわりさん。この方をお責めにならないで。彼女は私を助けようとしてくださったのです。突然襲いかかってきた騎士像から、この下賤な身の私を守るために銃をお抜きになったのです……悪いのは私なのです! どうか、捕まえるならこの私だけにしてください……っ!」


 目を涙でうるませながら、わざとらしく手を組んで懇願した。


 猫かぶりモードの真骨頂であった。


 現場に到着した警備員たちも、最初こそ下町の身なりをした娘と銃をかまえている娘をにらんでいたが、やがて奥の芸術家に白い眼を向け始める。


「ち、違う……誤解だ!」


 くすくすと声が聞こえた。

 笑いを隠しもせずにメニは銃を下ろす。


「ダメだよ~、おじさま。ちゃんと自分の作品は自分で管理しなくっちゃあ」

「な、なんだと……!? 貴様、ワシの作品に何を……」

「今はあたしの」


 メニが指で合図すると、巨像はその握りこぶしを警備員たちに向けた。

 途端に、ホール内が阿鼻叫喚となる。


「……っ!」


 コシュカはきゃあきゃあとやけになって騒いている。


「悪役になりたくなかったら、さっさとゲロっちゃった方がいいよ~? 師弟ともども自警団にお世話になったとなるとメンツも台無しでしょ~?」


 真っ白フリルの小悪魔の笑みは、あくまで無垢だった。




「あ、おかえり」


 とらねこ亭に帰ると、ラッグがいつもの調子で迎えた。

 疲れた仏頂面で「おう」とコシュカは応じる。


「どうだった?」

「楽譜の在り処が分かった」

「マジ? やったじゃん。……って割には浮かない顔だな」


 死ぬほどめんどくせぇ。

 コシュカの顔にはでかでかとそう書かれている。

 メニが困ったように首を傾げた。


「分かったはいいんだけどね~。ちょっと厄介なことになっちゃってて」

「ヘタレ男はどこだ。あいつ一度シメ上げないと気がすまねぇ」

「ああ……うん。厨房だよ」


 一瞬言葉を濁したラッグに怪訝な顔をしながらも、コシュカは足音荒く奥へと向かった。


「おい、ヘタレ野郎! てめぇ、あたしらに一体何隠して……うっ」


 厨房の椅子に座りこんでいる長身の背中を見つけ、コシュカは言葉を途切れさせた。

 メニもコシュカの後ろから顔を覗かせてつぶやく。


「うっわあ。くら~い」


 哀愁ただようフォルテの後ろ姿には、どよーん……と真っ黒な影が落ちている。彼の半径二メートルはひたすらに空気が重かった。

 生きていてすみません。

 うなだれた横顔にそんな文字が見える。


「さっきからこの調子なんですよぅ。何言っても生返事でぴくりとも動かないんですぅぅ」


 半べそのコラットが助けを求める。確かにこんなものを厨房に置かれてはおちおち仕事もできないだろう。

 ラッグが気まずそうに頬を掻く。


「うーん。ちょっと脅しすぎたか?」

「何言ったんだよ」

「人生のススメを少々」

「は?」


 ワケ分からん、と呆れ返るコシュカ。

 仕方なく近くにあったフライパンとおたまでガンガンやる。

 自己嫌悪のかたまりとなっていたフォルテが、カメより遅いのろさで振り返った。


「喜べ、てめえの探しもんが見つかった」

「! ホントかい!」


 干物になりかけていたフォルテの顔に生気が戻る。


「い、一体どこに!?」

「なんとおどろき。造形派の主席、ミロ・ジョコンダのお屋敷だ」

次回は8月3日23時に投稿します。

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