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ガレキ通りの小娘  作者: 駄文職人
終章
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終章

 ジョコンダ邸に忍び込んだ時に着た燕尾服と、こんな形で再会するとは思わなかった。


 フォルテはジャケットの皺を伸ばし、首元の蝶ネクタイをしっかりしめる。鏡の中の自分の顔はなんとも情けなく、不安にくもっていた。


「あのさ、ホントにいいのかな? やっぱり止めといた方が……」


 もう何十回目のセリフを繰り返す。


「はあ? 今更何言ってやがる」


 すでに準備万端のコシュカが片眉を跳ね上げた。


 髪が短くなったので結い上げるのは止め、代わりに赤い花の髪飾りを耳に刺している。手鏡を片手に、化粧崩れがないかチェックするのに余念がない。


「楽譜探しに芸術家相手の喧嘩! まさかバイトの稼ぎだけで返済する気じゃねぇだろうな? てめぇのへなちょこぶりじゃ一生かかっても払い切れねぇぜ」


「うぅ」


 フォルテは肩を落とす。


 あれから一か月。最初は自警団に後ろから肩を叩かれるのをびくびくしながら待っていたフォルテだったが、結局未だに音沙汰がない。マグナリアの上層部は聖戦騒ぎをなかったことにする方針のようである。


 その代償として、ずいぶん裏では隠ぺい工作が行われたそうだ。造形派無形派双方の主席はすぐさま市庁舎に召喚され、こっぴどく責め立てられ釘を刺されたらしい。おかげで破壊された公共物の弁償代になけなしの組合運営費を削り取られ、今では二派とも聖戦などと世迷言を抜かす余裕もないとか。


 ラッグに一連の情報がもたらされ、とらねこ亭の面々は一様に緊張を解いたのだった。


 ちなみに今回の一件で、ガレキ通りは造形派、無形派に並ぶ第三勢力として町の人々に認知されるようになった。芸術家二派がまた妙なことをした時のための調停機関、という訳だ。本人たちにそんな自覚はないだろうが。


 おかげでマグナリアは再び平穏に包まれた。


「だけどここの歌姫は君じゃないか。ぼくなんかがしゃしゃり出たら……」


「何、あたしの魅力がかすむって?」


 ばきり、とこぶしを鳴らす。


 ぶんぶんと風が起きそうなくらいフォルテは首を振った。


「違う違う! だってぼくはこういう場、初心者なんだよ? いきなり人前で歌うなんて」


「初めてのことは誰にでもあんだろ」


「みんな興ざめしちゃうかも……」


「ったく、ヘタレってのはあんたのためにある言葉だよな」


 半眼でコシュカは言った。


「いいか? てめぇはあたしの前座だ。てきとーに歌っててきとーに間をもたしてくれりゃそれでいいんだよ。メニでもできる」


 フォルテの音楽家としての地位は依然保たれたままだ。


 いつだったか、アヴェ=マリアがとらねこ亭にやって来て、フォルテに無形派に戻って来てくれないかと頭を下げたことがあった。このまま自分一人でこの町の音楽家を支えていく自信がないのだと言うのだ。


 もちろん、丁重にお断りした。フォルテはマグナリアの芸術家に啖呵を切った身である。今更のこのこと戻れるはずもない。


 それでも渋るマリアに、フォルテは偉大な作曲家の言葉を送った。


「音楽は、最も調和に優れた芸術だ。複数人で奏でる音は互いの音を引き立て合って、さらに深みのある音を生み出す。……コンサートミストレス(先導者)だけが音楽を作るわけじゃないでしょう?」


 この言葉を遺したスラーの楽譜〈調和〉は、相続人フォルテの意志によって王都の外れにある彼の墓標の下に収められることとなった。


 また争いの火種とならないように、という配慮である。


 ちなみに、フォルテはすでに〈調和〉を何度も読み返し暗譜済みである。それでも親友との思い出の品を手放すのは断腸の思いだった。証拠に、墓標に収めるまでに五日はもんもんと悩み、手放した後も十日ほどは落ち込んで「辛気臭いから他所に行け!」とコシュカたちから叱り飛ばされたほどである。


 もしかしたらこの唐突な前座の依頼は、フォルテを元気づけるためなのかもしれない。


「おーい。そろそろ時間だぞー」


 ノックの音とともにラッグが開演五分前を告げる。


 きゅうっと胃がしめつけられる。


「ほれ、行って来い」


「う、うん……」


 コシュカに促されて、フォルテは諦め半分に廊下に向かう。


「ちょっと待て」


「え?」


 呼び止められていぶかしげに振り向いた瞬間、フォルテの頬に平手打ちが飛んだ。


「つべしっ!?」


 熱くなった頬を押さえ、フォルテは信じられないとコシュカを見る。


「な、何するのっ!?」


「気合入れてんだよ。歯ぁ食いしばれ」


 混乱から冷めやらぬ間に、容赦ない一撃が反対側の頬を襲った。


「ぬべしっ!?」


「んな葬式みたいな顔、客に見せんじゃねぇよ。振りでもいいから笑えっつーの」


 涙目のフォルテに向かって、コシュカは歯をむき出して見せる。


「今日はあんたの歌目当てで来てる客も何人かいるはずだぜ。そいつらがっかりさせたくはないだろ?」


「ほ、ほんと?」


 フォルテは驚く。


 ガレキ通りの人たちは、みんなコシュカ目当てだと思っていた。


 半信半疑のまま控室を出て、階段を下りる。酒の匂いとタバコの匂い、そして喧騒がフォルテの周りを包む。いつもと変わらない、とらねこ亭は今日も大盛況である。


 コシュカに活を入れてもらったからか、頭がクリアになっている。


 フォルテは自分でも両頬を叩き、「よしっ」とうなずいた。


 木箱を並べた不安定なステージに一歩、足を踏み出す。


 前にここに立った時は作戦会議の時だった。その時の真剣な空気とは一変し、今日は疲れも嫌なことも全部笑い飛ばす陽気な雰囲気だ。詰めかける人の数も桁違いである。


 酒をあおっていた何人かが、ステージに立ったフォルテに気が付き視線を投げかける。が、ほとんどは雑談と喉をうるおすのに忙しくて正装したテノール歌手がいることにも気が付いていない。


 ちょっと驚かしてやろう。


 フォルテはそんな悪戯心にかられて、前触れもなく声を張り上げた。


【力ある音】が七色に弾けた。


 一瞬、とらねこ亭がしんと静まり返る。ぱちりと誰もが目をまたたかせ、今のは酒の幻かとしきりに目をこする。


 フォルテはまずまずの反応にほくそ笑んだ。


 ふつう【力ある音】は審美眼を持つ者にしか見ることはできない。水の中に沈んだ透明無色の水晶を見分けるようなものだ。審美眼を持つ者は満ち満ちた水を取り去って水晶を見る術を知っているにすぎない。


 だがもし、その水晶をサファイアにすり替えることができたら?


 これこそ、フォルテ・スタッカートが王都で一世を風靡した理由である。彼は特殊な歌い方をすることで、【力ある音】を常人の目にも見える形に変えることに成功したのだ。


 これは審美眼を持たないスラーのために考えた奏法だった。【力ある音】が見えないはずのスラーが数々の名曲を生み出すことができたのは、彼の前で実演できるフォルテの協力のおかげも多分にあるだろう。


 そしてスラーは、フォルテの歌の力を十二分に発揮する曲を書ききった。


 フォルテはブレスし、腹腔に空気をためて歌い始める。


 彼の喉から歌声が生まれるたび、客の頭上で【力ある音】が踊った。時に日の光のような黄色、時に若葉のごとき緑色、さらに薔薇の赤、湖川の群青、荒野の褐色、初雪の純白、夜空の漆黒、薄桃、茶、紫、銀、朱、金……。


 ありとあらゆる色彩が空中で弧を描き、点をうがち、他の色と重なった。無作為に遊び回る色を、みな口を開けて見つめた。


 調和の楽章。


 スラー最期にして最高の傑作。


 フォルテの額から汗がしたたり、あごまで伝う。この曲はフォルテとスラー二人の集大成である。演奏には半端でない集中力を要した。おまけに力みすぎて【力ある音】で物を破壊しないよう、細心の注意を払わなければならなかった。


 フォルテは移り気な【力ある音】一つ一つを制御する。しかし縛り付けるのとは違う。馬の手綱をとるのにも似ていた。正しい方向を指し示しさえすれば、【力ある音】は勝手に走り出していく。


 察しの良い者はあっと声を上げた。他の者たちも、色が新たに加えられていくのを見てすぐに気が付く。


 絵だ。


 この音楽家は、【力ある音】で絵を描こうとしている。


 スラーの言う調和は、色彩のことだけを指しているわけではなかった。楽譜を初めて見た時フォルテは心底驚き、そして大声あげて笑ったものだ。


 実にあの親友らしい!


 怖いもの知らずの彼の友は、あろうことか音楽と造形作品との融和を図ったのだ。こんなものが世に広まったら、きっと世界中が度肝を抜く。


 いや、もしかしたらスラーは世界そのものを変えたかったのかもしれない。


 音楽だから、造形芸術だからといがみ合うのではなく、互いが褒め称え、ともに人々の心を豊かにしていくような、そんな夢を見たのだろう。


 だからこそ、フォルテは歌うと決めたのだ。友の夢を絵空事にしないために。


 いつか夢を現実にするために。


「怖気づいた?」


 階段の上からこっそりのぞいていたコシュカが、びくっと肩を震わせた。


 バーテンダー姿の兄貴分が背後でにやにやと笑っている。


「プロの後に歌おうたぁ、ずいぶん高ぇハードルこしらえたもんだ。いったん休憩挟んでもいいんだぜ?」


「ばっ、いらねぇよ、んなもん!」


 声を荒げそうになって、あわててコシュカは口を押さえた。


 フォルテの集中を乱すわけにはいかない。


 そわそわと落ち着きなく豪勢な前座の様子を見守るコシュカに、ラッグはぷっとふき出した。


「本番前に一杯いかが? レディ」


 うやうやしく炭酸ミルクのグラスを差し出す。


 いつものように一気飲みすると後で苦しくなるので、コシュカは一口含んだだけでグラスをラッグに返した。それでも少し平静を取り戻したようだ。


「……ありがと」


 ぶすっと礼を言う。


 わっと階下で喝采が起きた。


 音楽家らしくフォルテは観客に一礼する。その上には、とらねこ亭の歌姫の絵が宙に浮かんでいた。


【力ある音】はきらきらと星のように輝きを放ちながら、ゆっくり淡くなって会場の熱気の中に溶ける。すぐに消え失せる儚い芸術。しかしそれは確かに、人々の胸に感動を与えていた。


 コシュカは緊張した面持ちで階段を降りようとして、ふとホールの奥に見知った顔がこちらを向いているのに気が付く。


 メニとカルミナだ。


 二人はコシュカを指差し、可笑しそうに笑い合っている。どうやらコシュカが緊張しているのがよほど滑稽に見えるらしい。


 かちん、と頭にきた。それで一気にプレッシャーが吹き飛ぶ。


「おう、ラグ」


「ん?」


「あそこの二人に激辛エビチリを特盛で届けてやって。残したら殺すって」


 コシュカのにらみつけている方を確認し、ラッグは苦笑して了解した。


 あいつらなんか、口を真っ赤に腫れさせてひーひー悲鳴を上げていればいい。


 いつもの調子を取り戻したコシュカは、ドレスの裾をつまみあげて「ハン」と笑った。


「蹴っつまずいてこけんなよ」


「うっせ」


 軽口を叩き、階段を駆け下りる。


 ちょうどステージから降りたフォルテと目が合った。


「がんばって」


 青年の声援。


 コシュカはにっと笑って、手を振り上げた。


 すれ違いざまにハイタッチをし、とらねこ亭の歌姫は入れ違いにステージに飛び乗った。髪と同じ真紅のドレスがふわりとひるがえる。


「今宵はこれからだ! 飲んで騒ぐぞ、ヤロウどもぉっ!」


 歌姫の号令に、収まりかけていた拍手と歓声がより大きく爆発した。



完結です。

ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。

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