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ガレキ通りの小娘  作者: 駄文職人
子どもは夢を守り、大人はプライドを守る
11/14

激突

 南北を結ぶガレキ通りが未発展である代わりに、マグナリアでは東西に走るメインストリートは住民の交通手段の要だ。道幅は大きな荷馬車が二台すれ違っても余裕があるほど広く、地面も日頃から手入れされて平らに整えられている。


 だから、造形派と無形派が攻めてくるならば必ずこのメインストリートを使うはずだ。


 フォルテとラッグは人気のなくなった民家の屋根に上っていた。そこからは東側の大通りから中央広場までがはっきりと見える。


 大通り沿いは自警団によって立ち入り禁止区域に指定され、ゴーストタウンのように静まり返っていた。

 フォルテの方はというと、緊張しすぎて若干気分が悪くなり始めていた。


「なんか忘れてる」


 ラッグが突然そう言うので、フォルテはどきりと顔をこわばらせた。


「忘れてるって……何を?」


「分からん。けど、なんか忘れてる気がするんだよ。そういうことってない?」


 同意を求められても困る。


「たとえるならさ。顔のすぐ目の前に突然虫が飛んできて、驚いてとりあえず手で払ってみたはいいけど、なんとなく頭にくっついているような気がして妙にむずがゆくなってくる感じ。何もないのにうっかり触って確認しちゃったりするだろ? その内服についてんじゃないかって心配になってチェックするんだけど、だいたい虫はとっくに逃げちまってるんだ」


「そりゃあ心当たりはあるけど……。思い出せそうなの?」


「思い出せたらこんなこと言わねぇよ」


 それもそうかと納得した。


「そうだ。忘れてるで思い出したんだがよ。あんたの楽譜。どこで見たか思い出したぜ」


「えっホント?」


「ああ」


 とっくに楽譜の在り処は分かっているので聞いても仕方がないのだが、そう言われると気になってくる。


「どこで?」


 しかしそれに答えようとしたラッグが、遠くを見て目を細める。


 フォルテもつられてそちらを見た。


 しんと静まり返った町に、かすかに砂のこすれる音がフォルテの耳に届く。遅れて大通りの向こうに立つ砂埃を見た。


「見えた」


 敵影の姿を確認し、ラッグがあちこちに隠れている仲間たちに合図を送る。

 相手の様子を見ようと双眼鏡をのぞき、「うわあ」と声を漏らした。


「どうしたの?」


 フォルテが尋ねると、ラッグは無表情にこちらを見返した。

 何も言わずに双眼鏡をバトンタッチする。


(えぇっ!?)


 せめて何か言ってはくれまいかと期待したが、彼は黙って見ろと視線で訴える。


 百聞は一見にしかず。


 覚悟を決めてフォルテは双眼鏡を目に当てた。


 はるか向こうが楕円形に切り取られてクローズアップされる。


 粉塵は通りを踏みしめる造形派とその作品たちのものだろう。空飛ぶ作品もその粉塵の中を旋回しながら移動している。

 徐々に近付いてくる造形派集団に目を凝らし、フォルテは怪訝な顔をした。


 様子がおかしい。


 待ちに待った聖戦を前に喜び勇んで向かってくる……というわけではなさそうである。


 むしろその顔面は蒼白だ。


 よくよく見ると彼らのほとんどは内股で歩いている。制作者につられてか、ともに行進してくる造形作品もどこか足元がおぼつかない。

 耐えかねたように腹を抱えて近くの建物に駆け込んでいく何人かを見送り、フォルテは双眼鏡を下ろした。


「な、なんでぇ?」


 肉眼でさえ、上空の石像がよろよろと失墜していくのが確認できる。


 どうしたことか。造形派はすでに壊滅寸前であった。




 リズミカルな太鼓の音に合わせて人の帯が流れてくる。


 一息乱れぬ動きはもはや音楽家ではなく軍隊だ。金管楽器だけでなくクラリネットやサックスなど木管楽器を交えたマーチングバンドが先陣を切り、その後ろにスーツ姿オールバックヘアの歌手やバイオリンを携えた室内楽器奏者が続く。


 幾層に織られた【力ある音】は、あちこちでレンガや窓ガラスを破壊しながら突き進む。


 陽気な行進曲と共に進軍していた無形派の中、先頭のアヴェ=マリアは眉をひそめた。


 いやに静かだ。


 人気がないのは分かる。とらねこ亭のバーテンダーの情報網なら、ガレキ通り以外の人間にもすぐさま危険を知らせることができるだろう。それを差し引いても、静寂が澄みすぎている。


「気に入らないわね」


 誰にも聞こえないように言ったつもりだったのに、すぐそばに控えていた若い弟子がマリアの一言を拾い上げた。


「音程がずれましたか?」


 弟子がうろたえるのを、マリアは首を振って否定した。


「合奏は完璧よ。ピッチもテンポもずれはない。お前も絶対音感を持っているから分かるでしょう?」


「はあ。では、何がお気に召さないのでしょう」


「町の様子よ。どうして何も反応がないの」


 これだけの大群による音楽、ガレキ通りにもすでに聞こえているだろう。それなのにどうして様子を見に来る者や邪魔だてする者が現れないのか。


 巻き込まれたくなければ避難しろ、と言ったのは自分だ。しかし心の中では、きっと自分の言うことなど聞きやしないだろうという思いがあった。妙に仲間意識の強い彼らのこと。聖戦が起きれば、必ずガレキ通りの人間たちは行動を起こすと踏んでいたのだ。


 自分たちの手に余ると観念したか?


 もうすぐメインストリートの交点、中央広場にさしかかろうかという時になって、ようやく動きがあった。


 マリアはすぐさま後ろの音楽家たちを手で制す。

 彼女らの目の前に、黒ローブがゆったりと揺れた。


「カルミナ・ブラーナ」

「ごきげんよう、アヴェ=マリア」


 まじない師の手にはいつものハープがなかった。

 その代わりに風に流されそうになる己の黒髪を押さえている。


「今更戻ってくる気になった……というわけでもなさそうね?」


「えぇ、マリア。わたしの道はわたしのものです。野心にまみれた貴女に委ねるつもりは毛頭ありません」


 カルミナは涼しい顔だった。

 一枚の羊皮紙を音楽家たちに突き付ける。


「フォルテ・スタッカートが決断しました。ガレキ通りの人間にある依頼をしたのです。今日聖戦に参加した作品の破壊を。これはその証拠です」


「冗談でしょう?」


「残念ながら、冗談ではありません」


 ぞろぞろとカルミナを取り囲むように生傷絶えない男たちがあちこちから出てくる。

 彼らは一様に大鍋やらフライパンやらを手に持っていた。


「なるほど、ね」


 彼らの真意のほどを推し量るように、うなずいた。


「まさか、その手に持っているものを打ち鳴らしてあたくしたちの音楽を相殺しようとでも? 愚かにもほどがあるわ!」


「誰がそんなこと言いました」


 カルミナは呆れ返った。


「あら、じゃあ貴女が相手になる?」


「いいえ」


 ゆっくりとカルミナは首を振る。


「貴女の相手は……彼女です」


 ほっそりとした指が指し示した先に、その場にいた全員の目が吸い寄せられた。


 三階建ての建物が立ち並ぶ中、一軒だけ落ちくぼんだ一階建てのカフェの屋根に彼女はいた。ドレスは着ていなかった。ただ、真紅の髪だけが高く上った日の光に輝く。


 コシュカの姿を目にした瞬間、彼女のファンクラブから歓声が爆発した。喝采が鳴り、指笛があちこちから飛び交い、彼女の名が口々に叫ばれる。がんがんとフライパンを叩く金属音がやかましい。


「ハン」


 とらねこ亭の歌姫が、白い歯を見せて笑った。

 マリアは顔がかっと熱くなるのを感じた。


「まだ町に残っていたの。懲りない小娘ね!」


 騒ぎに負けじと叫ぶと、


「ごあいにく! てめぇの戯言に懲りた覚えはねぇよ!」


 コシュカも怒鳴り返した。


「わざわざ御礼返しに来てやったんだ! ありがたく受け取りな!」


 無秩序だった喝采がいつしか集束し、手拍子に変わる。ただの雑音がテンポを決める。

 粗雑なリズムに身を任せ、とらねこ亭の歌姫は突然声を張り上げた。


《青い空は陽気 白い雲が誘う

 ひとひらの風が背中を押している

 いざ 進め!

 自由こそが 我らの道だ!》


 高らかにソプラノが弾む。

 楽しくて仕方ないというように。

 その口からは相変わらず【力ある音】は出なかったが、凛と響く歌はむしろそれを誇るようであった。


「お黙り!」


 マリアは怒りで声を上ずらせたが、歌を遮るには至らなかった。

 むしろ歓声はより大きく沸き立つ。


『こっちを向いて、コシュカちゃーん!』


 リズムに合わせて合いの手がそろう。

 マリアは騒々しい男たちの方を向いて黙らせようとしたが、目に飛び込んできた光景に愕然とした。


 ただ手拍子をしているだけと思われたガレキ通りの住人は、みな一様に足を打ち、こぶしを振り上げていた。無形派の行進に負けず、息一つ乱れない見事なダンスだった。


 彼らに後押しされるように、コシュカは歌を続ける。


《迷いなんざ 置いていけ!》


『合点っ』


《腹の底から笑ってみろ!》


『スマイル!』


《さあ、歌え!》


『フー!』


《騒げ!》


『フー!』


《我らを止めるものなどありはしない!》


『コシュカちゃーん、最高っ!』


 マリアは、かっと顔が熱くなるのを感じた。

 ピッコロをためらいなく取り出し、鋭く吹いた。


 びりびり、と【力ある音】がコシュカのいる屋根を震わせる。吹き飛ばすことはかなわなかったが、いくつか屋根の板を引き剥がした。

 それでもコシュカはひるむことなく、おたまを突き付ける。


「この機会だ。決着つけようぜ、おばさん。てめぇのへなちょこな音なんざ、あたしがひねりつぶしてやる」




 ラッグの呼びかけに答えて集まったガレキ通りの人々は総勢八十人足らず。それで造形派無形派両方を相手取ろうというのだから、当初から無謀な話であった。


 しかし今、戦局は大きく覆ろうとしている。

 その原因を作ったのは、なんとコラットだった。


「師匠、わたしやりました!」


 眼下でそうガッツポーズをとる彼女を見るなり、ラッグはぽんと手を打った。


「あー、思い出した。コラットがいねぇの忘れてたよ」


「コラット、一体何盛ったの!?」


 フォルテの戦々恐々とした質問に、とらねこ亭の若き厨房係はぴかぴかの笑顔で教えてくれた。


「やだなあ、毒なんか入れてないですよぅ。ただ十日ほど放置されていた生ごみからちょっと拝借しただけです」


 路地裏で熟成された幸せのかけら(残飯)は、昼食を食べた造形派たちの胃腸に痛烈な打撃を与えた。


 コラットの姿が見えないと思ったら、どうやら夜明け前にジョコンダ家の厨房に忍び込んでいたものらしい。


 忍び込むのは存外簡単だった。とらねこ亭のブドウ酒を積み込み、馬車に紛れて入り込んだのだ。門の前の検問で呼び止められたら荒事も仕方なしと武装していたコラットだったが、どういうわけか馬車は何の検査も行われず敷地内へと運ばれた。よく分からないが、運が良かったようだ。

 こうして造形派たちの食卓にて、騒動を起こしてくれた報復を実行したわけである。


「これ、別に作戦なくても勝てんじゃねーの?」


 今や造形派は、放っておいても自然崩壊しそうな有様だ。

 だが、フォルテは慎重だった。


「いや。どれほど芸術家がふらふらでも、作品の脅威は変わらない。このまま作戦通りにいこう」


「りょーかい。あんたがそう言うなら従うよ」


 造形派との戦い方は、無形派として活動していたフォルテが一番熟知している。


「それにしても……ラッグさん。本気かい?」


 両手に何も持っていないのを指し、フォルテは気遣わしげに尋ねた。


 それぞれが思い思いに武装する中、ラッグだけは本当に手ぶらでやって来た。ちょっと散歩がてら様子を見に来た、とでも言わんばかりに。


「おいおい。おれはとらねこ亭の一店員だぞ? 食器は持てても武器なんか持てるか」


「だけど怪我したら元も子もないじゃないか。やっぱり誰かから道具を分けてもらって」


「だーいじょうぶだっつの。自分の面倒くらい自分で見れる。それより兄さんは自分の心配してろよ。ここまで騒動大きくしちまって、今度は町追放程度じゃあすまないかもしんないぜ?」


「それこそ望むところだよ」


 戦いの火蓋はおもわぬところから切って落とされた。


 制御を失った一角獣の青銅像が、罠を張って待ち構えていたガレキ通りの住人の頭上に落下してきたのである。

 ガランガランッと、けたたましい音を立てて頭から転がる一角獣に、泡を食って逃げ惑う住人。そして進行方向に突然武装集団が飛び出してきて一瞬固まる造形派一行。


 そう待たずして、火の玉による集中砲火が撃ち込まれた。


「容赦なしってか」


 ラッグは肩をすくめ、大量に準備した酒瓶を手にとる。


 見やると隠れている仲間たちも同じように瓶を握っていた。

 目配せの後、一斉に酒瓶をあちこちから投擲する。


「問題だ。ニガヨモギを使ったザッファーローム産のアブサン酒、アルコール度数八十。さて、気を付きゃいけないのは?」


「えっと、飲みすぎ?」


「もひとつ」


「火気厳禁……かな?」


「よくできました」


 水で薄めないストレートを引っかぶった作品たちは、風で流れてきた火の粉に引火して途端に火だるまと化した。

 消火しようと暴れ回るほど、あちこちに燃え移って被害が拡大する。


「あちちちっ!」

「うわぁっこっちに来るなぁ!」


 制作者側にも意図せずパニックが伝播した。


「えぇい! 落ち着かんか! ただの酒だ! 火球を使わせるな!」


 まだ冷静な芸術家が絵筆を振り上げて叫ぶ。


 造形作品の弱点は火だ。


 絵や木彫りの作品はそれで再起不能になる。銅像や鉄像であれば多くは酸化し、錆びて身動きがとれなくなる。きわめて合理的な武器だ。


 造形派たちもバカではない。すぐに火を吐く作品たちを後方に退かせる。しかしフォルテたちの大きな目的はこちらだった。作品に傷を付けたくなくて中距離火力に頼っている造形作品を封じることができる。


 歓声が上がった。ガレキ通りの力自慢たちが、まさかりやハンマーを手に大通りへ押し寄せる。地面に伏す作品や逃げようとする作品に、遠慮もなく武器を振り下ろす。


「うわぁぁっ、ミランダぁぁぁ!」

「ステファニぃぃぃっ!」


 破壊行為の度に、泣き声や悲鳴が聞こえる。

 すると、ある絵描きが筆とパレットを剣と盾のように持ち、地面にさらさらと絵を描いた。


「〈アナモルフィック・イリュージョン〉!」


 ガチガチと歯を鳴らして、目のついたネズミ取りのごとき奇妙な生き物が絵の具を伴って地面を滑る。

 ガレキ通りの住人の足元まで来ると、ギザギザの口をかぱりと開けて靴に食らいついた。


「あいててて!?」


 痛みに驚き引き剥がそうとするも、ネズミ捕りは平面上にいるので触れることができない。逆に絵の方は【躍動ある息吹】によって三次元に干渉できるようだ。

 絵の具を消そうと躍起になる彼らを、今度はゾウの石像が雄叫びをあげて踏みつけようとする。


「今だ、横から押せぇぇぇっ!」


 三本足で立つゾウは真横からのタックルに、たまらずバランスを崩す。

 倒れた衝撃で長い鼻がぽっきりと折れた。


「ざまぁみろ!」


「ガレキ通りをなめんなぁっ!」


 ゾウの上に立ったマッチョたちが、黒く光る己の筋肉を見せびらかす。

 と、上で旋回していた陶器の天使数人がマッチョの一人を強襲し、巨体を持ち上げた。


「あーれー!?」


 太陽の光に向かってそのまま牽引されていく。ちなみに何でも拾う癖のあるその天使のタイトルは〈昇天の時〉だった。


 また一方では、


「人生、それはかくも空しいこと……正しいと信じていることが実はとんでもない間違いだということを、誰が否定できるでしょう……? あなたが今しようとしていることは果たして本当に正しいのですか……?」


「だ、ダメだぁ! どうしてもできん! こんなの……あっちゃいけねぇよぉぉ!」


 哲学を語っていた青銅像の横で、木彫りのチワワにまさかりを振り上げていた男が、そのいたいけな瞳に屈服する。


「悩みなさい。それこそが救いである……」


 とつとつと語る神父の胸像の周りには、涙ながらにひれ伏す男たちの姿が。


「お、おれぁ間違ってました!」


「おとーさんおかーさん、グレてごめんなさい!」


「昨日戸棚に隠してあったお菓子食ったのおれです! 出来心だったんです!」


 ガレキ通り勢の士気が徐々に下がっていく。


 フォルテは焦り始めていた。

 造形派の一団の中にミロの姿がない。楽譜はどこだろう。まさか計画が漏れていた?


「フォルテさん、あそこ!」


 コラットが指し示した方向にやぐらがあった。その頂上にあのモデル立ちが見える。


 フォルテは息を飲んだ。

 やぐらを押して動かしているのは四人の巨人像だ。まさか、あれ全部がミロの作品なのか。


「ラッグさん。あと頼みます」


「おう。気が済むまでぶちかましてきな」


 ラッグはびっと親指を立ててフォルテを見送った。


 同じように返し、フォルテは建物の横のらせん階段を駆け下りる。

 混沌と化した大通りを踏みしめた時、やぐらはすぐそばまで迫って来ていた。


 弾む息を抑え込み、気を落ち着かせる。


 大丈夫。

 ちゃんと歌える。


 一呼吸の後、フォルテは朗々と歌い始めた。


 古の言葉で紡ぐ賛美歌に、つかの間人々は争いを止めた。

 それなりの審美眼を持っている者なら、フォルテの深みを帯びた声が天上をたたえる白銀色であると分かっただろう。


 腹の底をも震わせるテノール。

 短いレチタティーヴォを終え、フォルテはやぐらの頂点を挑むように仰いだ。


 巨人像の足が止まっていた。


「おぞましい限りだ。こんな音楽家がまだマグナリアにいたとはな!」


 ミロは立ちふさがる音楽家を冷淡に見下ろす。その足は交差され、しっかり股を引き締めている。必死に何でもないようにふるまっているが、顔いっぱいに脂汗を浮かべているのが見えた。どうやら気力だけで保っているらしい。

 フォルテはちょっぴり同情した。何があっても台所の守護神だけは怒らせてはいけないのだ。


「お褒めの言葉と受け取ります」


「無形派ではないというのは嘘か? 陰謀! 奇襲! 音楽家らしい、姑息な手段だ!」


「嘘ではありません。これはぼく個人の意志だ」


 毅然と言い返す。

 内心ではびくびくしながら、必死に震える足を叱咤した。


「不意打ち失礼。こちらの要求は二つです。一つ、ぼくの楽譜を返してくれ。そして二つ、聖戦を止め、このまま大人しく引き返していただきたい。そうすれば、これ以上の手出しはしないと約束する」


「要求を飲まなければ?」


「貴方の作品を全て破壊する」


 ざわり、と周りの造形派たちが気色ばんだ。

 ミロは大声で笑う。


「アヴェ=マリアも愚かな! 土壇場で臆病風に吹かれたか! こんな頼りない男一人に足止めさせようとはな!」


「無形派の所にもぼくの仲間が向かっている。自分の家と家族が傷付けられることを良しとしない、頼もしい仲間たちだ。ぼくらの目的は聖戦を止めること、それ以上はない」


 わざとフォルテは静かに言った。

 ミロは少し驚いたようだった。


「造形派と無形派、両方を敵に回すつもりだと?」


「必要とあらば」


「なおさら愚かだな! こんなゴロツキの寄せ集めで何ができる!」


「人は愛する者を守る時、何よりも強くなれる。彼らの気高さの前では、ぼくたち芸術家の議論など取るに足らないモノだ」


「なんだと……?」


 額に青筋を立てたミロが、口の端をぴくつかせる。


「取るに足らないモノかどうか……これを見ても同じことが言えるか!」


 ばさり、とやぐらの裏から大きな影が羽ばたいた。


 猛禽類の顔、巨大な翼、そしてかぎ爪のついた前足は純金。大きく発達した足、肌を覆う毛皮、背後に垂れるしっぽは大理石。


 伝説上の生物、グリフォンであった。


 形の違う前後の足で器用にやぐらの上に着地し、【躍動ある息吹】は鳥の声とも獣の声ともつかない咆哮を上げる。横腹には造形派を意味する青の剣の意匠が大きく刻まれていた。


 フォルテはその雄姿に感嘆した。なんて立派な作品! こんな状況なのに見惚れた。本当に生きているかのようだ。


「ふはははは! 驚け、おののけ! 〈黄金比〉を表現した我が作品に勝るものなしぃぃ!」


 再びグリフォンが羽ばたき、大空を駆ける。

 くちばしが光るのを見た時、フォルテは考えるよりも先に叫んでいた。


「逃げろ!」


 光が刹那瞬き、幾筋にも分かれた雷撃が大地にほとばしる。

 避けきれず直撃してしまった神父の胸像が、ぷすぷすと焦げて地面に伏した。


「「ファザぁぁぁぁっ!?」」


 彼の信奉者たちが絶叫した。

 敵味方見境なしであった。


「デカブツが空飛んだだけじゃねぇか! これでも食らえ!」


 誰かが投げたアブサン酒の瓶はグリフォンをかすめもせずにあらぬ方へと飛んでいく。

 それを見た何人かが加勢するも、翼を持つグリフォンはたやすく避ける。


「ばっ……かやろう! 何してやがる、やめろ!」


 いつの間にか屋根から降りてきていたラッグが怒声を上げた。が、遅かった。

 あっという間に大通りは酒まみれになる。


「これだからな。後先を考えない、愚民どもの悪い癖だ」


 ミロは勝ち誇って笑った。

 何をする気か、言われなくても分かる。

 王手の宣告は、こちらに迷う間も与えずに発された。


「フィナーレだ、諸君!」


 グリフォンの放った第二波の雷撃は、広範囲に広がった酒に引火し一気に燃え広がった。

次回は9月14日23時に更新します。

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