表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

7

打ちっぱなしの壁とモダン調な配色の建て具とで全体が家具化した、地上一階地下一階のカラオケ店に、ジョージとマーサーと彼女のアメリカ時代からの日本人の女友達と彼女の彼氏とその二人の友達の清美の五人で集まった。半袖のポロシャツにディッキーズのカーキー色のチノパン姿を、オフィシャルなジーンズ地で裾長のエプロンで隠した女性店員が、キャビネットのティッピングレバーとキャスターを上手にりながら、地下一階の御一行向けの部屋に四人を案内した。照明の点いた引き戸のキャビネットの中には、小袋の未開封のポテトチップスと、チロルチョコ三つと、のど飴がたくさん盛られたのが予めサービスで用意されていて、特にのど飴がマーサーを喜ばせた。他にキャビネットのステージ上には、タッチパネル式のリモコンとオプション料金表と余興用のアイテムと紙おしぼりを入れた大きなバスケットが置かれていた。同フロアーのアプローチに設けられたセルフのドリンクバーに、日本人の女の子の彼氏が自分で使いに立って行って、ペプシコーラ×2とQooオレンジと牛乳屋さんがつくったコーヒー牛乳を入れたグラスを、三本の指で支持した銀盆に載せて入室すると、既に歌唄いのオーダーが決まっていた。牛乳屋さんがつくったコーヒー牛乳は、清美と彼女の友達の日本人の女の子の二人で飲むのだ。

 ーーーもしも君が野球少年だったとして、しかも君のいるチームが九人の選手とスタッフだけで構成されているとしてだね、ライぱちでスタメン登録なら、ねえそれが君ならどう思う?リトルリーグなんかじゃなくて、軟式の少年野球くらいだと、投げるのがうまけりゃ打つ方もそこそこ通じちゃうんだ。エースで四番なんて奴。それが本式でやっているチームじゃ、九番なんてピッチャーが務めるものなんだけどさ。だから地元で半農家をやって口を糊する脱サラ親父や、近所の理髪店のマスターとかなんとかが総監督をやっている、軟式の少年野球というならまだ、九番打者でスタメン出場といったって、一番バッターに繋げる云々と周囲まわりも一緒になって持ち上げてくれるもんなんだ。納会なんかでの父兄の面子なんかもあるしね。それがライトで八番。ファーストアウトはお前次第なんて声掛けされるんだぜ。そりゃあ五十メートル12秒台で非力なガキばかり集まった試合じゃ、センターオーバークラスの打撃でランニングホームランなんかまずお目に掛かれないがね。つまり僕が言いたいことは、『グランド挨拶』なんてうんざりしちゃうよなって事なんだ。河川敷のグラスホッパーフィールドーーー 

 マーサーがモニターの前に立ち、出鱈目にタンバリンを振りながらアカペラで唄う、黒夢の『Night&Day』のAメロ終わりとサビ終わりと“間奏”と曲終わりとで、清美が律儀にやんやの合いの手を入れていた。その間中ずっとジョージは、両足で裏のリズムを正確に刻んでいた。が、小心なのに堪え性のない彼の、マーサーの日内変動がパニックウォッチみたいに乱れた、かつまた、チャイルドライクな脱アメリカンアイドル的のパフォーマンスに、日記を盗み見されたような含羞ハニカミが巧みな2バスを手伝っていた。というのは、ふたりが仮住まいするウィークリーのアパートには、スチールで組み立てられたシングルベットとその他一式が用意されていたが、マーサーが無印で買った持ち込みのシーツを敷き、そのシーツの皺を中央に寄せて、画した場所を各々(めいめい)の領分と決めていた。それでもいつも彼女の寝息が起つ頃には、そんな約束は当然に霧散して、シーツ皺の障壁は音無に崩れた。ジョージにとって大問題なのは、彼女のすね足がまるで“生き物”ように、一寸ためし五分ためしと可塑的かそてきにふたりの足を組んずほぐれつさすことだった。或る夜は彼が鞘走り、彼女の襟足に蚊ほどのキスをすると、マーサーはジョージの大腿を甚く(いた)つねった。また違う夜は、組んずほぐれつしたふたりの足を、彼が嫌になったように退けると、翌朝になっても彼女はなかなか口を利こうとしなかった。彼が不思議なのは、抓られた夜が明けると、マーサーはひどく恐縮したようでいて、常よりも軽口を飛ばすことだった。だから今日もマーサーが、清美とこの店で待ち合わせる前に立ち寄ったコンビニで、ミチコロンドンのコンドームを日本人の女の子に軽口を飛ばしながら三セットも大人買いしたのが、釣り堀で撒き餌にパクつかざるおえない魚のような、ジョージが自分を一山幾らの人間なのだいう気持ちになるように落ち込ますのであった。日本人の女の子が「My Revolution」をマーサーにリクエストして、ほとんどワールドスタンダードまで様式美化したかのような献杯の挨拶よろしくの譲り合いを経過して、結局デュエットすることに決まった。最初のサビ終わりからウ゛ァースに入ってほどなく、ジョージがかぶりを振りながら、リモコンでアーティスト検索して、Cheap Trickの「I Want You to Want Me」を予約に入れた。「確かに。ユーモアがすべて」と彼は独りごちた。大モニターに待ちの曲目とアーティスト名が掲示されると、いつからか、そぞろ歩いていた清美の意識が“cryin,cryin,cryin,”とコーラスを一緒に連れて彼女の元に帰ってきた。それはライブ盤「At Budokan」に収録された「甘い罠」の、日本人の女の子たちの嬌声だった。そこに彼女の母親もいたのだ。今現在、五十を前にして清美の母は、上はスウェットに下はスパッツに重ねて三本線のジャージを履き、首に広告のないタオルを巻いて、専ら緑のある住宅道路を緩急自在にウォーキングしたり、ぬれ縁台とスタンドが置かれたウッドデッキに、ポロシャツとローライズのハーフパンツにバックバンドのついたサンダルを履いて出て、そこに植えられたゴムの木やゼラニウムに声掛けしながら水を遣り、そうかと思うと五色で刷られたハローマートのチラシに忙しく目配りをするのだった。今日の夜清美が自宅を出る間際になってから、父親が彼女に近付いて来て「小銭がたくさんで邪魔になるから」と、二千円札の上に兌換して三千円分くらいの小銭を載せて清美に持たしたのを、母親が耳だけで目敏く見つけて、ふたりから遠くの見えない場所から「あら久しく二千円札なんて見掛けてなかったわね」と、どこかで聞いたことのあるような事を言ったのに、「でもママには内緒だよ」と早口で父親が続けて言った。清美が牛乳屋さんがつくったコーヒー牛乳をストローで余瀝よれきまで飲み干すと、友達の日本人の女の子に言った。「こういう時ってーでもしばしばあるわー私以外の家族が、本当は派遣されて来た劇団員か何かで、立派なお金を貰って、本読みなしで割り当てられた台詞を順々に話しているんじゃないかと思うの」自分ではちっとも可笑しくないのに清美は笑った。「でもそういう家族っていいな」日本人の女の子が言った「それにそういうパパってかわいいと思うわ」清美は今度は本当に可笑しくなって笑った。もしも自分が日本人の女の子の立場だったら、同じことを言ったに違いないと思うからだった。「甘い罠」の原題が「I Want You to Want Me」と清美が知ったのは、母親と全く時を同じくしてだ。CDのヒットチャートに、ヒップホップやR&Bが当たり前にランクインするようになった頃、母親が廉価でターンテーブルが出回っていることを昼のワイドショーで知って、清美の部屋の天袋に愛蔵していた懐メロのレコード盤を引っ張り出してきた中に、「At Budokan」があったのだ。折しも清美がJーPOPから逃げて洋楽に目覚めた時期と重なって、CD機能とアンプ内蔵の豪華セットのターンテーブルを通販で購入し、「甘い罠」も聴いたのであった。そしてその邦題の方を、いま清美は気に入っているのだ。それは“アレ”のサントラに相応しいタイトルだからだった。結局清美がロッキングチェアーに座り、マスターベーションに深け込むのはずいぶん日を更新してからだった。その日拉っ去られた春の日の木立の中が、ジョージの吸うKOOLの薄荷の匂いが瀰漫して思い出されたのを、誰よりも先に自分に内緒にする清美ではあったのだけど。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ